三百九十五話 騎士王との決着
俺とジャスケオスの戦いは、一方的に俺が不利な状況で推移している。
俺が塗れた石畳を利用して足を滑らせて攻撃を避ける方法は、何度か使用した後はジャスケオスに対応されてしまうようになっていた。
そこで俺は、石畳みで足を滑らせると思わせておいて滑らせなかったり、石畳の継ぎ目に蹴躓くことで体勢を崩して攻撃を避けたりと、どうにか小細工を駆使して決着の先延ばしを試みている。
その試みは一応上手くいき、俺の体が浅く斬られている以外は、ジャスケオスの攻撃を避けきることに成功している。
「くっぅ――」
俺の攻撃を、ジャスケオスは跳ね除けて防御した直後に反撃してくる。
そのジャスケオスの一撃を、俺は石畳に乗せた足を前へ滑らせ、ジャスケオスに近づくことで攻撃の打点をずらす。そうして攻撃の威力を削いでから、俺は剣で防御。ジャスケオスの攻撃の威力に押され、塗れた地面で滑り、俺は後方へと吹っ飛ばされる。
ジャスケオスとの距離が離れたところで、俺は一息つく。
俺が呼吸を整えている間、ジャスケオスは微笑みながら俺に観察する目を向けている。
「なるほど。貴方は武力においては、我が国の騎士より劣ってはいます。しかし対応力が頭抜けています。どんな状況であろうと、その場その場で良い選択ができる強さを持っています。その対応力に振り回されて、我が国の騎士とテレトゥトス殿は命を落としたのでしょう」
「冷静な分析をしてくれて、ありがとう。それで、その分析がこの戦いを終わらせる切っ掛けになったりするのかな?」
「はい。重い怪我をさせないように戦って勝つには、少々骨が折れると分かりました。なので、ここから先は大怪我を覚悟してください」
ジャスケオスは相変わらず微笑みながら、剣を構え直す。
その途端、ジャスケオスの体から発せられる神聖術の圧力が増した。それこそ対戦している俺が、一瞬でも身を強張らせてしまうほど。
どうやら今まで手加減してくれていたのは、本当のようだ。
「ああもう。こっちは、使える手札が少ないっていうのに……」
俺は自分の頬が引きつる感じがする。
あまり自覚はないけど、勝ち目の低い戦いが更に低くなったことを自覚して、引きつり笑いをしなければやってられない心境なんだろう。
そんな心理分析をしつつも、俺は頭の中で必死に勝ち目を探していた。
ここまで俺が戦いの中でジャスケオスの技量を観察して探し出しかけていた勝ち筋は、ジャスケオスが本気を出したことで使えなくなった。
改めて本気のジャスケオスに勝つ方法を考えるが、考えれば考えるほどに勝ち目がない。
一つだけ、か細い糸のような勝ち筋はあったけど、高い代償を払う覚悟が必要になる。しかも代償を払っても、勝てる目が一割もない。
ここで俺が取れる選択は二つ。
一つは、腹を決めて代償を払う覚悟をして勝ち筋に挑むこと。
やると決められれば、勝つにしろ敗けにしろ、決着は早くつく。
もう一つは、戦いを粘りに粘って、稼いだ時間で新たな勝ち筋を探すこと。
この選択の問題は、ジャスケオスの本気に俺がどれだけの時間付き合えるか。悪くすれば、ただただ俺が地力を削られて逆転の目を失って、ジャスケオスに惜し敗ける未来しかない。
いま見えている勝ち筋に全力で賭けるか、削り負けることを覚悟で先延ばしに挑むのか。
どっちを選んでも茨道だけど、俺はいま見えている勝ち筋に全力で賭けることを選んだ。
理由は単純。ジャスケオスの体から放たれている威圧感から察するに、ジャスケオスはファミリスより一段も二段も実力が高い。そんな実力を持つ相手に、新たな勝ち筋を探し出せるような長い時間を稼げるほど、俺の実力が高くない。
つまり、削り負ける未来しか見えないから、確実に負けると分かっている選択は取れないというだけ。
「もう腹を決めるしかない」
俺は覚悟を決め、ジャスケオスを中心に右に周っていく。
ジャスケオスは俺が時間稼ぎをする気だと誤解したのか、今までその場で留まっていたのに、自分から近寄ってきた。近づいてくるが、俺がなにか企んでいると疑ってもいるんだろう、近寄り方はゆっくりだ。
ここで勢いをつけて突っ込んでこないあたり、ジャスケオスの戦い方の本質は防御からの反撃で決着をつけるものなんだろうな。
まあ、そういう戦い方をしてくると予想したからこそ、俺は勝ち筋を見つけられていた。だから、もしここでジャスケオスが突っ込んできたら、細い勝ち筋が消滅していたんだけどね。
じりじりと近づいてくるジャスケオスを見つつ、俺は目的の場所まで移動した。
そして足元、この戦いが始まる前に返却された短剣を貰た際、地面に落としていた短剣を足のつま先で踏む。
俺の足元に短剣があるのが見えたんだろう、ジャスケオスが近づくのを止めた。
きっと、ここで俺が短剣を拾うとしたら、ジャスケオスは好機と見て突っ込んでくるだろう。そしてその状況になったら、俺の負けが確定するだろう。正直、攻めに入ったジャスケオスの隙を突けるとは思えない。
だから俺は、足元にある短剣を蹴って、ジャスケオスへと蹴り飛ばした。
