四百十七話 ハータウトの地へ
ロッチャの地は、ノネッテ合州国時代も鉄鋼技術が盛んだったが、帝国支配下においても同じだったらしく、多数の鉄鋼工場がある。
帝国の軍勢は俺たち――ノネッテ合州国の軍勢から逃げるように去ったので、かなりの物資が工場に残っていた。
まあ、鉄材は重たいから、撤退するときに持って行こうとしたら、その重量の所為で逃げ足が遅くなってしまう。だから置いていくしかなかったんだろうな。
ともあれ、帝国が生成してくれた鉄材が大量にあるし、工場に職人もいる。
それならと、俺の麾下の軍勢の装備を修復したり新調したりすることにした。
そして工場と職人を総動員することで、十日という早さで全軍の装備を整えることができた。
準備万端整えてから、俺はハータウトの地を目指して進軍を開始した。
全軍を突っ込みたいところだけど、ロッチャの地の上部と左部の帝国領との国境には備えが必要だ。大盾持ちと魔導鎧部隊は、それらの国境の備えに向かわせることにした。
大盾持ちと魔導鎧部隊は、俺の麾下の中でも最強の兵種なのに、どうして国境に置いたのか。
確かにハータウトの地に侵攻するために、魔導鎧部隊とその護衛役である大盾持ちは、実に有用だ。頼りになることだろう。
しかし領土防衛という点においても、彼らはとても使える存在だ。
むしろ、その防御力の高さを考えたら、防衛の方が侵攻よりも適性が高いといえる。
だから俺は、少ない手勢で国境を守るためにはその防御力が必要だと考えて、大盾持ちと魔導鎧部隊を国境の固守に当たらせた。
大盾持ちと魔導鎧部隊を欠いての進軍は不安だけど、やってやれないことはないはずだしね。
進軍を続けて、ハータウトの地に入り込んだ。
しかし、ハータウトの地を守ろうとする軍隊とは出会わなかった。
「国境を守らないと選択したからには、どこかの砦で籠城戦を狙っているのかな?」
俺が不可解な状況に対する予想を呟いていると、隣にいたファミリスがこちらに顔を向けてきた。
「これほどの軍隊を防ぎきる砦に、心当たりがありますか?」
「それが、ちっともないんだよね。昔にハータウトの地で戦ったことがあるけど、それほど強い砦はなかったよ。それにノネッテ国の一部になってからは、防衛する意味がないからと、砦の多くは取り壊しになったはずだしね」
「では、帝国が新たに砦を作った可能性が?」
「それはどうだろう。正直、この土地は帝国にとって良い土地じゃない。森林が多い土地だから、特産は材木と果物が主。帝国が堅持しておきたいと思うほどのものじゃないし」
木材は重く、果物は腐りやすい。どちらも運搬に不向きな商材だ。
他の場所で一切手に入らないなら、堅持することも分からないでもない。けれど、帝国の広大な土地の中に、材木や果物を産出する場所がないとは思えない。
それに帝国がこの土地を重要視していないという証拠が、実はある。
それは、ロッチャの地は帝国の代理人が直接治めていたのに、俺の姉であるカリノがハータウトの領主になっていることだ。
「ロッチャで作られた鉄は確実に欲しいからこそ、帝国は代理人を領主にした。しかしハータウトでは俺の姉が治めることを良しとした。それは代理人を立てて産物を確実に入手するよりも、ノネッテ王族を領主に立てることで住民を安堵させる事を優先してのことだろうね」
「だから、帝国の立場から考えれば、この土地を死守することはあり得ないと?」
「俺が帝国を主導する立場なら、ハータウトに戦力を置くぐらいなら、一兵でも多くを前線に置くかな。どれほど多くの土地を失っても、最終的にノネッテ合州国を攻め滅ぼすことが出来さえすれば、後は帝国が大陸統一を果たせるしね」
「例え手足を斬り取られようと、先に相手の首や心臓を取れば勝ちになる、ということですね」
ファミリスが物騒な例を口走りながら、納得したとばかりに頷く。
的確な例えではあるけど、もう少し柔らかい表現にしてほしいなと、俺はついそんなことを考えてしまった。
ハータウトの地を進軍し続けているが、いまのところ目立った抵抗はない。
このままだと、ハータウトの中央都に到着してしまうんじゃないか。
そんなことを思いかけた時期に、ようやくハータウトの軍隊らしき者たちが、俺たちが進んでいる道の前に立ちはだかっていると、先行偵察が発見した。
そう、道の前――つまり野戦を行おうとしているわけだ。
「籠城戦じゃなくて、野戦を選択する。しかも、見るからに帝国の正規兵じゃないし、数も俺たちより少ない。どうなっているんだ?」
兵法上あり得ない状況に、俺は首を傾げてしまう。
立ちはだかっている存在が、帝国の正規兵じゃないことは、事前の予想内ではある。
しかし、普通野戦を選択するからには、相手より多いか少なくとも同数の兵力を持っているべき。仮に兵数が少ない場合は、砦という陣地の防御力を生かす籠城戦が定石だ。
ハータウトの軍勢と思わしき者たちは、その定石を無視するかのように、こちらより兵数が少ないにも関わらず野戦を仕掛けようとしている。
「訳が分からない。けど、理由を無理やりつけるとしたら、こちらを打ち負かすほどの策やら罠やらを用意しているってことになるんだけど……」
ハータウトは森林が多い土地で、俺たちがいる場所にも遠くを見通せないぐらいには木々がある。
この木々を利用した戦法を使えば、野戦で多少なりとも戦えなくはないだろう。
けど――木々を倒して俺たちにぶつけようとするのなら、この場所の近くにある木々に切れ目を入れる必要がある。しかし、そんな切れ目を持つ木は、どこにもない。丸太を利用した振り子罠を作成しているかを確認するけど、振り子の支えになるロープが木に括りつけられている様子はない。
その他、色々な罠の可能性を考えていくけど、そのどれもの兆候は見えない。
念のために周囲を偵察兵に探らせたが、罠どころか敵側が偵察を出している様子すらないと報告が上がってくる。
「本当に戦う気があるのか?」
疑問に思いつつも、兵を前に進ませることにした。この場に留まっていても、時間の浪費にしかならないしね。
そうして先行偵察が発見した通りに、道を塞ぐ形で布陣するハータウトの軍勢らしき人物たちが見えてきた。
俺たちは一定距離を開けて止まると、この場所に応じた陣形へと移行する。
そうして、すっかりと開戦の準備が整ったところで、ハータウトの軍勢の方に新たな動きが現れた。
とある人物が一人、軍勢の先頭へと進み出てきたのだ。
その人物の姿を見て、俺は目を丸くし、そして眉を顰めた。
なぜなら、軍勢の先頭へと出てきた人物は、戦場に似つかわしくないドレス姿の女性だったからだ。
もっと言ってしまえば、その化粧っ気の強い顔の目鼻の配置が、俺が記憶している人物に似通っていたからだ。
ドレス姿の女性は、ハータウトの軍勢の先頭で仁王立ちすると、やおら片手を大きく上に上げた。次の瞬間、ハータウトの軍勢のいたる場所から、旗が何本も立ち上がった。
それは『交渉旗』と呼ばれる、戦場での話し合いを求めるための旗だ。
その旗が多数はためいたのを見てから、ドレス姿の女性が大声を張り上げる。
「ハータウト領の領主たる私――カリノ・ノネッテが、私の弟であるミリモス・ノネッテに話し合いを申し込みますわ!」
やっぱりあの女性はカリノだったなと、それと話し合いだってと、俺は自分の表情が苦み走った者に変わったことを自覚したのだった。