四十一話 ロッチャ国へ
チョレックス王の命令で、俺はパルベラ姫と騎士ファミリスと共に、ロッチャ国へ向かうことになった。
どうしてこうなった、という気持ちが強いけど、やらなきゃいけないのだから仕方がない。
「さて、どうやって向かいましょうか?」
俺が王子口調で語りかけると、パルベラ姫が微笑む。どこか、うっとりしているのは気のせいだろうか。
「ミリモス様。そのように他人行儀な喋り方ではなく、あの森のときのように喋ってはくださいませんか?」
唐突かつ変な要望に、面食らった俺は、許可を伺うためにファミリスに視線を向ける。
ファミリスは渋い顔をしながら、譲歩に譲歩を重ねた心を表すかのように、ギリギリと首の音が聞こえてきそうなほどゆっくりと力強い頷きを返してきた。
「じゃあ、私的な場所でなら、普通の口調にするよ。パルベラ姫も、俺のことを様付けしなくていいから」
「わかりました。ミリモス――くん」
後からとってつけたような『くん』呼びを聞くに、同じ年頃の男子を呼び捨てにする経験がなかったんだろうな。二大国の片方である騎士国の姫様だから、思惑なしの友人なんて少ないだろうしね。
そんなことを考えていると、ファミリスが俺とパルベラ姫の間に入ってきた。
「ミリモス王子。一刻も早く、ロッチャ国へ向かいたい。防寒具の用意をなさってください」
「旅立つ際に着る気でいましたけど、とりあえずどの道を行くかを、話し合って決めてからでいいんじゃないですか?」
まるでいますぐ出発するような物言いだなと思って問い返したところ、ファミリスが俺の腕をガシッと掴んできた。
「そんな話し合いは無用です。この三人で、我が愛馬ネロテオラに乗り、一直線に山を越えてロッチャ国へ向かうのですから」
「えっ、三人だけで?」
一つの馬に三人乗りで、冬の山脈を越えてロッチャ国に入る。
話を聞くだけなら、無謀に過ぎる予定だろう。
けど、相手は騎士国の騎士様だし、そんな無茶も出来るんだろうか。
そんな疑問を抱いていると、ファミリスがぐっと顔を近づけてきた。
「もしや、私が貴方を旅路の中で害すると、考えてはいないだろうな?」
声を潜めての硬い騎士口調に、返答を損なえば死に直結する予感がして、俺の背に自然と冷や汗が流れる。
「そ、そんなことは考えてませんよ。ただ、冬山を三人乗りの馬で駆けるなんて、危険じゃないかなと。少なくとも、パルベラ姫には厳しいと思うんですが」
パルベラ姫は、真っ当な令嬢というか、争いごとや厳しい環境に不慣れな印象を受ける外見をしている。そのことを指摘すると、ファミリスは得意げな顔になる。
「姫様を気遣うのは紳士的と評価しましょう。ですが、それは要らない心配です。事実、我が国からノネッテ国までの二人旅を、姫様は乗り越えているのですから」
騎士国へ通じるノネッテ国の西側には、ロッチャ国がある東側に負けないほどに広い山岳地帯がある。そこを越えてきたということは、確かにパルベラ姫のことは心配しなくていいようだ。
「なるほど。だから俺だけに、防寒具の用意をしろと言ったわけですか」
「そうだ。ネロテオラの疾走は高速。ちゃんとした防寒具を着ないと、凍傷で鼻や耳がもげますよ」
「それは怖い。とりあえず、持っている中で一番の厚着を用意するとしますよ」
顔を突き合わせたまま言葉を交わしていると、唐突にファミリスの体が横に動いた。視線をずらすと、パルベラ姫がむくれながら両手で押している姿が目に入る。
「もう、ファミリスったら、ミリモスくんと仲よくしちゃって!」
「ち、違うのです、パルベラ姫様。いまのは、この後の予定を話し合っていただけで」
「それなら、顔を近づける必要はないわよね!」
二人の姦しい様子を見ながら、俺はこれがパルベラ姫の素なんだろうなと感想を抱く。
そんな俺の視線に気付いたのか、パルベラ姫は『ハッ!』とした様子になると、頬を照れで赤く染めてファミリスの後ろに隠れてしまった。
「ファミリスのせいで、ミリモスくんに軽蔑されたじゃない」
「そんなことはありませんよ――そうだな、ミリモス王子?」
脅すように言わなくたって、失望したりしてないよ。
「可愛らしいなと思ってみてましたよ」
本音を語ると、パルベラ姫の機嫌が上昇し、対してファミリスの表情がさらに怖くなった。
