六十話 正しい行いとは
俺は陣地に張られた天幕の中で、水晶玉が布壁に映し出す景色を、食事をとりつつ見ている。
映っているのは、魔導具である木製の鳥が見ている、アンビトース国の人たちが川に水汲みに行っている場面だ。
「素焼きの陶器の壺に入れて、持ってくるようだ。いまのところ、怪しい動きはないかな」
俺が映画感覚で飲み物と食べ物を口に入れつつ言うと、一緒に映像を見ているパルベラ姫もニッコリと笑う。
「このぶんでは、本当に水を汲んでくるだけのようですね。そしてその水を、ミリモスくんに飲ませるつもりのようですね」
「あの水を煮沸して飲むだけで、こちらの嫌疑が晴れて戦争を回避できるのなら、喜んで飲むね」
そんな他愛のない話をしていると、パルベラ姫の後ろにいるファミリスが渋い顔をしていることに気付いた。
「やっぱり騎士国の騎士としては、俺が魔導具を使うことは許せない?」
俺の言葉に、ファミリスが渋い顔のままで答える。
「この程度の魔導具なら、許容できます」
「この映像を生む魔導具は、帝国製のものを解析して模したものだけど。それでも許容範囲内でいいの?」
「問題にするべきは、人の身の丈に合わない力を持つことですので」
ファミリスの言い分に、俺は目を丸くする。
「意外だ。騎士国って、帝国の技術を目の敵にしていると思っていたけど」
「それは否定しません。帝国が持つ魔導技術は悪いものというものが、神聖騎士国家の見解ですので」
「ん? 木製の鳥は許容できて、帝国の技術はダメって、どういうこと?」
理屈が通らないと感じて聞き返すと、ファミリスは腕組みして騎士国の考えを語り始めた。
「我々、神聖騎士国家は、なにも魔法技術の全てを敵対視しているわけではないのです。普通の魔法の技術は、神聖術と同じで、個人が練習を積み重ねて身につけるもの。努力の果てに力を得るのは、正しい行いです」
「でも、帝国の技術はダメなんでしょ?」
「魔法の腕がないはずのノネッテ国の兵が、串剣で旧ロッチャ国の軍勢を貫いたように、帝国の魔導具は誰でも使うだけで一定の効果を得られてしまう点が問題なのです」
「……要約すると『簡単に人が殺せるようになる武器はダメ』ってこと?」
「その通りです。楽に手にした力だと、人は安易に使いたがる悪癖があります。逆に苦労して手に入れた力の場合は、振り回すことに躊躇いを覚えるものですので」
ファミリスの意見に、俺は一概にそうは言いきれないんじゃないかなと思う。
どんな力であれ、それをどう振るうかは、扱う人の道徳心や倫理観に左右されるものだしね。
けど一方で、『安易に手に入る力は怖いもの』という考えも理解できた。
前世の道具で考えるなら、この例えの筆頭は銃や爆弾だろう。引き金を引くだけ、ボタンを押すだけで、人が殺せる兵器の登場によって、戦争や紛争がより悲惨化したのは当然の事実だ。
では、両側の意見をすり合わせられる方法はと考えると――
「――免許制っていうのは、理に適った仕組みだったわけかな」
前世では車にしろガソリンにしろ、扱い方によっては危険なものを取り扱うためには、適切な知識を修めて免状を貰う必要があった。
戦争の際には免許の有無なんて言ってはいられないけど、日常生活で『安易な力』を扱う場合には、この制度を普及させておく必要がありそうだな。
そう俺が一人で納得していると、ファミリスが質問してきた。
「免許とは、どういうものなのです?」
俺が掻い摘んで仕組みを教えると、ファミリスは我が意を得たりとばかりに頷く。
「神聖術の教師が与える免状に似た仕組みですね。確かに、適切に教育された人員ならば、どんな兵器であれ適切に扱うことができるでしょう。仮にそれが、帝国の魔導技術であろうともです」
納得してもらったついでに、俺は少し気になっていた、騎士国が言う『正しい行い』というものについて質問してみることにした。
「さっきの会談についてだけど。俺は『ロッチャ地域の川に鉱毒が流れ込んでいた』事実を知っていながら、川の水には問題がないと言い張ったわけだけど、騎士国として見逃していい発言だったの?」
「ミリモス王子が単なる一個人であれば、見逃せない発言ですね。その偽った言葉によって、不利益を被る者が現れるかもしれませんので」
『個人』と断った点が、少し気になった。
「いまの俺は国の代表者だから、事情が違うってこと?」
「その通り。国の代表者は、自らが治める土地を富ませることが至上命題――正しい行いと言えます。他の国との交渉で多少の嘘を吐くのは、良い条件を引き出す上で合理的な方法。咎めることではありません。もちろん、証拠を突きつけられて嘘が暴かれた際に見苦しく言い訳することは、国の代表者として悪い行いですよ」
