六十六話 アンビトース国の返答
スペルビアードの暴走のせいで、ロッチャ地域とアンビトース国は戦争状態という扱いになってしまっている。
俺としては戦争なんてやりたくない。ロッチャ地域の立て直しは始まったばかりだし、帝国に膨大な借金があるので、無駄な歳出をするわけにはいかないからだ。
とはいえ、相手がある物事は、こっちが一方的に止められるものではない。
この戦争をまだやる気なのか、アンビトース国に問いかけるために、捕虜にしたアンビトース国の兵士――俺が捕まえた二人だけでなく、陣地近くでの戦闘で捕まえた人たちも――の何人かを開放して遣いに出すことで反応を見ることにした。
交渉のための陣地だった場所は、野戦のための陣地への転換が始まっている。中に駐留する人材も、文官から兵士へと入れ替えが行われている。
そんな場所の中で俺はファミリスと共に、遣いに出した捕虜たちが立ち去る姿を見送っていた。
「捕虜に手渡した親書に、ファミリスが騎士国の名で綴った手紙をつけるとは思わなかったよ」
「今回の件は、スペルビアード王子の暴走を察知できなかったアンビトース国の落ち度ですからね。正しい行いを標榜する神聖騎士国家としましては、一言文句を言わなければいけませんので」
返答するファミリスは、どこか俺にツンケンしているように見えた。
「もしかして、ネロテオラに乗ったこと、まだ怒っているとか? ちゃんとお菓子のお礼と謝罪もしたでしょ」
「ええ、ええ。謝罪を受けましたとも、美味しいお菓子も受け取りましたとも。そして、ネロテオラが運動不足が解消できてご機嫌だとか、ネロテオラを貸してくれたお礼と称してパルベラ姫とミリモス王子がお茶会の約束をしたとか、そういう事実がありますとも」
ファミリスがイライラとした感じて言ってくるけど、いまのどこに怒る点があったんだろう。よくわからない。
「お菓子と謝罪だけじゃ不満だってこと? じゃあ、ファミリスの望みを言ってみてよ。俺が叶えられるものなら、叶えてあげるからさ」
仕方がないと妥協して提案したところで、ファミリスが獲物を見つけた野獣のような笑みを浮かべてきた。
「では、アンビトース国との件が済みましたら、一日お時間を頂けますでしょうか」
「なんで変に丁寧な言葉なんだよ。あとその笑顔。すごく嫌な予感がするんだけど」
「おや、ミリモス王子。私のためには一日程度の時間を空けられないと? 叶えられない望みだと、仰るわけですね?」
「その笑顔のままで顔を近づけてくるな。怖い怖い! 分かった! 約束する! 一日、時間を作るから!」
「約束ですよ。いや、今から楽しみですね。その一日が」
ファミリスの機嫌が戻ったが、俺はなにか危ない契約を結んでしまった気がしていた。
約束を破棄するわけにはいかないので、ファミリスに付き合う一日が平穏に送れることを、いまから祈っておくとしよう。
アンビトース国からの返事は、捕虜を遣いに出してから、十日も経たずにやってきた。
移動距離を考えると、随分と早い対応だ。
しかし素早い対応だからといって、俺が望む通りの答えが来るとは限らない。
「アンビトース国、ヴァゾーツ国王よりの返答を伝える――愛息子を殺した報いを受けさせてやる。護衛を果たせなかった無能な兵士も同罪。ともに冥府の奈落へ落ちるがいい!」
アンビトース国の使者は言い終わると身振りし、供の者が手に抱えていた風呂敷を解きながら、椅子に座るこちらに緩く投げてきた。
すわ爆発物かと思いきや、もっと悪いことに、人の生首だった。
「遣いにした兵士を殺したのか……」
まさかの対応に唖然としていると、アンビトース国の使者とその供が護身用の短剣を抜き、こちらに襲いかかってきた。
「悪逆の徒、ミリモス・ノネッテ! お命――」
言葉の途中で、俺の護衛の兵が槍を突き出し、使者とその供を串刺しにした。
「――ぐぬぬぬっ。無念」
