三十八話 一騎打ち
俺は、敵の将軍ドゥルバに近づく。
すると、アレクテムが俺の横にきて、並んで歩いていた。
「一騎打ちは俺だけやればいいんだから、アレクテムは逃げていていいんだよ?」
小声で喋りかけると、アレクテムは破顔した。
「どうせミリモス様が勝つに決まっておりますからな。それに、一騎打ちの作法をご存知ですかな?」
作法に疎いのはその通りだし、信用してくれるのだって有り難いけど……。
「仮に勝ったとしても、あの大軍から逃げないといけないんだけど」
「そこは一騎打ちで、勝者が何を手にするか、約定を交わせば大丈夫ですぞ」
「約定って?」
オウム返しに聞くと、アレクテムが詳しい一騎打ちの仕組みを教えてくれた。
「軍の代表同士が一騎打ちをする場合、勝者は相手側に、軍事的な権限で許される限り、一つ約束を守らせることが出来るのです」
「例えば、撤退するのを見逃せとか、これ以上の進軍はやめろとか?」
「進軍を完全に止めよとするのは、行き過ぎですな。せいぜいが二、三日、この場に留まるようにとするぐらいですな。あとは人質を一名取るとかですぞ」
「ふーん。弱軍に配慮した仕来りって感じだね」
もしくは一騎打ちで勝ってみせることで、相手が大軍だから負けたんだと言い訳を出来なくして、敗軍の反抗心を完全に奪う仕組みなのかもしれないな。
決闘の約定について理解したところで、俺は敵将ドゥルバの前に立った。俺たちが近づき終わる前に、脱いでいた鉄製の全身鎧を着こみ、兜までしているため、その体格や人相ははっきりとはわからない。
俺はドゥルバへ、余裕を見せるように、にっこりと笑いかけてやった。
「一騎打ちのお誘い、ありがとう。それで、そちらは決闘に勝ったら、こちらから何を貰おうというんです?」
王子口調で問いかけると、大音声の銅鑼声が返ってきた。
「ミリモス王子。一騎打ちを受けて下さり、礼をいう! 自分が欲するのは、この場所からノネッテの王城への道行きまで、ノネッテ国軍が一切こちらに攻撃をしてこないことです!」
そんな要求ありかと、俺はアレクテムに視線を向ける。
頷きが返ってきたので、ありなんだと納得することにした。
それにしても、王城まで兵を引かせることは、俺が立てた作戦の既定路線だから、負けても俺自身の命以外はノーリスクなんだけどなぁ。
そう正直に言う必要もないし、いまはこちらが要求を突きつける番だ。
「では、こちらが一騎打ちに勝利した場合、そちらに要求するものは――」
言葉を溜めるように切って、なにを要求するかを急いで考える。
アレクテムに教わったことを考えると、撤退要求は飲ませられないだろう。部隊進軍を数日止めさせるは、うま味が少ない。敵部隊にドゥルバ以上に人質の価値がありそうな人は見受けられない。武器なんかをもらっても意味はない。
さてどうしようと考えて、あることを閃いた。
「では、僕の兄――フッテーロが貴国に対して無礼を働いたと聞いていますが、それが本当か否か、偽りなくこの場で述べていただきます」
さて、俺の要求は通るかと待っていると、ドゥルバから苦渋を舐めた後のような濁った声がやってきた。
「その真実を語ることができるのは、軍内では自分だけ。ミリモス王子が出した要求を叶えるには、一騎打ちで自分の命を取ってはいけないのだぞ」
そうとは知らなかったのだけど、知ったかぶりしておくことにしよう。
「真実が知れるのなら、その程度は易い困難です。さあ、お互いに要求は出しました。一騎打ちと行こうじゃないですか」
俺はドゥルバから五歩ほど後退してから、腰の魔導剣を抜き放つ。
俺が青銅の剣ではないことが意外だったのか、ドゥルバは斧がついた槍――ハルバードを構えながら声をかけてくる。
「そこの老爺――立会人が持っているような、青銅の灯りの剣を使うのではないのか?」
串剣よりも、俺が今持っている魔導剣の方が良い剣なのだけど、そんな情報を与える意味はないよね。
「とりあえずは、この剣で戦いますよ」
