閑話 ロッチャ国の本隊、侵攻中
ロッチャ国の軍は、ノネッテ国に入ってから、しばらくは安全に行軍できていた。
しかし少ししてから、魔物の群れの襲撃が何度か起こり、その後でノネッテ国の軍による野伏戦法が始まった。
「魔物のことは不運としても、ノネッテ国の反応が早すぎる。まさか、先遣隊が囮だということが、すでに露見していたのか……」
敵の指揮官は優れもののようだ。
そうでなければ、この地にノネッテ国の軍勢が現れるはずがない。
なにせ相手は千を切る数の兵数しかいない。万を数えるロッチャ国の軍を押し止めようとするなら、全軍で一ヶ所に防衛線を張るしかないのだ。
その一ヶ所を国境の山にするべく、先遣隊を囮に使ったというのに、今日奇襲を受けた。
それも、部隊を三つに分け、前方から襲ってきた部隊にこちらの目を集中している隙に、隊列の中ほどと輸送隊を襲撃してきた。物資は焼かれ、さらには奪われもしている。こちらの反応が鈍かった分を差し引いても、手練れの兵に間違いない。
そんな虎の子の兵が、国境の山ではなく、ノネッテ国の国内にいるのだから、敵はこちらの目論見を看破していると分析できる。
さらには問題が一つある。
我が軍に多大な被害を与えてくる、敵が使う不思議な剣についてだ。
「松明のように剣の先が光る剣が、鉄の鎧を貫き通したと?」
「鎧だけでなく、構えた盾を貫き、さらには鎧までもを貫いたんです!」
自分は報告に半信半疑であったが、細い杭を打ち込まれたような穴がある実物を見せられては、納得せざるを得なかった。
だが不可思議な剣の不思議な点は続く。
「あの光る剣を折った者が、剣の折れた先を回収したというが。これがその剣なのか?」
「そのはずなのですが、何度調べても素材が青銅で、鉄の鎧を貫通することが出来るとは……」
折れた先の剣身は、突き刺すことだけを主眼にした特殊な剣であることをうかがわせた。しかし――
「――この剣先を実際に鎧に突き刺してはみたのか?」
「試しましたが、この通りに剣先が潰れてしまう結果に終わりました」
「それは剣先が光っている状態でか? それとも消えていてか?」
「折れたときに光は消えてしまったと、件の兵士が……」
「であれば、光っていることこそが重要なのだろうな」
そう判断を下した瞬間、自分の脳裏に帝国の一等執政官の言葉が甦った。
『魔法を発動する剣や槍、そして魔法効果を増幅させる杖を作ることができますか?』
帝国以外の国が作れるはずがないだろうと、あのときは思った。
しかし目の前にあるこの不思議な形状の剣は、まさしくその魔法の剣ではないか。
そして洗練されていないこの形状と、素材が青銅という点から察するに、この剣はノネッテ国が独自に作り上げた魔法の武器である可能性が高い。
「なるほど。帝国が、我が国を価値なしと判断するわけだ」
「将軍?」
「なんでもない」
特殊な剣のことはわかった。それが、ノネッテ国軍に多数配備されている事実も。
そして、ノネッテ国側が使ってくる戦法も、判明している。
「対応できないはずがない」
そう考えて、自分は部下たちにノネッテ国軍の武器のこと、そして戦法を伝え、警戒するようにと告げた。
これが悪手であると気づかないままに。
ノネッテ国軍の第二波は、第一波と同じく唐突に始まった。
知らぬうちに接近され、襲われた場所からは悲鳴が上がっている。
「灯り持ちが来たぞ! 盾を構えろ!」
「来るな、来るんじゃねえ!」
自慢の鎧が通じない相手だからか、兵士たちは怯えた声を出し、盾持ちを中心に戦いを展開しようとしている。
少々怯えすぎだが、挽回は可能だ。
「連中はすぐに逃げる。襲われた場所の周囲の兵たちは援護に向かえ」
自分の命令が伝わったはずだが、兵たちの動きは鈍い。
「早く動け!」
再度命令を下すが、動きは鈍いままだ。
