五十五話 行動派の元姫
ノネッテ本国で出産するために、ロッチャ地域の中央都にやってきた、ソレリーナ。
俺に面会した直後に出発するのかと思いきや、俺が使用している砦で休息を取ることにしたようだった。
そしていま、俺の執務室の椅子に座っている。
「休息が必要だなんて、体調が悪いんですか?」
心配すると、違うと手振りが返ってきた。
「悪くはないけれど、少し疲れがね。それと、ノネッテ国から迎えがくる手筈になっているの。だから、ここで待つことにしたの」
「そんな知らせ、見てないんですが」
俺は小首を傾げながら、机の上にある処理済みの書類をもう一度確認する。
どういうことかと疑問に思っていると、追加の書類が部屋に運ばれてきた。
ソレリーナは運んできたのはホネスを見て、値踏みする目になる。
「ミリモス。この子は?」
「ノネッテ本国で兵として一緒に訓練した、ホネスだよ。こっちに連れてきて、いまは俺の秘書のような事をやらせてる」
「秘書だなんて恐れ多いです! センパイの小間使いで十分です!」
ホネスは緊張した様子で、ソレリーナに挨拶をする。
その緊張しつつも憧れの感情が瞳に宿っている様子から、どうやらホネスはソレリーナのファンだったようだ。
ソレリーナが結婚したとき、一国の姫と市井の男の大恋愛だって、ノネッテ国ではラブロマンスブームが起きたから、女性であるホネスがそのときに熱を上げていても変ではないか。
そんな俺の思考を他所に、ソレリーナはじっとホネスを見つめて、そして安心したように普段の様子に戻った。
「どうやらミリモスを支えてくれているようね。頼もしいわ」
「い、いえ! こちらこそ、センパイにはお世話になりっぱなしで! お給金だって、新兵には過ぎたぐらいにいただけて!」
「あら。ミリモスったら、若い女の子の体をお金で縛ったりしているの?」
「書類運びやお茶出しとか、兵士の仕事以上の事をしてくれるからね。秘書の給金を上乗せしているだけだよ」
冗談に軽口で返しつつ、追加の書類をホネスから受け取って確認すると、ノネッテ国からソレリーナに迎えがくるという書類が入っていた。
「……書類仕事を置き去りにするなんて、ソレリーナ姉上は相変わらず仕事が早すぎですね」
「即断即決が、私の良いところで、夫が惚れてくれた長所の一つだもの」
「はいはい。惚気、ごちそうさまです」
返事をしつつ、ソレリーナの帰郷に関する書類を改めていくと、問題があることがわかった。
「どうやら、ノネッテ国の方の道路は完成していないようですね」
「そうなの? 夏までには出来るって、御父様が仰っていたわよ?」
「普通に人が行き来するぐらいの道は作ってあるし、野生動物や魔獣の討伐も進んでいるようです。ただ、馬車を通すほどの道幅がないらしいんですよ」
「討伐は済んでいるのに、道が出来ていないのは不思議ね?」
「報告書にはないですけど、恐らく次の元帥に据えるための試練に、この仕事をサルカジモ兄上かヴィシカ兄上に振ったんじゃないかなと」
「あの二人が元帥に……。私が嫁いでから、ノネッテ国も変わってきたということかしら」
「俺の考えすぎということも、あり得ますけどね」
ロッチャ地域は木材を製鉄などで使っているため木々が少ない土地だし、一万人の軍人を作業員として使ったから、あっという間に道が敷けた。
一方でノネッテ本国の土地はというと、山の付近は深い森になっているし、地面には起伏も多い。そして兵数は千人未満だ。百日程度で道路を開通させることは、難しかったんだろう。
「ともあれ、急いで残りを作っても二十日は完成にかかると報告が来てますよ」
「そうなの。予定がずれてしまうわね」
普通ならここで迷うものだろうけど、ソレリーナは即断の女性。すぐに次の行動を決めてしまっていた。
