五十四話 ソレリーナ・アナローギ
俺とパルベラ姫、ファミリスにホネスが面会場――王城でいうところの謁見の間に登場すると、面会を求めてきた人たちが跪いた。
その中で唯一立ったままの女性が一人。
金色の長髪を後ろにキッチリと結い上げ、少し緩めのドレスで包んだ肢体をピンッと伸ばし、意志が強そうな太目の眉の下にある茶色の瞳で一直線に見るように顔を向けている。
見るからに『王者』という風格たっぷりなこの女性が、俺の長姉であるところのソレリーナ・ノネッテ姫――結婚して名を改め、ソレリーナ・アナローギである。
恋愛結婚をして国を離れてから、三年ぶりの顔合わせだけど、相変わらず元気な様子だ。
いや、その下腹が膨れている。
ソレリーナの性格から自己管理は完璧で太るはずがないので、報告通りに愛する旦那さんの子を妊娠しているようだ。
「ソレリーナ姉上を案内した者は、何をしていた! 椅子だ! 妊婦を立ちっぱなしにして、お腹の子に障ったらどうするんだ!」
俺が大声で指示すると、係の者が慌てて引っ込み、背もたれがある椅子を持ってきて、ソレリーナの後ろに置いた。
ソレリーナは、椅子を運んできた人の手を借りながら、優雅が仕草で椅子に座り、こちらに微笑みかけてくる。
「大領地の領主かつ公爵となって、人が変わったのではないかと疑っていたのだけれど。相変わらず、王子らしくなくても優しい子ですね、ミリモスは」
まるで自分の子供に喋りかけるような優しい口調だけど、この歳が大分離れた姉のソレリーナは、幼い俺を母親以上に可愛がってくれた第二の母のような存在なので当然といえた。
懐かしい言葉の響き自体は嬉しくも恥ずかしいのだけど、それ以上に不可解なことがある。
「ソレリーナ姉上。愛しい旦那さんの愛の結晶が宿る大事な体で、どうしてここに。夫婦喧嘩でもして、家出でもしたんですか?」
冗談半分でそう問いかけると、ソレリーナから強烈な目力がやってきた。
「ミリモス。私と夫との間で、多少の夫婦喧嘩はします。でも、それを理由に家出をするような姉だと考えていたのですか?」
怖いというよりかはひれ伏したくなる威圧に、俺だけでなくファミリスもピクリと反応を見せる。
ソレリーナに敵意がないとわかっていても、その王者の風格に騎士としての肉体が反応してしまったんだろう。
俺の父、チョレックス王が「ソレリーナが恋に堕ちなければ、次の王は彼女に決まっていた」と言わしめるほどなのだから、さりもありなん。
っと、思考が逸れた。
「そう怒らないでください。そんな普通では考え付かない理由がなければ、ソレリーナ姉上が大事な体で旦那さんから離れるなんて思えないっていう、冗談なんですから」
俺があくまで冗談であると示したところ、ソレリーナからの圧力が霧散した。
その後で、ソレリーナは大事そうに自分のお腹を撫でる。
「この子供のために、より良い場所で出産しようとしているのです」
その慈しみに溢れた表情に、俺は見入ってしまったが、いけないと意識を取り戻す。
「これから夏本番ですからね。砂漠の国だと暑すぎて、出産は辛いでしょうね」
「砂漠だから一日中暑いと思うのは勘違いよ、ミリモス。夜から朝にかけては、冬間近かと思うほど冷え込むの。その冷えを警戒して、私は出産場所を選ぼうとしているのよ」
「あー。妊婦の体を冷やすのはいけないと、言われていますからね」
「私の体が、多少の寒さでやられるはずがないでしょう。夏の盛りに生まれた子供は、砂漠の寒暖差で体調を崩して死んでしまうことが多いそうなの。そうはさせないために、寒暖差が緩い場所で一歳ぐらいになるまで育てようと思っているのよ。これは、私の夫も了承しているの。せっかく授かった第一子を、むざむざと死なせるわけにはいかないってね」
生まれてくる子供のために、夫婦そろって手を尽くそうとするあたりが、王者気質のソレリーナと、彼女が見初めた旦那さんらしいと言える。
「事情は分かりました。ですが詳しいことは言えませんけど、ロッチャ地域は子育てには向いていない土地ですよ?」
鉱石を掘る量を減らしたとはいえ、すぐに川の水質が改善されて、鉱物毒が消えるわけじゃない。
そして赤ん坊は、少量の毒物でも死んでしまうほど脆弱だ。それこそ、大人なら平気で舐められるハチミツですら、子供にとっては命取りになるというぐらいに。
でも、これとは違った理由で、ソレリーナはこの土地が子育てに向いていないと理解していたようだった。
「分かっているわ。この土地は、ミリモスが統治を初めてまだ一年も経っていませんもの。騒乱の気配が地下でくすぶっていたり、反乱の芽が地中に隠れている可能性もあって。もしかしたら妊婦の私や生んだ子供を人質に取って、ミリモスに言うことを聞かせる勢力がいるかもしれないものね」
むむっ、そういう考えもあるのか。
「治安維持には、神経を使っているんですけどね」
「ミリモスは善政を敷いて、よくやっているわ。でもね、いくら良い治政を行おうと、民の中にはその治政に不利益を被る者がでるの。悪事に手を染めていた者なんかは特にね」
