四百三十話 帝都と王城
帝国はノネッテ合州国に降伏する運びになった。
そのことに対して、フンセロイアはあまり悲観的ではなさそうだった。
「正直に申しますと、ノネッテ合州国に下ることに、さほど問題は感じていなかったのですよ」
「戦争してまで抵抗していたけど?」
「この戦争は、国体の主導権を握るための戦いです。勝って主導権を握れれば最上。負けてしまっても、ノネッテ合州国は占領地を州化し自立させてくれるので、帝国の民は悪い扱いされることはないと考えていたのです。そして私は、貴族でも帝族でもない、一般民ですので」
「そういえばフンセロイア殿って、成り上がりの役人でしたっけ」
「はい。並みの貴族なら指振り一つで首を切ることができる、偉い一般民です」
フンセロイアにしてみれば、役人として帝国に仕える気はあるが、帝国が滅びるとなったら心中する気はないってことか。
まあ往々にして、一般民にしてみれば国のトップが変わろうと、生活が保障されるなら、それでいいって感じだしね。
「そんな偉い一般民が、戦争の最後で交渉をしに来たっていうのも、なんだか変な感じがするけどね」
「あれは単なる悪あがきですよ。帝国の負けが決定する直前の、万分の一の勝ち目を拾おうという、いじましい抵抗です。ああ、ご安心を。帝国が負けたことは魔導具で通達済みですので、こちらの軍勢がルーナッド州を襲うことはありませんよ」
悪あがきと考えると、なるほどフンセロイアが来た理由に納得がいく。
仮にフンセロイア以外が交渉に来たのなら、俺の対応はかなり冷たいものになっていただろう。それこそ『ルーナッド州を襲う』と言われた瞬間に、帝都へノネッテ合州国の軍勢を強襲させていたかもしれないぐらいに。
気心を知れているフンセロイアだからこそ、交渉のテーブルに着いたという面があるからね。
「それで、これから俺は帝国の帝王と面会するわけだよね」
「はい。そこで終戦の調印の後、帝国はノネッテ合州国の一部へと併合されるわけです」
俺はファミリスに加えて数名の護衛と共に、フンセロイアに連れられて、真っ黒な帝都の中を城を目指して歩いている。
しかし、外から見ても黒かったけど、中に入って見ても、黒い街並みだな。
俺が左右を見回していると、フンセロイアの得意げな声がやってきた。
「流石のミリモス殿も、我が帝都の風貌に驚いているようですね」
「ここまで真っ黒な――それこそインクを零してしまったような街並みは、見たことがないから」
「そうでしょう、そうでしょう。まあ、知らぬ者がこの街並みを見て、まるで悪役の街だと妄言を吐くことがあるのが、唯一の欠点ですれどね」
「でも黒くしているのは、意図があってのことでしょう?」
「もちろんですとも。帝都は夏涼しくも冬は極寒です。冬の寒さに対抗するため、少しでも太陽の熱を家屋に貯めるため、そして貯めた温かさを用いることで薪を節約するため、建築物を黒く塗っているのです」
フンセロイアの帝都の観光説明を聞きながら、街道を歩いていく。
しかし、ポンポンと上手い流れが続いているけど、普通はここで何らかの妨害が入るものだ。帝国の敗けを認められない人たちによる襲撃とかね。
それにも関わらず、帝都を進んでいる間も、帝都の城に入ってからも、誰からの妨害を受けることはなかった。
愛国者が居ないのかとも思ったけど、都の中で出くわした人々の顔が屈辱に塗れているのを見るに、そういうわけじゃないらしい。
「フンセロイア殿が、皆の不満を押さえつけている、とかですか?」
「私も多少説得の協力はしましたが、帝王様の命という部分が大きいです」
「帝王が、抵抗はするなと?」
「負けたからには、無用な被害を出さずに潔く下るべしと」
「……フンセロイア殿が『ルーナッド州を襲う』と脅してきたことは、潔くないのでは?」
「戦争の大勢は決まっていても、決着する前のことです。なので帝王様の命令に背くことにはなってないと、そう私は認識しております」
フンセロイアの減らず口は兎も角、帝王の言葉はなんとも出来た発言だと評価できる。
今まで俺は、何国もの小国を落として手中に収めてきた。
その小国の王の中には、立派な人もいたが、我が身可愛さな行動を取る者が多かった。
そう考えると、帝王という人物は、民のことを考えて布告をだしているあたり、帝国を治めるに足る大人物だといえるな。
確か騎士国で王の交代があったとき、帝国の帝王はかなりの年齢だと知った記憶がある。
となると、流石は老成した王の名采配といったところか。
そんなことを考えている間に、帝都の城へと入っていた。
城の中に常駐する兵士の顔はというと、帝王の命令がなければ今すぐにでも襲うのにといった、憎々しげなもの。
