四百三十一話 帝王
終戦交渉が始まった。
俺がノネッテ合州国の傘下に帝国が入ることを要請すると、帝王は間を置かずに了承する。
俺が帝国の土地を幾つもの州へと分割するよう求めると、帝王は間を置かずに了承する。
俺が帝国の軍勢の縮小を求めると、帝王は間を置かずに了承する。
こうして俺が設定していた交渉の主要な項目が、あっさりと了承されてしまった。
俺が肩透かしを食らった気分になっていると、今度は帝王の方から要望がやってきた。
「帝国の土地を分割することを了承するが、その土地とはどのことを指すのか。現時点で帝国が保持している土地か、それとも此度の戦争前にあった土地か?」
「戦争前の土地です。この戦争でノネッテ合州国が手に入れた土地に関しても、帝国の領土と考えて分割する予定でいます」
今回の戦争でノネッテ合州国が切り取った土地は、帝都まで急いで進んだので、変に縦長な形になっている。
帝国の側も、大陸右側から南部にかけての海岸沿いと、範囲が狭い。
そんな変な形の土地を州として認めてしまうと、統治に変な障害が出かねない。
それならいっそのこと、元の形に戻した後で分割した方が、管理がしやすいからね。
「では分割する土地の統治者の選定は、其方が行うのであろうか」
「ノネッテ合州国としては、帝国側が推薦者を出し、その中から選出したいと考えています」
ノネッテ合州国の人員を帝国領土だった土地の領主にしても、統治に反発されることは必至だ。
それなら帝国が選んだ推薦人から選んだほうが、『帝王様が推薦した人を統治者にした』という建前を使えるから、統治が楽になるだろうからね。
「此方が選んだ領主に統治させるとなれば、帝国『州』の下に付こうとするであろうが構わぬのであろうか」
「それぞれの州は、ノネッテ合州国の一部ではありますが、それぞれ独立した行政を持つ自治体です。どこの州と仲良くしようと、国の代表者が難癖をつける理由にはなりませんよ」
「人の集まりが分派すれば、反乱の芽が生ずると云うが?」
「その芽が出ないよう監視はするつもりです。でも、反乱を起こす人がどれだけいるのかは疑問がありますけどね」
「そう目する理由とは?」
「州として分割された土地を納めるのは、帝王様から推薦された者。その統治者に反旗を向けようとするのなら、帝王様の決定に異を唱えることになる。故に、帝国の御旗を掲げて反乱を起こすことは難しいでしょう。それにノネッテ合州国は圧制を敷く気はありません。税率も州化以前と変わらないでしょう。そのため、住民が不満に感じる理由が少なく、生活改善のための反乱の芽も現れにくいと考えています」
これ以外にあり得る反乱の芽はというと、故国の復権を目指して帝国に滅ぼされた王族が立ち上がるってぐらい。
しかしその場合でも、その滅んだ王族を指示しようとする民意が必要になる。
民意が得られないのなら、反乱するための人員も金銭も得られないからね。
「では、帝国『州』の下に、帝国領土が分割されて生まれた州が集っても、問題ないだな」
「むしろ帝王様がそれらの州の寄り親になってくれるのであれば、ノネッテ合州国として手間が少なくなると考えています」
ノネッテ合州国の代表が会社の社長とするなら、いくつかの州をまとめる寄り親は管理職のようなもの。
社長より管理職へ部下の人望が集まることは自明だけど、その代わりに部下からの悩みや不満の相談先も管理職になる。社長としては人望が減少するが、相談の数が減る分だけ、仕事が楽になるから損はないはずだ。
統治の仕方に問題はないなとお互いが確認し合った後で、帝王からの次の言葉に、俺は衝撃を受けることになる。
「帝国の軍勢を削減するというが、どの程度を考えているのか。現時点でも、かなりの数を削減しているが?」
「削減、ですか? そんな情報は……」
帝国の軍勢は、ノネッテ合州国の軍勢に匹敵する数が存在する。
そのことは、今回の戦争の中で実感として得ている。
それなのに『削減』されていると言うのなら、戦争前に軍勢の数を減らしていたということだろうか。
もしや帝国は、戦争前から負けようと準備していたのか?
俺が疑問を抱いていると、帝王が発言の意図を説明してくれた。
「此度の戦いにて、帝国の軍勢の多くが、ノネッテ合州国の軍勢に討ち取られた。主に旧騎士国の土地から進出してきたノネッテ合州国の軍勢によって、帝国の軍勢の五分の一が死者となっている。故に、削減されていると表した」
確かに、軍勢の五分の一が消費されていれば、それは削減と言っても差し支えないだろう。
しかし帝王の口振りは、戦争で死んだ者を悼んでいるようではない。
駒の数が減ったぐらいの、無感情の口調だ。
いや、むしろ『兵士が減ることは戦争前から織り込み済み』といった感じか?
