三百八十二話 緩み
一日の休戦日を挟んで、戦争は九日目に突入。
今日も堅守の陣形で待ち受けているわけだけど、騎士国の軍勢の様子が今までと違っていた。
これまでは突撃ばかりしてきた騎士国側だったけど、なぜか今日は遠巻きにこちら側の様子を伺ったまま動こうとしない。
様子が変わったことに戸惑いはあるけど、こちらの軍勢を釣り出す目的かなと予想はしている。
でも釣り出し目的にしては、騎士国側からの挑発がないのが変に映る。
「普通なら一当てして、敵の意図を探るのが定石なんだろうけどね」
俺は小さく呟きながら、それはあり得ないと首を横に振る。
ノネッテ合州国側の戦争目的は、時間稼ぎだ。
騎士国側の目論見がなんであれ、様子見で時間を消費してくれるのなら、大手を振って付き合ってあげる方が、こちらの目的に適っている。
結局この日の戦争は、騎士国側が遠巻きに見た状態から徐々に近づいてきて、こちらの弓矢の射程範囲に入って出てを繰り返すだけで終わってしまった。
戦争十日目。
この日もまた、騎士国側は遠巻きに観察してくるだけ。
二日連続の不可解な行動に、俺は嫌な予感を覚えた。
その予感に突き動かされる形で、この日の夕方に、俺は部隊長級以上の者たちを集めて会議を開くことにした。
「騎士国の狙いは何だと思う?」
俺が率直に切り出すと、部隊長の一人が小首を傾げる。
「様子見をしてくるからには、こちらの弱点を探っているのでは?」
「じゃあ、その弱点について、思い当たる場所はある?」
「それは……」
言葉を発していた部隊長が、突然黙り込む。
その沈黙した様子は、弱点を指摘して俺からの心象が悪くなることを心配してではなく、明確な弱点が思いつかないように見えた。
正直言って、俺が敵の立場でノネッテ合州国の軍勢の弱点を探っても、弱点らしい弱点は思いつかないんだよね。
だからこそ、部隊長級以上の人たちを集めて意見を募っているわけだしね。
「他の人も、弱点に心当たりはある?」
俺が水を向けると、それぞれが思いつきの言葉を並べていく。
「守りの陣なので、移動速度が遅いのが弱点といえば弱点でしょうが……」
「時間稼ぎを目的なのだ。敵を追撃する必要はない。移動速度の遅さが弱点にはならんだろ。それよりも、魔導鎧の魔力消費による、兵士の計画的な休息が必須なのが弱点と言える」
「兵士の休息は順繰りに行えていて、戦線に影響は出ていない。やはり、人員多数による物資の消費の多さが弱点かと」
「後方からの物資運送で補給は賄えている。そして集めてある物資の面だけでいえば、半年は戦争できるだけある。弱点ではなかろう。やはり、騎士国に対する打撃力の低さが弱点ではないだろうか。ここまでの戦いで敵を殺せた数は、百にも届いていないというのだからな」
「堅守しつつ、無理攻めしてきた相手のみを狙って殺害してきたんだ。戦果が乏しいのは当たり前だ。弱点と言えるのは、我らの時間稼ぎが帝国の侵攻に異存しているという点ではないか」
「帝国が我らを裏切ると? そんな真似をして、帝国になんの得がある。我らと騎士国が戦っている現状こそが、帝国が騎士国を討ち滅ぼせる絶好の機会なのだぞ」
ああだこうだと意見はでるも、これぞ弱点だと言える言葉は出てこない。
俺だけじゃなく、部隊長級以上の人たちでさえ、騎士国が様子見を続ける理由は看破できないか。
困ったことだとは思うけど、俺も考え付かないのだから打開策がない。
結局、この会議で決まったことは、騎士国の軍勢の様子に注意しておこうと決まっただけの、実りないものになったのだった。
戦争十一日目と十二日目も、騎士国は様子見を続けただけ。
十三日目も動きがないようなら、こちらから挑発の言葉を投げかけて、騎士国の軍勢が動くか見てみようか。
俺はそんなことを考えていたのだけど、その考えが実行に移されることはなかった。
なにせ十三日目に戦場に展開した直後、騎士国の軍勢の雰囲気が今までと変わっていることを察したからだ。
