六十四話 騎馬戦 後編
追いついた俺たちに向かって、スペルビアードは憎々しげに言い放ってくる。
「我が恋路を邪魔するなど、許されない! やれ、者共!」
スペルビアードの号令に、十五騎ほどのラクダチョウ部隊が全員動き、こちらの前と左右を三重に囲み始めた。
流石のネロテオラといえど、素の力で三重の障害物を突破できないらしく、少し速度を緩めて後方に逃れ、横から迂回して突破しようとする。
だがラクダチョウ部隊も練度が高いようで、こちらの進行方向を巧みにブロックしてくる。さらにはこちらの速度を落としにかかり、その向こう側にいるスペルビアードの背が段々と離れて行く。
「ブルルルルル……」
獲物が離れて行く現実に、不機嫌そうにネロテオラは鳴く。そして、こちらに「どうにかしろ」と言いたげな目を向けてくる。
「俺が馬に神聖術を伝える技法を修めていれば、簡単に追いかけられるんだろうけどさ」
ファミリスがネロテオラに乗った際の走破力は、いまの比じゃない。それこそ断崖絶壁を馬の足で上るほどだし。
その原動力となるのが、ファミリスが使う『人馬一体の神聖術』という技法だ。
現時点で俺専用の馬はないし、ファミリスは戦闘術を優先して教えてくれていたこともあり、俺は人馬一体の神聖術のやり方すら知らない。
なので、違う方法でどうにか突破しようと考えようとする。
しかしここで、ネロテオラから嘶きがやってきた。
「ヒヒィィ、ブルルル」
目を向けると、ネロテオラが敵に囲まれないように左右に蛇行しながら、じっとこちらを見てきていた。
その目は「試しにやってみろ」と、俺に語っているようだ。
まさかと思いつつも、試しに神聖術の力をさらに上げてみると、ネロテオラの瞳が「それでいい」と言っているように感じた。
「ぶっつけ本番で習得しろってことか。まったく、ファミリスより無茶な要求をしてくれるよ」
俺は苦笑いしてから、俺が最初に神聖術を習得したときのように、目を閉じて集中することにした。
まずは、俺の細胞一つ一つにある、魔力を弾く力――神聖術の力を全開にする。
「ブルル」
ネロテオラの「その調子」といった嘶きを耳にしながら、ここからどうするべきかを考えながら実行する。
ファミリスとの戦闘訓練の際に木剣に行うように、体から溢れ出る神聖術の力でネロテオラを包み込もうとしてみる。
「ブルルルル」
やり方が違うと指摘が入り、別の方法を試す。
今度は、俺がネロテオラと接している場所から、ネロテオラの体内に神聖術の力を注入してみようとする。
試してみると、少し反発はあるけれど、ネロテオラに染み入っていくように、俺からあふれた神聖術の力が消えていく感覚があった。それと同時に、ネロテオラの走る動きに少しだけ力強さが加わった気がした。
「ブルル」
この調子と言いたげな鳴き声に勇気づけられながら、俺はこの方法を続けて試していく。
そして試しながらも、理屈で人馬一体の神聖術の理術を解き明かそうと考える。
俺がネロテオラに注げた神聖術の力は、微々たる量だ。その量の力で、自分自身を強化しようとしても、大して違いは出ない。
にも関わらず、ネロテオラの動きに加わった力強さは、注げた力以上のものに感じられる。
その事実から、ネロテオラ自身が持っている神聖術の力が発現したと、考える方が自然だろう。
この仮定が正しいとしたら、人馬一体の神聖術の理術とは『騎手の神聖術の力を呼び水に、馬自身が持つ神聖術の力を発露させる』ということになるはずだ。
人馬一体の神聖術の理術に仮説が立った。これに従って試してみよう。
「注ぐよ、ネロテオラ」
俺自身の神聖術の力は、ファミリスに比べたら貧弱だ。だから、少しだけ工夫をする必要がある。
まずはネロテオラに直に触れている下半身にかける神聖術を最大にする。そしてその他の部分は、振り落とされない程度の強化に努める。この状態なら、上半身から溢れ出る力がないぶんだけ、神聖術の長時間使用が可能になる。
そして下半身から溢れ出る力からは、順調にネロテオラに染み入っていく感触がある。
「よし、狙い通り。だけど――」
ネロテオラに染み入る力は呼び水と推測しているといっても、体全体に神聖術を発露させるためには、どれだけの量が必要になるのか想像もつかない。