「……仲間が一騎打ちに参戦するのは禁止だが、武器を投げ渡してもらう分は構わないからな」
ドゥルバの声色は、どこかこちらを気遣っているかのように聞こえた。
決闘で殺す相手に優しいことだと思いつつ、俺は魔導剣を確りと構える。
「ご忠告、ありがとうございます。それで、一騎打ちは始まっているのですか?」
「いや、今からだ」
ドゥルバが顎をしゃくるように頭を動かすと、ロッチャ国軍から『ガツッ!』っと大きな音が響いた。
開始ゴングの代わりに、大盾を打ち合わせて音を出したようだ。
その音と同時に、ドゥルバはハルバードを大振りしてきた。俺が反応する前に、一撃で勝負を決めようとする動きだった。
狙いはいい。けど、甘い。
「開始と同時の攻撃は、兵士の訓練で散々やられたよ」
俺は大きく後ろへ跳び、ハルバードの切っ先の軌道から、身を躱した。
ブオンッと唸りを上げながらハルバードが通り過ぎた後で、俺は神聖術で肉体を強化しながら地面を蹴って前に飛び出し、自分からドゥルバの攻撃圏内へと入り込む。
「てやっ!」
十二歳の肉体ながらも変声期がまだ来ていないため、俺の少年らしい甲高い声が森に響く。声と同時に、俺が振るった魔導剣がドゥルバの鉄鎧に当たり、ガツンと大きな音が出た。
魔力を弾く性質がある神聖術を使用していた関係で、魔力を魔導剣に流すことが出来ず、斬撃の際に刃に魔法を発現させられなかった。それでも、帝国製の魔導剣は鋼鉄製だ。生中な鎧なら、素の切れ味で斬り裂けるはずだった。
それなのに、ドゥルバの鎧は一本線の傷が入った程度。
魔導の武器以外で、ロッチャ国の鎧を相手にする厄介さが、いまわかった。
「硬いな!」
俺は苦情を言いながら、改めて後方へと跳んで逃げる。ハルバードの振り戻しが来ているのが見えたからだ。
再び距離が空き、俺とドゥルバは武器を構え直した。
俺は相手の様子を見ながら、神聖術を使いつつ魔導剣に魔力を流せないか試す。
けど、魔力を流そうと意識すると神聖術が消えてしまうし、神聖術を保とうとすると魔力が流せない。どうにか剣を持つ腕の部分だけ神聖術を消すことはできたのだけど、その腕に存在する魔力を動かそうとすると、やっぱり神聖術が消えてしまう。
神聖術と魔法の取り合わせが、ここまで悪いとは思わなかった。
「厄介だな……」
思わず口をついて出た言葉だったけど、その意味を、ドゥルバは勘違いしたらしい。
「ロッチャ国の鎧は、堅固無双。相手が魔法の武器でなければ、負けるはずはなし!」
ドゥルバは自分が有利だと思ったのだろう、こちらへ走り寄ってくる。
もうちょっと、神聖術と魔法を両立させる訓練をさせて欲しかったんだけど。
「そうも言っていられない、ねッ!」
俺は神聖術で体を強化し直しながら、自分からも相手に突っ込んでいく。
すると、こちらを迎撃するべく、ドゥルバがハルバードを突いてきた。
「ええええええええいいいいいいい!」
大きく気合の声を上げたドゥルバの手によって、ハルバードがこちらの顔面に向かって繰り出される。
俺自身も前に移動している関係で、突き進んでくるハルバードの威力と速度は、俺が通常の状態なら避けることが出来ないものだっただろう。
しかし、神聖術で肉体を強化している今なら、多少の無理だってできるのだ。
「たあ!」
俺は剣でハルバードの斧の部分を強く横へ叩き、狙いを逸らさせる。
このとき、ドゥルバの姿勢が大きく崩れる。
きっと俺が子供だと見て、膂力を低く見積もっていたんだろう。それなのに大人顔負けの力で長柄の先端を横に叩かれたことと、生まれた梃子の原理による予想以上の力が手に伝わってこたことで、思わず体勢を崩してしまったのだろう。
相手が隙を晒しているうちに、俺はさらに接近。狙うはドゥルバの内腿――股の動きの邪魔にならないよう、鉄で覆われてなく、襦袢が見えている部分。ここなら、魔法を発動させられない魔導剣でも、斬り裂くことができるはずだ。
「てやぁ!」
俺は狙った通りに、ドゥルバの内腿に剣の刃を滑らせた。
