三十六話 狼の戦法
ノネッテ国の兵士と合流した俺は、集結場所に向かい、そこにいたアレクテムと共に作戦を練ることにした。
「ミリモス様が早く着いてくださったので、兵たちの士気があがり、助かりましたぞ」
「ロッチャ国のあの兵数じゃあ、士気が挫けても仕方がない部分はあるよね。でも、やりようによっては、打破することは可能だと思うよ」
俺はアレクテムが広げてくれた地図に、指を這わせていく。
「ロッチャ国の隊列は、森の中を進むため、こう長く伸びているんだ。そして魔物に襲撃されたときの状況を見ていたけど、襲われた場所が中心となって方陣を組み、その後で前後の兵士が戦闘に加わる感じだった」
「つまりは、横合いから伏兵として突撃した際、ごく最初のとき限定で少数ずつの戦いにできるということですな」
「だから、串剣を使っての一撃離脱。そしてあえて追ってこさせての、釣り野伏が的確に通じると思うんだ」
「ふむっ――いや、釣り野伏は止した方が良いですな。ここは罠を仕掛けた場所に誘導したほうが、兵の損耗が抑えられるかと」
「それだと逃げる役目の人が、大変じゃない?」
「相手は重い鎧を着た歩兵で、雪が積もった森の中と足場が悪いのです。我が国の兵士なら、逃げるのは簡単ですぞ」
「そういうことなら、その方法で試してみようか。この戦法は、森の中でないとできないから……」
「ロッチャ国の進軍速度からして二日――こちらの攻撃で行き足が鈍ることを考えて、三日か四日間の勝負ですな」
最大で四日間で、七千人の相手を千人未満の兵士で倒す。
軍事の慣例では、三割損耗させれば、相手を撤退に追い込むことが出来ると言うから、実際は二千人の敵兵を屠ればいいだけなんだろうけど……。
「この作戦が上手くいかなかったら、次は王城で決死戦だね」
途方もない戦果の要求度合いに、俺はつい冗談が口をついてでてしまった。
するとアレクテムが、石を飲み込んだような、心苦しさがありありと分かる声を出す。
「もしそのような場合になりましたら、ミリモス様は戦線を離脱してくだされ。その後はノネッテ王家のことは忘れて、思うがままに生きるがよろしいですぞ」
唐突な戦力外通告に、俺は驚き、つい反論しようとして、まてよと思いとどまった。
アレクテムは、軍事のスペシャリストだ。それなのに、発覚して捕まれば死罪という敵前逃亡を提案するとしたら、裏の意味があるはずだ。
俺は筋道を立てて考えていき、その目論見を看破した。
「わかった。この戦いで思うような戦果が上がらなかったら、俺はロッチャ国へ逃げるとするよ。向こうも、敵軍の対象が自国へ逃げてくるだなんて思わないだろうしね」
そしてロッチャ国の首都へ向かい、直接首脳陣をどうにかして撃退する。
そういう気持ちで告げたのだけど、アレクテムから別の提案がやってきた。
「帝国に行っても、よろしいのですぞ。ミリモス様は、読み書き算数に魔法が上手でございますからな。すぐに仕事が見つけられることでしょう」
これは帝国に救援要請しろって暗示かな。
でも、上手く乗ってくれるとは考えにくいんだよなぁ。
「そうだね。フッテーロ兄上にでっち上げられた罪状が消えれば、それもいいんだろうけど」
あれさえなくなれば、ロッチャ国がノネッテ国に攻め入る口実が消えるから、領土的野心を持つ帝国や、正しい行いを標榜している騎士国の軍勢を借りることが出来るしね。
そう考えると、やはりロッチャ国の首都に攻め入り、フッテーロの罪状を取り消させる必要があるな。
俺が頭の中で次善策について詰めていっていると、アレクテムが眉を寄せる。
「ミリモス様。なにかよからぬことを考えてませんかな」
「そんなことないって。とにかく、まずは森の中の戦いに注力しよう。ここで終われば、俺が逃げる逃げないなんてどうでもいい話なんだから」