「スペルビアード王子。冥府の旅、同行、いたし……」
息絶えた二人を前にして、俺は頭を抱える。
「使者すら感情任せに暗殺者と化すだなんて。アンビトース国との交渉は完璧に決裂だな、これじゃあ」
半ば予想していたとはいえ、当たってほしくない予想が当たったところで嬉しくはない。
「こちらを目の敵にすると決めているのなら、仕方がない。大義名分は、こちらにある! 一騎打ちを諦め、アンビトース国を攻め滅ぼすために進軍の用意だ。同時に、どう攻めるかの詮議を行うぞ!」
俺の号令に応じて、兵士たちが動き出す。殺したアンビトース国の使者たちの死骸も、外へと運び出していく。
場所が開いたところで、軍の指揮官たちが俺の周囲に集まってくる。その中には、念のためにと呼び寄せていたドゥルバ将軍もいる。
「ミリモス王子。また戦争ですな」
「俺の所為のように言わないでくれよ。スペルビアードがソレリーナ姉上を手中に収めようとさえしなきゃ、こんな事態にはなってないんだから」
やってられないと呟きつつ、思考を戦争へと切り替える。
「これから夏本番だ。砂漠で長々と争っていたら、こっちが干上がってしまう。つまり、素早い侵攻と制圧が必要になる」
「侵攻するための情報は、もう手に入れているのでしょう?」
「捕虜にした兵士から、進軍中に彼らの出身集落に手を出さないことを引き換えに、詳しい砂漠の立地を聞き出して地図を作成してある。個別に情報を引き出して統合したものだから、精度は高いはずだ」
俺は天幕の一画に置いてあった紙――砂漠の地図を広げる。
軍の指揮官たちはそれを見て、眉を顰める。代表するようにドゥルバ将軍が呟く。
「なんともこれは。迷いそうな地図ですな」
その評価は正しい。
なにせ砂漠は砂と岩石ばかりの土地で目印が少ないうえに、道らしい道など通っていない。そのため真っ新に近い砂漠の地図に書き込まれているのは、『顔のような岩』とか『人差し指の石塔』とか、現地の人じゃないと分からないような言葉が並んでいるだけなのだ。
確かに迷いそうな地図だけど、その点は問題がない。
いや、なくなったと言った方が正しいかな。
「捕虜たちに案内させる約束を取り付けてある。こちらが遣いに出した捕虜を、アンビトース国の国王は殺し、その生首を送り付けてきた。その証拠を見せれば、協力を渋っていた捕虜たちも助けてくれるようになるさ」
「スペルビアード王子を守れなかった者も殺してやると、伝言してきましたからなあ。殺されるぐらいならと、道案内をしてくれることでしょう」
指揮官たちも頷いて同意を示してきたので、俺は道行きは問題ないと判断することにした。
続けて、どうやって素早い侵攻を可能にするかの案を出していく。
「素早く移動するために、兵士たちに全身甲冑は着せてはいられない。最低限の防具と食料で進むことになる」
「馬車での移動は?」
「捕虜からの話じゃ、道にある砂や岩石に車輪がとられるからダメらしい。荷物は『ラクダチョウ』に乗せて運ぶほうが、もっと早く進めるんだってさ」
「ラクダ――なんです、それは?」
そういえば、あの鳥の名前を、俺は正式には知らなかったな。
「えーっと、あの人が乗れる、デッカイ砂漠の鳥のことだよ」
「ああ。『カミューホーホー』のことですか。ノネッテ国ではラクダチョウと呼ぶのですね」
「いやいや。似た動物をもじって、勝手にそう呼んだだけだよ。ノネッテ国にあんな鳥はいないから」
「カミューホーホーは砂漠の鳥。山国のノネッテ国にはいませんでしたか」
「とにかく。ラクダチョウ――改め、カミューホーホーたちに荷物を積んで、急いで移動する。こちらが遣いをだして、あの使者が十日でやってきたことを考えると、アンビトース国の首都には五日以内でつけるはずだ」
「お待ちを。カミューホーホーの数には限りがあります。この地に集まった兵全員は連れて行けません」
