四百三十五話 懐かしい顔と新顔
メンダシウム地域からの山道を進んで、ノネッテ真国の国境の砦に着いた。
その砦は、俺の最初の戦争における舞台だった場所だ。
「まさか、こっち側から、この砦を見ることになるなんてね」
多少は感慨深いけど、それ以上の感情はない。
なにせ、砦は改修や増築をしているらしく、俺の記憶にある砦とは違いが多かった。
こうも違っている場所が多いと、懐かしさよりも違和感の方が強くなってくる。
「ともあれ、どうしたもんかな……」
こうして俺が悩んでいるのは、砦を攻める手立てを考えあぐねているわけじゃない。
やろうと思えば、魔導鎧の兵士に門を撃ち壊させたり、神聖術の使い手に砦の壁を乗り越えさせても良いし、帝国の資材から持ってきた魔導杖で魔法を使って壊してもいいしと、砦を攻略する手立ては多い。
では、どうして手をこまねいているかというと、攻略の手が多いことこそが問題。
つまりは、どうやっても攻略可能なのだから敵味方共に被害が少ない方法を取るべきではないか、と迷ってしまっているわけだ。
「うーん。とりあえず、使者を出してみるとしようかな」
俺は偵察兵の一人に交渉旗を持たせて、砦へと向かわせた。
これで交渉が出来ることになれば、要らない扇動を起こさなくてもよくなる。
しかし、もし砦の兵士が矢を射かけてきたら、そのときは武力で押しつぶすことにしよう。
そう判断を決めた俺が待っていると、交渉旗の兵士が戻ってきた。
どうやら交渉を行うことができるようだ。
俺と護衛のファミリスが砦の中に入ると、ノネッテの兵士たちが出迎えてくれた。
兵士の誰も彼もが、鎧は着ていても武器は持っていない様子だ。
どうやら兵士たちに争う気はないようだな。
俺がノネッテ国を出てから、もう十年以上。ノネッテ国の元帥だった頃は、知らない兵士は居なかった。けど、いま目の前にいるノネッテの兵士たちの中には、知らない若い顔が混ざっている。
その若い兵士たちは総じて、俺とファミリスに不思議なものを見る目を向けている。
敵を見る目ではなく、どちらかといえば有名人に会ったファンのような目つきに感じる。
どうしてそんな目を向けてくるのか理解できずにいると、この砦の責任者らしき人物が前に進み出てきた。
その人物を見ると、懐かしい顔――センティスだった。
「よお、ミモ坊。久しぶりに見て、見違えたぜ」
過日の頃のように、親しげに話しかけてきた。
俺は苦笑いを零した後で、軽口を返すことにした。
「やあ、センティス。相変わらず――と言いたいところだけど、老けたね。目じりの皺が出来て、ほうれい線が深くなっているや」
「元帥なんてものになったから、気苦労が耐えねえんだ。老けもするってもんだろ」
「特にサルカジモ兄上が領主になった五年前からは、気苦労が増えたとか?」
「はっはっは、分かってるじゃねえか。奴さんと帝国から派遣された奴らから、色々と注文されてな。慣れねえ書類仕事が増える増える」
「センティスのことだから、方々に仕事を押し付けて遊んでいると思っていたけど?」
「最終的にはオレが署名を入れる必要があるからな。作業はあまり楽にならなかったぜ」
「ああ、押し付けはしたんだ」
そんな世間話の後で、本題に入ることにした。
「それでセンティスは、この砦を守って徹底抗戦する気があったりする?」
「そりゃあ兵士の役目は国土の防衛だからな。やらなければならないだろうよ」
センティスが肩をすくめながら語るのを見て、俺はさらに踏み込んでみることにした。
「それで、本心は?」
「……正直、勝ち目も守り切れる自信もねえよ。個人的な意見を言っちまえば、民に無体な真似はしないと約束してくれるんなら、素通りさせたいぐらいだ」
センティスが本心を吐露すると、傍で聞いていたノネッテの兵士の一人が声を上げた。
「何もせずに通すなんて、そんなこと!」
声を出した兵士を確認すると、俺が顔を知らない若い兵士だった。
その相貌を見ると、国土を守ろうという勇士の顔つきをしている。
センティスも、その兵士の顔を見やった後で、兵士に向かって大きなため息を吐いた。
「はぁ~。お前、状況分かって言ってんのか?」
「分かってます! 敵が攻めてきて、彼がその一員なんです!」
『彼』と言う表現と共に指を突き出す。もちろん指先は、俺の方向に向けられている。
随分と直情的な物言いだなと、俺は逆に感心してしまう。
一方でノネッテの兵士たちの反応はというと、年嵩のある兵士たちは頭痛を堪えるよう表情を浮かべていて、若年の兵士たちはよく言ったと言いたげな顔をしている。
センティスもしかめ面の後で、出来の悪い生徒に語り掛ける教師のような口調で、俺を指差す兵士に語りかける。
「いまの状況を説明してやる。お前が『敵』と言った相手は、一両日もあればこの砦を更地にできるような存在だ。そんでもって、オレたち兵士は国の民を守る使命を請け負っている。以上の状況で、オレらがどうすべきか、わかるか?」
「もちろん、敵を追い払えばいいんです!」
