五十六話 ロッチャ地域の食料事情
ソレリーナのロッチャ地域での暮らしが始まった。
それにあたって意外――と言うと失礼なんだけど――なことに、パルベラ姫とファミリスが接待役を引き受けてくれることになった。
「俺としては有り難いけど、気を使ってくれなくていいんだよ?」
「ミリモスくんの領地運営は堅実で、監視する必要が薄くて、手持無沙汰でしょうがないんです。それにミリモスくんの姉とはいっても、いまは嫁いで外の国の方。つまり私たちと同じ立場です。その点で、仲良くなれるのではないかなと思っています」
「女性騎士には、やんごとなき方が妊婦となった際に世話ができるよう、薫陶を受ます。激しい運動をしても流産しないような神聖術も修めてありますので、お任せを」
そう言うのならと、俺は二人にソレリーナのことを任せることにした。
これで、とりあえずの心配事はなくなった。
さて、俺は俺で領地の運営を確りと行うとしよう。
書類を確認していくと、各地の農地では、春に撒いた作物――夏麦が最盛期を迎えて、もう少しで収穫できるらしい。
「税率は全地域で同じようにするよう、お触れを出しておかないと」
ロッチャ地域の各地にいる豪族が徴税官を兼ねているのだけど、ロッチャが国の時代では税のピンハネが横行していたらしい。
俺としてはアコギ過ぎる真似じゃなきゃ見逃してもいいのだけど、監視は騎士国の人物。勝手な増税をしていると耳に入れば、その豪族の一族が全滅する憂き目になるかもしれない。
というわけでお触れの中に、騎士国が見ているから大人しくしてろよって、私信を入れておこう。
あんまり以前に持っていた権利を奪うような真似をすると、反乱の芽になると書物にあったんだけど、こればっかりは仕方がない。
「いままでは、前回の戦いで食料を徴収されたことで各地の食料は乏しかったから、反乱をしたくてもできなかったんだよね。けど、夏麦を収穫したら念願の食料が出来るから、反乱の芽が伸びやすくなるんだよなぁ……」
ノネッテ国で読んだ兵法書にある反乱者への対応は、容赦なく根切るが最上であり、一罰をもって百戒とするべし、ってことだった。
つまりは、最初の反乱者を粛々と全員処刑し、その事実を各地に布告することで、他の場所にあった反乱の芽を委縮させるというものだった。
論理的には理解できるのだけど、心情的にはあまりやりたくはないんだよなぁ。
「お願いだから、反乱なんて起こしてくれるなよ」
各地の道路の整備や、兵士が盗賊討伐しての治安維持活動、鉱物の採掘削減による河川汚染の改善、貿易も順調に上り調子で経済も上手く回りつつある。
これだけ色々と政策を行って、以前のロッチャ国とは住みやすさを改善しているんだから、反乱はないと信じたい。
一日の執務を終えて、俺はソレリーナと食事をとることになった。パルベラ姫とファミリスも接待役なので同卓している。ちなみにホネスは、王族ばかりの場所は恐れ多いと断っている。
いま食べている料理は、使われている食材はロッチャ国で採れたものだけど、それらをファミリスの愛馬ネロテオラに毒の有り無しを判別させ、調理過程でも鉱毒汚染を極力防いで作っている。
やはり妊婦相手になら、これぐらいの気遣いをしても、し過ぎるということはないはずだ。
でも、そう思っているのは、俺だけだったようで――
「まったく、ミリモスったら。初めての甥のために、こんなに張り切っちゃって。自分の子供が出来たとき、どれほど手間をかけるか分かったものではないわ」
ソレリーナが苦笑交じりに言うと、パルベラ姫は微笑みながら言葉を返す。
「ミリモスくんは優しい人ですから。愛すべき姉君相手に、手を尽くしたいと思っているだけですよ」
好意的に受け取ってくれたパルベラ姫に対して、ファミリスは冷ややかな態度だ。
「ミリモス王子が、愛が重たい人だとは思いませんでした。これは対応を変える必要がありそうです」
「三人して、言いたい放題言ってくれるよね」
俺は憮然としながら、巻きパンを手づかみで口に入れ、もしゃもしゃと噛み砕いていく。
この巻きパンとは、溶いた麦粉を薄焼きにして作ったパンに、野菜や肉の微塵切りの煮物を乗せて巻く料理。前世で言うと、トルティーヤやケバブなどのラップサンド、もしくはスイーツではない方のクレープのような食べ物だ。
そんなパンを憮然と食べる俺の姿に、ソレリーナとパルベラ姫は顔を見合わせて笑い合う。
「こういう点を見ると、まだまだ子供って感じよね」
「可愛らしいです」
男性として見られていない事実に悲しめばいいのか、挽回すると意気込めばいいのか、悩むところだ。
俺が無口で巻きパンを食べ進めていくと、ソレリーナが『しょうがない子ね』という感じに表情を変えてから、喋りかけてきた。
「ミリモスは、ノネッテ国の豆料理があまり好きじゃなかったけど。ロッチャ地域の食事は気に入っているかしら?」
「……そうですね。個人的には、ロッチャ地域の食事の方が好きですね」
