閑話 猿王子の計略
俺は、しがないアンビトース国の一兵士。
ノネッテ国の猿王子の要望を受けて、ロッチャ地域軍の兵士百名と荷物を載せたカミューホーホー二十三羽、それと騎士国の騎士と黒い馬を連れて、砂漠の道を進んでいる。
夏の砂漠では、普通なら日が出ている内は岩や砂丘の影で涼をとって休み、日が落ちてから移動するもの。
しかし猿王子は、一日でも早くアンビトース国の首都『ホーフスタ』に行き、アンビトース王家と決着をつけたい。そのため、昼の暑すぎる時間帯にだけ睡眠をとり、それ以外の時間は移動に費やすことになった。
無茶苦茶だと思う。
けど、猿王子には秘策があった。
それは魔法だ。
「ほーら、みんな。水を浴びて涼しくなろう」
日中に進軍を開始して少しし、体温の上昇と喉の渇きを感じ始めた頃、猿王子が魔法で水を浴びせてきた。
なんと、猿王子は魔法使いだったのか。
猿王子だけじゃなく、兵士の中にも魔法使いがいたようで、彼らも水をかけてくれた。
服がずぶぬれになり、体温が下がる。
これはいい。少ししたら乾いてしまうだろうけど、乾くまでは涼しくいられる。
これなら、この季節でも日が出ているときに移動することができるな。
首都までの道行きの中の休憩中、俺の同輩である捕虜が隊列から外れて、どこかへ走っていく。
すわ、脱走か。連帯責任で捕虜全員が殺されると青ざめたところで、猿王子が「心配いらない」と声をかけてきた。
「あの人の出身集落が近くにあるって言っていたから、手紙を渡しに行ってもらったんだ」
「手紙って、どんなのです?」
「それはね――そういえば君も、この近くが出身集落だったよね?」
うぇ!? なんで知っているんだ!?
驚いていると、猿王子が苦笑いする。
「捕虜生活の中で君たちが、兵士同士で出身地について雑談してたって、監視してた兵士から報告がきていたんだよ。その報告書を読んだだけだよ」
あっさりと言う猿王子。
いやいや。捕虜の顔を覚えているだけじゃなく、そいつについての報告書で出た出身地まで頭に入れている敵軍の長が、どこにいるってんだよ。
驚きと呆れをないまぜにした感情で見ていると、目の前に巻き筒がきた。よく見ると、巻かれた紙――手紙だろうか。
「これは?」
「君の出身集落の長へ運んでもらいたい手紙。中身見ちゃってもいいよ」
「いやいや。長への手紙を勝手に見たらダメだろ!」
「そう? 手紙と言っても封蝋はしてないから、盗み見たってバレないよ?」
猿王子は不思議そうに告げると、他の捕虜たちを安心させるために行ってしまった。
俺の手には、謎の手紙。
物凄く中身を読みたい気になるけど、ぐっと堪える。
やはり盗み見はダメだ。
出身集落の近くで、俺は許しを得て隊列から離脱する。
捕虜をこんなにあっさり放逐していいのかと疑問に思うが、猿王子はそのあたりも考えていた。
「捕虜なら道案内のために、数人で十分。それ以外の人は、手紙を配達してもらう代わりに開放することにしたんだ。釈放するための代金を請求しないのかって? あははっ。要らないよ。だって、俺たちがこの国を攻め滅ぼしたら、君たちはノネッテの国民になるんだよ。自分の国民になろうって人物の財産を下手に減らすなんて真似はしないって」
本当に、たった百人で戦争に勝つ気だ。
騎士国の騎士が一人仲間にいるっていっても、本当に可能なのだろうか。
ついつい疑ってしまうが、隊列から離れる俺には、もう戦争は関係がないことだ。
岩石と砂が七対三の土地を走り、夜になる頃に集落に入ることができた。
見慣れた景色に安堵すると、俺を見かけた集落の人たちが両親を呼んできてくれた。
感動の再開、とおもいきや、罵倒がきた。
「この馬鹿息子め! どうして戦争で死ななかった! 死んでいれば問題がなかったのに!」
「はぁ? どういう意味だよ!」
「アンタが生きていると王様に知れたら、王子様を守れなかった罪で家族全員が死罪になるのよ!」
砂漠の民は家族を大事にする。その家族に悪影響を与えそうな俺の存在が、生きているのが不服らしい。
気持ちはわかるが、俺だって家族の一員だ。生きていたことを喜んでくれてもいいだろうに。
不満に思ってむっつりと黙り込んでいると、長老がやってきた。
「これこれ、止めないか。戦争で生きて帰ってきた子は労いなさい。それに、騒いでいたら本当に王様の耳に入るかもしれんぞ」