なんだか『正しい行い』の条件が小難しいな。
「騎士国が考える正しい行いっていうのは、正義のような『こうするべき』っていう確実な指標があるわけじゃなくて、人物の状況や立場によって違いがあるということ?」
「人によって本分が違うことは、当然でしょう。農民は作物を良く実らせて、その実りから税を納めるのが本分。商人は各地に物流を作り、売買によって経済を回すことが本分。騎士や兵士であれば、民と治安を守ることが本分。王であるならば国を発展させ、文化の水準を向上させることが本分。このように人がそれぞれの本分に従って行動することが正しい行いであり、本分に背く行動こそが悪い行いなのです」
偉ぶって語るファミリスの言い分はわかった。
しかしそれだと、矛盾する点がある。
「騎士国は『神聖術を元にした発展』を本分としているようだけど、帝国は『魔導技術を利用した発展』を本分としているわけでしょ。なら帝国だって、正しい行いをしているように思えるんだけど?」
「ミリモス王子が言うように、帝国とて間違っているわけではないのでしょうね。帝国の魔導技術を目の仇にしているのは、騎士国の国策によるものですし」
「なら、どうして騎士国は帝国と長年戦争をしているわけ?」
「単純な話ですよ。神聖術と魔導技術。どちらが人類がより発展するに相応しい技術なのか、雌雄を決するためです」
「正しい、悪い、が戦争の理由じゃないってこと?」
「単純に技術の優劣を付けるためです。だから両国で小競り合いはしても、全力での戦争はしていないでしょう?」
小競り合い、という言葉に、俺は思わず唖然としてしまう。
バンバンと飛ぶ大魔法が地形を吹き飛ばし、神聖術で身を固めた騎士と兵士の攻撃で人が木の葉のように空に舞う。そんな異常な戦場が、取るに足りないもののように言うだなんて、ファミリスの常識を疑いたくなる。
けど、どこかで大国の思考はこういうものなんじゃないかという、諦めに似た気付きも得ていた。
「それじゃあ、騎士国や帝国が、小国同士の争いに嘴を突っ込んでくることがある点については、どういう意味なわけ?」
「神聖騎士国家としては、悪しき芽は育つ前に摘むが最上というだけのことですよ。野心によって戦乱を起こす者を放置しては、民草が泣くことになりますので。帝国については、これは私の予想ですが、魔法技術を育てるためには土地が必要なので、小国を併合しようと画策しているのではないかと」
騎士国は完全な善意から、帝国は国の発展のために、小国の争いに目を光らせているということ。
つまりは、騎士国に戦争に介入されないためには、理路整然とした開戦理由を持っていることと、無茶な動員の仕方で民を泣かせないことが必須なわけか。帝国の場合は、領土的野心を満足させるに足る交換条件を出せれば、介入はしてこないってことだな。
いい情報を手にしたと思っていると、水晶が映し出す景色に変化があった。
「さっき俺と交渉していた人に、身なりのいい人が喋りかけているね」
「なんだか、威圧的な方です」
パルベラ姫が評したように、身なりの良い人物が激しくなにかを言い、アンビトース国の代表が壺を抱えて平謝りしている様子が映されている。
力関係でいうと、身なりの良い人の方が上なのだろうな。
国の代表者が逆らえない偉い相手となると、アンビトース国の王族と考えていいかもしれない。
そのアンビトース国の王族(仮)は、代表から壺を奪い取ると、ノシノシと足音を立てるようにして、俺たちがいた交渉場所へと向かっていく。
「あの様子だと、こちらの要請を無視して、すぐに交渉を再開するように言ってくるだろうね」
「もう日が落ちて夜になるのですから、明日に持ち越しても良いと思うのですけど」
交渉の仲立ちとしてい交渉の場にいなければならないパルベラ姫は、少し憂鬱そうにため息を吐く。
するとすかさず、ファミリスが心配そうにする。
「パルベラ姫様。体調が優れないようでしたら、ご無理をなさらずに休んでください。私一人がいれば、交渉をまとめるには十分ですので」
「そうはいかないわ。ノネッテ国とアンビトース国ともに王族を出すのであれば、神聖騎士国家からも王族が間に入るのが道理でしょう。大丈夫。体が疲れたわけじゃなく、気疲れだから。気の持ちようで復調するわ」
パルベラ姫がファミリスを説得する間に、伝令がやってきた。
予想したように、相手側から交渉再開の打診が入ってきたのだ。