閑話 神聖騎士国の陣地にて
ノネッテ合州国との戦争を五日終えて、神聖騎士国の軍勢を預かる面々は少し焦燥を覚えていた。
「我らのような神聖術の遣い手は居らず、魔法の腕も帝国ほどではないと聴いていたが、存外に粘られている」
軍議の場に集まった、騎士や兵士を統括する役職の騎士たち。その一人から、ノネッテ合州国への愚痴とも賞賛とも取れる言葉が出た。
この発言を皮切りに、集まった面々が口を開いていく。
「あの敵軍が使う大鎧。あの魔導の鎧が曲者よな。使用に弱点があるとのことだが、神聖騎士国の兵の攻撃を受け止める力がある。平地の壁としての役割は十二分と見る」
「加えて、こちらとあちらの人数差が厄介だ。多少、大鎧の者やその盾を打倒できたとしても、翌日には補充されてしまっている」
「大鎧の中にある、四腕の異形鎧が侮れぬ。思いもよらぬところから一撃を貰ったと零す兵が多いのだ」
統括騎士たちの口振りは、厄介な相手に対する苦々しさがあるが、それに加えて高揚した気分が伺える弾んだ声をしている。
どうやら統括騎士たちは、手強い相手に心躍らせ、どうやって倒そうかとウキウキとした気分でいるらしい。
そんな少し浮ついた気分を諫めるために、現騎士王ジャスケオス・シルムシュ・ムドウが口を開く。
「皆さんが敵を賞賛する気持ちは、分からなくはありません。しかし今は、これから先、どうやって相手と戦うべきかを話し合おうじゃありませんか」
騎士王――神聖騎士国の騎士を束ねる者という肩書にしては、ジャスケオスの口調と物腰は柔らかい。その体躯も、周囲が筋骨隆々な騎士に囲まれている光景からすると、かなり細身で弱々しく映る。
前騎士王であるテレトゥトスは威風を前面に押し出す人物だったが、ジャスケオスはその真逆の印象だ。
この一見して強そうに見えない容姿と雰囲気は筋金入りで、騎士王となった当初は多くの騎士や兵士の臣従を得られなかったという背景すらあるほど。
騎士王に新任された当時、ジャスケオスを良く知らない騎士や兵士の多くは口さがなく噂したものだった。
『前騎士王の姫様に取り入って、腕前ではなく政治力で玉座を掠め取っただけの優男なのではないか』、『あんな者が騎士王として玉座につくことが『正しい』のだろうか』と。
そのうわさ話に、ジャスケオスの妻となったコンスタティナは大いに憤慨し、その苛烈な性格も合わさって神聖騎士国内に粛清の嵐を吹かせようとした。
しかし問題にされたジャスケオスが、コンスタティナの怒りを鎮めたことで、嵐はやってこなかった。
からくも難を逃れた騎士や兵士たちだったが、このジャスケオスの対応を弱腰と見て、あざ笑う方向へと進んだ者がでた。主に、大して実力がない騎士や下っ端の兵士たちに。
『腕前に自信がないからこそ、我らを諫めようとしなかったのだ』『そんな弱腰は騎士王として相応しくない。引きずり下ろすことこそが『正しい』だろう』
その騎士や兵士たちは、自分たちの上役に発破をかけた。『ジャスケオスよりも、貴方様の方が騎士王に相応しい』と誘惑した。
大半の上役は相手にしなかったが、武辺者と名高い騎士が話に乗ってしまう。
そうして武辺者の騎士は、騎士王の座を賭けてジャスケオスへ決闘を挑んだのだ。
そんな話があるほど、ジャスケオスの見た目や態度と口調は強者らしいものだとは言えない。
しかし天幕に集まった統括騎士たちは、緩んだ空気を引き締める態度に変わり、一様にジャスケオスへ頭を下げた。
「申し訳ございません。敵が予想外の強者だったゆえ、心が躍ってしまったのです」
「戦争の最中で相手を賞賛するなど、自らの驕りと言う外なく。決して『正しい』行いではなかったと、反省する次第です」
