四百十五話 素直な撤退
俺とファミリスが鉄箱の相手をしていると、帝国の兵士たちに新たな動きが現れた。
俺とファミリスに鉄箱たちがいる場所を目指して、前線の帝国の兵士たちが戻ってきたのだ。
それだけじゃない。鉄箱と入れ替わりで下がった帝国の魔法使いたちが、新たに魔法を唱え始めていた。
「このままじゃ、包囲されちゃうな」
このまま帝国の兵士たちに囲まれてしまうと、俺とファミリスに激しい攻撃が来ることは間違いない。
であるなら、包囲が完成する前に脱出する方が賢明な判断といえる。
脱出の方向は二つ。
一つは、味方のいる後方へと引き返すこと。
もう一つは、このまま帝国の陣地の最後方へと駆け抜けて突破すること。
真っ当に考えれば、引き返すことが普通だ。
けれど俺とファミリスなら、無茶を通して、帝国の陣地の奥底を突き抜けることは十分に可能だろう。
一秒も判断を考えて、俺は引き返すことを選択することにした。
「ファミリス、戻るよ。ここまで遠くにいると、味方が心配するだろうからね」
「もう少し戦果が欲しいところですが、ここは帝国の陣形を崩すことが出来たことに満足するべきですね」
俺とファミリスは、同時に乗馬の頭の向きを翻すと、一目散にノネッテ合州国の軍勢がいる方向へ駆け出した。
俺たちが戻ってくるとは考えていなかったのか、前線からこちらに向かいつつあった帝国の兵士たちが泡を食った顔で武器を構えている。
行き掛けの駄賃だ。俺は、大して迎撃の準備が整っていない帝国の兵士を数人、剣で斬りつけて怪我を負わしながら、突破する。
ファミリスの方は、もっと豪快だ。人馬一体の神聖術を強め、ネロテオラで力任せに帝国の兵士たちを轢いて弾き飛ばしていっている。
こうして俺たちは、帝国の兵士たちの群れを突破し終え、ロッチャ兵士たちの戦列を乗り越えたノネッテ合州国の軍勢に合流した。
「戻った! 被害は!?」
俺の問いかけに、返ってきたのは非難混じりの半目だった。
「ミリモス様。総大将が最前線で孤立するなど、なにをお考えか!」
魔導鎧部隊の隊長に怒られ、俺は肩をすぼめる。
「仕方がないだろ。場の流れと状況的に、ああすることが最善だったんだからさ」
俺の言い訳は、俺が無事に帰ってきたこととある程度の戦果を上げていることから、隊長に通じた。
「まったくもう――こちらの被害は、ほぼありません。ロッチャの兵士たちは、やられたフリをしてくれましたので」
隊長の言葉を受けて視線を向けると、ノネッテ合州国の軍勢の向こう側の地面に、ロッチャ兵士が死屍累々の様子で倒れている。
しかし、戦場の死体から臭うはずの血臭は感じないな。
「やられたフリって、まともに戦ってないってこと?」
「連中、なにやら事情があるようで。様子から察するに、無理矢理に帝国に動員されたようで、戦意はあまりなかったので」
「それなら素直に投降すればいいのに」
「投降する姿を見られたら、家族が帝国に害されるとでも思っているのではないかと」
家族を人質にして、無理矢理に言うことを聞かせたということか。
その隊長の予想に納得しかけて、帝国がそんな手を使うかなと疑問に思った。
人質を使って言うことを聞かせることは、それなりに有効な手ではある。
しかし、それは一度ないし数度だけ言うことを聞かせる場合ならだ。
人質を用いた要求をした場合、要求された側には不満が溜まる。その不満が溜まりに溜まれば、ふとした拍子に爆発したり、人質を奪還しようとする動きも生まれるだろう。それに、あまりに要求されれば、人質のことを『負債』だと判断して斬り捨てる者も出てきかねないしね。
つまるところ帝国は、ロッチャ兵士を戦場で運用することは、この戦いの一回だけだと思っている節があるわけだ。
そう考えれば、ロッチャ兵士ごとノネッテ合州国の軍勢を魔法で爆撃することは、筋が通っていると言える。