しかし、手に伝わってきた感触は、襦袢と肉を斬ったものじゃなかった。
例えるなら、金網を斬りつけたような、硬い筋に刃が当たった感触だ。恐らく、襦袢かなにかに金属の糸が組み込まれていたんだろう。
この一撃で痛手を与えられなかったと見ずに悟った俺は、さらに一歩ドゥルバに踏み込み、体当たりを行った。神聖術で強化した膂力任せに、ドゥルバを押し倒す。代償は、鉄の板に肉体をぶつけたことによる痛みだった。
くぅ。鉄の鎧に体当たりはするもんじゃないな。
痛みに涙目になりつつ、尻餅をついているドゥルバに接近する。このとき、神聖術は止めて、手の魔導剣に魔力を流し始めていた。
魔力を得て発光を始めた刃が見えたのだろう、ドゥルバから慌てた声が放たれる。
「青銅ではなく鉄の剣が光っている――ということは、帝国の剣か!?」
ドゥルバは起き上がるのを止めて、ハルバードを振るってくる。
けど、地面に座った状態で手だけで振ってきた武器なんて、肉体年齢十二歳の俺でも受け止められる。神聖術で肉体を強化する必要はない。魔導剣の魔法の輝きを放つ刃で、斧の部分の中ほどから先端までを斬り飛ばす。
武器が壊されたことで、ドゥルバの動きが止まった。予想外すぎる事態に、脳の働きが一瞬フリーズしたんだろう。
この隙に勝負を決めようと、俺はドゥルバの片腕目掛けて剣を振り――途中で軌道を横なぎに変えて、俺の横の空間を斬り払う。
ロッチャ国の兵士がいる方から長槍を投げつけられ、迎撃しなければ直撃をもらっていたからだ。
こうして俺が、文字通りの横槍の対処をした間に、ドゥルバが起き上がってしまっていた。そしてこちらへ、鎧で覆われた手で殴り掛かってくる。さらには、再び横槍が降ってきた。
「これは一騎打ちなんじゃないのか!」
俺が苦情を言いながらドゥルバから距離を取ると、ロッチャ国の兵士たちから野次が飛んできた。
「武器が壊れた場合、味方から投げ入れて貰えるんだよ!」
「考えなしに将軍の武器を破壊した、自分を恨みやがれ!」
そんなの有りかと半目を向けるが、ドゥルバは投げられた槍の一つを拾って構え直す。
「どう武器を投げ渡すかまで明文化されていないこともまた、戦場の仕来りだ」
「一騎打ちって、もっと高尚なものだと思ってたんだけどなあ」
生き死にがかかっているんだから、卑怯な真似が生まれるのは当然か。
なら俺も目には目をと多少卑怯な真似をしようと考えて、腰に装備しているパルベラ姫から貰った短剣の存在を思い出した。帝国との協議の後で会話をした、騎士ファミリスの姿もだ。
だからだろう。ここで卑怯な真似を返すのは『正しくない』と直感した。
「まあ、あえて卑怯な真似をしなくたって、勝てるだろうし」
気持ちを引き締めて、戦法を考えることにした。
案の一つ目は、ドゥルバの攻撃で俺はわざと剣を飛ばされ、アレクテムに串剣を投げてもらうということ。串剣は自動的に使用者の魔力を吸う魔導剣。俺が腕の部分だけ神聖術を解除すれば、腕から魔力を吸って先端の刃に魔法が現れるので、ドゥルバを刺し貫くことができる。
けど、わざと剣を飛ばされるのも、卑怯な行いといえたので、この案は保留にしておく。
案の二つ目は、神聖術を使った状態のまま、魔導剣をただの鋼鉄の剣として使って勝つこと。
戦法は色々あるけど、相手を殺せないという縛りがあるため、狙う場所はかなり限定される。兜のスリットに突き入れるのが一番簡単な攻撃方法なんだけど、これだと殺しちゃうしね。
殺す心配がない場所で、先ほど失敗した内腿を候補から外すとすると、実質的に狙えるのは一ヶ所かな。
でも確実じゃない。
案の三つ目。第二案を元にして戦いつつ、ドゥルバに致命的な隙を生ませる。
その瞬間に、神聖術を解いて、魔導剣に魔法を発現させて攻撃する。
これが一番現実的だろうな。
少し不安はあるけど、俺は三つ目の策を実行することにした。失敗しても一つ目の策を実行すればいいと、心に余裕を持たせる。
「ふー……。やるぞ!」