「これは――今日は攻めてくるようだね」
俺が思わず零した独り言の通りに、騎士国の軍勢は攻めてきた。
今回は軍勢を二つに分け、こちら側の隊列の斜め左右から突撃する形だ。
なるほど。以前に中央突破を図って罠に嵌められたことを反省して、指揮官の俺を狙うのではなく、兵士たちの数を減らす方へ集中するように戦法を変えたようだ。
「左右の端の隊列を斜めにして、敵の突撃を受け止めて」
「ハッ!」
俺の命令を受けて、陣太鼓が特定のリズムで叩かれる。
隊列の左右の端から順々に後方へと下がり、〕の形の隊列へ変化する。
この隊列変更は訓練通りの動きなのだけど、その動き方を見て、俺は首を傾げる。
「なんか動きが悪くないか」
「そうでしょうか?」
隣にいた後方部隊の部隊長が、俺の意見に対して疑問顔をする。
日頃執務をしている俺と比べたら、この部隊長の方が兵士たちと多く関わっている。
その彼が問題と見ないのなら、俺の気のせいなんだろう。
でも、動きが悪いように、俺は見えるんだよなぁ……。
「今日、前線に出ている人たちは、ドゥルバ将軍麾下の魔導鎧部隊じゃなかったりするのか?」
「そうですね。今日は――特に左右の端のあたりだと、新たに魔導鎧を支給された者が多く配置されているようです」
「経験の乏しい兵士を狙い撃ちされるということか? それは大丈夫なのか?」
「新たに魔導鎧部隊に組み込まれたといっても、もともと戦働きの経験がある兵を編入しているので、戦いは十二分にできるはずです。もし仮に危険な戦況になったとしても、中央や後方から左右へ兵を振り分ければよいのです」
そんな話をしている間に、騎士国の軍勢が前線に到着した。
その際に振るった戦術も、以前とは変わっていた。
「突撃じゃなく、こちらの兵を掠めるように馬を移動させているね」
「あれは『歯車の陣』と呼ばれる戦法に似ています」
たしか歯車の陣は、卍のような渦の隊列を作り、その中心を支点にグルグル回るように移動しながら敵へ突っ込むという歩兵戦術だったっけ。
騎士国の騎士たちの戦い方を見ると、真っ直ぐ突っ込んで来て、ノネッテ合州国の前線に当たる直前で半円を描く軌道に変わり、一撃を与えた後は引き返している。
その部分だけを見ると、なるほど歯車の陣の亜種のように見えなくもない。
しかし、騎士の動きの直後に展開された光景を見るに、騎士国の軍勢は歯車の陣を採用した訳じゃなさそうだった。
「騎士国の騎士たちの一撃で少し体勢が崩れたところに、騎士国の兵士たちが突っ込んだ。互いへの叩き合いになった」
騎士国の狙いは、騎士が崩し、兵士が傷口を広げることのようだ。
その目的を知った後で、今までの騎士国の軍勢の動きを鑑みると、色々と腑に落ちた。
騎士国側が様子見に徹していたのは、熟練度の低いノネッテ合州国の兵士が集まる箇所を把握するためと、この戦法を練習して習熟させる時間を得るためだったんだろうな。
きっと、単純な戦法や付け焼刃な戦い方じゃノネッテ合州国の軍勢を簡単に倒せないと悟って、念入りに準備したんだろう。
例え弱点看破と訓練に時間を割き、ノネッテ合州国の目的である時間稼ぎに一時的に利することになっても、確実に勝つために必要なことだと割り切って。
「前騎士王エレトゥトスは自分一人の武勇でどうにかしようとする気質だと把握していたけど……」
それこそ、一騎討ちに俺を指名して勝敗を決しようとするだろうと、俺が思ってしまうほどにだ。
しかし今代騎士王のジャスケオスは、テレトゥトスと違うタイプらしい。
自分一人の力量に頼るのではなく、騎士国全体の力で戦争を勝とうとしているように、これまでの戦い方から伺えるしね。
そして、その戦い方の変化が見据える末は、きっと帝国との長年の戦争の決着だ。
今までの騎士国の軍勢はバラバラに戦って帝国と互角だったんだ。戦術を正しく学べば、帝国の軍勢より優位に立つ可能性が生まれる。
「ということは、騎士国の騎士や兵士の意識改革のために、ノネッテ合州国をダシに使おうとしたな……」