そして飛んでいく短剣の後ろを追いかけるように、俺は神聖術を全開にして走る。
俺の決死の表情が見えているのか、ジャスケオスの表情も微笑みから真剣なものへ変わっていた。
「決着を付けに来ましたか。しかし、今までで一番工夫がありません」
ジャスケオスは残念そうな口調で呟くと、剣を高々と掲げ上げる。
それは、飛んで来る短剣の対処を無しにしてでも、一撃で俺を打ち倒そうとする構えだった。
俺はジャスケオスの姿勢を見て、やっぱりこうするよなと納得していた。
なにせ飛んでいる短剣は、何の変哲もない短剣だ。甲冑を着けたうえに神聖術で強化しているジャスケオスには、毛ほどの傷をつけることがやっとの得物でしかない。そんな危なげのない物体の対処に一手使うより、短剣を鎧で受けてでも俺への一撃に注力することが、ジャスケオスにとって一番勝ち目の高い戦法といえる。
そして、そんな勝ち目の高い戦法を、ジャスケオスは『正しく』選ぶだろうと、俺も予想していた。
そう、ここまでの状況は、俺が思い描いた通りに勝ち筋に乗れている。
あとはやりきるだけ。
俺は更に走る速度を上げて、飛ぶ短剣のすぐ後ろにつく。それと同時に、剣を高く持ち上げる。
いま見せている俺の戦法を、ジャスケオスがどう受け取ったかは分からない。
しかしジャスケオスは、飛ぶ短剣と近づく俺を一撃で両断する選択をしたようだった。
「行きます!」
予告と気合が込められた声が、ジャスケオスから発せられた。
その声と同時に、ジャスケオスの掲げられた剣が力強く振り下ろされる。
この一撃の速さは、まさに電光石火と表現するに足る、目にも止まらないほどだった。
それこそ、俺の眼前を飛んでいた短剣が斬り飛ばされる光景を、俺は攻撃を受けた後で見えたと思ったほどだ。
そんな光景を目と脳が理解するより前に、俺はジャスケオスの攻撃が来るであろう軌道上に、自分の剣を移動させていた。
俺にはジャスケオスの攻撃が見えていない。単に、掲げ挙げた剣が俺に最短で移動できる場所に剣を移動させただけ。ジャスケオスなら『正しく』最短を行く剣技を使うだろうと見越して。
結果、ジャスケオスの攻撃は俺の剣に阻まれた。
しかし俺の剣が阻めたのは、ほんの半秒ほどだけ。
ジャスケオスの渾身の一撃は俺の剣を砕いて、その下にあった俺の左前腕に斬り入った。
一瞬が経過する毎に俺の左前腕の肉が深く斬られていき、骨へと斬り入る感触が走る。痛みは感じていない。痛みの信号が発するより早く、ジャスケオスの剣が腕に斬り入ってくるからだろう。
このままいけば俺の左腕は両断され、さらには左の肩口へとジャスケオスの剣が入っていくのは確実だった。
しかし、俺の左前腕にある骨が一本両断されたところで、ジャスケオスの剣がピタリと止まった。
なぜ止まったのかといえば、一騎討に決着がついたからだ。
俺の目の前には、ジャスケオスの微笑んだ顔がある。
「左腕を犠牲にしてでも、相打ちに持ち込もうとしたわけですね」
そう喋るジャスケオスの首前には、俺が右手で持っている騎士王家の紋章入り短剣の切っ先がある。
俺はジャスケオスの一撃を受ける際に、右手で後ろ腰にある短剣を引き抜き、ジャスケオスに突き刺そうとしていたからだ。
ただし、ジャスケオスの振り下ろし止めた腕によって、俺の右腕の進出が阻まれているため、これ以上先に切っ先を進められない状況だったりする。
もし仮に、ジャスケオスが俺の左腕を両断するまで振り下ろしていたら、俺の右腕はよりジャスケオスに近づいて、彼の首に短剣の切っ先が突き刺さっていたのは間違いない。そんな状況まで至れていたら、俺は左腕を失った上に左肩口を抉られて重傷、ジャスケオスも首を切り裂かれて重傷という、両者痛み分けの状況に持って行けた。
しかしジャスケオスの鋭い勘によって、そんな未来の到来は防がれてしまった。
「あと一歩で、判定勝利を得られたのにな……」
俺が口惜しそうに呟くと、ジャスケオスは意外だという顔をする。
「相打ちじゃなく、貴方の勝利ですか?」
「そうでしょう。俺は利き腕じゃない方を失うけど、ジャスケオス殿は首に致命傷を受ける。どちらに継戦能力が残るかは、子供でも分かるでしょう」
「首を斬られても、失血死するまで時間があります。その時間内で貴方を仕留められると思いますが?」
「そんな状況になったら、俺は迷いなく逃げ回ります。左腕を止血し、左肩の傷を押えておけば、俺が失血死することはないでしょうしね」
俺の主張は一理あると理解したんだろう、ジャスケオスの微笑みが少し深くなる。
「では、この一騎討は引き分けということで、どうでしょう?」
「……仕方がない。引き分けということで」
正直、俺はジャスケオスからの提案に安堵していた。
この状況から仕切り直しを提案されていたら、俺は迷わず敗北を選んだことだろう。
なにせ、いまさらに骨まで斬られた左腕が痛み出している。
この痛みと動かせない左腕という邪魔者を抱えて、右腕一本の剣術でジャスケオスに勝とうとするなんて無謀でしかないのだから。