俺が深呼吸を終えて気合を入れた直後、ドゥルバが無言で動いて長槍を突き出してきた。こちらの呼吸の終わり際を狙った、不意打ち気味の一撃だ。
けど、こちらだって既に神聖術をかけ終わっているし、先ほどと同じく、この手の容赦ない攻撃は訓練でさんざんやられている。不意打ち気味の攻撃だろうと、避けることはできる。
そしてドゥルバの方から槍を突き出してくれるのなら、狙った戦法がやりやすくていい。
「せー、のッ!」
タイミングを計って、槍の穂先が当たる直前で、一歩横にズレて避ける。そして、いままさに剣の届く距離に、標的――ドゥルバが槍を握る手がある。
「たああ!」
相手が槍から手を放さない内に当てることを意識し、剣の降りはコンパクトかつ素早くする。
このとき、俺の狙いを悟ったらしいドゥルバが、槍を手放して手を引こうとした。
しかし、一呼吸動きが遅い。
俺の剣が、ドゥルバの手――親指の付け根部分を、上から強く打撃した。もちろん鎧の金属が覆ってはいる。けど、振り下ろした剣が当たった衝撃は、内側へ確実に伝わる。
「ぐあっ!」
呻く声が、ドゥルバから漏れた。そして痛みによる肉体の反射で、剣に打たれた手を思いっきり引き寄せてしまっている。
いまのドゥルバ格好は、片手に長槍を持ち、反対の手を胸元に寄せた姿。
つまり、隙だらけだ。
俺は見せつけるようにして、魔導剣を振り上げる。
その剣の刃に魔法の輝きがないことを見取ったからだろう、ドゥルバは鎧が刃を止めると確信した動きで、槍を捨ててこちらに掴みかかってくる。
俺が掴みかかりを避ければ仕切り直せるし、運よく捕まえられたら大人の膂力で抑え込めるという判断だろう。
けどその選択は、悪手だ。ロッチャ国の兵たちから見ると、迫るドゥルバの体躯の陰に、背が小さい俺の体躯が入ってしまっていて、先ほどのように武器を投げつけて攻撃することはできなくなっている。そして、俺が訓練で相手してきたノネッテの熟練兵の多くが、これと全く同じ選択で襲ってきた経験が豊富にある。
だから既に、対処する方法は出来上がっていた。
「しっ!」
短く呼気を発しながら、振り上げていた剣を、素の力で素早く振り下ろす。
素の力――つまり神聖術は解除済み。そして、魔導剣へ魔力を流し始める。
振り下ろす過程で輝きを放ち始めた魔導剣の刃は、俺が狙った通りに、ドゥルバが掴もうと伸ばしてきた腕に当たり、鎧を斬り裂いて内へと入った。そしてそのまま、下まで斬り抜けた。
「ぐああああああああああああああああ!」
片手を斬りおとされた痛みで絶叫するドゥルバだが、諦めず残っている手で掴みかかってくる。
俺はあえて自分の体を掴ませて、その腕の場所を固定させてから、下から上へと剣を振り上げて斬った。
「ぐうううううううううううううう!」
ドゥルバは両腕を失った痛みを噛み潰しながら呻く声を上げつつ、まだあきらめずに兜を付けた頭で頭突きしてきた。
流石にこれを食らうと額が割れかねないので、地面に座り込むように体をかがめてから、後ろに転がって逃げた。
そうして距離を空けてから、転がった勢いを利用して素早く立ち上がり、剣を構え直す。
対するドゥルバは、諦め悪くこちらに近寄ってこようとするが、両手の断面からの出血によって頭に昇っていた血が下がりでもしたのか、徐々に戦意が衰えていく。
やがて、俺の数メートル先で、膝を地面につき、項垂れるように頭を下げた。
「ぐぐっ、ぐうぅぅ……じ、自分の、負けだ……」
苦悶に満ちた声で、ドゥルバは負けを認めた。その声を聞いて、ロッチャ国の兵士が動き出す。
すわ、俺にお礼参りか。と思いきや、ドゥルバの腕の止血を行い始める。
「済まない。不甲斐ないな、自分は」
「将軍は立派に戦いました。兵の誰もが認めてます!」
「あの王子に魔法の剣がなければ、将軍が勝ってましたよ!」
なんかこちらが悪者にされている感じがあるけど、ともあれ勝負が決着し、俺は安堵した。
心に余裕が戻ったところで、気付いた。俺を掴んだドゥルバの手が、切り離されてもそのままくっ付いたままでいることに。