四百七話 開通/訃報
帝国と休戦が決まってから半年が経過。
この日、ようやくカヴァロ州とスポザート州を結ぶトンネルが開通した。
作業員および簡易魔導鎧や円匙の魔導具を大量投入しての大事業だったのだけど、山脈を貫くトンネルだったため、かなりの時間が必要になってしまった。
ともあれ、トンネルが開通したことで、飛び地となっていたスポザート州とアンビトース州に支援物資を送ることができるようになった。
早速、可能な限りの物資を積んだ輜重部隊がトンネルを通って向かわせた。
けれど、スポザート州もアンビトース州も元は一つの国だった場所だ。砂漠という厳しい環境下であろうと、特に困窮している様子は無かったと、輜重部隊から報告があがってきた。
このように物資に関しては余り必要なかったようだけど、スポザート州とアンビトース州の民はトンネルの開通自体は喜んでくれたとも報告がある。
砂漠に囲まれている上に、帝国に睨まれているという状況は、民たちは不安を感じていた。しかしトンネルが開通し、いざとなればノネッテ合州国の軍隊が救援に来る体勢が整ったことで、心の底から安心することができるようになったというわけだ。
このトンネル、スポザート州とアンビトース州を助けるために作ったものだけど、実を言うと目的はそれだけじゃない。
五年後、帝国との戦争になった際、アンビトース州から軍隊を進めて帝国を叩くことに使うことに使おうとしている。
アンビトース州は、砂漠にある小さな州だ。砂漠で作物も水も満足に採れないため、兵数は少ない。それこそ、帝国の立場で考えれば、守備隊を一部隊備えに置いておけば問題はないと見るほどに、取るに足りない場所だ。
そんな場所から、もし一万人のノネッテ合州国の軍隊が攻めてきたら、どうなるだろう。
ロクな備えもないだろうから、帝国の守備隊をノネッテ合州国の軍隊が打ち負かすことは簡単なはずだ。
そしてアンビトース州の方面から帝国を叩くことに成功すれば、帝国は新たに軍隊を組織して対応しなければならなくなり、結果的にドゥルバ将軍率いる旧騎士国領土から進出するノネッテ合州国の別の軍隊を手助けすることになる。
そして、もし逆に帝国が、五年後の戦争でアンビトース州を攻めてきた場合――戦略上意味のないことなのであり得ないとは思うけど――、トンネルはスポザート州とアンビトース州の有力者たちの逃走経路として使うことができる。
つまるところ、トンネル一つを開通させただけで、色々と戦略の幅が広がったということだ。
トンネル開通で、ノネッテ合州国の状況が更に一段落ついた。
そのことに肩の荷が下りたような心持ちでいると、バタバタと足音を立てて執務室に近づいてくる者がきた。
余りにも急いでいる足音だ。またぞろ帝国がらみの情報が届いたんだろうか。
嫌な予感を受けながら待っていると、執務室に現れたのは、意外なことのファミリスだった。それも、今まで見たことのないぐらいに、大焦りの表情で。
「ミリモス王子、大変です!」
俺への呼びかけが『王子』に戻っているあたり、本当に緊急事態のようだ。
しかしファミリスがここまで慌てる姿を見るに、なんとなく帝国とは無関係じゃないかなと感づいた。
そして帝国以外にファミリスが慌てるとなると、可能性は限られる。
「もしかして、子供たちに何か不都合が起きたのか?!」
俺が懸念を含ませた声で問いかけると、ファミリスは首を横に振った。
「いえ、子供たちは全員健やかです。病気の様子は一切ありません」
「それなら、どうしてファミリスは焦って来たんだ?」
「大変なのは子供たちではありません! アレクテム殿です!」
俺の守役だったアレクテムは、寄る年波からノネッテ本国からルーナッド州へと移り住み、俺の子供たちの相手をするお爺ちゃんとして老後の日々を送っていた。
もうかなりの年齢だ。
年齢を考慮しながらファミリスの慌てぶりを見れば、どういう意味なのかを悟るのは難しくなかった。
「アレクテムはどこに?」
「……中庭の傍の、揺り椅子の上に」
場所を聞いて、俺は直ぐに執務室を出た。
俺の視界の端では、ホネスも席から立ち上がってジヴェルデに引き継ぎをお願いしている。ホネスは兵士上がりのだから、アレクテムと面識がある。俺とファミリスの話を聞いて、居ても立っても居られなくなったんだろう。
俺はホネスと連れ立って、中庭のある場所へと進んでいく。
道の途中、パルベラが子供たちを連れているところに出くわした。中庭から自室へと戻る途中のようだ。
「ミリモスくん」
「ああ、ファミリスから聞いたよ。子供たちのことは任せる」
短く言葉を交わして、俺はさらに中庭へと足を進ませる。
そして程なくして、中庭が見える場所へと来た。
視線を巡らせば、直ぐに揺り椅子に座る老人の姿が目に入った。
緩やかな日差しの下、アレクテムは薄手の毛布を膝にかけて、椅子の背もたれに体重を預け、目を閉じていた。
俺は近づいていく。普段のアレクテムなら、兵士として身についた習性から、すぐに起きたものだった。しかし今日は、目を閉じたまま。
更に近づけば、アレクテムの息遣いがないことが、動いていない胸元と寝息の音がないことから分かってしまう。
近づき終わり、アレクテムの首筋に指先を触れさせる。日差しの下にいるからだろう、皮膚は少し暖かかった。しかし、生きている者が発するほどの熱はない。生きている者なら必ずある、脈動も俺の指には感じない。
「センパイ?」
ホネスが顔を青ざめさせながら腕にすがってきたので、俺は首を横に振ることで答えを帰した。
その瞬間、ホネスの目からボロボロと涙が零れ落ちた。そして俺の肩に顔を押し付けるようにしながら、泣き始めた。
俺はホネスの頭を抱えるようにして宥めながら、自然と視線が上へと向かった。
どうして上を向いているのか。
アレクテムが死んだ姿を見たくなかったからか、それとも流れ出ようとする涙を留めようとしたからか。
俺自身でも自分の心の動きは分からないが、俺の目じりから涙が一筋スッと流れ、地面へと落ちていった。
涙が流れた後で、ようやく俺は死んでいるアレクテムの表情を見ることが出来た。
ノネッテ本国を帝国に奪われている状況だ。アレクテムは、あの場所で生まれて老境まで育ってきた。死の際に無念に思っても仕方がないことのはずだ。
そんな俺の考えとは裏腹に、アレクテムの死に顔は、幸せな夢を見ているかのように穏やかに微笑んでいる顔をしていた。
その死に顔をしている意味を、俺は真には理解できなかったが、アレクテムが幸せの中で寿命を終えることが出来たんだろうと納得することだけはできたのだった。