俺はここまでの話が冗談であるかのように語ってから、話を森の戦いにシフトさせる。
「戦法は『狼の戦い方』で行こうと思う」
「連携が難しいあの戦術をですかの?」
「最初にぶつかる地点を新兵に任せれば、イケると思うけど?」
「ふむっ――連携の肝は、最初ではなく後の方ですからな。成功度合いは格段に上がるでしょうな」
「俺は物資の焼き討ちの方に回る。豆油は持ってきてある?」
「一応の備えで持ってきてはおりますが、数は少ないですぞ」
「俺が使う分だけ寄こしてくれればいいよ。瓶詰めの状態でよろしく」
「この気温では、火炎瓶は作用しませんぞ?」
「俺が魔法が得意って忘れてない? 油さえ被せることが出来れば、高火力の魔法で一気に着火できるよ」
「なるほどですな。準備させましょう。それと兵たちに戦法の周知徹底もさせます」
「任せる。俺は戦いの準備が出来るまで、少し仮眠を取らせてもらうよ。あの山からここまで、ちゃんとした睡眠時間はとれてなかったからね」
俺は欠伸を一つして、天幕の中に寝転がると、マントで体をくるんで目を閉じる。
アレクテムがため息を一つ吐いてから、天幕の外へ出ていく音が聞こえる中で、俺は静かに眠りに落ちていったのだった。
小雪が降る森の中を、ノネッテ国の兵士たちが行く。
目指すはロッチャ国の兵士の列。
声を押し殺して静かに進軍していき、やがて敵を発見する。
ここからは、三百人のノネッテ兵士を百人ずつの三部隊に分ける。
戦力の分散は、兵法上では悪手と言われている。
けど、こちらは寡兵だ。悪手であろうと、相手を手玉にとるような戦法を選ばざるを得ないのだ。
三部隊の内訳は、新兵中心の部隊、アレクテムを始めとする熟練兵の部隊、そして俺を中心とした足が速い部隊だ。
新兵部隊が敵兵の正面に接敵し、目を引き付ける。
新兵たちが戦っている間に、熟練兵部隊が敵対列中央部を横合いから襲い掛かって混乱を広げる。
そして俊足部隊が獲物――今回の場合は敵の物資を狙って襲い掛かる。
これが森の狼が小食動物の群れ相手にやる狩りを真似した戦法なので、狼の戦法と呼ばれているものだ。
その手順通りに、現実も進む。
「汚い土足でオレらの国に入りやがった穴掘りモグラどもを、地の底へ叩き返すぞ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
新兵部隊を任されたセンティスの口上に続いて、新兵と訓練度合が浅い兵たちが上げた声が、離れた場所に居る俺にまで届いてきた。
俺がいる地点からじゃ見えないけど、いままさにロッチャ国の兵列へ正面から襲い掛かっているはずだ。その中には、ホネスと他の新兵二人――ガットとカネィもいる。
さて、ノネッテ国の兵士たちに襲われたロッチャ国の兵士たちは、魔物相手にやったように、まず方陣を敷いてくる。そして受け止めてから反撃に出て、さらに後続の部隊が敵を包み込むように移動するはずである。
そうして部隊が動きを見せたところで、熟練兵たちの出番だ。
こちらの部隊は、新兵たちとは違って、静かに任務が遂行される手はずになっている。
「なっ!? 敵だ! 敵がすぐ横に――ぐげっ」
「伏兵! 横に伏兵! 変な剣を持ってる!」
「盾で防げ――なに、盾を貫き鎧まで貫通するだと!」
熟練兵たちには串剣を持たせているからか、良い感じにロッチャ国の兵士たちを混乱させていく。
声からすると、戦果も上々らしい。
さて、ここでまごまごしている時間はない。なにせ熟練兵部隊は、一当てしたらすぐに逃げるからだ。
俺は手勢である兵士たちに小さく声をかける。
「じゃあ、投げつけちゃって」
俺の指示を受けて、百人の兵士たちはすぐ目の前にいるロッチャ国の輸送隊へ、豆油が入った瓶を山なりに投げる。