「反省してくれたのならば構いません。さあ、相手とどうやって戦いべきかを話し合いましょう」
優しい言葉で会話を促され、統括騎士たちは意見を出し合い始める。
「今までと同じ――敵の装備の消耗を狙う戦い方では埒が明かぬ。黒騎士からの報告では、ノネッテ合州国は後方から物資を輸送しているという。当初立てた物資切れを狙う作戦は、止めにするが的確やもしれぬ」
「しかし、相手は防御のみに意識を向けた戦い方をしているのだ。あれを容易く撃破できぬことは、初日のぶつかり合いで十二分に分かったこと。無理に力攻めをすれば、我らの軍勢が削がれてしまう」
「この戦いの敵はノネッテ合州国のみに在らず。本命は、神聖騎士国の領土を王都へ向かって進んでいる、帝国の軍勢。ここで悪戯に兵数を失えば、対帝国戦で太刀打ちできなくなる」
「だが状況を進展させねば、時間切れになる。我らが想定した最終防衛戦に帝国が到達してしまえば、我らは二正面での戦いを余儀なくされる。そうなれば、確実に負ける未来しかないのだぞ」
「一刻も早くノネッテ合州国を打ち倒さなければならないことは、ここにいる全員が共通する認識なのは間違いない。問題は、どうやってやるかという案がでない点だろう」
喧々諤々の意見のぶつけ合いが起こるが、的確な対応策が出る様子はない。
それもそのはず。神聖騎士国の国風は、個々人の実力を伸ばすことに重点が置かれている反面、共同作業というものが苦手という特色がある。
もっと言えば、騎士や兵士は神聖術を極めることを重要視するあまり、自分が強くなれば敵に勝てるという脳筋思考が強く、味方を生かして戦おうと考えることは少ない。
こういった意識があるからこそ、帝国と長年に渡って戦いながらも、戦法や戦術に方陣といった『他者との共同作業』をないがしろにしてきた。
今までは、その意識のままで問題はなかった。
神聖術を使えば、少ない人数で並大抵の敵なら大人数を蹂躙することができた。それこそ『正しさ』を旗印に世界の警察を気取り、世界各地の紛争に単独で介入することができてしまうほど。敵が籠城したとしても、神聖騎士国の騎士にとって城壁など簡単に跳び越えられる障害でしかない。
帝国との戦いであっても、侵攻してくる帝国を弾き返す戦いだった。ある程度の力を見せれば、帝国は勝てない戦いは続けられないとばかりに引き下がった。帝国の主力が魔法なのも幸いした。神聖術は魔法を弾く力があるため、神聖騎士国の軍勢は帝国と相性が良い。
これでは、戦術や戦法を学ぼうという気運が生まれなくとも仕方がないと言えた。
そんな思考回路だからこそ、今回の敵であるノネッテ合州国が相手だと手詰まりになってしまっているわけだ。
ノネッテ合州国は堅固な方陣を敷いて仲間と共同して時間稼ぎに徹している上に、魔導鎧という馬鹿力を発揮するだけの魔導具を用いている。
つまり、軍勢の統率力が段違いなのに、個々人の力量に差があまりない状況だ。
この有り様な神聖騎士国側が勝ててしまえるほど、戦争は易しくない。
神聖騎士国の統括騎士たちも、事ここに至って、戦法を扱うべきだと理解している。
しかし、その戦法自体を学んでこなかったからこそ、どんな案を出すべきか理解できていない。
だからこそ、会議は堂々巡りを続けてしまう。
「やはり、敵の防具の消耗を狙って――」「敵の時間稼ぎに付き合う必要はないのだから――」「そのためには先ず――」
ぐるぐると会話が回り続け、このまま何の成果も得られないままに終わるのか。
そんな危惧が持ち上がる段階にきて、一人の統括騎士がおずおずとジャスケオスに伺いの言葉を向けた。
「騎士王様。黒騎士殿を貸してくださることは、可能なのでしょうか?」
