三十五話 予想外
ノネッテ国の兵士たちの多くは既に国土の中に戻して、山脈を越えてくるロッチャ国の本隊の警戒に当たらせているため、この山の上にある野戦陣地はほぼ空の状態だ。
その事実を、ロッチャ国の先遣隊が把握するまでの時間を一日でも多く稼ぐために、 俺は魔法使いたちと共に水と突風の魔法による嫌がらせを続けていた。
何日も繰り返して嫌がらせを続けたところ、敵先遣隊の大半は調子が悪そうになり、中には体温を奪う鉄製の鎧を脱ぎ捨ててでも体温の維持に努めようとする人まで出てきている。
こちらが命を奪うような破壊力のある魔法を使わないと見越しての行動だけど、思い切ったことをやると感心してしまう。
「あまりに防御力が薄いようなら、今度は逆に温めてあげてもいいかな」
「火をかけて、敵の服や天幕を焼き、寒空に叩き込むわけですね」
「流石はミリモス王子。可愛い顔と若年の歳の割に、えげつない」
「そう褒めるなってば」
あはは、と魔法使いたちと冗談で笑い合っていると、山の上から伝令が下りてきた。
「ミリモス王子。た、大変です」
差し出されたのは、文字が書かれた小さい紙片。鳥文の手紙だ。
受け取って内容を見てみると、既に国内の森にロッチャ国の本隊が現れているとのことだった。発見した地点の座標も書いてある。
「そんなまさか! 山脈の中で、軍隊が通りそうなところは、軍事と土地に詳しいアレクテムが目星をつけて、監視員を配置してあっただろ。その人たちからの報告は!?」
「来ていません。ロッチャ国の本体にやられたのか、それとも予想が外れたのか。この報告は、森歩きをしていた村人からのものですが、知らせを受けて駐在兵が敵の存在を確認している確定情報です」
伝令が知らないってことは、本当に山に配置した兵たちからは情報がないんだろう。
「実情は分からないけど、とりあえず監視たちに鳥文を送るように伝えて。国内に敵がいるとあったら、一人でも多くの兵士が必要だ」
「わかりました。返信で伝えます」
伝令が山を登っていくのを見送る間もなく、俺は魔法使いたちに向き直る。
「緊急事態だ。嫌がらせを続ける意味がなくなった。皆は、王城に戻って、最終決戦に備えて」
「わかってます。魔法使いは呪文を呟かなきゃいけなくて、野戦伏兵には向かないですからね」
「ミリモス王子は、どうするんで?」
「魔導剣持ちだからね。野戦に参加するよ。ここでやったのと同じように、本隊相手にも嫌がらせをやってくるとするよ」
笑顔を交換して、俺は神聖術で肉体強化を全力でかけ、山を駆けのぼる。
伝令を追い越し、山頂の陣地につくと、撤退用の荷物の中から自分用のリュックを引っ張り出す。
「さて、忙しくなりそうだ」
リュックから炒って乾燥させた豆を一掴み取り出し、口に放り入れてボリボリと噛み砕くと、水筒の水で飲み下した。
とりあえずの栄養と水分を補給し、俺は鳥文に書かれていた地点へ向けて、神聖術を使った全速力で山を下り始めるのだった。
適宜休憩を入れながら、神聖術を施した体で駆けること三日。
葉が落ちた木々と枯れた下草の上に雪が積もった森の中を進んでいくと、耳に大軍が行進する音がかすかに聞こえてきた。
国境の山で見た鳥文に書かれていた座標から、おおよそ二十キロメートルも距離がない場所だ。
その進みの遅さに一瞬疑問を抱いたが、兵法書で『大軍は進みが遅い』と読んだことを思い出す。
「あとは森の中の進軍と、足元に雪があるからかな」
ロッチャ国の本隊は、重たい鎧を身に着けての行軍なので、ただでさえ進みは遅いはずだ。その上で、整備されていない森の中という地形によって、大軍の進行速度を鈍らせざるを得なかったのだろうな。
「国内に突然現れたことには驚いたけど、出てくる場所を間違えたようだね」
俺は木々の間を縫いながら、音のする方向へ近づこうとして、脚を止めて木の後ろで気配を隠す。
視界の先に、このまま進めない理由を見つけたからだ。
「あれは魔物だな。ロッチャ国の軍勢を見てる」
姿形は、前世のヘラジカに似ている。角がまがまがしい赤黒い色をしていて、その先から漏れ出る魔力が湯気のように景色を揺らめかせていなければ、だけど。
ああして体の一部から魔力の放出が目で見えるのが、魔物の特徴だ。
「どうやら、魔物の縄張りにロッチャ国の軍が入っちゃったようだな」
魔物は魔法が使えるだけの動物だけど、もう一つ特色がある。
例えどんなに数が多い相手であろうと、例えどんなに強敵が相手であろうと、縄張りに入ってきた存在を排除しに動くのだ。
そしてまさに今、ヘラジカ似の魔物が駆けだし、ロッチャ国の兵士七千人に向かって走り出した。
「ペエエエエエエエエエエエエエ!」
威嚇の一鳴きの後で、角の先から氷の礫が数発同時に射出された。空中を飛んだ氷礫が、兵士の行列を横から打撃し、礫が当たった数人が衝撃で横倒しになった。
ぶつかった瞬間を見ていたけど、ある兵士の鉄の兜はぺっこりとへこんでいたので、致命傷だろう。他の兵士は胴体に当たり、鎧の胸元にへこみを生んでいた。