騎士や兵士に戦術の重要性を学ばせるに足る相手は、バラバラに戦っても跳ね返されるぐらいに力量はあるが、戦術を使えば勝てるぐらいの弱さが要る。
そう考えると、ノネッテ合州国ほど適した相手はいないだろう。なにせ時間稼ぎを狙っているため、防御は固いが攻撃を望んではしてこないという敵だ。簡単に勝てはしないが、攻撃力がないため敵として脅威ではない。
これほど戦術を見に付けるために適した敵は、早々いないだろうな。
けど万事が万事、ジャスケオスの思惑通りとは違うと、俺は思っていた。
「いま騎士国の領土に帝国の軍勢が進軍中だ。騎士国としては、少しでも早くノネッテ合州国を打ち負かして領地に帰りたいはず。それなのに、弱点を伺ったり、戦術の訓練をしたりと時間をかけている。こちらの強さを見誤っていたって証拠だ」
大国の騎士国の王といえど、ジャスケオスは就任年数の少ない新王――目にする事実に自分の願望を混ぜるような未熟さがあって然るべき存在だ。
そんなジャスケオスの人物評価を下していると、後方部隊の部隊長が忠告する声を出してきた。
「一度引いた騎士が、再び突撃してきますよ」
指摘を受けて前線に視線を向け直すと、確かに騎士国の騎士が再突撃してきていた。それも自軍の兵士の背中を突くような格好でだ。
味方諸共に引き潰す気かと目を疑ったが、しかし騎士が突撃してくる寸前で、騎士国の兵士たちが左右に避けて道を作る。
その開かれた道を通り、騎士は突撃してノネッテ合州国の前線に打撃を加えると、再び引き返していく。
そして騎士の打撃で崩れた隊列を更に崩そうと、騎士国の兵士たちが再び乱打戦へと持ち込む。
しばらく様子を見ていると、同じ光景が三度、四度と展開され、ノネッテ合州国側の被害が積み重なっていく。
その訓練し尽くしたと見える動きに、俺は舌を巻いた。
「左右の戦線から崩壊しかねない。戦力を充填するしかない」
手早く行うのなら、前線中央で活躍していない兵を左右に振り分ければいい。
しかし前線の真ん中の戦力を減らすことには、とても抵抗がある。
「……いま前線に、今代騎士王、前騎士王、そしてコンスタティナ女王がいないのが気がかりだ」
あの三人は、間違いなく騎士国でトップの武力を誇っている。
それらの人物が前線に立っていないということは、切り札として温存されていると見越さなければいけない。
俺が騎士国の王だったら三枚の切り札をどう使うかと考えたら、答えは決まっていた。
敵の指揮官を直接狙わせる。前に並みの騎士で通じなかったのなら、最強の騎士を使えば打ち取れる可能性が高いしね。
「前線中央は、あの三人に対する防波堤になる。これは崩せないよなぁ……」
俺は仕方なく、後方部隊から兵を抽出することにした。
後方部隊にいる、簡易魔導鎧を装備した者を選んで盾を持たせ、前線の左右へと向かわせた。
人員を増加させたことで、左右の戦線は崩壊することはなくなるはずだ。
結局のところ、俺が考えた通り、戦線は崩壊することなく持ちこたえることができた。
しかし十三日目の戦争で、弱い場所を突かれたこともあって、ノネッテ合州国の軍勢に五百に近い死傷者が出た。
この結果に衝撃を受ける俺に対し、ドゥルバ将軍には「この程度の損害、全軍から見れば砂粒のようなもの。騎士国を相手にしていると思えば、軽傷ですらないですな」と慰められた。
しかしその慰めは、裏を返せば、これから先の戦闘では、これぐらいの死傷者は常に出るということだ。
容易い相手とは思っていなかったはずだけどと、俺は五百の死傷者と知って衝撃を受けている俺自身に驚いていた。
「ここ最近は家族に囲まれて執務作業ばかりで、心が戦場から離れていたからかな……」
いちいち死傷者の大小で心を揺らしていたら、まともに戦争なんかできないと、俺は自分の心を戒めた。
そして、いよいよ本格始動を始めた騎士国の軍勢を相手に戦うのだと、戦争への気持ちを引き締めたのだった。