四百八話 変性
アレクテムの葬式が終わった。
ノネッテ本国式の葬式は火葬だ。山間の国だったので、森林が多くて薪が豊富。その代わりに土地が狭かったので墓地を作るスペースがない。それらの要因から、自然と死体を焼いて灰にして、山林に撒くという葬式の様式が確立したらしい。
そのため、葬式が終わった後のアレクテムは、壷の中に入れられた砕けた骨と灰の集まりになった。
後は伝統に従って山林に遺灰を撒かなければいけないのだけど、今回は見送られることになった。
アレクテムが生まれ育ったのはノネッテ本国だ。遺灰を撒くのは、ノネッテ本国を帝国から取り返した後で、ノネッテ本国の山林に撒きたい。
そう願ったのは、実は俺じゃない。俺の父親である、チョレックスだった。
「アレクテム。待っておれよ」
チョレックスは、骨壺を撫でつつ語りかける。その容姿は、長年の忠臣であったアレクテムを失ったあたりから、白髪と皺が増えて一気に老け込んでいる。
それこそ、骨壺に語りかけている姿を傍から見ると、健忘症が始まった老人のように見えてしまうぐらいにだ。
「父上。帝国と雌雄を決する戦争は、五年も後なんですよ。五年も、アレクテムを狭い壷の中に押し込んでおくつもりですか」
「仕方がなかろう。アレクテムとて、こんな生まれも育ってもいない土地に、終世の灰を撒かれたいとは思わんはずだ」
チョレックスは、口ではアレクテムのことを思っているように語っている。
けれど、俺は直感していた。
チョレックスこそが、ノネッテ本国を帝国に奪い取られたことを気に病んでいるんだと。
アレクテムの遺灰は、チョレックスがノネッテ本国を欲する気持ちを代弁するために、良いように使われてしまっているのだと。
アレクテムの遺灰を自分勝手な理由で使うなと、ここで俺がアレクテムの遺灰を奪い取り、勝手にルーナッド州の山林に撒いてしまうことはできる。
しかし変にチョレックスと仲違いすると、国内の状勢に不安が生じることになる。
例えば、チョレックスが怒りで気が触れて声高に帝国への反感を煽った場合、国を失った王への道場から、民の好戦気分が高まることになる。
五年後に起こることが決まっている戦争への気運が高まることは良いことだと、つい思いがちだ。しかし、戦争が始まるまで五年も時間がある。初っ端に戦争の気運が高まった場合、高まった状態を高止まりし続けることを五年間も維持しないといけなくなることに繋がる。
人々の熱を高く保つことは、かなりの難事だ。それこそ、事あるごとに扇動を繰り返さなくてはいけなくなる。
そして人々の熱気が高止まりし続けることは、何らかの騒動に繋がることが考えられる。帝国憎しの情熱に突き動かされて、つい帝国へ誹謗中傷を送りつけたり、つい帝国の領土を踏み荒らそうと計画したりする可能性がある。
そんな帝国に利する行動は、察知次第に潰さなければいけない。
帝国との戦争の準備に忙しいのに、自国民が起こす騒動の火消しまでしなければいけなくなったら、作業量がパンクしてしまう。
だから俺としては、戦争の気運の高まりは、戦争が始まる直前が最高潮になるようにしたいと思っている。
その方が、人々の統治が楽だし、好戦気分を維持するコストも抑えることができるからね。
以上のことから、アレクテムの遺灰についてはチョレックスの好きにさせるように決めた。
死んだアレクテムには悪いとは思うけど、最後の奉公だと思って我慢してもらうことにした。
死後にも働かせるのかと、文句言われそうだけどね。
チョレックスが嫌な方向に老け込んだことを危惧したのは、実は俺だけじゃない。
俺の子供たちの教育係である、ファミリスもまた、チョレックスのことを疎んじていた。
「死した者の遺灰に拘る者など、子供の教育に悪影響を及ぼします」
そう宣言し、俺の子供たちがチョレックスと関わることを禁じてしまった。
孫と遊べなくなり、チョレックスはより一層ノネッテ本国とアレクテムの遺灰に執着するようになっていった。
その執着は悪いものだと分かっているけど、どう止めさせたらいいか、俺には思いつかない。
だから仕方がないと諦めて、チョレックスのことは放置することにした。