その指摘は、合っていた。
捕まえたカミューホーホーは、全部で二十騎ほど。物資を満載にしたところで、百人の兵士を連れていくのが限界だろう。
「その連れて行ける限界――百人で奇襲するように素早く進軍して、アンビトース国を攻め落とすしかない」
「……本気ですか?」
「砂漠はアンビトース国が得意な戦場だから、こちらが不利。だからこそ相手側の体勢が整いきる前に殴りつけなきゃ、勝てなくなっちゃうよ。それに少人数での進軍の方が、戦費が安く済むって利点もあるしね」
「ミリモス王子。冗談を言っている場合ではありません。その百人は決死隊ではありませんか」
「冗談のつもりはないよ。だって、その百人に俺も入るんだから」
俺がにこやかに言い切ると、指揮官連中が絶句している。
そんな中で、傍で静かに見ていたファミリスが、失笑していた。
「くくくっ。いや、失礼しました。ミリモス王子は、やはりこちら側だと、思ってしまったもので」
こちらとは、どちらのことなのかが気になるけど、藪蛇を突きたくないのでスルーすることにし、別の質問をすることにした。
「この戦いはアンビトース国の完璧な過失で起こっているのだけど。悪い行いを正すべき騎士国は、俺たちの戦いに援軍を送ってくれたりはする?」
「もちろんです――とはいえ、この程度の悪を相手にするために、大人数の援軍を期待されても困ります。精々、私が戦闘に参加することが関の山です。ちなみに、神聖騎士国家の騎士が他国に支援に入るには、王族の方の認可が必要となります」
あくまで自分は剣である、という建前のファミリスの主張。
俺は彼女の主君である、パルベラ姫に視線を向ける。少し待ってみるが、自発的に許可を出してはくれそうにない。
というか、パルベラ姫が期待した顔で俺を見ている。どうやら、俺が『おねだり』してくるのを待っているらしい。
「えーっと、パルベラ姫。我が軍の助力のために、騎士ファミリスのお力をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ダメですよ、ミリモスくん――」
断られた! と予想外の事態に驚いていると、パルベラ姫からの言葉が続いた。
「――私たちはお友達なのです。そんな他人行儀な言葉遣いではなく、いつもの言葉遣いで頼んでください」
戦術級の戦力であるファミリスの助力をお願いするため、あえて公的な口調で頼んだのだけど、パルベラ姫はそれがお気に召さなかったらしい。
まあ丁寧な態度というものは、見方によっては卑屈な態度と見えなくはない。
つまりパルベラ姫が言いたいのは、今回の件はロッチャ地域側に非がないのだから、援助を頼むなら堂々とやるべきだってことだろうな。
よしっ、と気合を入れて、普段通りの態度でパルベラ姫に要望しよう。
「パルベラ姫。ファミリスを貸してくれ」
「それはどうしてですか?」
「この戦争に勝つ――」
そう言葉にしかけて、騎士国の騎士を援軍に迎えるべき理由は、そうじゃないだろうと思いなおす。
「――いや、俺のためだ。俺がソレリーナ姉上のためを思った起こした行動が間違っていないと、証明するためだ!」
これでどうだとばかりに格好をつけて、堂々と胸を張って言い切った。
するとパルベラ姫は、陶酔したような表情で頬を赤らめさせながら、体内の熱を吐きだすような吐息で言葉を紡ぐ。
「はい。ミリモスくんのために、ファミリスをお貸しいたします。ご存分にお使いになってください。私はこの陣地で、お帰りをお待ちしております」
どうしてパルベラ姫がそんな表情をするのか、よく理解ができないものの、これでファミリスが援軍として参戦してくれることが決定した。
当のファミリスが、パルベラ姫の様子にショックを受けたような顔の後で俺のことを憎々しげに睨んでくるけど、気にしないことにして進軍の準備を進めることにしたのだった。