四百二十二話 帝国の密かな動き
ハータウトとフェロニャの地を奪取したので、ジャスケオスが率いる軍団が進出してくるまで待っていようかな。
そう俺は考えていたのだけど、そうも言ってられない情報がやってきた。
情報をもたらしたのは、砂漠地帯からやってきた砂漠の民だった。
「なんだって! 帝国が砂漠を通って、フォンステ州に行こうとしていたって!?」
俺は情報に驚き、詳しい話を聞くことにした。
砂漠の民いわく――
「帝国は国境を接する場所から砂漠に入ろうとし、我々に協力を仰いできた。我らが拒否すると、親類を人質にすると脅しをかけてきたのだ」
「いま俺に報告してくれているってことは、帝国の軍隊を砂漠で案内したというわけじゃないんだよね」
「もちろん。我らは恩義を忘れない。砂漠を用いた通商で、我らは豊かになった。それはミリモス殿のお陰であると、しかと認識している」
「じゃあ、貴方たちの親族は?」
「幾人かを殺された。だが部族は残っている。大した問題じゃないし、報復は受けさせた」
「十分問題だと思うけど、それに報復って?」
「帝国の軍隊を、砂漠の魔物の巣まで誘導した。いまや魔物の腹の中だ」
「ず、随分、危険なことをしたね」
「一族への侮りには拳を、嘲りには刃を、敵対者には死を与えん。それが我ら砂漠の民の掟なれば」
ノネッテ国がノネッテ合州国になり、大陸の大半を治める規模になっているにも関わらず、未だに砂漠の民とは部族ごとに協力を仰ぐ形になったまま。
自主独立の気風が強く、その独立を脅かすものには刃で応えるのが、砂漠の民の流儀だったっけ。
ここ最近、直接的には関わっていなかったから、忘れかけていたな。
「ともあれ、貴方たちの働きのお陰で、帝国が砂漠を越えてくることはないって考えていいんだよね」
「無論。砂漠で彼奴等を見つけた場合、砂漠の魔物に始末させることを約束する」
砂漠の民からの確約に、俺は安堵した。
しかしながら、帝国が砂漠越えを考えていただなんて、思いもよらなかった。
でもまあ、砂漠を直進で越えることができたら、俺の領地であるルーナッド州まであと一歩の距離になる。
もしも帝国が砂漠越えを果たしていたら、ノネッテ合州国の軍隊は急いで領地防衛に戻らなければいけない。
今まで戦争で稼いだ優位性など、ルーナッド州の首都を押えられでもしたら、優位が吹き飛ぶどころか逆転劣勢になってしまうんだしね。
そこまで考えて、帝国がこの戦争に使っている戦法に思い至った。
「迂回戦術。こちらの本隊と直接的に衝突することをさけ、迂回路からこちらの本拠を潰す気だな」
帝国の戦術をそう読めば、ここまでの戦況が腑に落ちる。
ロッチャの地での、一度の敗退で完全撤退。ハータウトとフェロニャでは、現地兵が主力となっていて、帝国の兵隊が少なく、土地を守ろうという気概が見えなかった。
これらの事象を俺は、帝国が土地を捨ててでも自国の兵士の消耗を嫌っての行いだと思っていた。
しかし主目的が大陸右側から砂漠を通って強襲する迂回戦術だと分かったいまは、今までの戦いは時間稼ぎ以上の意味はないのだと理解できた。
「となると、砂漠越えが出来なくなっただけで、諦めたりはしないか」
俺は帝国の思惑を予想しつつ、目の前の砂漠の民に質問する。
「大陸右側にいる帝国の軍勢の様子はわかる?」
「砂漠に踏み入った帝国の者は死者となった。それ以外、砂漠に入っていない者までは感知していない」
「それもそうか。うん、ありがとう。報せてくれた褒美を与えるよ」
俺は砂漠の民に要求を聞き、それを叶える形で褒美を取らせた。
その後で、どうにか大陸右側に展開しているという、帝国の軍勢の動向が掴めないかと思考を巡らすことにしたのだった。
大陸右側の情報は、意外なところから仕入れられることになった。
それは、なんとガンテとカリノの人脈からだった。
「頭を下げて懇願するのなら、考えないこともないわ」
貴族用の牢屋の中で、ガンテが偉ぶった態度をしてきた。
俺は反応に困り、苦笑いを返す。
「頭を下げるだけで教えてくれるなら、幾らでも下げるけど?」
「……はぁ。そういえばミリモスって、男性としてとか王族としてとかの矜持とは無縁だったわね」
ガンテは張り合いがないと言いたげの表情の後で、要求を変えてきた。
「頭は下げなくていい。その代わり、もう少し良い待遇を要求するわ」
「捕虜としての待遇を良くしろと?」
ガンテがいるのは貴族用の牢屋とはいうものの、その正体は窓に鉄格子が嵌められた居室でしかない。
ベッドもソファーもトイレもあるし、三食は十二分に出ているし、この部屋の中でできる娯楽であれば制限はない。
前世の一般日本人だった記憶がある俺からすると、この待遇の何処に不満があるのかと言いたくなってしまう。
だがガンテは、生まれてからは小国の王族として育ち、帝国に渡ってからは客人として扱われて暮らしてきたため、要求値は高いようだった。
「一日中部屋にいたのでは気が滅入ってしまう。一日に一度は外を散策する許しが欲しいわ。それに、食事には酒をつけて」
「外を散策したい気持ちは理解できるけど、酒はどうして?」
「酒は食事の味を豊かにするものだからよ。酒がないと、どれだけ良い味の料理を出されても、その魅力は半減するわ」
いわんや、捕虜の身で出される食事の味など、酒の力でブーストをかけなければ食えたものじゃない。
つまりガンテは、そう言いたいわけだな。
「その二つを満たせば、帝国の軍隊の情報が得られるんだね?」
「ええ。帝国の貴族には、帝国出身者と征服地出身者がいてね、征服地出身者は故国を再興しようと狙っている者もいるの。その人たちに繋ぎを付けてあげるわ」
情報を引き出す先が誰かを聞いて、俺はあまり信用できなさそうだなと思った。
故国復興を狙う人は、いわば不穏分子だ。
陰謀術数に長けている帝国が、そんな不穏分子の情報を掴んでいないはずがない。それでも粛清されていないということは、あえて泳がせて大物が釣れるのを待っているか、粛清する手間を惜しむ程度の小物でしかないということ。
そんな人からの情報は期待できそうだけど、全く無い今の状況よりかはマシだな。
「分かった。一日一回の散歩と、食事に酒をつける。それでいいね」
「聞き入れてくれて助かるわ。酒は葡萄酒がいいわ。銘柄は任せるけど、安酒はよしてね。それと――これが連絡を取る方法よ」
ガンテは喋りながらさらさらと文字を書くと、その紙を差し出してきた。
俺は受け取ろうとするが、ガンテは紙をグッと掴んで話さなかった。
「そうだわ。ちょっと聞くけれど、カリノはなにを要求したのかしら?」
質問に答えるまで紙を放さないと悟って、ガンテの部屋の前に訪れたカリノとの会話を思い返す。
「カリノ姉上は、布と糸と裁縫道具を要求してきたよ。刺繍なら、何日でも暇を潰せるからって」
「まあ、ガンテらしい。言っておくけど、私には要らないからね」
俺の答えに満足したのか、ガンテは紙を手放し「葡萄酒、よろしくね」と釘を刺してきた。
俺は手の紙にある文字を見ながら、ガンテの世話を任せている使用人に食事には酒を出すように命令しに向かうことにしたのだった。