四百十八話 姉弟による交渉
両陣営の真ん中に作らせた大型の天幕の中で、俺とカリノ、そして両者の護衛が一同に会することになった。
議題はもちろん、カリノ側から提示された交渉についてだ。
それにしても――カリノ・ノネッテ。俺の今世の姉。
帝国に留学という形の人質として移住し、それから長いこと会っていなかった。
だから、この戦場で相対するまで、俺が知っていたカリノの姿は分かれる何年も前のものだけ。
その何年も前の姿と、目の前にいるカリノの姿を見比べて、つい俺は疑問を顔に浮かべてしまった。
「カリノ姉上。こう、なんというか、変わりましたね」
「変わったって、抽象的ね。ちゃんと詳しく言いなさい」
「詳しくって、えーっと――」
気になった点だけを言うと、きっとカリノは不機嫌になるだろう。
そういった女性の機微は、俺は妻を三人も娶っている立場なので察することができる。
なので、とりあえずは喜ばす方向から、変わった点を言うことにした。
「――まず肌と髪が艶やかになりましたね。髪型も丁寧に編まれていて見事です」
「おおっ。ミリモスったら、女性相手におべっかが使えるようになったのね。うんうん、いいことだわ」
カリノの機嫌が上向いたのを確認したので、気になった点に斬り込むことにした。
「あとは、お化粧と服装もですね。そちらは帝国の最新式ですか?」
そう口では褒めるように言ったけど、俺の心では反対の感想を思っている。
カリノの顔は化粧で白粉に近い白さで塗られ、おちょぼ口のような形で口紅が乗せられている。アイシャドウは濃い紫色で、目元には付けられたクズ宝石の粉が煌めいている。
服装も、布をたっぷりと使ったイブニングドレスだが、その各所に色とりどりのレースを多数あしらっている。
その様相は、前世で観たヴィジュアル系バンドの一員かと思うような仕上がりといえた。
だから俺は、障子機動褒めたらいいか分からなかったので、褒めも貶しもしないように気を付けて言葉を選んだ。
しかしカリノは、俺がカリノの様相を褒めたのだと勘違いしたらしかった。
「ミリモスも妻帯者になって、女を見る目が付いたようね。ミリモスが察した通り、帝国の最新式が、この様相なの。どうかしら、見事なものでしょう?」
「ええ、まあ。帝国らしく華美な見た目だと思いますよ」
俺は作り笑顔を向けつつ、世間話はこの辺りで良いだろうとキリを付けた。
「それで、カリノ姉上。交渉したいとのことですが、なにに対する交渉でしょう?」
俺が会話の水を向けると、カリノは手に持っていた扇子を開いて口元に当てる。その扇子も、先端に毛がついた無駄に高そうな装飾入りだった。
「恥を忍んで言いますが、私、ミリモスに勝てるとは思ってませんの。だから、より良い条件で敗けようと思っているのよ」
「……それは降伏宣言ととっても?」
「そう受け取って頂戴な」
俺が疑う目を向けると、カリノは目に面倒くさ胃という感情を乗せて見つめ返してきた。
「実は、困っているのよ。帝国で遊んで暮らしていたら、唐突にハータウトの地の領主に成れと言われたの。そして領主になったらなったで、上納金をちゃんと納めろとせっついてくるし、今度は戦争になるから弟と戦えって言ってきたのよ。正直、付き合ってられなくなったわ」
帝国の下に付いている領主としては、カリノの発言は問題だろう。
しかし俺には、カリノらしいと思ってしまう。
カリノは双子のガンテと一括り二人同じに思われる節があるけど、実はカリノは気が弱くて正直で、ガンテは気が強くて腹黒だったりする。
二人一緒のときは、カリノはガンテに合わせた態度をとっている。けど、個別に接すると、どこにでもいるような普通の女の子といった性格が顔をだす。
そのことを姉弟という立場から知っている俺だからこそ、カリノが吐き出した愚痴は彼女らしいと感じてしまうわけだ。
「つまりカリノ姉上は、帝国を見限って、俺につくと?」
「残念だけど、帝国を裏切る選択をするほど私は馬鹿じゃないわ。だから言っているじゃない、戦争に負けた形にしたいって」
帝国を裏切ったら、どんな報復があるか分からない。それこそ、戦争でノネッテ合州国が負けて帝国が勝った未来が着た場合、裏切って降伏した者には苛烈な罰が待っていることだろう。
だからカリノは、俺に交渉を持ち掛けているわけだ。
「ねえ、ミリモス。いい案はないかしら?」
「カリノ姉上が戦争に負けて降伏したという形をとりつつも、そちらの軍隊に損害を出さない方法という意味で?」
「分かっているじゃない。それで、あるの?」
まあ、ぱっと考えただけでも、いくつか方法はあるな。
「第一の候補は、一騎討を繰り返して、戦争の勝敗を決める方法だね」
「一騎討で、戦争の勝敗をきめようというわけかしら?」
「少し違う。一騎討による勝敗は、あくまで戦争での条件を増やすことしかできない。例えば一騎討に勝った場合、敵軍は一日行軍を止めるようにとか、戦場をある場所に移動するとか、そういう形にするわけだ」
「そうなの? でも伝え聞いた話では、ミリモスと騎士王の戦いは、一騎討で決着がついたのではなかったかしら?」
