四百四十一話 物語は次へ
大陸統一を果たした後は、とても忙しい日々が続いた。
それもそうだろう。
なにせこの大陸を統一なんてことをした国家は、ノネッテ合州国が最初だ。
だから、どうやって巨大な国家を運用したらいいかというノウハウが、歴史を紐解いたとしても、どこにもなかった。
前世の地球で考えてみても、一つの大陸を一つの国家で運営している国はない――いや、オーストラリアがあったか。でもオーストラリアの歴史とか知らないから、参考には出来ないな。
だから、手探りで一つ一つ片付けていくしかなかった。
とりあえずは、各地の州の国土をキッチリと決めた。
領土問題は後々の禍根になり得るから、この際に測量を含めての領土確定を行った。
大部分の州に関しては問題なく決定したんだけど、いくつかの州と州の間で領土問題が起きた。
その問題解決には、俺が出張ることが多かったが、元騎士王のジャスケオスにも動いてもらった。
俺の場合は合州国の王がいうのならと、ジャスケオスは元騎士王様が『正しい』と思われたことならと、納得してくれるからだ。
こうして州の領土をキッチリと決めた後で、ノネッテ合州国の軍勢をいくつかに分解。
一つは、そのままノネッテの軍勢に。
一つは、各町村に駐在する衛兵へ。
一つは、退役させて土木関係の人員へ。
そうやって人員整理をしつつ、大陸各地の治安維持に必要不可欠な形に落とし込んでいった。
ゆくゆくは、ノネッテの軍勢は大陸全ての事案に武力で介入するための正しき軍隊に、衛兵は町村の治安を守りつつ犯罪者を取り締まる――前世で言う警官に、土木関係はインフラ整備人員へとなっていくよう道筋を付けておく。
軍勢の解体と同時に、元騎士国の騎士たちを『巡行騎士』に任命し、ジャスケオスに初代総長の位を与えた。
巡行騎士の職務は、騎士国がやっていたように、各地の巨悪を挫き、弱きを助け、各地に平和をもたらすこと。
前世風に言うなら、広域捜査が可能な刑事――いや、独自裁判権を持たせるから、保安官だな。
役割が、軍勢と衛兵と被っているけど、これは仕方がない。
軍勢と衛兵は証拠を固めないと動けないが、巡行騎士は『騎士国の騎士だった』という役得を生かして証拠なしに捜査と逮捕することが出来るようにしたためだ。
前世の知識からすると、証拠もないのに、と詰られる真似だろう。
だけど、この世界の住民からすると『騎士国の騎士様の行いは正しいことだ』という認識がある。
その認識を最大限に利用して、大陸各地にいる巨悪討伐と弱者救済の尖兵になってもらう。
この方が、結果的に泣く人が少なくなるだろうと思っての判断だった。
ノネッテ合州国が持っていた戦力を分散し終えたところで、今度は領地運営の仕組みを変えていくことにした。
まずは大陸全体の情報を集める機関を設立した。
その機関の中心人物は、黒騎士たち。
要するに、人々の生活の影から情報を集めることにしたわけだ。
他愛ない噂話から密会での内緒話まで幅広く情報を集め、その情報を大陸の平和のために利用させてもらう。
集めた情報を扱う部署も必要だ。
とりあえず、人々の生活に直結する農業関連の部署を、真っ先に作った。
これで大陸のどこかで飢饉が起きても、別の豊作だった場所から融通するような仕組みを作ることができるようになった。
これから先も、合州国の運営に必要だと思う部署も、随時作っていく。
国家の部署を作ったからには、部署に下ろす予算が必要になる。
各州の経営は州の領主に任せているけど、それらの領主から税金を取り立て、その税金を合州国全体に対する予算にした。
合州国予算は、必ず二つ以上の州を跨ぐ事業や物事に対してのみ使えることにし、単一の州に注入することは不可能と明記した。
例えば、俺が国王の立場を利用して合州国予算を、俺自身の贅沢のためだったりルーナッド州を富ませることに使う、ってことは出来ないということだ。
どうしてこんな文言を明記したかというと、今後のノネッテ合州国の王が合州国予算を使いこめないようにするため。
人間、誰しも大きな金額を持つと、使ってみたくなるもの。
俺だって、目の前に大量の金貨が積まれていたら、一掴みぐらい使ってもいいかなと考えてしまう節がある。もっとも、紙面上に大金が記されていても金額を実感できないタイプでもあるので、書類を弄ってどうこうしようという考えは出てこない。むしろ書類を弄る手間を考えると、手を出したくないとすら思ってしまうしね。
