四百二十七話 王手一歩手前
手を変え品を変えて、帝国の軍勢は足止めしようとしてくる。
それを俺は、出来るだけ被害を出さずに突破しようと苦心する。
しかし、俺の戦術が兵法書からの引用だからか、それとも帝国の指揮官の対応力が上がっているのか、段々と突破できる日数がかかるようになってきた。
これでは拙いと、ノネッテ合州国の軍勢の部隊長級以上の人たちから意見を求めたりしたけど、これはこれで失敗だった。
議論は紛糾するものの、具体的な手立てが提案されるまで時間がかかるし、議論の対立が部隊間の対立に発展しかけたからだ。
議論で仲間割れが起こるだなんて冗談じゃないので、あまり意見を募ることを止めることにした。
結局のところ、部隊長級以上の人たちからは助言を貰うだけにし、俺が突破法を自分で考えるしかなくなった。
そしてどうにかこうにか、あと二回ほど帝国の軍勢を退けたら、帝国の帝都を望める場所までくることができた。
「あー。もう知識の引き出しは、出しきったってばー」
俺は脳が疲れ切っていることを自覚して、寝台に寝転がる。
今日の戦闘が帝国の防御勝ちに終わり、先ほどの会議で明日の方針を定め、自分の天幕に戻ってきたところだ。
「ああー、何も考えずにすむ、この瞬間が幸せに感じるなんて、知恵疲れの末期も末期だよなぁ……」
俺の頭の中は、疲労感でいっぱいだ。
戦闘中は指示出しに全力で集中し、会議ではアイデア出しに注力し、報告の対応や兵士たちへの気配りと、頭脳が休まる暇がないんだから仕方がない。
「ああー、あまいものがたべたいー……」
疲労の積み重ねで、今の自分の知能が下がりきっている自覚がある。
しかし下がったた知能を上げる意味を見出せない。
このまま寝てしまおうかな。
せめて夢は、頭を使わないようなものだといいなー。
そうしてウダウダしていると、この天幕に駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
あーあー、なんか報せがきたのかー。
あーあーあー、聞きたくないなー。
そんな俺の願いもむなしく、天幕の出入口が開けられてしまった。
「ミリモス様! あ、これは失礼。お休み中でしたか」
寝台にうつ伏せでいる俺に、伝令が申し訳なさそうに言ってくる。
……仕方がない。もうちょっとだけ、俺の知能には過剰労働を受け入れてもらおう。
「今起きるよ――それで、報告は?」
「はい。それが、ルーナッド州からの早馬が来まして」
「もしかして、迂回していた帝国の軍勢が到着して、ルーナッド州が陥落したのか!?」
最悪の状況かと思いきや、そうではないらしい。
「いえ、正確に申しますと、キレッチャ州からの連絡がルーナッド州に入り、その報せをルーナッド州の早馬が伝えてきたので」
「なんだ、脅かさないでよ」
しかしキレッチャ州からの報せか。
帝国の大陸右側を迂回して進んでいる方の軍勢は、大陸の下部へと進出しようとしていた。
その関連だろうか。
「それで、キレッチャ州からはなんて?」
「キレッチャ州の商船が帝国の船と邂逅したようです。それで何隻か、拿捕なり撃沈されたと」
「ということは、もうそろそろキレッチャ州に近い場所まで、帝国の軍勢が着ているってことか」
「はい。この知らせがミリモス様のもとに着いた頃には、キレッチャ州と帝国の軍勢とで戦争が起こっているはずと、報せの中にありました」
俺は大陸の地図を思い浮かべる。
俺がいまいる場所は、大陸の右上の部分。そしてキレッチャ州は大陸の最下部。
その距離は、大陸縦断に近いものがある。
それだけの距離だ。どれだけ早馬を走らせようと、十数日は掛かってしまう。
そして十数日前で、帝国の船がキレッチャ州近くに出没していたということは――
