三百八十五話 前騎士王との決着
騎乗突撃をかける俺と、騎乗した状態で立ち止まって待ち構えるテレトゥトス。
普通なら、攻撃に走る勢いを乗せられる、俺の方が有利な状況だ。
しかしテレトゥトスの余裕ある立ち振る舞いから察するに、テレトゥトスは有利な状況を覆せるほど俺と彼との実力差があると判断したようだった。
実際、その見立ては正しい。
俺だって、騎乗突撃だけならテレトゥトスに敵わないと理解しているんだから。
「いくぞおおおおおおおおお!」
俺はあえて大声を放って、攻撃のタイミングを知らせながら、剣を振るった。
並みの相手なら確実に殺せる攻撃――ファミリスも「良い一撃です」と評価するに違いない攻撃だった。
しかしテレトゥトスはごく当たり前のように長剣で防いで見せる。小動もしていない。
俺は攻撃が防がれたと感じた直後、乗騎の軌道をテレトゥトスとすれ違うものへと変更して、テレトゥトスの後ろへと去ろうとする。
その瞬間、ぞわりっ、と背筋が粟立った。
嫌な予感を避けるように頭を深く下げる。それこそ、馬の鞍に上半身を押し付けるような勢いで。
上半身を倒した一瞬後、俺の後ろ髪の先が切り払われる感触がした。間違いなく、テレトゥトスの剣による一撃だった。
俺は背筋に冷や汗が浮かぶ感触を得ながら、どうにかテレトゥトスの攻撃範囲の外へと脱出することに成功する。
まったく。か細い勝利の意図を掴みとるためとはいえ、命懸けすぎる。
これで一段階目の、しかも途中なんだから、命がいくつあっても足りやしない。
俺は恐怖で強張ろうとする体を緩めるために、そんな戯言を心の中で浮かべて苦笑を作る。
そのうえで、さらに独り言で自己暗示をかける。
「大丈夫だ。やれる、やれる」
ふぅっと緊張が解れたことを実感しながら、再び乗騎の鼻先をテレトゥトスに向け直す。
そして再び騎乗突撃を敢行する。
一度終われば、また再び行い、何度も繰り返していく。
まるで俺が、騎乗突撃以外にテレトゥトスに敵う戦法が思いつかないかのように、偏執的なほどにだ。
そんな度重なる騎乗突撃を、テレトゥトスは黙って受けて立つかのように、立ち止まりながら防御してから即時の反撃を一度するだけを続けている。
このテレトゥトスの行動の狙いは、単純明快だ。
反撃の一撃で俺を倒せれば良し。もし倒せずとも、俺と俺の乗騎は騎乗突撃を一度行うたびに体力を大きく消費するのだから、体力を消耗し尽くすを待つだけで勝ちを拾うことが出来る。
俺を助ける勢力は来ない。前線は膠着状態だし、後方部隊はコンスタティナの相手と後方陣地への備えのために手を割けないからだ。
だからテレトゥトスは、多少時間がかかったとしても、俺を疲れ果てさせた後に確実に仕留める待ちの戦法を選んでいるわけだ。
まさに一国の王だった者らしい、個人の実力に裏打ちされた手堅く王道な戦法といえる。
そんな盤石な戦法を敷く、実力が確実に上の相手に勝とうとするなら、やっぱり無茶や無理を押し通さないといけないわけで――つまるところ俺は自分の身を危険に晒して勝機をもぎ取るしか方法はない。
それこそ、たった一度しかチャンスがないような、一度の失敗で確実に詰みの状況に陥るような、そんな戦法を取るしかない。
「さてさて、状況は俺が事前に思った通りに進んでいるけど」
そう、俺は読んでいた。俺が騎乗突撃を連続して行えば、テレトゥトスが手堅い戦法で待ち受けるであろうことを。
なにせ時間がかかろうとも確実に勝てる戦法があるのなら、それを採用することが戦いの作法の上で言えば『正しい』こと。そして神聖騎士国という『正しさ』を標榜する国の王として長年君臨していた人物なら、迷いなく『正しい』戦法を選ぶに違いない。