ともあれ、合州国予算の基本的な使い方は、ノネッテ合州国の軍勢と巡行騎士の発展と維持、将来の災害に対する備え、河川工事などの大きな公共事業になる。
こうした使用目的を明らかにしたことで、各州の領主からの反発はなかった。
まあ、ここで異を唱えるような真似をすれば、合州国の発展に寄与する気がないのかとか、合州国予算を着服する気でいるのではとかと、変な疑いを持たれてしまうから、言うに言えない部分もあっただろうけどね。
こうした一連の構造改革と発足、その後の運用観察と逐次改良を繰り返している内に、あっという間に五年もの月日が流れていた。
「はぁ~。合州国の王を次に引き継ぎたい……」
俺が執務を続けながら愚痴を言うと、一緒に作業をしているホネスが苦笑いを返してきた。
「センパイは、まだ王子だったから、いいじゃないですか。わたしなんて、山間の国の村娘から、大陸を牛耳る国の第二妃ですよ。不似合いっぷりが、もの凄いんですから」
「俺だって、王子教育も行われないほどに、期待されていなかった山間国の末弟王子だったんだ。対してホネスと違わないって」
「そう考えていくと、パルベラとアテンツァは元からお姫さまだったから、今の立場はお似合いなのかも?」
ホネスの言葉に、同じく作業中だったアテンツァが顔を上げた。
「あら。わたくしとて小さな砂漠の国の姫――それも人身御供に差し出しても痛くない程度の娘でしたわ。ここまで大きな国の妃として相応しい生まれではありませんわよ」
「そうなると、パルベラだけが、立派なお妃様ってことね」
実際、パルベラは大陸を二分していた騎士国の次女姫だ。大陸統一国家の女王に相応しい生まれと言える。
「でもまあ、パルベラは優し過ぎるから、あまり『女王様』っていう感じはしないけどな」
「そうですね。物語だと女王様って、意地悪なことが多いですもんね」
「意地悪ではなく、己と他者に厳しい性格の者だと描かれることが多いと、正しく妃教育を受けたわたくしが訂正しますわ」
そうやって噂話をしていたら、執務室にパルベラが入ってきた。その隣にはファミリス――ではなく、別の女性騎士が侍っている。
「なにやら楽しそうにお話していますね」
「小国の王子から、大陸統一国家の王様なんて、出世したにもほどがあるって話ていたんだよ」
俺が会話のあらましを伝えていると、女性騎士が執務室に備え付けの茶器を扱って茶の準備を始めていた。
俺は伝え終わった後で、その女性騎士からパルベラに目を向ける。
「彼女は、どう?」
「はい。申し分ありません。ファミリスの穴を十二分に埋めてくださっています」
「そう。それならよかった」
俺が安堵から息を吐くと、パルベラが含み笑いを漏らした。
「ファミリスが私の従者から外れたのは、ミリモスくんの所為ですもんね」
「うぐっ。し、仕方がないだろ。あのファミリスが深々と頭を下げてまで頼んできたんだから。散々稽古で世話になった身としては、断れなかったんだから」
「分かっていますとも。ファミリスがある日言ってましたから。ミリモスくんがファミリスに稽古で十本中十本取れるような実力者になったら、ミリモスくんの子供を授かりたいって。その許しを、私から貰いたいと。もちろん私は、直ぐに了承しましたよ」
「そうやって退路を断たれたから、一度だけという約束で関係を持ったんだよ。だけど、その一回で」
「見事に懐妊ですものね。意外とミリモスくんとファミリスは、体の相性が良かったのかもしれませんね」
そう、ファミリスは妊娠中なのだ。
だからパルベラの守護を他の騎士に任せ、今は子供を産むことに専念しているわけだ。
けど、あのファミリスだけあり、素直な妊娠生活なんて送れるはずもない。
「腹の赤子の成長のためだと、悪阻で吐く端から食事を口に詰め込んだり。妊娠初期で赤子が腹から流れ出ないようにって、腹周りの筋肉強化を行ったり。安定期に入ってからは、運動不足だと出産に差し支えるからって剣を振り回して過ごすし」
「現在も、もうそろそろ出産の時期なのに、大きいお腹を抱えながら、私の息子のマルクに剣の手ほどきしていますしね」
「俺、マルクに相談されたぞ。大きいお腹を見てしまうと、どうしても剣先が鈍ってしまうから、稽古の相手をファミリスから変えてくれって」
「その相談をミリモスくんがファミリスに伝えたら、『その妊婦の肌にすら木剣の先を届かせられないのに、不要な心配をするものではない』と怒り心頭になりましたね」
「次の稽古でこてんこてんに倒されて、マルクの方も『あの人を妊婦だと思わないことにした!』と気炎を吐いていたっけな」