魔物に襲撃されたロッチャ国の兵士たちは、接近しながら魔法を連発してくる相手に、慌てて隊伍を組み始める。
「魔物は礫の魔法を使うが、投石程度の威力だ。大盾で防げば支障はない!」
「長柄の武器を持ったものは盾持ちのの後ろに! あの魔物が接近してきたところを、突き殺せ!」
魔物が突き進んでくるルート上にいる兵士たちが、命令を受けた通りに隊伍を組み終えて、魔物の襲撃を待つ。
「ベエエエエエエエエエエエ!」
魔物が放った氷の礫は、盾で完璧に防がれてしまう。
魔法では倒せないと悟ったのか、魔物は頭をやや下げて角を前へ突き出す姿勢になると、雪とその下の土を掘り返すような勢いで地面を蹴って突進を始めた。
「踏ん張れ! 盾を離すな!」
「長柄持ちは盾持ちが受け止めたところを攻撃しろ!」
兵士たちの隊伍に、魔物が突っ込んだ。
ヘラジカに似た大柄の体躯なので、大型バイクが突っ込んだようなものなのだが、ロッチャ国の兵士たちは突進を防いでみせた。
そして魔物の動きが止まった瞬間、長柄の武器が打ち付けられる。
「ベエエエエエエエエエエ!」
武器で傷つけられた魔物は大声を上げ、激しく暴れ回った。
角を振り回し、その振った角から魔法を連射し、上体を仰け反らせてから前足で踏み付ける。
ロッチャ国の兵士たちの方も、鉄の鎧に防御を任せて、全力で攻撃を始める。
見事だけど、魔物相手に囲い込む戦い方だと、被害が多く出てしまうんだよね。
事実、魔物の振り回す角で隊伍が崩れ、発射された氷礫が兵士を吹き飛ばし、倒れた者には容赦なく踏み付けが襲う。
「早く仕留めろ! 盾持ちは押さえるんだ!」
「ぎゃあああああ! 足が、足が潰れたああああ!」
「おごっ。鎧が、へこんで、息が、すえ……」
「ベエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
魔物はロデオの牛のように、頭や体を振るって大暴れ。
最初に対応した兵士たちだけじゃ収集するのは無理だと判断したようで、隊列の前後から援軍がやってくる。
ここまで大人数に集られてしまうと、魔物だとしてもひとたまりもない。
一斉に盾で押さえられ、囲まれてタコ殴りだ。
しかし、その殺されるまでの一分ほどの間に、魔物も意地を見せて、さらに数人の兵士を戦闘不能の状態に陥らせた。
「痛でえええよおお! 手当てをしてくれえ!」
「しっかりしろ! 息をするんだ!」
「ダメだ、頭の骨がへこんで、目が飛び出てやがる……」
怪我人の悲鳴と、死亡を確認した仲間への追悼の言葉が、ロッチャ国の軍に満ちていく。
その嘆きは怒りに転化されて、魔物の死体へと向けられた。
「このクソ魔物め!」
「仲間を返せ、この、この!」
ズタボロになっていく魔物を見て、俺はもったいないと思ってしまう。
魔物って戦闘力が高くて広い縄張りを持っているため、良い物を食うことができるので、かなり美味しいのだ。
「というか、そんな真似している暇はないと思うんだけどなあ……」
俺は木の後ろに隠れながら、とある音が聞こえた方向に顔を向ける。
葉が散った木々の向こうに、小さく茶色い点がいくつも見えた。その点は時間を経る度に段々と大きくなっていく。
やがて点が爪ほどの大きさになった頃、その正体がハッキリと見えた。
先ほどロッチャ国の兵士たちに殺された魔物と同じ、ヘラジカに似た魔物の七匹の群れだ。
魔物は魔法が使える動物だ。習性や群れのつくり方は、外見が似た普通の動物と似通っている。
そう、ヘラジカに似ているのなら、鹿のように群れで生活しているものなんだ。
「群れを作る魔物を倒す際には、群れがひとまとまりになっているところを一斉攻撃で全滅させるか、一匹目を殺した人を囮役にして罠にかけるかなんだけどなぁ」
ロッチャ国の兵士たちは、そういった魔物に対するノウハウは持っていないようだ。
そして俺が見ている前で、ヘラジカ似の魔物の群れが、ロッチャ国の兵士たちの列に突っ込む。
「「「「ベエエエエエエエエエエエエエエエエ!」」」」
「また来たぞ! 対処しろ!」
「くそっ。なんだってこの森には、こうも魔物が多いんだ!」
ロッチャ国の兵士の悲鳴が聞こえる。
その口ぶりから、どうやら行軍がさほど進んでいなかった理由は、魔物の襲撃にたびたびあっているからでもあったらしい。
悲鳴に返答するわけじゃないけど、ノネッテ国ではあまり森の深くまで入ってまで、魔物を積極的に狩ろうとはしないので、魔物の数は結構いる。
縄張りさえ侵さなければ、仮に縄張りに入ってしまってもすぐに引き返せば、危険な相手じゃないからだ。
もちろん、人里に出てくれば、野生動物同様に対処するけどね。
なんてことを考えて、俺がなぜここにいるのかを思い出した。
「おっと、観戦している場合じゃなかった」
ロッチャ国の軍勢の場所は把握した。
山に分散配置させたり、村々に配置したりしていたノネッテ国の兵たちを呼集して、この近くの地点を集結場所にしてある。
だから、そちらに合流しないと。
木の陰からそっと離れ、もう少し村や町がある土地の側へ走り出す。