唐突の質問に、他の筆頭騎士たちは疑問顔。どうして『黒騎士』を持ち出してきたのかと。
黒騎士の役割は、気配を悟られぬ神聖術を生かしての情報収集。
今回の戦いでも、敵陣の様子を探らせることはあっても、戦場に同行させることはなかった。
それなのに『黒騎士を貸せ』という不可思議な提案に、ジャスケオスも面白いと思った。
「用途によるよ。黒騎士をどう使おうというんだい?」
「敵に補給物資が来る限り、敵の装備の消耗は狙えません。ならば、その供給を断てばと」
「ノネッテ合州国の補給隊を討つ役割を、黒騎士に担ってもらおうというわけかな?」
「黒騎士は気配を消して行動することができます。敵の補給隊は、なにが起こったかわからないまま、物資を失うのではないかと」
初めてとも言える建設的な意見。
しかし、他の統括騎士たちは鼻白んだ表情を浮かべる。
「黒騎士で敵の補給を叩けるか? アイツらの力は偵察に特化したもの。荒事には向いていないと聞く」
「それに相手は、ノネッテ合州国――もっと言えば、パルベラ姫が嫁いだミリモス・ノネッテだ。あの御仁は、黒騎士が使う気配を消す方の神聖術をも使えるという。対応策を生み出していてもおかしくはないぞ」
否定的な意見の連続に、黒騎士を使う提案をした統括騎士は肩をすぼませる。
しかしジャスケオスだけは、否定しなかった。
「出来るか否かは、当の本人に聞けばいいでしょう。黒騎士、意見を言ってください」
ジャスケオスが呼びかけると、天幕の端に真っ黒な甲冑を着た人物――黒騎士が一人浮かび上がった。
「敵軍の補給を断てるか否かを答えれば?」
「そうです。どうです、出来ますか?」
「答えは否。出来ないことは確認済みです」
黒騎士が否定したことに、なぜか統括騎士たちが驚いた顔をする。どうやら彼らは口では否定しつつも、黒騎士ならば出来るのではないかと考えていたようだ。
ジャスケオスも黒騎士の意見が意外だったのか、興味深そうな目を黒騎士に向けている。
「どうして出来ないか、理由を聞いても?」
「補給隊を叩くだけならば可能。補給物資を焼くことも叶うかと。しかし我らが持ち得る手段の中に、大盾を壊す方法は存在しないのです。多少火に焼かれたところで、金属の盾はビクともしない」
「どうやっても金属の盾は残ってしまうなら、補給を叩く意味がないというわけですね」
「ノネッテ合州国は陣地から余剰の兵を出し、焼け残った盾を回収して持ち帰ることができますので」
黒騎士の明確な理論に、提案した統括騎士は残念がる。
これで議論は手詰まりかと思ったが、以外なことに、ジャスケオスが黒騎士に続けて問いかけた。
「なら、敵の陣地に侵入して混乱を起こすことはできますか?」
言外に夜襲をしかけられるかと問われて、黒騎士は一秒に満たない間ではあったが言葉を止めていた。
「……それも難しいかと。連日に渡って夜警が陣地内を見回っている上、黒騎士が通りそうな場所のみに限定して罠が仕掛けられています」
「罠ですか。それを避けたり、解除したりして、侵入はできませんか?」
「気配を消す神聖術は、相手から視認され辛くはできても、罠をすり抜ける力はない。罠を作動させてしまえば、我らの侵入を相手に報せてしまうことになります。それに、黒騎士に適した罠を仕掛けていることから察するに、ミリモス・ノネッテ殿は他にも対策を立てていると考えるべきかと」
「黒騎士たちを察知する方法があるってこと?」
「その方法は分かりません。しかし、あの御仁なら、同じ神聖術を用いての検証ができるのです。ならば出来るものだと考えて警戒するべきかと」
黒騎士の説明を聞いて、ジャスケオスは困り笑顔になる。
「今までの戦い方では勝ち切れない。補給は叩けないし、夜襲で陣地を襲えない。他に意見は出そうもない。こうなったら、取るべき方法は一つだけですね」