やっぱり、いまの俺の実力だと人馬一体の神聖術の使用は無理かもしれないな。
そう諦めかけていると、俺の神聖術の力がネロテオラの皮膚の下の筋肉を通過し内臓にまで触れた。
この瞬間、ネロテオラから膨大な神聖術の力を感じた。
唐突な現象と、ネロテオラが発し始めた力強さに、俺は驚いて瞑っていた目を開いてしまう。
「もしかして、成功した?」
「ヒイィィィィンン!」
ネロテオラが「よくやった」と言いたげな嘶きを上げ、神聖術で包まれた肉体を躍動させ、ラクダチョウ部隊に直進する。
俺は現状を詳しく理解できていなかったけど、運よく人馬一体の神聖術が発露したと考えることにして、ネロテオラに力を注ぐことを継続するように心掛けた。
迫りくるネロテオラの巨体に対して、ラクダチョウ部隊から威勢の良い声がやってきた。
「その脚力と巨大な馬体で無理やり突破しようというのだろうが、そうはさせぬ!」
「「突け!」」
前を塞ぐラクダチョウ部隊の三重に槍が突き出されてきた。
俺は避けるべきだと判断したが、ネロテオラはそうは思わなかったようで、自分から槍衾へと突っ込む。
「ヒイイイィィィィィン!」
槍に当たったネロテオラから、大きな嘶きが出る。
しかしそれは、傷ついたことで起こった悲鳴ではない。むしろ、やってやったと言いたげな、勝ち誇ったような声だ。
現実、当たったはずの槍の全ての鏃が、ネロテオラの漆黒の馬体に弾かれて傷一つ与えられていない。それどころか、走り寄った巨体の質量によって、当たった槍の中には砕け折れたものすらあった。
「なんと!?」
「うわぁ……」
衝撃の光景に驚愕するラクダチョウ部隊と、神聖術を発動させたネロテオラの防御力にドン引きの俺。
そして、そんな気持ちなど知ったことかと言わんばかりに、ネロテオラはラクダチョウ部隊を蹴散らし始める。
「ヒイイィィイィィィン!」
首振り一つで騎手が吹っ飛び、体を押し付けただけでラクダチョウが転がる。前脚を振り上げて当てるだけで狙われた相手の骨が折れ、後ろ脚での蹴りを食らった獲物は大砲を食らったかのように破裂する。
そんな破滅の力を振りまいて、ネロテオラはラクダチョウ部隊の囲みから脱出した。
俺が後ろを振り向くと、暴虐の鬼神が暴れ回ったかのような、血と肉塊が転がる景色が広がっていた。生き残っている者もいるけど、ネロテオラの力にラクダチョウが恐怖を抱いたようで、騎手の言うことを聞かずに逃げ腰になっている。
ご愁傷様という気持ちが湧くけど――なににせよ、これで後方からの追撃を気にする必要はなくなった。
「ネロテオラ。あともう一息!」
「ブルル」
捕まえるべきスペルビアードに狙いを定めて、ネロテオラが激走する。神聖術で強化された馬体が、街道を掘り返すほどの力強さの蹴り足で、前へ前へと突き進む。
その足音と圧力が恐ろしいのか、スペルビアードの表情は恐怖に包まれていた。
「なんなのだ! なんなのだ! ソレリーナ姫を妻に迎えに行くことを、どのような理由で貴様は止めようというのだ!」
事ここに至って、まだそんな台詞が吐ける思考回路に、俺は舌を巻く。
だけど、どんな理由で止めるだって?
このとき俺は、ロッチャ地域の中央都で同居した中で、ソレリーナが幸せそうに膨れたお腹を撫でる姿を想起した。愛する人と結婚できた女性の喜びと、愛しい人の子が自身の中で育っていく母の幸せが凝縮した、その慈愛に満ちた微笑みを。
続けてその笑顔が、自分本位で国家戦争を起こした目の前の馬鹿野郎に蹂躙される妄想が浮かび、言いようのない怒りが湧いた。
「いい言葉を教えてあげるよ――」
俺は手綱を握り、鐙で腹を蹴ることで、ネロテオラに指示を出す。
その指示がどういう内容か理解したからか、ネロテオラが嬉しそうに嘶く。
「ヒイイィィィィィィン!」
ネロテオラの走る軌道が、俺の意を汲んで、スペルビアードに衝突するものに変わる。
こちらの意図を察したのか、スペルビアードはさらに恐怖に顔を歪ませなあがら言葉を紡ぐ。
「待て待て待て! 投降する! 領土侵犯をした謝罪をするし、賠償もする! だから」
「――人の恋路を邪魔する馬鹿は、馬に蹴られて死ね!!」
命乞いを無視し、第二の母とも呼べるソレリーナにとっての障害を、ネロテオラに踏みつぶさせたのだった。