長老のとりなしで両親が静かになる。
俺は両親を無視して、長老に手紙を差し出す。
「これは、誰からか?」
「ノネッテの猿王子――えーっと、ミリモス王子から、長老にだってさ」
「なんて書いてある?」
「知らない。ミリモス王子は見ても良いって言ってたけど、盗み見るのは悪いって思って見てない」
長老は扱いに困ったように手紙を持っていたけど、意を決した様子で中身を見た。
俺の両親や帰還騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬が、長老の背後に回って、手紙の内容に目を向けている。
少し時間が経ち、誰からともなく、ため息が聞こえてきた。
「なあ、長老。なんて書いてあったんだよ」
俺が聞くと、長老は頭痛がする様子で額に手を当てる。
「ノネッテとアンビトースとの間で戦争が起った理由が書かれてあった。そして、全ての元凶はアンビトース王家だと。今回の戦争で家族を亡くした者が居たら、その者たちはノネッテ国に怒りを向けるのではなく、アンビトース王家に復讐を誓うのが筋である。端的にいえば、こんな感じだ」
「へぇ。普通のことしか書いてねえんだな」
つい感想をいうと、集落の連中にギョッとされた。
「なんだよ。そんな顔して」
「お前、猿王子の肩を持つのか?」
「どっちの味方をするって話じゃねえよ。単純に手紙の内容が、その通りだってだけだ。いや、本当に今回の戦争の理由が酷いんだぜ」
捕虜生活の中で見知った事実――スペルビアード王子がミリモス王子の姉――余所に結婚済みの人に懸想し、その体を手に入れるためだけに会談で不意打ちを仕掛けた。ミリモス王子は部下を逃がしながら奮闘して陣地へ引き、ロッチャ地域軍の兵士と共に戦う。その直後、スペルビアード王子は叶わないと悟るが、ミリモス王子の姉を諦めきれずにロッチャ地域に入る。それをミリモス王子が追って殺した。最後にミリモス王子が穏便に済ませようと使者を送ると、アンビトース国の王様はその使者を殺して頭を斬りおとして送ってきた。
そんな流れを、両親に罵倒されたむかっ腹を癒すために、三割増しぐらいに大げさに語ってやった。
すると、集落の連中が悲痛な顔になってしまった。
「それが本当だとしたら、騎士国の騎士が猿王子の味方になっているというのも本当か?」
「おうともよ。ついさっきまで、この目で見ていたぜ」
「それは本当に、騎士国の騎士だったのか?」
「おいおい。夏の砂漠の強い日差しの中で、金属の全身甲冑を着こんだ黒い馬に乗った騎士様だぞ。人も馬も騎士国の人じゃなかったら、どちらも日差しに茹だって倒れるだろうが」
「……本当に、騎士国が猿王子の味方に」
長老が心痛を感じている表情をしていると、集落の誰かが言う。
「長老。ノネッテの軍が来たら知らせるようにって王様から通達が来てたが、むしろ王様の方を見捨てるべきだ。仮に猿王子が戦いに負けたとしても、騎士国が弔い合戦に来る!」
「二大国の片方がきたら、この国なんて砂嵐を前にした丸草も同然。余波を食らわないよう、知らぬ存ぜぬで大人しくしていた方が良い」
「その通りだ。戦争で誰が勝とうと、無関係なら生き残れる!」
集落の連中に詰め寄られて、長老は悩みながらも、この戦争とは無関係を決め込むことにしたようだ。
俺のことはどうするのかと思っていると、納屋の一つに監禁されることになった。
「猿王子が万が一にも勝ったとき、お前が死んでいたら、集落全体が咎を追うかもしれないからな。ここで大人しくしていろ」
「へいへい。三食昼寝付きの待遇を満喫するよ」
閉じられる扉から離れて、納屋の中にあるカミューホーホーの羽毛を縒って編まれた絨毯に寝転がる。
そして考えるのはミリモス王子の手紙のことだ。
「アンビトース国の国民の多くは国全体よりも集落、集落よりも家族が大事。あの手紙の内容を読み、配達した捕虜が真相を語れば、行きつく先はこうなるってことか。手紙を運んだ他の連中も、きっと俺と同じ状況になっているんだろうな」
さてさて、俺を始め捕虜の今後はどうなるのか。
その将来が判明するのは、ミリモス王子が首都について、決着がついた以降だな。
それまでの日にち、ミリモス王子が勝ってくれるよう――というより、俺をこんな目に合わせてくれやがったアンビトース王家の連中がやられることを期待して、ゆっくりと待つことにしよう。