そうこうしている間に、ノネッテ国軍は逃げていく。そして残されるのは、死亡していたり痛みに呻く兵士たちと、彼らの姿を見て襲われなかったことに安堵する仲間たちだ。
この態度は叱責せねばならない。
「どうして仲間の救援に駆け付けなかった! お前らはみすみす仲間を見殺しにしたんだぞ!」
自分が大声で叱責すると、動きが鈍かった兵士たちがそっと目を逸らす。
彼ら自身、悪いことをしているという気持ちがあった証拠だ。
さらに糾弾しようとしたところ、周りの隊長たちに止められてしまう。
「将軍、落ち着いて。ここは敵地ですよ。行軍を止めてまで、言い争っている場合ではありません」
「お叱りの続きは、次の小休止のときに改めるということで。そのときは、お手伝いいたしますから」
直々の上官がかばってくれたことに、兵士たちは安堵の表情を浮かべている。
自分は思わず激高しかけたが、隊長たちの面子に免じて、堪えることにした。
「進むぞ!」
この自分の命令には、兵士たちが素早く反応する。この地点から早く去りたいと考えているようだ。
その姿を見て、我が国の軍は勇猛果敢として知られていたはずなのに、どうしてこんな情けない姿に堕ちているのだと嘆きたくなる。
「硬い鎧に身を守られている安心感があってこその、偽りの勇猛さだったということか」
猛獣の群れであると信じていた部下たちは、化けの皮を剥がせば硬いだけの小物たちだった。
いや、硬い鎧を頼りに長く戦ってきたからこそ、自分の身の安全が確保できない状態だと戦えない腑抜けになってしまったのか。
いやいや、帝国の隣国となり、事実上の属国に堕ちた瞬間から、負け犬根性が染みついてしまったのか。
なにはともあれ、この烏合の衆と化しつつある戦力で、ノネッテ国を攻め落とさなければならない。
幸いにして数は多い。そして相手側の数は少なく、戦術は一撃離脱戦法なため、被害もさほど大きくはない。
七千人の兵士の内、千人程度の犠牲を覚悟すれば、この森を抜けられるはずだ。
三日間、朝も夜もなく襲ってくるノネッテ国軍のお陰で、我が軍の兵士たちの士気は挫かれていた。
いまでは、『ノネッテの灯りの剣』が見えただけで、兵士たちが震え上がるほどで、仲間の援護に向かおうという気構えは消え失せていた。
このとき、ノネッテ国軍が一撃離脱ではなく身命を賭して襲ってきたのなら、我が軍は壊滅的な被害を受けてしまうことだろう。
しかし、ノネッテ国軍側も被害があるからか、相変わらず一撃離脱戦法に終始している。
いや、短時間戦って去っていくため、こちらの指揮の低下を知られていないという可能性もあるか。
ここで、木に登って周囲を見回した兵士から、あと一日進めば森を抜けられるという報告がきて、自分は博打にでた。
「三列から五列の縦隊に組み換え、輸送隊は中央に配置する。そして兵士たちは中央の部隊に全ての鎧を預けて、森の中を進む」
この自分の命令に、部下たちは難色をしめしたが、言いくるめる。
「敵の剣は鎧を貫いてくる。無用の長物であるのだから、着ていても仕方がない。であれば、少しでも身軽になることで、森を早く抜け、敵襲に素早く反応するほうが命の危険が少なくなる。そうは思わないか?」
不安感を滲ませる部下たちに、さらに言葉を続ける。
「敵側の指揮官は有能だ。我々の姿が変化しているところを見せれば、警戒して近づいてこない。せいぜい投石で嫌がらせをしてくるだけだろう。投石ならば、兜と盾さえあれば致命傷にはならない」
自分の説得を、兵士たちは消極的な態度で受け入れた。
全部隊の鎧が輸送隊――運ぶ人数が足りないため力自慢の兵士を輸送隊に臨時編入させた――に積み、五列縦隊で移動を開始する。
森に潜むノネッテ国軍への怯えと、鎧を脱いで動きやすくなったことで、行軍速度が上がる。