ノネッテ国の豆料理と違って、ロッチャ地域の食事は麦が中心で味の予想がつきやすいし、前世の記憶の料理に近いものがあることが多くて安心する。
いま食べている巻きパンだって、某有名サンドイッチチェーン店で提供されていてもおかしくない味だしね。
「でもまあ美味しいものじゃないって思っているにも拘らず、ごくたまに、あの豆料理が無性に食べたくなるのが不思議なんですよね」
「ふふふっ。故郷の味というのは、美味いか不味いかに関わらず、そういうものよ」
「そういうソレリーナ姉上はどうなんですか? ノネッテの豆料理が恋しかったりします?」
「ノネッテ本国に着いたら、真っ先に豆料理を口にしようと思っているほどにはね。私が嫁いだスポザート国に限らず、砂漠にある国々は麦と肉料理が主だけど、豆料理もあるにはあるの。でも、ノネッテ国のものとは作り方が違うから、より故郷の味が恋しい感じがあるわ」
「麦ってことは、この食事と似た感じですか?」
「水が少ない地域だから、水で溶いて薄焼きにはしないわ。粉を少量の水で纏めて窯で焼いて、深皿型の『ブゥナン』というパンを焼くの。そのパンに料理を乗せ入れて、食事の終わりごろに汁が染みたものを食べるのよ」
「もしかして、料理を手づかみで食べる地域なんですか?」
純粋な興味から聞いたのだけど、ソレリーナの機嫌が目に見えて下降した。
「食事に食器を用いない蛮族、と笑う気かしら?」
どうやらソレリーナは、どこかでそう言って笑われた経験があるらしい。
ソレリーナの気性を考えると、愛しい旦那さんを育んだ土地を笑われていると捉えて、その笑った人は敵対者認定になったことだろうな。
もちろん、俺には笑いものにする心算は毛頭ない。
「こうして手づかみで食べているのに、どうして笑う必要があるんです?」
俺は巻きパンを口に放り込みながら問い返すと、ソレリーナは表情を戻しつつ額に指を当てて悩む素振りになる。
「ミリモスは他者の文化を笑いものにするような、愚か者ではなかったわね。なんだか最近、些細なことでも頭にくることが多くって、自分ながら嫌になるわ」
ソレリーナが愚痴を吐くと、真っ先に反応したのはファミリスだった。
「お腹に子を宿した女性は、その子を守るために攻撃的になる傾向があるそうです。正常な生き物の行動ですので、気に病まない方がよろしいですよ」
「そうなのね。少しだけ安心したわ」
胸のつかえが取れた様子で、ソレリーナは食事を再開する。
その様子を見て、俺は前世で聞いたあることを思い出した。
「妊婦の体に起こる傾向には、食事の好みが変わるってものがあった気がするんだけど、ソレリーナ姉上は大丈夫だった?」
「……実を言うと、肉料理のコッテリした臭いが、いまはダメになっているのよね」
「いま出している料理にも肉は入ってますけど、退けますか?」
「この量なら大丈夫よ。スポザート国の肉料理は量が凄いの。さっき言ったブゥナンは、顔ぐらいの大きさがあるの。でも、そのブゥナンからはみ出すほどの量で、焼かれた肉が出てくるのよ。しかも、お代わり用に追加分をお皿に山盛りにしてあるの」
デカい肉がうずたかく乗せられた皿が出てくる光景を想像してみて、その肉と脂が焼ける匂いがむせ返るほど臭ってくると考えると、女性かつ妊婦の人にはキツそうだな。
でも、健康優良男児である俺にとっては、美味しそうだという感想も抱く。
「ソレリーナ姉上が元気な赤ん坊を生んで里帰りする際には、俺が送り届けに行こうかな」
「まあ、ミリモスったら。姉をダシに、スポザート国の料理を食べに行く気ね」
「その通りですけど、ダメですか?」
「ふふふっ。本当にしょうがない子ね。いいわ。そのときは、この私が手によりをかけて料理を作ってあげる」
「えぇ!? ソレリーナ姉上、国元では作ったことがなかったのに、いまは料理できるんですか!?」
「愛しい旦那様の心をがっちり掴むのに、料理ほど適した戦法は他にないんだもの。多少手指が傷つこうとも、免許皆伝を入手するに決まっているじゃない」
ほへー。愛しい人のためなら、困難も困難にならないわけか。
感心と呆れをないまぜにした感情を抱いていると、パルベラ姫に声をかけられた。
「ミリモスくんも、ソレリーナお姉さんのように、料理が出来る女性の方が好きですか?」
「好きになった人がいないから、確たることは言えないよ。でも何事も、できないよりかは、できた方が良いんじゃない?」
これが自分が育った場所の料理だと出されれば、その味を通して相手のことを知るきっかけにも繋がるしね。
そんな本心を伝えると、パルベラ姫は何かを決意した表情になる。
「……これは料理の手引書を、神聖騎士国家から取り寄せないといけません。あとで言いつけましょう」
「そんな雑用を黒騎士に頼むのは、後にも先にもパルベラ姫様だけでしょうね」
ファミリスが呆れている様子から、なにかしらの禁じ手を使って、騎士国の料理レシピを入手する気らしい。
もしかして俺に振舞ってくれるかもと、少しだけ期待することにしよう。でもあの様子だと、料理を初めて作るんだろうから、ちょっとだけ心配かな。