貴族らしい人とも出くわしたが、その人たちは俺たちを一目見ると、踵を返してどこかに去っていってしまう。まるで目に姿を入れ続けると襲ってしまいかねない、と言いたげに。
これはまた嫌われたなと思いつつ、城の中を進んでいく。
やがて、城の奥まった場所の大きな扉の前までやってきた。
「この先が、玉座の間です。帝王様と重臣たちがお待ちですよ」
フンセロイアが扉を開けるよう命令すると、側に控えていた槍持ちの兵が、扉を開けてくれた。
その先にある部屋の景色はというと、長く大陸を二分していた大国とは思えないほど、地味な見た目だった。
百人ほどが入れそうな広さのホールと、その先に一段高くあった場所があり、そこに垂れ幕と玉座がある。
なんか既視感があるなと思って記憶を掘り起こすと、前世の小学校の体育館に似ていると気付く。
床材は木じゃなくて石だし、床に競技のラインは引いてないし、壁にバスケットゴールもないけど、全体的な雰囲気が体育館だった。
しかしそれは、あくまで雰囲気はだ。
この広間は一見では地味だけど、よく見てみれば使われている素材や建築技法には粋を凝らしてあることがわかる。
華美な装飾は要らず、しかし扱える素材と技術は訪れる者へ見せつける。
その様式は、一言で言い表すなら、質実剛健になるだろう。
王の考えを表現する玉座の間の趣向がこうだと言うのだから、帝王の考え方もそうなんだろうと予想がつく。
さてとと、俺は玉座の間の検分を終えて、視線を玉座に座る帝王へ向ける。
そこには俺が想像していた通りの老王が――居なかった。
そして代わりのように、十歳ぐらいの男の子が王冠と豪奢な服を着て座っている。
「……フンセロイア殿、失礼を招致で聞くが。あの方が、帝王か?」
俺の不審を込めた問いかけに対し、フンセロイアは満面の笑顔で応じる。
「はい。あちらが帝王様です。もっとも、代替わりして五年ほどしか経っておりませんので、ミリモス殿の目には帝王に不似合いな若者のように映っておいでだとは承知しておりますとも」
五年という年月を聞いて、俺はハッとした。
ノネッテ合州国と帝国とで締結した休戦期間は、五年。
つまり帝国は休戦中に代替わりを行っていた――いや逆だ、代替わりを行わざるを得なかったからこそ、ノネッテ合州国に五年の休戦を申し込んだんだ。
この五年で、代替わりの混乱を終息させるために。
「上手い事やりましたね。道理で、情報統制が厳密で、こちらに一つも情報が入ってこなかったわけだ」
「はい。帝都が帝王様の交代で揺れていると知られれば、ミリモス殿ならば要らぬちょっかいをかけてくるでしょうからね。それこそ、休戦条約を破棄して襲ってくるかもしれません」
「条約破りはやらないよ。まあ、条約を破らない範囲で、五年後も混乱が続くよう手を回したかもしれないけどね」
もしもの過去を引き合いに出しながら軽口を叩きつつ、俺は内心では困惑していた。
新たな帝王は、見るからに幼い。
俺は子供を持つ親だ。あれほど小さい子供相手に強気になれるかというと、親心が邪魔をして、実に怪しいと感じる。
しかし俺のそんな心配は、帝王が口を開くまでだった。
「ノネッテ合州国の代表たる、ミリモス・ノネッテ殿。近くに参られるが良い」
帝王の声は、その年齢に見合った幼い声色だ。
だが声に含まれる響きには、年齢に見合わない硬質さがあった。
その硬質さは厳粛や厳格さを感じられ、聞く者がつい従ってしまいそうな魅力が備わっている。
なるほど、あの年齢で帝王に据えられるわけだと、俺は年若い帝王に末恐ろしさを感じた。
その恐ろしさを感じた事実を外に出さないように気を付けつつ、俺は玉座の間に入り込み、帝王の前へと進んでいく。
帝国の重臣たちからの視線を引きちぎるようにして力強く進んでいき、五メートルほどの距離を空けて帝王と対峙する。
膝はつかず、立ったまま帝王の顔を見つめる。
俺は戦争の勝者であり、帝王が戦争の敗者だ。
本来なら帝王は玉座に座って待つことは許されないし、むしろいま俺がいる場所に跪いてしかるべきだ。
いやまあ、年若い子供にそんな真似を強要する気はないから、あくまで立場的な話ではだけどね。
俺がそんな事を考えていると、帝王から声がきた。
「戦争の勝者は其方である。降伏条件を語るとよい。遺憾なくば、玉座を引き渡し、臣下の礼を尽くして膝を着こう」
生まれながらの帝王は、年若くても威厳たっぷりだな。
俺は、前世は小市民で今世でも王子教育を受けていないなんちゃって王族だからな。
相手が、こうも王気が迸っている存在だと、後ろめたさを感じてしまう。
でもそんなことは言ってられないし、思っていられる立場でもない。
俺は腹に力を入れ直し、帝王に降伏勧告と降伏条件を告げることにした。