そんな俺の事前予測は、見事に的中した。
さらに言えば、こうして俺の騎乗突撃を何度も防いでくれていることこそが、第一段階の完遂に繋がっている。
ここから、作戦の第二段階、第三段階に移る。しかし、その二つの段階のどちらかでも失敗したら、俺に勝つ目は消え失せることにもなる。
「いくぞ!」
俺は決心するための雄叫びを上げ、息が上がりつつある乗騎を鐙で蹴飛ばして速度を上げさせる。
馬の鼻づらはテレトゥトスに直撃する方向を向かせたところで、俺は左手から手綱を放し、その左手と右手で剣の柄を握った。
さて、今の俺の行動を見て、テレトゥトスはどう感じるだろうか。
俺の乗騎は体力の底が見えつつある。その上で、俺は細かい馬の操作を捨てるように馬の手綱を手放し、剣を両手持ちしている。
これは、今回の一撃で全てを決着させようと意気込んで、最後の騎乗突撃をしようとしているようにしか見えないだろう。
事実、俺はこの一回の攻防でテレトゥトスを仕留めきる気でいる。その腹積もりは、隠す気もないから、俺の表情に出ていることだろう。
そんな俺の姿を見て、どうテレトゥトスが思ったかは、すぐに判明する。
俺が勝負を決めに来たと信じて、テレトゥトスも一撃で勝敗を決しようと馬上剣を大きく構えたのだ。
テレトゥトスがああして真正面から打ち破ろうとしてくれたことで、二段階目は完遂。
そして三段階目こそ、俺が一番命を懸けないといけない段階。
つまりは、俺がテレトゥトスを打ち取ることだ。
――――――場面転換―――――――
テレトゥトスは、迫りつつあるミリモスの姿を、平然とした気持ちで見ている。
神聖騎士国に君臨し、剣の頂の玉座に座っていたテレトゥトスは、戦いに心を揺らすことはない。
奇をてらわずに盤石な戦法の下で、普段と同じ心持ちで剣を振るい、当たり前のように敵を屠る。
それが、騎士王テレトゥトスが確立した『正しい』剣術なのだから。
一種冷めていると言えなくもない気持ちで、テレトゥトスは兜のスリットから見える光景の中にいる、ミリモスの一挙手一投足に目を配る。
度重ねて騎乗突撃してくる際には、どこか企んでいるような雰囲気が、身動きの端々にあった。
しかし今回の突撃には、馬を走らせる向きも、ミリモスの眼光や剣を持つ腕や身体から発する意気も、確実に勝負を決めにくる空気を纏っている。
ここでテレトゥトスは、冷静に考える。
彼我の実力差を鑑みれば、ミリモスがどんな手段を用いようとも勝ち目は皆無に近いが、ごく僅かには存在する。
その僅かだけある勝ち目をミリモスが拾おうとするのなら、正攻法を選択しては手が届かない。
故にミリモスが選択する戦い方は、相手の意を逸らしたり潜り抜けたりする、奇術の類に限定される。
相手が奇術を用いてくると理解していれば、それに惑わされない心構えが出来る。
テレトゥトスは、ミリモスがどんな布石を打とうと、揺れない心を保つことを決めた。
テレトゥトスが決心してから、ほんの五秒ほど。
テレトゥトスとミリモスの間の距離が詰まり、あと一秒もあれば、お互いに攻撃が届こうという場所まできた。
その瞬間、ミリモスが剣を振り上げた。まだ攻撃できる間合いの外にも関わらずだ。
テレトゥトスは奇術の始まりだと察し、冷静に観察と対応に努める。
ミリモスは、テレトゥトスが対応を完了していることを意に介さない様子で、振り上げた剣を力一杯に投げた。神聖術で強化された腕力で投擲された剣は、訓練された兵士であっても思わず身を地面に投げ出して回避しようとするほど、命を刈り取る迫力に満ちている。
しかしテレトゥトスは、回避する素振りすら取らなかった。自身が発揮する神聖術と、その身を守る神聖騎士国の鎧が、ミリモスが投げた剣を防ぎきると確信して。