ジャスケオスは手を叩いて、天幕の外から人を呼び寄せた。
その人物とは、ジャスケオスの妻であるコンスタティナ。手には丸められた皮紙が、統括騎士の人数分だけあった。
コンスタティナは紙を一人ずつ配った後、なにも言うことなく天幕の外へ出ていった。
統括騎士たちは困惑しながら、配られた紙を開いてみて、中身に驚きの声を上げた。
「こ、これは?!」
「明日の戦争で行う戦法を書いてあります。大して訓練していなくてもできる戦法で、それでいて戦果が大いに期待できるものですよ」
こうして人数分の紙に書いて準備しているあたり、ジャスケオスがあらかじめ用意してあったことは間違いない。
その事実に、統括騎士たちの一人が苦笑を浮かべた。
「騎士王様も、御人が悪い。このような考えがあるのでしたら、我らが議論をする必要などなかったでしょうに」
「そうでもないですよ。その戦法は、いわば間に合わせの付け焼刃。より良い方策がでてくるのなら、闇に葬っても良い程度のものでしたから」
言外に『この程度の提案はすぐに出して欲しかった』と言われた気がして、統括騎士たちは恥ずかしさから顔を赤面させた。この段に至って、ようやく対面やら今までの慣習やらで頭が凝り固まっていたのだと自覚と反省をして。
統括騎士のそんな様子を、ジャスケオスは満足そうに見てから、天幕に設えた席を立った。
「明日までと時間がないけど、君たちの配下に戦法を学ばせてあげて欲しい。やることは単純だから、すぐに覚えられるはずです」
ジャスケオスは『後は任せる』とばかりに天幕を出る。そして歩きだすと、彼の腕にコンスタティナが自らの腕を搦めてきた。
「お疲れ様。会議、大変そうだな」
「労ってくれるのでしたら、コンスタティナも会議に参加してくださいよ」
「嫌だ。騎士の連中、なにかある度に私に助けを求める目を向けてくるのだ。あれが気に食わん」
コンスタティナがプリプリ起こる様子に、ジャスケオスは苦笑いする。
「仕方がないよ。苦手意識を持たれちゃたんですから」
「仕方がないものか。我が夫は、分不相応にも騎士王を狙った馬鹿者を、一撃の下で成敗しただけだ。そのどこに苦手意識を持つ必要がある!」
「それは多分『一撃で』の部分だと思いますよ」
そう、ジャスケオスは武辺者の騎士と騎士王の座を賭けた決闘を行い、瞬く間に一撃で相手の意識を刈り取った。武辺者と名高いだけあり、相手の騎士は強者だ。それこそ前騎士王と良い戦いをするであろうと目されたほどには。
それにも関わらず開始一秒と経たない早期決着に、決闘を観戦していた者たちは瞠目した。そして同時に恐怖した。口さがなく扱き下ろしていた相手が、想像の埒外に存在するほどの強者であると実感させられて。そしてジャスケオスが悪口に反論しなかったのは、弱者の戯言を取り合う必要がないという、強者ゆえの余裕だったのだと理解して。
実力が露わになった決闘以降、神聖騎士国の騎士と兵士たちは、ジャスケオスこそが当代騎士王に相応しいと臣従を誓った。その圧倒的な実力への恐怖と共に。
しかし妻であるコンスタティナは違う。
「騎士王が強いことは、頼もしいことであろう。それを怖いと思うなど、尻の穴の小さいと言わざるを得ないのではないか」
「君ほど物事を大らかにとらえる豪胆な人は、余り居ないものですよ。それと女性が下世話な言葉を口にするものじゃありません」
戦争の陣地の中だというのに、ジャスケオスとコンスタティナは仲睦まじい様子で一つの天幕の中へと入っていった。
その様子を見ていた騎士や兵士たちは、流石は今代騎士王と先代騎士王の娘だと、二人が醸し出す強者の余裕に感心するのだった。