「えへへへ~。可愛いですって、ファミリス」
「よかったですね、パルベラ姫様――チッ」
ファミリスが俺に舌打ちしてくる理由がわからないのだけど。
なんだか、この後の旅路が困難な気がしてきたなぁ。
俺はアレクテムに元帥の代行を任せると、パルベラ姫とファミリスと共に、馬上の人となった。
乗る馬は、もちろんファミリスの愛馬であり、漆黒の体毛を持つ巨馬のネロテオラだ。
体躯に合わせて広い鞍の上に、前から厚い毛皮を被ったパルベラ姫、全身甲冑姿のファミリス、防寒具でもこもこな俺の順番に乗った。
ファミリスは手綱を持ちながら、パルベラ姫に、そして俺に声をかける。
「姫様。毛皮を確りと合わせ、神聖術を強めにかけてくださいね。ミリモス王子は鞍の後ろにある持ち手で姿勢を維持してください。念のために鞍にある帯も腰に結んでください。そして間違っても、こちらの腰に手を回してはいけません」
俺は、パルベラ姫が毛皮の前を閉じている様子をファミリス越しに見ながら、要望を受け入れつつもある点に疑問を抱いた。
「どうしてファミリスさんの腰に腕を回してはいけないのです?」
「騎士であろうと、私は婦女子ですよ。恋する相手ではない殿方に、腰を抱かれるわけにはいきません」
「そういうもの?」
「そういうものなのです」
ノネッテ国にそんな風習あったかなと小首を傾げてしまったけど、騎士国ではこういう考えが主流なんだろうと納得することにした。
「まあいいや。言われた通りに、鞍の持ち手を握るとするよ」
俺は腰に帯を巻きつけてから、座っている場所の後ろに突き出ている鞍の持ち手――新体操の鞍馬の取っ手のようなもの――を後ろ手に握った。
そんな俺の姿を確認してから、ファミリスは馬の腹を踵で蹴った。
「駆けろ! ネロテオラ!」
「ヒヒイイィィィ!」
嘶きを一つ吐いて、ネロテオラは進みだす。
最初は背にある荷物たちの位置や重量を確かめるように歩き、続いて速足でその荷物がどう動くかを確認し、やがて巧みな体の動かし方を伴う駆け足になった。
足の速度が上がるたびに、冬の風が力を増して吹き付けてくる。
もこもこになるまで防寒具を付けているというのに、もう寒くなってきた!
こんなに寒いんじゃ、俺より薄着なパルベラ姫は苦しいだろう。そう思ってファミリス越しに見てみたけど、その後ろ姿は寒さに震えている様には見えない。
そういえば、ネロテオラが駆けだす前に、ファミリスが神聖術を強めに掛けろってアドバイスしていたな。ってことは、俺も神聖術を使えば寒さに強くなるのだろうか。
試しにやろうとする直前、ファミリスが追い風に負けない声を放つ。
「いまから全速力を出します。ミリモス王子は頑張って掴まっていてください。姿勢を維持できないようなら、取っ手に縋りつくように。もし脱落したときは、体を丸めて衝撃に耐える姿勢をとってください。すぐに止めはしますが、繋がっている帯で少し引きずられることは覚悟してください」
「え、えっ、ちょっと待――」
抗議は受け入れられず、ネロテオラの速度が急上昇する。同時に、鞍の上に座って感じる揺れも大幅に上がる。
このままではネロテオラが走る衝撃で、手が取ってから外れてしまう。
俺は慌てて神聖術を使い、身体能力を向上させ、増した握力で鞍の取っ手を握り込んで姿勢を安定させる。
脱落する心配が消えて安堵していると、ファミリス越しにパルベラ姫と目が合った。その表情は、俺が馬から落ちないか心配しているようだ。
俺は声をかけようと思ったけど、吹き付けてくる風で声が通らないだろうと思い、心配いらないという意味を込めて笑顔を向けることにした。
するとパルベラ姫は、唐突に顔を赤らめさせて急に進行方向へ顔を向けてしまう。
いまの様子を客観的に考えると、パルベラ姫が俺のことを好きなような感じだけど、騎士国の次女姫様が顔を合わせるのが二度目な相手に惚れているはずがないよな。
きっと、持ち前の優しさから俺を心配しただけで、顔が赤く見えたのは冬の寒さのせいだろう。
「でも、そんな気遣い出来る姿も、可愛らしいよね」
誰にも聞こえない声量で呟いたはずなのに、この瞬間だけネロテオラの挙動が荒くなったように感じたけど、きっと気のせいだろう。ファミリスに聞こえていた、なんてことはないと思いたい。