七十二話 アンビトース地域になって
国を滅ぼして領地として引き入れたからには、とにかく平定を進めなければならない。
ファミリスが「パルベラ姫様のことが心配なので、帰らせていただきます」って、引き上げていっちゃったので、ロッチャ地域軍百人とこの街の兵士に手伝ってもらわないといけなくなったしね。
ともあれ方々の町村や集落に遣いを出し、俺が戦争に勝ったことと、この地域がノネッテ国の領土になったことを伝えて回ることにした。
こちらが出した手紙に、大抵の村落は従う意思を返してきた。
その返事の中には、捕虜にしていた兵士が故郷に帰り、こちらにとって有利な情報を流してくれたことがうかがえる文言が入っていたものもあった。
やはり、情けは人の為ならず。基本的に誰にでも優しく接すれば、良い影響が帰ってくるものだな。
もっとも、その情けをこちらの甘さと捉えて、足元を見てくる輩もいないわけじゃない。
「それで。そちらの村は、ノネッテ国の領土に入ることに賛同しないと?」
俺が玉座に座りながら問いかけた相手は、恭順しないことを選んだ村の代表だ。
彼の村の位置は、この王城を挟んでロッチャ地域とは真反対という、遠方の場所らしい。捕虜だけでなく、この街に住む兵士にすら出身者がいないぐらいなので、相当の田舎なのだろうな。
そんな村の代表が言う。
「平地や山に生まれたものが、砂漠のことは分かるまい。下手に掟を弄り回されて砂漠の厳しさにやられることになるぐらいなら、独立独歩を貫いて砂漠と己の力で戦い抜いた方が生き残れるというものだ」
代表者の言うことは、まあまあは理解できる。
門外漢がトップに座ると、その場所には不似合いで頓珍漢な取り決めを作りがちな傾向があるしな。
そこで俺は、隣に立つフヴェツクを手で示す。
「この地域の暫定領主として、このフヴェツクをしばらく据えるつもりだ。その後も相談役のような役職で残すつもりでいる。それでも不服かな?」
村の代表者はふんっと不満そうに鼻息を吐いてきた。
「話になりませんな。その者は水の民。砂漠の民のことを理解しているはずがない」
「水の民って初めて聞くけど、どういうこと?」
「砂漠に住む者の中で、常に絶えない水の流れがある川の周囲に住む者のことをいう。水の民は砂漠の本当の厳しさを知らない、半端者だ。そんな者が立てる掟は、真の砂漠の厳しさの前には無意味なのだ」
「理屈は分かるけどさ。いままでこの国の法の下で暮らしてきたわけだよね。それをいまさらになって」
「ふんっ。いままでだって、国の法に従っていたわけではない。干渉されないかわりに、放置も同然の扱いを受けていたのだしな」
この話しぶりから考えると、彼の村とアンビトース王族との確執が前々からあったんだろうな。そしてその不信感を、そのまま俺やノネッテ国へ適応しているんだろうな。
その誤解を解き、説得する方法はいくつか考え付く。
でも、そこまでやる必要があるのかなと、ふと思った。
もともとアンビトース地域の大半は砂漠だし、こんな領地を手に入れても仕方がないと思っていたんだ。
そして彼の村は砂漠も砂漠、水の乏しい場所にあるようだった。
村からの税収として期待できるのは、恐らく砂漠の魔物の肉や皮ぐらいだろう。それを現金化ないし製品化するには手間が必要だ。
そこまでやって、その場所から税が欲しいかと言われると、俺個人としては首を傾げたくなる。
それに、魔物を討伐することは命がけだ。そうやって苦労して手に入れた肉や皮を、税として取られることは、彼らにとってとてつもない負担であることも想像がついた。
期待できない国の庇護から離れて、独立してやっていきたいと考えるほどなんだからね。
俺は領地の利益と村の代表者の心情を推し量って、決意した。
「わかった。独立していいよ」
「……本気ですか?」
代表者が信じられないという顔をするので、俺は朗らかに笑ってやる。
「そうしたいって言ったのは、そっちじゃないか。何か不満があるの?」
「……いえ。そういうわけでは」
煮え切らない態度の代表者に、俺は遅まきながらに彼の目的に気付いた。
村が領地から離脱するぞとゴネて、こちらに何らかの譲歩を引き出そうとしたんだろう。それなのに俺があっさりと「いいよ」なんて言ったものだから、引っ込みがつかなくなったってところだろうな。