しかし無責任に放置するわけじゃない。チョレックスが変な企みを起こさないよう、悪い場所や人と繋がらない防壁の代わりに、俺が世話人を用意した。
世話人たちは、表向きはチョレックスに迎合するような態度を取らせるが、実は俺の命令がなければチョレックスに一切の便宜を行わないようにしている。
いわば、飼い殺しとか、籠の鳥なんて表現される立場に、俺は自分の父親を置くことにしたわけだ。
「はぁ~。必要な措置とはいえ、どんどんと自分が人でなしになっていっている気がする」
俺は自責の念から気分が落ち込むが、五年後の帝国の戦争のためにと気分を持ち上げることで、執務の続きを行うことにした。
帝国とノネッテ合州国との情報戦は、相変わらず一進一退のせめぎ合いだ。
どちらの国も、戦争に影響のある情報は得られていない。
しかし情報とは漏れ出てくるものだ。
それこそ、力を入れて隠そうとしていない部分に関しては、簡単に漏れ聞こえてくる。
そのどうしても漏れてしまう情報について、俺は――ノネッテ合州国では、取捨選択して問題がないと判断した情報をあえて流すことにしていた。
もし仮に、帝国の渡ってしまったら拙い情報が漏れたとしても、問題のない大量の情報を流すことで、拙い情報を薄めたり流したりするためだ。
一方で帝国はというと、ノネッテ合州国とは違い、漏れてはいけない情報のみを確実に囲い込む方向に情報統制をしているようだった。
どうして俺がそう感じたかというと、帝国の中枢部の情報は一切入ってこないのに、帝国の他の地域の情報はあっさりと手に入ってしまうからだ。
そして、あっさりと手に入る帝国の情報の中に、先の戦争で奪い取られた、ノネッテ本国、ロッチャ州、ハータウト州、フェロニャ州のことが含まれていた。
その情報を精査した後、情報を持ってきた人に、俺は命令することにした。
「この情報。チョレックス――父上に伝えて」
「いいのですか?」
「構わないよ。失っってしまった国土の状勢は、父上も気がかりだったろうからね」
俺があっさりと許可を出すと、文官は一礼して下がっていった。
あの文官は抜け目ない人だから、変に俺に睨まれないよう、情報をチョレックスの世話人に渡すだけに済ませるだろうな。
そんな予想をしていると、横から視線が来ていることに気付く。
ホネスとジヴェルデの視線だ。
「二人とも、どんな情報だったか気になるかい?」
「それはもう。生まれ故郷のことですし」
「あなたの事ですから、本当に渡して大丈夫な情報なのでしょうけれど、親子の情が働いていないか情報かを確認したいと思っていますわ」
二人それぞれの意見に、俺は苦笑しながら、得た情報を簡単にまとめた説明をすることにした。
「奪われた三地域に領主が立ったんだよ。その領主たちは、俺の兄と姉だ」
「センパイのお兄さんとお姉さんが、ですか?」
「以前支配していた者の親類を新たな領主に据えるのは常套手段ですわ。でも、フッテーロ様を帝国が再利用するはずはないですわよね?」
二人とも、俺の兄と姉の誰が領主になったのか分かっていないようだった。
「ノネッテ本国の土地の領主は、サルカジモ兄上が。ハータウト州が、ガンテ姉上。フェロニャ州がカリノ姉上だよ。ロッチャ州だけは、俺が統治していた土地だからか、帝国の一等執政官が領主になったようだ。先の戦争で俺と騎士国で会話した、セープス・セフィエッツ一等執政官だってさ」
俺の説明に、ホネスもジヴェルデも『ああ、そんな人たちがいたな』といった顔になる。
いやまあ二人とも、俺の兄姉と例の一等執政官と面識がないだろうから、そういう反応になるのは仕方がないけどね。
「ともあれ、奪われたノネッテ合州国の土地の領主が自分の息子や娘だと分かれば、チョレックス父上も安心するだろ。だから情報を渡していいって言ったんだよ」
「なるほど、それはそうですね」
「自分の子供が領主だからと手紙を出しそうなものですわよ――って、チョレックス様の世話役は、貴方の息がかかった者たちでしたわね。なら、チョレックス様の手紙が届くはずがありませんわね」
二人とも俺の説明に納得して、それぞれ執務の続きに戻っていった。
俺も執務に戻りながら、あの情報でチョレックスが気持ちが上向いたり正気に戻ったりしてくれればいいのだけどと、ちょっとした期待を抱いていたのだった。