「犯罪者の弁明は聞き入れません――って、騎士国の監視がいる前なので、こう言わないといけないのですよ」
「あらあら大変ね、ミリモスも。それにしても、騎士国の監視者ねぇ」
ソレリーナは視線を、俺の横にいるパルベラ姫とファミリスへ向ける。そして一瞬だけ値踏みするような目をして、直後に笑顔になる。
「ミリモスにとって悪い人ではなさそうで安心したわ。ちょっと『重たい気配』はあるけど」
「?」
俺は唐突な重量の話に首を傾げながら、パルベラ姫とファミリスを見る。
パルベラ姫は痩せ型なので重そうじゃない。鎧を着こんでいるファミリスのことだろうか。
「……ミリモス王子。なにやら失礼なことを考えていませんか?」
「いや。ファミリスの鎧って、改めて見ると結構重そうだなーってね」
「この程度の重量、体を鍛え、神聖術に熟達すれば、羽根のようにしか感じませんよ」
自信満々に言い切るファミリスに、俺は相手が単純で良かったと胸をなでおろす。
うん、女性相手に重量の話題は、考えるだけでヤブ蛇になりそうなので、以後は戒めることにしよう。
「それじゃあ、ソレリーナ姉上は、出産するためにノネッテ国へ戻る気ですか?」
「この中央都に寄ったのは、ミリモスの顔をみるためという理由もありますが、ここから山脈に空けた坑道を通ってノネッテ国までの道が整備され、馬車で移動ができると聞いたからなのですよ。ミリモスが街道を整備してくれたお陰で、ロッチャ地域に入ってからの旅が楽で良かったわ」
ソレリーナが言ったように、もうノネッテ本国とロッチャ地域は一つの国である。行き来するのに、いちいち馬車が通れない山道を行くのでは不便に過ぎた。
だからこそ、ロッチャ軍が作った坑道を街道として整備して、行き来しやすいようにしたのだ。
そうした事実があるとはいえ、その道が出来き上がったのはつい先日。まだ一般民に報道もしていない情報なんだよなぁ。
「相変わらず耳が早いですね、ソレリーナ姉上は」
「砂漠での暮らしは、人が伝える情報こそが命綱だもの。あるはずの泉が枯れていて、その情報がこの耳に入らなかったのなら、枯死してしまうんだもの。自然と耳が良くなってしまうものよ」
さもありなんと頷いていると、ソレリーナが「そういえば」と言葉を続けた。
「この場所に来たのはもう一つ理由があるの。ミリモスが最近売り出している、砂漠にある国々で話題沸騰中の、要望の通りに作ってくれる武器。私の夫のために、一つ用立ててはくれないかしら?」
母のような存在でもあるソレリーナの言葉には応えたいところだけど、注文状況の報告書を思い出す。
「要望を全て叶えるために製作日数が伸びてしまうのが原因で、腕利きと評判の鍛冶師の作品は、だいたい一年先まで予約が埋まっています。ソレリーナ姉上の依頼を横入りさせるのは、他の注文者との軋轢と生みかねないので無理ですね」
「そこをなんとか、お願いできないかしら?」
「うーん。人気じゃないけど、すぐに注文を受けてくれそうな腕がいい鍛冶師にあてはありますけど……」
オーダーメイドの武器の売れ行きが良過ぎて注文数が溢れそうだったので、研究開発室に所属する鍛冶師の伝手を使って、新たな腕のいい鍛冶師を発掘中だったのだ。
それで新たに見つけた鍛冶師の一人に、一つ注文を受けさせ、その仕事っぷりを見て、本格的に仲介しようか考えようと決めていたところだった。
そんな事情を包み隠さずに教えると、ソレリーナ姉上は大きく頷く。
「まずは、その方の作品を目にして、夫が気に入るに足る腕前があるか判断します。その境地に届いていないと見たときは――」
「そのときは、また別の鍛冶師を紹介しますよ」
俺が約束すると、ソレリーナ姉上は大輪の華を思わせる笑顔になった。
「これで、夫へのお土産は出来たも当然ね」
「それはよかったですね。でも、砂漠の民はこだわりが強いと聞きますけど、ソレリーナ姉上が注文する武器を気に入ってくれるんですか?」
オーダーメイド武器の注文を通して、砂漠に住む彼ら彼女らのこだわり具合を知っているため、俺は心配する。
しかし、ソレリーナにとっては、要らない心配だったらしい。
「愛する夫のことだもの。その好みは熟知しているわ。そうでもなければ、こだわりが強い砂漠の男を、山の女が惚れさせるなんて真似、出来るはずがないじゃないの」
自信満々かつ完璧な惚気を聞かされて、俺は砂糖を吐く思いだ。
「相変わらず仲が良い様子で、恋人も婚約者もいない身としては、羨ましい限りですよ」
「ふふふっ。そう言っているミリモスにも、春が近いような気がするわ」
「見える限りに、春らしいものがあったためしがないんですけどね」
俺が肩をすくめながら言うと、ソレリーナは意味深にパルベラ姫へ目配せをした。
その視線の意味に、俺は気付くが、ソレリーナの勘違いだと言わざるを得ない。
騎士国の姫様と、山間の小国の王子のラブロマンスなんて、物語の中以外ではあり得ないって。