「それは俺と騎士王が騎士国の王都で一騎討を行ったからかな。状況的に言って、騎士国を詰め切る最後の一手が一騎討だっただけだよ。仮にあの場面で騎士王が勝っていても、ノネッテ合州国が戦争に負けるという形にはならなかったしね」
「そういうものなの。聴いて改めて思うけど、戦争のことは、よく理解できないわ」
カリノは戦争に興味がないという表情で、溜息を吐いている。
まあ、生まれてから今まで戦争とは関りの少ない生き方をしてきたから、戦争の仕来りの話をされても頭に入ってこないんだろうな。
「話を戻すけど、一騎討を繰り返し行って、カリノ姉上の軍隊の代表者には負け続けてもらう。それをハータウトの中央都まで続けてもらって、最後はその中央都で一騎討し、こちらの代表者が勝者になって中央都を手に入れるという形にする」
「中央都が占領されたから、私はノネッテ合州国に降伏したという形をとるのね」
カリノは頷きつつも「他の候補はないの?」と聞いて来た。
「第二の候補は、戦闘開始から終結まで台本を書いて、それをお互いの軍隊が行うというものだ。けれど、この方法はお互いの軍隊に正確に動ける練度が求められる。台本通りに動かなかったら、場に混乱が起こって軍隊が暴走して死傷者が出るかもしれない」
「確実性がないのは困るわ。そちらはどうか知らないけれど、こちらの軍隊はあまり上手とは思えないし」
だろうな。俺も真っ当に事が進めば一番早く戦争が終わる方法だから言ってみただけで、実現性は低いと思っているし。
「第三の候補として、両軍がこのまま戦場で睨み合いを続けるというものもある」
「睨み合いでは決着がつかないのではなくて?」
「この場での決着はつかないでしょうね。でも、別動隊がハータウトの首都を落とすなんてことができます」
「それなら戦争を回避しつつも戦争を終わらせられるわね。その方法なら、幸いなことに、ハータウトの中央都を守る兵はないから、楽にミリモスも行えるでしょうし」
第三の候補で決まりだと、カリノの表情が晴れやかなものに変わる。
しかし俺は、カリノの発言に気になる点があった。
「もしかして、ハータウトの全軍を集めて、ここに連れてきているんですか?」
「それはそうよ。だって、ミリモスの軍隊に最低限でも対抗するには、全軍を集めて数を揃えるしかないって言われたし」
「言われたって、誰にです?」
「ガンテによ。あちらもミリモスと戦うための準備があるからって、私と連絡を取り合っていたから」
その発言で、俺の頭に嫌な予感が走った。
カリノとガンテは双子の姉妹。それも生まれてから、殆どの時間を共に過ごしてきた間柄だ。
だからガンテは、自分がどんなことを言えばカリノがどう動くのかを、世界中の誰よりも詳しく知っているはずだ。
それこそ、カリノが戦争を行わずに俺に降伏しようとすることを、ガンテなら見抜いていてしかるべきだ。
「……交渉を一時中断しても?」
「あら、どうして? もう方針は決まったようなものじゃない?」
「確認したいことができたし、一度の交渉で終わったら、帝国が不審に思うかもしれません。明日、再び交渉という形にしましょう」
「そういうものかしら。明日も交渉するのなら、交渉旗は立てたままの方がいいのかしら?」
「そうしてください。交渉旗を立てている間は、戦争は起こりません。お互いが手を出さなかった場合は、ですけど」
「馬鹿な真似はさせないから、安心なさい。うちの兵士たちだって、死にたくて戦場にでてきているわけじゃないんだから、勝手に突撃したりはしないはずよ」
とりあえず、ここでの交渉は、ここで打ち切りにした。
カリノは交渉が上首尾に終わって、足取り軽くハータウトの陣営へ引き上げていった。
一方で俺は、確認しなければいけないことが出来たので、急いで自陣へと引き返した。
「ファミリス。二人で連れ立って、ある場所まで行きたい」
「交渉から帰ってきたと思ったら、いきなりですね。それで、どちらまで?」
「ハータウトの中央都。その近辺だよ」
「おや、近辺ということは、私たち二人で中央都を落とすというわけではないようですね」
「ああ。俺が懸念しているのは、フェロニャの兵士がハータウトの中央都付近にいないか、探ることだからね」
「……フェロニャの兵士が、ハータウトの内側に入り込んでいると?」
「フェロニャの領主であるガンテは、カリノのことを自分の一部だと思っている節がある人物なんだ。だからハータウトのこともフェロニャの一部だと考えて、兵を派遣する可能性が捨てきれない」
「はぁ。なんとも不思議な姉妹関係のようですね」
「俺もあの二人の関係を真には理解できていないけど、双子には双子にしかわからない関係があるんだって納得することにしている」
ともあれ、ガンテの思考と性格を考えると、カリノを囮にして俺を罠に嵌めようとしている可能性がある。
その可能性のあるなしを確かめるために、俺はファミリスと共に人馬一体の神聖術を使って、ハータウトの中央都付近へ偵察へ向かうことにしたのだった。