そう考えると、ドゥルバ将軍の軍勢が強い抵抗を受けて少しも帝国の土地に進出できなかった理由に、ある一定の説明がつく。
「もしかして、強いて兵士の数を減らすように戦ったんですか?」
「此度の戦いで、帝国が勝利した場合であっても、軍勢の縮小は課題となったであろう。大陸の統一後は、治安を維持するための軍備は必要であろうが、対外へ備える軍備は不要となる。戦後の軍備縮小で兵士を放り出すことは簡単ではあるが、そのような真似は野に野盗を放つも道義となる。であれば、戦争の中で兵士の使命として、命を散らしてやることが国家のためとなる」
国の統治者として考えるのなら、帝王が言ったことは、一つの手順で幾つもの利点を生み出す政策だと言えただろう。
しかしそれは、人間の命をモノと考えるのならだ。
「国の将来のために、いたずらに兵士の命を消費したので?」
「帝国では、人は兵士と成った段階で、その命は国の預かりとなる。その命を返すときは、兵士を辞したときのみ。国が持つ命を国の将来のために使うことに、なんの躊躇いが必要となろうか」
帝王の言葉は、一面で正しい。
俺だって、今回の戦争で多くの兵士の命を費やしてしまっている。
言ってしまえば、帝王の考えと同じく、国の将来のために人命を消費している。
だから手放しに『帝王の考えは間違っている』と言う気はない。
でも、国のために命を捧げてくれる兵士に対して、多少なりとも情をかけることが、兵の命を預かるものの人情ではないだろうか。
そう言い募ろうとしたところで、横から静止されてしまった。
俺を制止したのは、フンセロイアだった。
「帝王様。少しミリモス殿と会話をさせていただきたく」
「構わぬ。其方は帝国の忠臣。その言葉は、帝国の助けとなるに違いない」
帝王の了承を受けて、フンセロイアが俺に耳打ちしてくる。
「帝王様に感情論は通用しません。彼の方は、理論理屈のみで動く魔導具のようなものだと、お考えを」
意外な要請に、俺は目を丸くする。
「……帝王様には、感情がないので?」
「いいえ、感情はあります。ただし、生きるために必要なもののみです」
「眠たい、食べたい、繁殖したい、ぐらいしか感情がないと?」
「その人の三大欲求に加えて、下の排泄をしたいという欲求ぐらいです」
「なんで、そんなことに?」
「そうなるよう育てるからです。魔導帝国マジストリ=プルンブルの帝王は、帝国の運営と帝国の民の生活が適切に保たれるようにと『だけ』思考するような存在であれと」
国家と民のために心をかけ続ける国主は、確かに世の理想だろう。
その理想を生み出すために、幼いころから偏執的な教育を与えることで、理想の帝王を作り上げるということか。
「あの帝王だけじゃなく、歴代の帝王も同じなんだろ。よくもまあ、そんな歪んだ教育を」
「帝王様がそのような方であるからこそ、立場を簒奪しようと考える者が出ないのですよ。簒奪しようと考える者の誰が出来るでしょう。自らの欲を捨てて、国と民のためだけに生きることを」
確かに帝王の位を簒奪しようと考える者は、きっと自分の欲に忠実な者しかいないだろう。
なにせ帝王は『機能的には』理想の王だ。
物語にありがちな、虐げられている民を想っての王位簒奪、なんて現象は起こり得ないんだしね。
「ともあれ帝王様の頭の中には、国と民を良くするための論理しかないから、感情論は通じないわけだね」
「兵士を大量消費したことにミリモス殿が怒ることは理解できますが、帝王様と帝国での論理では真っ当なことなのです。なにせそれが、最善手なのですから」
帝王とは帝国と帝国の民のために最善手を指し続ける機械で、だからこそ機械相手に感情を用いても仕方がないってことだな。
「帝王様がそんな人だからこそ、他国との交渉には一等執政官が出張ってくるってわけか。人間は感情論が大事だから」
「帝王様の調子で行かれると、交渉相手が感情的になり過ぎるきらいがあるのですよ。傲慢だとか、全く話が通じないとか言ってこられて」
「帝王様の頭には、そんな意図が欠片も存在していないのにも関わらずだね」
「かといって帝王様が感情論が分かるようにしてしまえば、それはもう『帝王』ではありませんので」
なんともまあ、帝国も闇が深いことだ。
ともあれ、帝王がそういう人物だと理解出来たし、俺も感情的になり過ぎないように心掛けたことで、この後の交渉はスムーズに終えることができた。
後は、この場で取り決めた内容を記した証書を作り、調印すれば、戦争は完全に終わりになる。