そのテレトゥトスの見識は的を得ていた。テレトゥトスの胸元へ斜めに刃を当てたが、金属が弾き飛ばされる軽い音を立てただけで、鎧を斬り裂くことはできなかった。
それもそのはず。ミリモスが手放した瞬間から、彼の剣は神聖術の効果の範囲外になっている。
単なる刃がついた鉄の塊など、騎士王まで上り詰めた男が纏う神聖術の前では、鎧に傷をつける程度しか効果がないのも当然だった。
ミリモスの投擲という意表を突く攻撃を凌ぎ、テレトゥトスは反撃に馬上剣を振るおうとする。
今のミリモスは剣を手放している。手綱も手放しているため、馬に躱させることもできない。身を守る術は皆無。絶体絶命。
故にテレトゥトスは、この一撃は必ず当たると確信していた。
ミリモスが発した声を、その耳に入れるまでは。
「――温かき火よ、現れろ。パル・ニス」
呪文。それは魔法を使うための言葉――神聖騎士国の王城では、城に努める者の多くが神聖術を修めていることもあり、滅多に耳にしないもの。
故にテレトゥトスは、急に目の前を塞ぐように現れた明るい赤の火に、咄嗟に反応できなかった。
しかし反応できなかったのは、たった一瞬のこと。
不可思議な現象が起こる原因は魔法だと瞬時に判断し、魔法ならば神聖術で弾くことができる、魔法の火は目隠し以上の効果はないと判定する。
気にかける必要なしと、視界は火に遮られつつ一瞬の停滞はあったものの、馬上剣を横薙ぎに振るった。
――ザンッ
と馬上剣が肉を切り裂く音がした。テレトゥトスの手にも、肉と骨を断つ感触があった。
しかしテレトゥトスは、ミリモスを仕留めたとは感じていなかった。
手応えには、鎧を斬り裂いた感触が無かったからだ。
ここで視界を塞いでいた火が消え去り、テレトゥトスは光景を再び目にすることができた。
テレトゥトスの馬上剣には血が付いている。そして剣が通り過ぎた位置には、ミリモスの馬が前足を宙に浮かせて仰け反っている姿――胴体部に剣での裂傷が刻まれていた。
馬を身代わりにして、ミリモスはテレトゥトスの攻撃から逃れてみせた。
見事ではあるものの、しかしその防御法は苦し紛れでしかない。
馬を失っては、ミリモスに少しだけあった勝ち目すら消え失せる。
事ここに至っては、あとはミリモスを馬上剣で仕留めるだけの段階であると、テレトゥトスは判断した。
だからテレトゥトスは、ミリモスの姿を探してしまった。馬を盾にしたからには、地面へと逃れたのだろうと考えて、頭を俯かせるようにして視線を下げてしまった。テレトゥトスじゃなくとも、誰もがそうするであろう当たり前の行動をしてしまった。
盤石な王道を好むテレトゥトスらしく、定石を踏むような行動だといえた。
しかしテレトゥトスは、当然の行動はできたが、ここで『正しい』行動は取れなかったともいえた。
なにせミリモスの姿は、地面の上ではなく、テレトゥトスの頭上にあったのだから。
先ほどの攻防でミリモスが狙ったこと。
それはテレトゥトスの視界を魔法の火で塞いで、彼に攻撃を暴発させ、自分は乗騎の鞍を踏んで跳び上がって上空へと逃げること。
先に剣を投げて手放してみせたのも、テレトゥトスが攻撃してきやすいようにするための仕込み。馬が前足を上げて仰け反っていたのは、ミリモスが跳び上がる際に強く鞍を踏んだため、その衝撃に驚いて反発しようとしたため。
そう。先ほどの攻防は、ミリモスにとって決着への前段階でしかなかった。
いまミリモスは、気配を消す神聖術を使いながら、テレトゥトスの頭上にいる。上空へ足の裏を向け、頭を地面へと向けた態勢で。
ミリモスは頭を下げたテレトゥトスの、兜で覆われた後頭部を見ながら、腰から短剣を静かに抜く。