本数にして百本の油瓶は、十本近くが途中の木々にぶち当たって砕けたが、大半がロッチャ国の輸送隊に着弾して瓶が破損、寒さでシャーベット状になった油を周囲にまき散らした。
そして俺は、兵士たちが瓶を投げる間に、既に呪文を唱え始めていた。
「火種が火に、火は炎に、炎を蛇へ。烈火の鱗を纏い、消えぬ鈍火の舌を伸ばし、うねり進め火蛇。インゲィム・ヴィーカラ!」
俺が前に差し出した手から、火炎放射器のように炎が真っ直ぐ伸びていき、途中の木々をくねり曲がって避けながら、ロッチャ国の輸送隊に突っ込む。
シャーベット状だった豆油が、魔法の火に炙られた瞬間に溶け、沸騰し、そして発火する。
「ぎゃあああああああああああ! 火が、火があああああああああああ!」
「魔法の攻撃! すぐ近くに敵兵が――あああああ! あついいいいいいいいいいいいい!」
物資だけでなく、近くにいた兵士たちに浴びせかけるように、俺は魔法の向きを変えていく。
しかし燃えているのは物資の一部だけで、燃え方がいま一つだ。移動の邪魔になるからと、山に残してきた魔法使いに帝国製の魔法の杖を預けてくるんじゃなかったな。
でもロッチャ国の兵士たちは、燃え上がる火と伏兵の俺たちの対処、どちらを優先するか判断に迷っている様子だ。
それならば、これからさらに一仕事しよう。
「物資を奪うぞ!」
俺の号令に、兵士たちが即応し、串剣を腰から抜く。
俺も腰から帝国製の魔導剣を抜きつつ、前に振りながらさらに号令を出す。
「突撃だ!」
「「「うおおおりゃあああああああああ!」」」
俺と百人の兵士が一丸となって、輸送隊に襲い掛かる。
立ちはだかってきた少数の護衛部隊を、剣で刺し貫いて始末し、敵の物資に取り付いた。そして手に触れた物をひっつかむと、すぐに引き返して森の木々の間を縫って進んでいく。
「重たい物は投棄していいからね! 無事に逃げるのが最優先!」
「こっちの袋の中は、音からして金物だ。捨てますぜ!」
「こっちの樽は匂いからして肉の類! 重くても持ってくかんな!」
「肉があるなら、この手の瓶に入った酒だって捨てるわけにはいかんだろ!」
俺たちは戦利品が何かを口々に騒ぎながら、森の中を逃げていく。
すると後ろから、ロッチャ国の兵士たちが重たい鎧をガシャガシャ鳴らしながら追ってきた。
「食料を焼きやがって、ぶっ殺してやる!」
「盗んだものを返しやがれ、この野郎!」
食い物の恨みは恐ろしいというけど、血眼になってまで追ってくるなんてね。
それも不慣れな土地で、ガイドもなく走ってくるなんて――
「――死地に行くようなものだよね」
俺が思わず呟いた次の瞬間、追ってきていたロッチャ国の兵士たちから悲鳴が上がった。
「うわあああああああああああ! なにが起きた!」
「木の枝を利用した吊り上げ罠だ! いま縄を切って下ろして――」
「馬鹿止めろ! この高さから、鎧を着た状態で地面に落ちてみろ! 衝撃で体が潰れる! 結び目を解いて下ろしてくれ!」
「すぐやるから待って――おごへっ」
「丸太の振り子罠!? 周辺をよく見れば、罠だらけじゃねえか!」
混乱するロッチャ国の兵士たち。
ここで引き返して、罠にはまった連中に止めを刺してもいいんだけど。
「助けに来た敵兵が、罠のさらなる餌食になる可能性もあるから、放っておこう」
「当然ですぜ。いまのオレらにゃ、略奪品を集結地点まで運ぶっていう、重大な任務を果たさにゃならんのです」
「敵兵が空腹で苦しむ想像をしながら、奪い取った食料と酒で腹を満たす。兵の醍醐味というものだ!」
はははっと哄笑を残して、俺たちは引き上げていく。後ろから聞こえてくる怨嗟の声すら、俺たちの行動を賞賛してるように感じながら。