「では、しばらくミリモスの下で、ご厄介になるわ」
「話の流れから、そうなるんじゃないかと思ってましたけど、飲食物には気を付けるようにしてくださいよ。市井に下りて買い食いとかは、絶対に止めてください」
俺が努めて真剣に言うと、ソレリーナは首を傾げる。
「そんなにいうほど、ロッチャ地域での食事は安全じゃないの?」
「普通に食べる分には、大人なら直ちに影響はないですよ。でも、お腹の子供に障る可能性があるかもしれないんですよ」
川に鉱物毒があることを知ってから、俺は旅路の中で、そして領主となってからは調査という形で、村々の様子を調べまくった。
その結果、鉱物毒による体調悪化の兆候は見られなかった。
しかし毒というのは蓄積するものだと、前世の中学の歴史や生物学の授業で教わっている。いま影響がないからといって、将来も同じとは限らないし、お腹の子供に悪影響がないとは言い切れなかった。
折角ソレリーナが、彼女の愛しい旦那さんとの共同作業の果てに授かった子供だ。安全に出産までこぎつけて欲しい。
「だから、食事に気を付けないといけないんですけど」
とはいえ、鉱物毒は目には見えないため、食事に入っていたとしても調べようがない。
さてどうするかと考えて、俺がロッチャ国と会談に向かったときの光景――ネロテオラが川の水を拒否した場面を思い出した。
「ソレリーナ姉上には、気持ち悪がられるかもしれないですけど。騎士ファミリスの愛馬に手伝っていただければ、安全な飲食物の確保は出来そうです」
「あら。騎士国のお馬さんは、毒味もできるのかしら?」
「口に含むまでもなく、臭いでわかるみたいですよ」
ファミリスに真偽を問うと、同意が返ってきた。
「我が愛馬ネロテオラであれば、そのようなことは造作もありませんよ。ただし、肉類に毒性があるかまではわかりません。馬は肉を食べませんので」
「当然ね。それで、私と『この子』の安全のために、貸してくれるのよね?」
一歩飛ばしに結論に向かうソレリーナの言葉に、ファミリスは少し不満げな様子で了承の首振りをした。
「赤子を見捨てたとあっては、神聖騎士国家の騎士の名折れ。いいでしょう。食べる前に、料理をネロテオラに判別させなさい。そうすれば、毒が体に入ることはないでしょう」
「ありがとう。流石は騎士国の騎士様ね。人として正しい行いが身についているわ」
ソレリーナの言葉に、ファミリスは自慢げな様子になっている。
俺には皮肉を言われたようにしか聞こえなかったんだけどなぁ、って苦笑いしているとソレリーナはもう次の予定を立てていた。
「この都に腰を落ち着けないといけなくなったのだから、ミリモスが紹介してくれる鍛冶師とじっくり話し合うことにするわ。どこに行けばいいのかしら?」
「妊婦が、あっちこっちにウロウロして良いんですか?」
「外出中にいよいよ出産という場面になったら、自分の足で産婆まで駆けこまないといけないもの。足腰は鍛えるに越したことはないのよ」
ソレリーナの気質は、こうと決めたら一直線だ。
俺は説得を諦めて、紹介しようと思っていた鍛冶師の家までの道順を、紙に地図として描いてから手渡した。
「ちゃんとお供を連れて行ってくださいよ。自分一人の身じゃないんだから、一人歩きは禁止します」
「あらあら。領主様の御命令じゃ、従わないわけにはいかないわね」
「本当に頼みますよ。ソレリーナ姉上が帰ってくるまでには、快適な寝床を提供できるようにしておきますから」
「頼むわね、ミリモス。やっぱり、持つべきものは、可愛くも賢い自慢の弟ね」
「兄弟の中で一番優秀って評判だったソレリーナ姉上に言われると、嫌味にしか聞こえませんね」
肩をすくめてみせると、ソレリーナは「本心なのに」って少し拗ねた様子を返してきたのだった。