四十二話 ロッチャ国内に
ネロテオラは山岳部を爆走して、あっという間に山越えを果たしてロッチャ国の中に入ってしまった。
まさか魔物の群れから走って逃げ切ったり、夜はネロテオラに寄り添って眠ったりするとは思いもよらなかったけど。
ともあれ、ロッチャ国内に入ってしまえば、あとは山岳部の道なき道を行くことに比べたら、なだらかな道が続くはずだ。
ロッチャ国の景色はというと、ノネッテ国のように雪が降る土地ではないようだけど、変色した下草があるばかりの荒野が広がっている。
ノネッテ国とはすぐ隣の土地なのに、山肌や麓に木々一本もないなあ。鍛冶に使うために、伐採し尽くしちゃったのか?
ロッチャ国の首都への途上で、村らしい場所を見かけたけど、畑の中には太い蔓が這っていた。
あの植物が、ロッチャ国の冬の食料なのだろうか。それとも薪代わりの燃料に使うための植物だろうか。
ノネッテ国やメンダシウム地域とも植生が違うなという印象を抱きながら、さらに旅路は進んでいく。
道中に細い川が見え、休憩することになった。
けれど、ネロテオラが川の水の臭いを嗅ぎ、顔を背けたことで休憩が切り上げになった。
「パルベラ姫様。どうやらこの川は毒のようです。別の場所に行きましょう」
「そう言われてみると、川の中に魚が見えませんね。冬だから冬眠しているのかと思ったのですけど。でも、どこから毒なんてものが?」
不思議そうに言うパルベラ姫に、ファミリスは分からないという顔をしているので、俺が代わりに答えることにした。
「鉱山採掘をし過ぎたせいで、山の石が含んでいた毒が川に流れてしまったんだろうね」
「まあ! そんなことがあるのですか?」
「俺自身が見たわけじゃないけど、ノネッテ国ではそういう言い伝えがあるんだ。山が荒れると川に毒が発生し、森が枯れ、動物や魔物が狂暴化するってね」
「そんな事態がこの国に起きているとしたら、由々しき事態です。採掘を止めさせないと!」
正しい行いを標榜する国の姫様らしい発言だけど、一重に同意はできないな。
「こうして川が毒になっているのに採掘を止めないってことは、ロッチャ国には事情があって止められないってことだよ。ノネッテ国が持つ帝国との同格国証明書を欲した事情を考えると、採掘を止めたら国が破たんする可能性があるんじゃないかな」
「でも、毒の川には生き物が済めませんし、人だって飲むことはできません。止めなければ被害が出ます」
志は立派だけど、実現できるかは難しいな。
だって川の水が飲めなければ井戸水の飲めばいいけど、経済が破たんしたら生活自体が成り立たなくなるわけだし。いや、鉱物毒は地下水脈まで影響するんだったっけ?
確かな毒に関する前世の知識は思い出せないけど、俺がパルベラ姫に現実を教えるべきか悩んでいると、ファミリスが会話に参加してきた。
「川の水は命を支える大事な資源ですからね。それに毒が含まれているとなれば、止めさせることが正しい行いですね」
「やはりそうよね! 止めさせないといけないわよね!」
パルベラ姫を諭すと思いきや、ファミリスは完全に同意しやがったよ。
ここで俺一人が悪者になってもいいんだけど、鉱物毒の蔓延を防ぐのは人道的にはあっているんだよなぁ。
とりあえず、問題は先送りにしておこう。
「議論もいいけど、次の休憩場所を探さないと。ネロテオラも喉が渇いている様子だしね」
「そうだね、ミリモスくん。川が使えないとなると、村で井戸を借りたほうがいいよね。そのときに、食べ物を融通してくれないか聞いてみてもいいわよね」
「……ミリモス王子に愛馬の心配をされたことは癪なのですが、言われたことは真っ当ですし、パルベラ姫様も同意していますので従いましょう」
ということで、近くの村へ移動して、食事を含めた休憩を取ることになった。
川から離れること三十分ほどで、蔓ばかりの畑が、そして村が見えてきた。
村に立ち入り、見かけた住民に井戸の使用と、食材の購入を持ち掛けた。
すると、快く応じてくれた。
「村にゃ大したもんはないけど、井戸の水はたんまりあるし、食料にも余裕があるからねえ」