どうせ今回の戦場での使いきりなら、損害を考えずに使い潰したっていいのだから。
「いや、待てよ……」
ロッチャ兵士を大量に死なせれば、ロッチャの地にいる民からの反発は免れない。
民の不満を軍事力で黙らせることはできるが、そんな無駄な労力を割くほど帝国に遊ばせておく戦力があるとは思えない。
となると、ロッチャ兵士を大量に失い、ロッチャの民から不満を持たれても、帝国は構わないと思っていると考えるべきだろう。
これほどロッチャの人員をないがしろにする方法をとるということは――
「――帝国は最初から、ロッチャを捨て石にする気だったのか」
その俺の結論を補強するかのように、伝令が近づいてきた。
「報告します! 部隊の再編が整いました! それと帝国に動きがあり、どうやら戦場から撤退する様子です!」
「帝国が撤退だって!?」
「はい、間違いありません。ミリモス様たちが抜け出た直後から、順々に後方へと下がっています!」
報告を受けて目を帝国の陣形へ向けると、後衛の魔法使いたちが背を向けて逃げていて、前線の兵士たちはこちらを警戒する素振りを保ったまま後退を続けていた。
なるほど、確かに撤退の様相だな。
「帝国が負った被害は、どれぐらいかわかるか?」
俺が問いかけると、伝令は悩んだ顔つきになる。
「確かな数字ではなく印象ですが、帝国の損害はとても軽微かと。帝国が失ったものは、ロッチャの兵士たち、鳥型の魔導具が百ほど、後はミリモス様たちが倒された兵士や鉄箱でしょうから」
一万人は越えているであろう帝国の軍隊に比して考えたら、確かに軽微といえる損害だった。
まだまだ十二分に戦える戦力を残しているのに、帝国は撤退を開始している。
不可解な事態だが、帝国がこの戦争で持っていた目標を達成したと考えれば、理解できないことではないな。
「ロッチャの民と土地を賭け金に払って、こちらの戦力と戦法の見極めようとした、ってところかな」
順当に考えるのなら、これが帝国の目的だろう。
しかし、帝国がノネッテ合州国の軍勢の情報を得られたかというと、疑問が残る。
なにせ俺とファミリスが無茶やって、真っ当な戦争にならなかったからね。
「いや、俺とファミリスの実力の程がしれたから、賭け金を失っても十二分に元が取れたと判断したとか?」
なににせよ、帝国は戦場から撤退する様だ。
ここは追撃と行きたいところだけど、やられたフリで地面に倒れているロッチャ兵士が大量に居る。彼らをこの場に残して行くのは、少し拙い。
一応は降伏してくれているようだけど、ちゃんと捕虜として捕まえておかないと、ノネッテ合州国の軍勢の背後から攻めてくる可能性が残ってしまう。
「仕方がない。ロッチャ兵士たちを捕まえて、連行するよ。彼らはロッチャの町に押し付ければ、勝手に自分の家に帰ってくれるだろうから、そこまで連れて行く」
ロッチャ兵士をノネッテ合州国の軍勢に組み込むことも考えたけど、大して連携のとれない味方を作っても負担になるだけだ。
それに ロッチャの地はロッチャ兵士の故郷だ。路銀と食料さえ渡せば、兵士たちは夜盗に堕ちることもなく、自分の家に戻るはずだしね。
「それにしても、帝国はどこまで引く気かな」
その俺の疑問は、捕らえたロッチャ兵士を町の付近で解散させたときに分かることになった。
帝国は全ての勢力をロッチャの力引き上げ、帝国領土の更に内側へと向かっていったらしい。
完全撤退――とはいえ、それあくまでもロッチャの地だけのこと。
ロッチャの地に隣接する、ノネッテ本国の地と、ハータウト州だった地には、帝国の軍勢が残っているという。
ノネッテ本国の地はサルカジモが、ハータウト州とその先のフェロニャ州の地にはガンテとカリノが治めていると聞く。
つまり次の戦場は、俺が今生の兄と姉と戦うことになることは疑いようがない事実だった。