この調子なら、一日と言わず、半日で森を抜けられそうだ。
だが、そこまでこちらの思惑通りにはならない。
やはり、ノネッテ国の指揮官は有能で、こちらが森にいる間に最後の攻撃を仕掛けてきた。
同時に、相手の指揮官は、自分が想定したまさにその通りの有能具合であった。
こちらが意味深に鎧を脱ぎ、五列縦隊で進んでいる姿を見て、いままでのような一撃離脱戦法ではなく、投石攻撃という安全策に出てきたのだ。
大軍に寡兵で挑むには、味方の損害を極力抑えなければならない。ましてや、ここは最終決戦の場ではない。であれば、相手の不可思議な行動に乗って無茶をするのではなく、味方に被害を出さない戦法を選択しなくてはいけない。
そんな真っ当な判断を出来る敵の有能さが、ここにきて我が軍に有利に働いている。
さて、このまま投石を防ぎ続ければ、相手は逃げていくことだろう。
しかしそれでは、こちら側の士気は挫けたまま。この後でノネッテ国の王城で決戦を行うのだから、ここで少しでも士気を戻しておきたいところだ。
自分はその方策を考えていて、ふと視界の中に相手側の部隊にいる異質な者が目に入る。
それは子供だった。上等な剣を振って、周囲に命令を飛ばしている様子に見えた。隣には、補佐役なのか、老爺が付き従っている。
「あれが指揮官か?」
実質的には、あの子供ではなく、あの老爺が指揮官なのだろう。
そして二人の姿を見て、必勝の策を思いついた。
やるべきか一瞬迷ったが、ノネッテ国軍が引き上げる素振りを見て、実行に踏み切った。
「自分の名は、ドゥルバ・アダトム! ロッチャ国の総軍を任された大将である! そちら、ノネッテ国の軍隊とお見受けする! そちらの指揮官と、この場で一騎打ちを所望する次第である!」
戦場の仕来り通りの一騎打ちの誘い。
こちらが言葉を放った瞬間、やはりあの老爺と子供が立ち止まった。これで相手側が一騎打ちで出るのは、あの二人のどちらかだと確定した。
なにせ、指揮官ならば、一騎打ちの誘いから逃げることはできない。決闘を逃げた卑怯者の誹りを受け、ひいてはあの騎士国に悪の国認定を受けることになるのだから。
であるなら、恐らく決闘に出てくるのは、敵軍の実質的な指揮官である、あの老爺だろう。
対するロッチャ国軍の代表は、自分が出る。精力溢れる年齢と充実した体躯を持って、老爺があの『灯りの剣』を所持していようと、打ち倒す自信がある。
そして実質の指揮官である老爺を殺してしまえば、ノネッテ国軍の指揮系統は確実に乱れる。
逆にこちらは、相手の指揮官を倒したことで、兵士たちの士気向上が見込める。
これはまさに、多量の利点がみこめるうえに、こちら側の勝ちが決まったも同然の決闘だった。
自分が余裕の態度で相手の返礼を待っていると、相手側は老爺――を押しのけて、子供が口上を上げる。
「返礼する。僕の名前は、ミリモス・ノネッテ! ノネッテ国の軍を束ねる元帥であると同時に、この名が表すようにノネッテ王家の王子の一人! ノネッテ国の威信を背負い、一騎打ちの申し込みを受けよう! さあ、尋常に勝負といこう!!」
……実質的な指揮官を守るために、従軍していた王子を差し出してくるとは、自分は思いもよらなかった。
しかし、相手側が打てる手の中で、一番有効な手であるとも言えた。
こちらが「老爺こそが指揮官」と主張しても、相手は「王子である僕こそが最高責任者」と返せば、こちらは言い返すことができない。なにせノネッテ国の頂点はノネッテ王家であることは、まぎれもない事実なのだから。
思わず唸ってしまうほど予想外の一手だったが、むしろ相手側が一騎打ちに勝つ目は、これで完全に潰えたとも言えた。
見る限り、ミリモス王子は十歳をわずかに超えた少年だ。
対する自分は、長年兵士として鍛えてきた肉体を持つ大人。
一騎打ちの勝敗など、目に見えたも同然なのだから。