その言葉にありがたく甘受しつつ、俺は後の会談のためにロッチャ国の内情を探ることにした。
「首都の方や山の方は良い噂を聞かなかったけど、ここら辺の様子はどうなの?」
「そうだねえ。都の方は帝国との取引が上手くいってないって聞くし、山近くは鉄鉱石の採掘で忙しいっていうけどね。ここら辺は単なる農村だから、税率が少し上がったけど、相変わらずのんびりとしたものだよ」
「税って、あの畑にある作物を収めるのかな?」
「あれは葉が冬の食料で、茎が炭の材料になるんだよ。炭は春期の税で治めるんだよ」
ロッチャ国では当たり前の植物だったようで、住民に疑いの目で見られてしまった。
別に身分を隠しているわけじゃないけど、変に警戒されるのもまずいので、当たり障りのない弁明をすることにした。
「へぇー。木炭しか見たことがなかったけど、あの植物も炭になるんだ」
「もしかして、木があるところの出かい? それじゃあ、あの蔓を知らなくてもしかたがないねえ」
疑いが消えた様子に安堵しつつ、ここからは雑談に移行しつつ、頭の中ではロッチャ国の状況をまとめていく。
帝国との輸出入の軋轢によって、都市部や製造業者は経済的に大打撃を受け、逆に採掘場がある山岳部は潤い、ここのような農村部は生活に変わりがないようだ。
これらの違いを突くことで、会談の突破口が開けるかもしれないな。
「いい情報をありがとう。楽しい会話でした」
「こちらこそ、よその人とこんなに会話できて、楽しかったよ。それにしても、アンタも大変だねえ」
唐突に言われた感想に小首を傾げると、耳打ちしてきた。
「アンタ、お忍びのお嬢さんとその護衛に連れてこられた丁稚なんだろう? ああ、いいからいいから。言わなくていいから」
勝手に納得している住民に、俺は誤魔化し笑いで肯定とも否定とも取れない態度を取ることしかできなかった。
俺たちの旅路は順調に進み、とうとうロッチャ国の首都に入った。それも夜の間に、ネロテオラの脚力任せに、都の外壁を乗り越えるという荒業で。
冬の夜は寒いことと、外壁を馬で乗り越えるような人がいるとは思わないからだろう。見張りの勤務態度は不真面目だったので、簡単に侵入することができた。
夜の街を、なるべく静かに歩いて進んでいくと、酒場の喧騒が聞こえてきた。
「軍がノネッテ国に負けたってのは本当なのかな。一万人出して、千にも満たない相手に負けたってことになるんだぞ」
「俺の知り合いが従軍してたんだけどよ。軍を引き上げたってのは正しくても、戦に負けたってのは、本当じゃないそうだ」
「そりゃあ、どういう意味だ?」
「どうやら、侵攻する理由が嘘だったってことが、たまたま戦場にいた騎士国の人物にバレちまったそうでな」
「あー、そりゃあ軍を引き上げなきゃいけねえわ。そのままノネッテの王城に攻め入ったら、騎士国の兵士や騎士がわんさと敵の援軍にやってきただろうからなあ」
「で、この国はどうなると思うよ?」
「嘘の理由で攻めちまったからには、賠償を払わなきゃならんだろうよ」
「帝国との貿易に上が失敗して、懐事情がカツカツだって聞くけどなぁ」
「工場の商品が売れなくなっている中で税があがったら、生きていけねえな」
不景気な会話が耳に入ってきたが、攻められた国の王子である俺にしてみれば、この状況はロッチャ国の自業自得という思いが強い。
その考えは、騎士国の二人も同じようで。
「悪しき者が栄えたことはなし。当然の結露でしょうね」
「ファミリスの意見に同意です。けど、悪いのは国の上層部であり、民は一生懸命に生きているだけ。彼らがひもじい思いをするのは、正しくはないとも思います」
「流石はパルベラ姫様。お優しい!」
会話が盛り上がっている二人とは裏腹に、俺はロッチャ国とどう交渉を纏めるか頭を悩ませなければいけない。
さらにいえば、こんな時間にロッチャ国の城に押し掛けるわけにもいかないので、入れる宿屋を探さないといけない。それも、ネロテオラの世話ができるほど、大きな厩舎がある宿をだ。
とりあえず、宿屋の標識がある建物が見えたので、俺はネロテオラの背から降りて、泊まれるか聞きに行くことにしたのだった。