「――いや。今日の時点で、キレッチャ州と帝国の軍勢との戦いは終結しているだろうね」
「そんな、まさか」
「いや、言い方が正しくなかったね。キレッチャ州は、商人が治める州だからね。帝国の軍勢に包囲されたり港を封鎖されたら、迷いなく降伏したはずだよ」
戦争は商人の稼ぎ時と言ったりはするけど、それは武器や食糧などの販売者の場合はだ。
逆に当事者になったら、戦争なんて存在は金品を食い荒らす害虫でしかない。
あのキレッチャ州の商人たちが、みすみす大金を失うような真似はするだろうか。
俺は、きっとしないだろうと考えている。
そんな俺の予想に、伝令は嫌そうに顔を歪める。
「戦わずに降伏するなど、国を売るような真似ではありませんか」
「それは軍人の発想だよ。商人には商人らしい戦い方があるものだよ」
「商人らしい戦い? それはどんなものでしょう?」
「例えばだけど、帝国軍を受け入れた後、新たな支配者への歓待と称して、宴会を行う。その宴会で、将軍を酔い潰したり、兵士たちに羽目を外させたりする」
「なるほど。そうした醜態をさらしたときに、暗殺すると」
「違う違う。暗殺なんてしないよ。ただただ、商人たちは歓待するだけ。連日連夜に渡ってね」
伝令の表情が『それに何の意味があるのか』と問いかけてきたので、この商人の戦い方の真意を伝えることにした。
「この歓待を、帝国の軍勢は断れない。大陸の右側を行軍し続けてきたんだ。兵士たちの疲労は限界に近い。そこに大量の食べ物と酒をくれる場所が現れる。これ幸いと飛びつかないはずがない。将軍級の者たちは諫めようとするだろうけど、無理矢理止めれば兵士たちから反発がくる。その反発を恐れるのなら、宴会に参加するしかなくなる」
「話を聞く分では、帝国に利する行為では?」
「ところがだ。宴会に参加するだけで、帝国は罠にハマっているのさ。足止めという罠にね」
「足止め、できるものですか?」
「ちゃんとできるさ。宴会に参加した日数だけ、帝国の軍勢は足を止める。そして宴会を十二分に楽しんで去ろうとしても、すぐには動けない。兵士たちは二日酔いになっているだろうし、美食と美酒で精神が弛み切っている。二日酔いが治り、兵士たちの精神が戦闘に適したものに整え直すのに、また何日かかかる。ねっ、見事な足止めでしょう?」
「な、なるほど。宴会は甘い罠ということですか」
伝令が慄いてくれているが、いま俺が語ったのは、あくまで俺が考えられる範囲での話だ。
キレッチャ州の商人は、俺なんか比べ物にならないほど商才と知恵に長けた人物ばかり。
実際に行われる歓待は、もっと執拗なものになるはずだ。
なにせ先ほどの説明には、俺が意図的に『色街』の部分を省いている。
女性の魅力を使っての篭絡は、とても強力だ。
前世の世界では、傾国の美女なんて言葉もあったぐらいだしね。
ともあれ、キレッチャ州にはキレッチャ州の戦い方がある。
例えそれが、普通の人の目には理解され辛い類の方法だとしてもね。
「はい、説明終わり。報告は受けたから、後は休んでいいよ」
「はっ! 失礼いたします!」
伝令が立ち去った後、俺は再び寝台の上に寝転がる。
先ほど伝令には言わなかったが、かなり拙い状況だ。
帝国の軍勢がキレッチャ州に着いているとなったら、あとは上へと行くだけでルーナッド州に到達する。
あまり時間的な猶予は残っていない。
「はぁ。ない頭を過剰駆動させてでも、帝国の帝都へ先に付かないと」
しかし今だけは、明日の戦いの方針はもう決定してあるし、頭を空っぽにして眠りたい。
俺は寝台の上で目を瞑り、やがて朝を迎えて目を開ける。
考えたくないという願いが通じたのか、夢は一切見なかったため、とてもスッキリとした頭で起きることが出来たのだった。