なんて懐かし話をしていると、当のマルクが木剣を手にしたまま駆け入ってきた。そして、その顔は真っ青だった。
「父上、大変だ! ファミリスが!」
「どうした! 剣が危険な場所に当たったのか!?」
「剣は当てられてません! そうじゃなくて、急に苦しみだして、股の間から大量の白っぽい水が! 赤子が生まれるから産屋に行くって! 父上たちに伝えてこいって!」
慌てて入ってきてどうしたかと思えば、ファミリスが産気づいただけか。
いや、だけって考えてはいけないな。
俺は伝えに来てくれたマルクの頭を撫でてやった。
「よく知らせてくれた。俺たちも産屋に向かおう」
「そ、その、父上。ファミリスは、ファミリスは大丈夫なのですか?」
「さて。俺は妊娠したことがないから分からないが――妻たちの様子を見る限りは、大丈夫そうだぞ?」
俺がマルクの顔を、パルベラ、ホネス、ジヴェルデへと向けさせる。
パルベラたちの表情には、焦りが欠片もなかった。
「大丈夫ですよ、マルク。子供が生まれる際に、多くの水が出てくることは、健全な事なのです。それに、ファミリスは強い騎士だもの。出産になんて、負けないわ」
「そうだよ、マルク。ファミリスさんは歩いて産屋に行ったんでしょ。それなら平気だよ」
「ファミリス様らしいですけれど、陣痛の最中に一人で歩くのは、あまり褒められたものではありませんわよ」
ジヴェルデの余計な言葉を聞いて、マルクの戻りつつあった顔色が再び青くなってしまった。
「あわわ! ファミリスを追いかけて、一緒に産屋に行ってくる!」
廊下を走り去ってくマルクの後ろ姿を見やってから、俺は半目をジヴェルデに向ける。
「マルクが気に病んじゃったじゃないか」
「間違ったこと言ってませんわよ。騎士国の騎士様といえど、陣痛は厳しいはずですもの」
「まあまあ、二人とも。今はファミリスさんの元に行かないとだよ」
ホネスの取り成しもあり、俺たちは一緒にファミリスが言った産屋――医師と産婆がいる部屋に向かった。
部屋の前に着くと、マルクが手持無沙汰の様子で廊下をウロウロしている。
まるでマルクが赤子の父親のようだなって思ってしまい、俺は忍び笑いをしてしまった。
「マルク、落ち着け」
声をかけると、マルクは地獄に仏が来たとばかりに安堵の表情を浮かべて近寄ってきた。
「父上。出産の邪魔だからと追い出されて、中の様子が分からなくて」
「俺にも経験があるから分かるよ。だが、まずは落ち着け。大丈夫だから」
背中を撫でさすってやると、マルクは平常の呼吸の仕方を思い出したかのように何度か呼吸を繰り返した。
大分落ち着きが戻ったようだけど、まだ心細さがあるのだろう、俺の元からパルベラへと移動し、スカートを摘まんで持っている。
その子供らしい様子を微笑ましく感じていると、やおら産屋から大声が聞こえてきた。
「はあああああああああああああ!」
裂ぱくの気合の声は、間違いなくファミリスのものだ。
出産の際、陣痛の痛みで叫ぶ妊婦が居るというけど、ファミリスの声はその類とは違っているように聞こえた。
この声は、まるで一度の息みで子供を産み落とそうとしているような、そんな力強い意思が感じられるものだ。
そして俺のその感じ方が正しかったかのように、ファミリスの声から十秒ほど立った後、突如赤ん坊の鳴き声が周囲に響き渡った。
俺だけでなく、パルベラたちも呆気に取られていると、産屋の中から医師が出てきた。
その医師の顔も呆気に取られていたが、俺たちを見て表情を改めた。
「ミリモス様と奥方様がた。ファミリス様が出産なさいました。男の子でございます」
定型文の言葉を喋った医師に、俺は半笑いの表情で尋ねる。
「予想するに、かなりの安産だったようだね」
「共に出産に立ち会った産婆も、これほどの安産は初めてだと零しておりました」
「産婆って、かなりの年嵩だったよね。その人が初めてって言うぐらいか」
本当に、スポンと生まれたんだろうな。
いや、ファミリスの気合の声を聞くに、力任せに生み落としたんだろうか。
ともあれ、出産が終わったからには、様子を見に入らないとな。
俺は衣服の埃を叩き落とし、魔法で作った水で手を洗い清めていく。パルベラたちも同じことを行わせてから、揃って部屋の中に入った。
産屋に使った部屋は、俺が前世でみた病院の診察室を模した作りになっている。
その診察台の上に、ファミリスが横たわり、腕に抱えた赤子に母乳を飲ませていた。