「……どうやって?」
「頑張って、命懸けで戦えって、です!」
「…………根性を発揮して戦えば、敵は逃げてくれるってのか?」
「当然です! やってやれないことはないはずです!」
「…………………」
センティスは、開いた口が塞がらない様子だな。
かく思っている俺も、こんなに現実が見えていない兵士と出会うのは初めてだ。
それ以上に衝撃なのは、若年の兵士の多くが意見に賛同しているように見えること。
いやまあ、護国のために命を投げ出すことは兵士の役目ではあるけども、勝ち目もなく玉砕しにいく覚悟を決めるのは、それはどうかと思うんだけどなぁ。
「……センティスが、いまの元帥なんだよね? じゃあ兵士の指導も、センティスの責任だよね?」
「言いたいことはわかるが、待ってくれ。兵士の教練方法はミモ坊のときと変えてねえんだぞ。原因は他にあるってことだろ」
「若い兵士だけを狙って、思想を歪めた人が居るってこと? 誰だ?」
「考えられるのは、帝国が派遣してきた連中か、さもなきゃサルカジモの馬鹿かだな」
センティスがサルカジモを馬鹿と評した瞬間、若い兵士たちの表情に怒りの感情が走る。
ああ、これで兵士たちの考えが歪んだ原因と、どうして歪めたかの理由が分かったよ。
「センティスに聞きたいんだけどさ。帝国がノネッテ本国に侵攻した祭、対して戦わずに降伏したでしょ?」
「そりゃ、そうだろ。戦って勝てない相手なら、戦わない方向で勝ち取るしかないだろ」
「武力で勝てないのなら、交渉で少しでも降伏条件を緩和させようと働くことは、間違いじゃなく正しいことだよ。でも、サルカジモ兄上の目から見たら、そんな態度のノネッテの兵士は頼りないと映るんじゃないか?」
「自分が治める領地を守る兵士は、勇猛果敢でどんな相手であろうと挫けぬ戦意を持ち続けることが望ましいってか。統治者としちゃあ、そうだろうな」
「だから、そうなるように、若手を指導してきたってことじゃないか。この五年の間にさ」
そして若い兵士たちの様子を見るに、サルカジモの教育は実を結んでいると言って良い。
もっとも、その実は若い兵士たちを死に追いやる、毒の果実に他ならないけど。
「ともかく。どうするんだ、センティス。戦うのか? 戦わないのか?」
「オレとしちゃあ、砦を通しても良いと思ってるんだが」
センティスが目を横向かせる先に、若い兵士たちが腰の剣に手を伸ばしている姿がある。
センティスが戦わないという選択を取った瞬間に、若い兵士たちは斬りかかる気なんだろう。
刃を向ける先が、センティスか俺かは、彼らのみが知ることだ。
「若いからか、血の気が多いね」
「ミモ坊とあまり年齢差はないと思うが?」
「確かに、あまり変わらないね」
どうしたものかと考えていると、ここまで黙っていたファミリスが口を開いた。
「いっそ、一騎討を行っては?」
意外な提案を受けて、俺は身振りでファミリスに話の続きを促した。
「こちら側は砦を通りたい。そちら側は砦を通したくない。そして両方共通して考えていることは、手勢の被害を抑えたい。それならば、両方の代表者が一騎討をすればいいのでは?」
「勝った方の意見が通るわけか」
良い提案だと思うけどと、俺はセンティスに目配せする。
センティスも異存はないと頷く。同時に、何かを企む笑みを零してきた。
「一騎討はいいけどよ。此方が差し出すのは砦の開放で、そっちは行軍の停止だろ。こっちは一度敗けたらそれまでだが、そっちは再侵攻が可能だ。これじゃあ釣り合いが取れてねえよな」
センティスの物言いに、ファミリスは『確かに』と頷く。
「では、釣り合いを取るために、なにかしらの条件を付けるのはどうでしょう?」
「じゃあ、人数差をつけようぜ。こっちは失うものがデカいから、十人。そっちは大して失うものがないから、一人。賭けの釣り合いとしやあ、これで合うだろ?」
「十倍差ですか。ふむっ、そちらが良いのであれば、それで釣り合いとして良いでしょう」
十対一なんて人数差を、よくもまあファミリスは認める気になったな。
というかファミリスの『そちらが良いのであれば』って口振りは、センティス側が十人より多く出してきても問題ないと言いたげだ。
それぐらい、一騎討の代償に釣り合いが取れてないんだろうか。
俺が疑問に沈んでいる間にも、センティスとファミリスの会話は続いている。
「十人で良いぜ。どうせ戦うのは、戦う気のあるこいつらだしな」
センティスが示したのは、若い兵士たち。人数を数えてみると、十人だ。
「ではこちらは、全軍の代表者として、ミリモス殿が出るのが相応しいでしょうね」
「……えっ! 危うく流しそうになったけど、俺が一騎討するの!?」
「当然でしょう。何か不満が?」
「不満というか――流れ的には、そうなるんだろうけどさ……」
なんか事あるごとに一騎討しているなと、俺は自分の境遇を嘆かずには居られない。
ノネッテ真国の戦いでは俺が戦うような出番はないと思っていたのに、と残念な気分を抱きつつ、一騎討に向けた準備をすることにしたのだった。