四百三話 大陸はかりそめの平和に
帝国との休戦協定が締結された。
休戦期間は五年。お互いに一方的な協定の破棄は出来ないことにしたので、この五年の間は大陸から戦争がなくなることを意味している。
そして何気に、大陸で五年も戦争が起きない時間は、俺が生まれてからは無かったと記憶している。
騎士国と帝国との戦争は、ほぼ毎年あった。小国郡での小国同士の戦争も、大陸のあちらこちらで度々起きていた。
だから戦争という行為が大陸中からなくなるのは、とても珍しい出来事と言える。
「休戦する五年の間に、ノネッテ合州国は物資の貯蔵と魔導技術の開発を急がないといけないんだけど……」
俺は独り言を呟きつつ、溜息を吐き出す。
物資の貯蔵は、五年も時間があるので、十二分に可能だ。
しかし魔導技術の方はというと、帝国にロッチャ州を奪い取られたことが響いてくる。
魔導技術の研究開発の中心は、ロッチャ州の研究部が行っていたからね。
もちろんルーナッド州にだって、魔導技術を修めた技師は存在している。
しかし、この技師は軍隊付きの者だ。魔導具の整備や修理の腕は確かなのだけど、魔導具の研究開発には長けていない。
背に腹は代えられないので、この軍隊付きの技師を研究部に転向させる必要がある。だけど、研究の素人を用いたところで、魔導技術の研究開発を進めることができるだろうか。俺は難しいと思っている。
「ロッチャ州を手に入れたから、帝国は五年の休戦を飲んだんだろうなぁ……」
研究の中心地を失ったことで、ノネッテ合州国の魔導技術は伸び悩まざるを得ない。
一方で、帝国は五年もの間、魔導技術を順調に発展させ続けることができる。
この五年間の研究の差によっては、ノネッテ合州国は何もできずに帝国に負ける未来がくることだろう。
そんな未来がこないよう、俺は魔導技術の研究開発をどうにかする必要があった。
俺が魔導技術の発展をどう行うべきか頭を悩ませていると、執務室に入ってきた文官が書状を一つ差し出してきた。
「フォンステ州の領主からです」
「書状なんて珍しい」
フォンステ州はルーナッド州の隣にある。そんな立地なため、書状を一つ出すのと使者を一人立てるのとは、あまり労苦に差がない。
だから通常は使者が来ることが多いので、領主からの書状が来るのは珍しい事だった。
その珍しい書状の中身はというと、いままさに俺が悩んでいたことに関係する報せだった。
「――ロッチャ州の研究者だと名乗る者が十数名、砂漠を越えてフォンステ州に入ってきた。ついては、研究者の顔を知るミリモス・ノネッテ様に、ご足労頂きたい。ねぇ」
本当にロッチャ州の研究者だとしたら、諸手を挙げて歓迎しなければいけない。
しかしフォンステ州の領主は、研究部の研究者の顔をしらないため、逃げてきた者たちが本当に研究者なのか確信が持てない。
もしも研究者を騙る帝国の間者だった場合、下手に自由にしてしまうと、ノネッテ合州国内で暗躍を許すことになってしまう。
そうした危惧もあって、研究者の顔を良く知る俺を呼びたいということのようだ。
フォンステ州は隣だ。人馬一体の神聖術を使って移動すれば、十二分に日帰りすることができる。
俺は研究者たちが本物かどうか、いますぐ確認しに行くことにした。
フォンステ州の城に到着し、俺は逃げてきたと言う研究者たちに会うことにした。
そして面会してみると、本当にロッチャ州の研究者だった。
「皆! 砂漠を使って逃げてきたって、無茶したね!」
俺が喜色を込めて声をかけると、研究者たちも笑顔を返してきた。
「ミリモス様! それはもう、必死に逃げてきましたとも!」
「ノネッテ本国が帝国に攻め落とされたと知って、次はロッチャ州に来るだろうと予想し、直ぐに研究資料をまとめてアンビトース州へと逃げたんです」
「そこからは砂漠の民に案内してもらって、フォンステ州まで。いやぁ、もう二度と砂漠に足を踏み入れたくないと思う旅路でした」
俺は研究者たちと再開を喜びつつも、ここにいる者たちの中に見知った顔が何人かいないことに気付く。
「他の人は? まさか砂漠で命を落としたとか?」
「いえいえ、まさか。砂漠の民の案内は安全でしたとも。大恩あるミリモス殿の配下ならば、万難を排して案内すると、それはそれは入念に準備された道程での旅でした」
「ここに居ない者は、ロッチャ州に残ったのですよ」
「残ったって、帝国に捕まりでもしたら、色々な方法で魔導技術のことを吐かされることになるのに」
「そのことは、残った者もわかっています。だからこそ、あえて残ったのですよ。正しい研究資料を破棄し、間違った研究資料を作り、誤った情報を帝国へ渡すためにです」
「帝国に欺瞞情報を流すために、わざと残ったってこと?」
「素直に降伏した上で、帝国に媚びへつらって少しでも顔を覚えて貰おうと試みてくる、そんな人間が渡す情報です。その情報が間違っていると、そう考えるのは難しくなるだろうと」
「その偽情報でノネッテ合州国の魔導技術が大したことないと思ってくれれば、帝国の魔導技術の開発も鈍るはずだって」
確かに、帝国がノネッテ合州国の魔導技術が低いと誤認識してくれれば、休戦期間中の帝国の魔導技術の開発は緩やかなものになる可能性がある。必死に研究開発しなくても、ノネッテ合州国に打ち勝てると誤解してくれるだろうからね。
だから誤情報を帝国に与えるために残ってくれた研究者たちの存在は、俺にとってとても有り難いものといえた。
「残った者たちの心意気を無駄にしないためにも、休戦期間の五年で、ノネッテ合州国は帝国と魔導技術で肩を並べなければいけない。そのためには、皆には頑張ってもらうよ」
「もちろんですとも。ミリモス様の下で研究は開発に勤しむために、我々は砂漠を越えて逃げてきたのですから」
「豪語してくれたからには、期待しているからね」
俺は研究者たちと笑い合うと、再開を喜ぶ酒宴を開くことにした。
俺は魔導技術の研究を進ませる目処ができたことへの喜びから、研究者たちは無事に俺の元に逃げることができた安堵感から、お互いに酒杯の数が進んでしまった。
そうして日帰りを予定していたフォンステ州への訪問は、飲み過ぎによるダウンも合わさって、結局は朝帰りになってしまったのだった。