ファミリスは俺たちの登場に気付くと、一仕事終えたという笑顔を浮かべた。
「騎士国の騎士ともなれば、出産など大したことありませんでしたね」
「あははっ。まったく、出産は勝負事じゃないっていうのに」
相変わらずのファミリス節に、俺だけじゃなくパルベラも笑顔になった。
俺たちと一緒に入ってたマルクは、じげしげと生まれたばかりの子供を見ている。
「どうした? 赤ん坊を見るのは初めてじゃないだろ?」
「そうだけど。こんなに真っ赤じゃなかったような?」
「いまは生まれて直ぐだから赤いんだ。少ししたら、見慣れた肌色になる」
「へぇ~。不思議だなぁ」
なんて会話をしながら様子を見ていると、赤ん坊が乳房から口を離した。
その後で、もぞもぞと動き始めた。
包まれた布から右腕を突き出すと、ノロノロと真上と持って行く。
何をしているのかと見ていると、もごもごと口が動いた
「『えんしょうえんかゆい』――けぶっ。うぅ、うええええええん!」
飲んだ母乳が逆流して鼻から出てきて、赤ん坊は大泣きを始めた。
産婆が慌てて鼻を清潔な布でふき取るが、鼻の奥まで拭えるわけもない。逆流した母乳の不快感で赤ん坊は泣き続ける。
部屋の中にいた誰もが、生まれたばかりの赤ん坊の可愛らしい失態に、微笑ましさから笑顔になっている。
だから誰も気を配っていない。生まれたばかりの赤ん坊が、何か言葉を喋ろうとしていたことに。
だが俺は違う。
なにせ赤ん坊がなにを喋ろうとしたのか、なんとなく分かったからだ。
きっとこの赤ん坊は、あの故事を再現しようとしたんだろう。
前世で仏陀がやったという、生まれて直ぐに『天上天下唯我独尊』と言葉を発した故事を。
赤ん坊の舌では完全再現できず、変に言葉を喋ろうとして力を入れ間違って、飲んだ母乳を吹き出してしまったようだけどね。
「どうしたもんか……」
この赤ん坊が、俺と同じく前世の記憶を持っているのか。その記憶は日本人のものなのか。記憶があるなら、どう育てるべきなのか。
色々と考えるべきことはあるけれど、その諸々を今は投げ捨てることにした。
「まあ、なるようになるか」
今までも、その場その場で対応してきて、どうにかなったんだ。
この赤ん坊のことに対しても、問題が起きたり起きそうになったところでどうにかしよう。
そう決断したところで、少しだけ赤ん坊を驚かせる方法を思いついた。
俺はファミリスに近づき、赤ん坊に視線を向けながら言う。
「この子の名前は、既に決まっている?」
「いえ。ミリモスに付けて貰おうと思ってました」
「そうなんだ。それじゃあ――『ミロク』ってどう?」
赤ん坊がやろうとした仏陀の行いになぞらえて、仏陀の生まれ変わりとされるミロク――弥勒菩薩の名前を出してみた。
そして俺が名前を口にした瞬間、生まれたばかりで細かった赤ん坊の目が少し広がった。そして信じられない物を見たような目を、俺に向けてくる。
この名前に反応するということは、これで少なくとも日本仏教の知識はあるようだ。
俺と赤ん坊の静かな攻防を、しかし周りは気づかない。
「ミロク、ですか。不思議な響きの名前ですが、なんとなくこの子にピッタリのような気がします。お前の名前は、ミロクだぞ」
ファミリスが名前を告げると、赤ん坊がイヤイヤと示すように体を動かす。
しかし生まれたばかりで首が座ってなくて頭を動かせないため、何も知らない人から見たら、名前に反応したようにしか見えない。
「どうやら名前を気に入ってくれたようですね、ミロク」
「初めまして、ミロクちゃん。こっちは貴方のお兄ちゃんで、マルクよ」
「たくさんお乳を飲んで大きくなってね、ミロク」
「健やかに育ちなさいな、ミロク」
ミロク、ミロクと連呼されて、赤ん坊は抗議する姿勢を止めたらしい。
その代わり、名付け親の俺に半目を向けてくる。
俺は心の中で『生まれて直ぐに仏陀の真似をしようとするからそうなるんだ』と思いつつ、見返してやった。
そうした視線のぶつかり合いは、赤ん坊が眠気に誘われて眠ってしまったことで、お開きとなった。
はてさて、この赤ん坊が厄介事になりそうな予感はあるけれど、それは将来の俺がどうにかするだろう。
とりあえず今日は、新しく生まれた命を祝福し、出産という大仕事を終えたファミリスを労うことにしよう。
このような終わり方にしてしまいましたが、この物語の続編の予定はありません。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。