そう気づいてしまったとはいえ、こちらから前言を撤回するわけにはいかない。そんなことをしたら、本当は彼の村を留めておきたいのだと、間違った理解を与えてしまうしね。
でもこのまま独立させて放置し、彼の村が切羽詰まって反乱を起こしたりすると厄介だ。ここで助け舟の一つぐらいは出さなきゃいけないよね。
「独立した後も、アンビトース地域に来ての取引はやっていいからね。砂漠の魔物の肉が食べられなくなったら、民が不満に思うだろうし」
「それは! ――ありがたいですが、嘘ではないですね?」
一瞬喜びを見せたあたり、この代表者は腹芸はあまり得意じゃなかったみたいだな。
「要するにあなたの村は、情勢の変化で生活が立ち行かなくなることを恐れているんでしょ。だから少し距離を取ってでも、この土地の新たな領主がまともか判断したい。そのためには独立が一番手早くて簡単。こちらが独立を認めないと言って、懐柔策を出して来たら村にとって有利になる条件を伝えられるし、暴力に出るようなら他の砂漠の民だって離脱して君たちの側につくだろうしね。ただ一点。僕が独立を認めると考えていなかった点が、唯一の落ち度だったね」
「では、先ほどの言葉――独立後も取引をしていいというのは、嘘なのですか?」
「ああ、ごめん。分かりにくかったね。いや、本当に独立してくれていいし、取引だってやってくれていいよ。こちらは全然困らないから」
「……どうしてでしょう。我々からの税は微量かもしれませんが、それを失うのに困らないとは」
「だって君らは魔物の肉や皮、もしくはそれらを使った製品を商人に売って、食料を買うんでしょ。それならこちらは、その商人から税金を取れば、君たちから間接的に税を得るのと同じ。むしろ、税として肉や皮を納めてこられたら、こちらが商人に換金作業の手数料を支払わなきゃいけない。その手間賃と考えれば、多少の税収減は目をつぶれるしね」
実際は言うほどうまく事が運ぶわけじゃないだろうけど、失われるはずの税を回収できる充てがあるという点が重要だ。
地方の村が独立してもこちらに税が入る仕組みがあるとわかれば、独立する機運を削ぐことができる。どうしてかというと――
「――だから僕としては独立しようがしまいがかまわない。けど、独立したからには、こちらの力を当てにしてもらっては困る。例え、君らが魔物の大軍に襲われようと兵士を援護に向かわせられないし、給水地点が枯れていようと水の援助は行えない。それらが与えられるのは守るべき国民だからで、国民じゃない人に差し出せるほどの余裕はないからね」
懇切丁寧に、独立の利点と欠点を伝えてあげたところ、村の代表者は難しい顔になった。
「一度村に帰り、いまミリモス王子様が教えてくれたことを伝え、話し合いたいと思うのですが」
「こちらは急いでないから、ゆっくりと納得が行くまで議論するといいよ。改めてもう一度言うけど、こちらとしては君たちが独立するかしないか、どっちでもいいからね」
俺が身振りで退出を促すと、代表者は一礼してから去っていった。
ここまでのやり取りについて、フヴェツクに感想を言ってきた。
「あっさりと独立を認めたことは驚きましたが、理由を聞けば、なるほどと理解できました。ですが、少し甘いのではないかと思わなくはありませんね」
「甘いって。あの人に、取引をさせないぞ、とでも言ったらいいってこと? それこそまさかだよ。ありえない」
「どうしてです。勝手な主張をした民に報いを受けさせるのは、帝王学の初歩でしょう?」
「悪いけど、俺は王子教育をされていない不良王子だからね。帝王学は知らない。知っているのは、魔法の知識と戦術書の戦法だけ。そして戦術書には、敵を追い詰め過ぎない方が良いって記載があるんだよ」
「追い詰め過ぎない、ですか?」
「人間、身の破滅が目の前にあると抗おうと必死になる。けど逃げ道が用意されていると、そうそう必死にはなれないもの。って書いてあったんだよ」
窮鼠は猫をも噛むけど、穴が近くにあれば一目散にそちらへと逃げるもの。
そして、その穴に罠を仕掛けることで安全に鼠を仕留めたりもできる。
まあ、今回の話し合いでは、罠までははってないけどね。
「さてさて、後がつっかえているから、次の面会者を――って名前がドゥエレファ・アナローギ?」
次の面会予定者の名前を見て、俺は固まった。
その名前の人物は、アンビトース地域の横に位置するスポザート国の役人であり、俺の姉であるソレリーナの夫であると知っていたからだった。