それは、出会った当初にパルベラが贈った、柄に神聖騎士国の騎士王家の紋章が刻まれている、あの短剣だった。
そして確実に短剣がテレトゥトスの頭に届く位置にまで自然落下したところで、気配を消す方から膂力を増す方へと神聖術の種類を切り替えた。
全力の神聖術でもって、身体と短剣を覆うと、ミリモスは渾身の力で短剣をテレトゥトスの後頭部へと突き刺した。
テレトゥトスは、突如感じた。頭の上で何者かの気配が現れ、そして増大したことを。
何者かではなくミリモスに違いないと判断し、頭上の存在へと剣を振り上げようとして、その直前に後頭部に衝撃が走った。
同時に、兜を割られる感触と、頭皮と頭骨を貫いて刃が刺し入ってきた触感。
これは明らかに致命傷。一瞬の判断ミスによって、確実な勝利を手放してしまったと、テレトゥトスは冷静に判断した。
しかしテレトゥトスは、破壊された脳から意識が消え去る僅かな時間、引き分けに持ち込むべく決着に抗った。
自分が死んでも、今代の騎士王はジャスケオスだ。前騎士王といえど今は一騎士でしかないため、神聖騎士国の軍勢にとって些かの陰りもでない。
しかし、ここでミリモスを殺すことができたのならば、ノネッテ合州国にとって戦闘における頭脳を失うに等しいこと。
まさしく、死出の旅路の道ずれにするに値する立派な相手。
致命傷を受けて意識が消えかけているテレトゥトスが、そこまで複雑なことを考えることが出来たとは言えない。しかし直感的に、ミリモスを道ずれに殺そうと動いたのは確かだった。
後頭部に短剣を生やした状態でテレトゥトスが攻撃に動いたことに、ミリモスは空中にいる状態で驚いてしまう。
驚き固まっているミリモスに向かって、テレトゥトスの死に際の攻撃が放たれ――外れてしまった。
そして、その一撃でもってテレトゥトスの命も潰えたようで、振り回した剣の重みに引きずられるようにして、馬上から落下して地面へと落ちた。
ミリモスは頭から地面に落下する直前に、地面に手をついて衝撃を緩和し、飛び込み前転の要領で地面に転がった後で立ち上がる。
そして先ほど投げた剣を回収しがてら、少しの間だけ地面に横たわるテレトゥトスを遠巻きに観察した。
時間を置いてもピクリとも動かないのを確認してから、ミリモスはテレトゥトスの死体に近づき、脈も呼吸もないことを確かめ、漸く安堵した。
「はぁ~~~、勝ち目が薄かった賭けに勝てたようだ。まったく、最後の最後まで油断ならない人だった」
ミリモスは、テレトゥトスとの攻防で溜まった精神的疲労を、大仰に吐き出した息に乗せる。
そして息を吐き切ったところで、どうしてテレトゥトスが末期の一撃を失敗したのかの理由を唐突に理解して、ミリモスは顔をひきつらせた。
「俺が空中で上下逆の態勢じゃなかったら、テレトゥトスが最後に描いた剣の軌跡に俺の胴体があったわけか」
そう、テレトゥトスは狙った場所を切り払っていたのだ。
ミリモスが放つ決着の一撃は、攻撃に最も力を入れられる体勢――体の上下が普通の体勢だろうと見越しての攻撃だった。
当たり前に考えれば、テレトゥトスの判断は正しく、末期の一撃が決まる公算の方が高かかった。
しかしミリモスは、テレトゥトスの視界の外へ自分の体を移動させることを優先して、気持ち高く空中へ飛ぶことにしていた。その上で、次に放つ決着の一撃を少しでも早めるべく、体の上下を反転させて剣を持つ手の位置をテレトゥトスに近づけようとした。
これは明らかにアドリブ任せの苦肉の策であり、正しい戦法とは決して言えない。
つまるところ、このテレトゥトスの最後の一撃に限って言えば、テレトゥトスは命を懸けた攻撃を外すほど運に見放され、ミリモスはたまたまの判断で命を披露ほど運に恵まれていただけのことだった。