三百六十九話 技術供与の理由
フンセロイアからの唐突な申し出に、俺は目を瞬かせた。
「帝国が魔導技術の供与すると? しかも無料で?」
俺が信じられないという思いを表情に出しながら言うと、フンセロイアはニッコリと笑い返してきた。
「こちらの言葉が信じられないと?」
「信じる信じないじゃなく、ノネッテ合州国の側に話が美味過ぎるので警戒しているんですよ」
魔導技術というものは、長く研究をして漸く一歩前に進めるような技術。
金を払ってくれたら渡すというのなら分からなくはないけど、無料で渡そうとするなんて普通じゃ考えられない。
そういった常識的な疑問を告げると、フンセロイアは『さもありなん』という感じで頷いた。
「それでは、どうして帝国が、このような思い切った提案をするに至ったのかをお話しましょう」
フンセロイアは喉の調子を整えるための咳払いをする。
「こほんっ。実を申しますと、帝国はノネッテ合州国について、ある危惧を持っていたのです。ノネッテ合州国は魔法と魔導技術を国の発展に使っています。この部分は帝国と相通じるものがあります。しかし、ミリモス殿に限ると、神聖術を扱える上に妻の一人が騎士王の娘。親騎士国の側であると見ることもできます」
「ノネッテ合州国が親帝国か親騎士国か分からなかった。しかし今はそうじゃないと?」
帝国が魔導技術を無償提供する気になったからには、帝国はノネッテ合州国を親帝国と見なしたということになる。
そう考えた俺に対し、フンセロイアは首を横に振る。
「いえ。明らかになったのは、騎士国からきた魔導具使用中止要請をノネッテ合州国が突っぱねた――ノネッテ合州国が『親騎士国ではない』という点です。『親帝国である』とは見なしていませんよ」
「親帝国じゃないとも思っているのに、技術供与をすると?」
「はい。ああ、付け加えますと、ノネッテ合州国が魔法と魔導技術を盛んに扱っている点も、技術供与をしてもいいと思えるほどには、帝国が好印象を持つ理由になっています」
「それだけの理由で、好印象を?」
「騎士国は魔法と魔導技術を毛嫌いしてます。つまりそれは、魔法と魔導技術を好んで使う存在ならば、潜在的に騎士国の敵であるといえる。潜在的でも騎士国の敵であるのならば、帝国が手を取ろうと考えても可笑しくはないでしょう?」
フンセロイアが語る話の筋に不可解な点はない。
それでも、帝国の一等執政官が相手だからこそ、警戒感は残すに越したことがない。
「話は分かりました。無料の技術供与の代わりに、帝国はノネッテ合州国になにを求める気なのでしょう?」
俺が率直に要求を尋ねると、フンセロイアの笑顔が少しだけ気楽そうなものに変化した。
「いやぁ、ミリモス殿とだと話が早くて助かります。帝国はノネッテ合州国に要求するのは、ただ一つ。提供した技術で、ノネッテ合州国独自の魔導具を更に発展させていただきたい」
「……帝国から魔導技術が供与されたら、それを元に研究開発を行うのは当たり前のこと。その当たり前のことをやれと、帝国は望んでいると?」
当たり前に行うであろうことを、ちゃんと行え。
国から国に対する要求にしては、なんとも易しい内容だ。生易しいとすら言い換えられる。
これほど易しい条件だと、どうしても裏を疑ってしまう。
そういう俺の心理について、フンセロイアは重々に承知しているようだった。
「先ほども言いましたが、騎士国は魔導技術を毛嫌いしています。帝国からの技術供与によってノネッテ合州国が魔導技術を推進するとみたら、より一層ノネッテ合州国に嘴を突っ込んでくることでしょう」
「騎士国がノネッテ合州国を突きにくるのが狙い――さては、ノネッテ合州国と騎士国とで戦争をさせようとしていますね」
俺が突っ込んだ疑問を投げかけると、フンセロイアは満面の笑顔で応える。
「もし仮に、ノネッテ合州国と騎士国が戦争状態になったのなら、帝国も騎士国を攻め立てる準備をすることでしょう」
「それはノネッテ合州国を救援するためじゃなく、長年の怨敵である騎士国を打ち倒すためですね」
「それはそうでしょう。ノネッテ合州国と帝国は同盟国ではありません。ノネッテ合州国と騎士国が戦争になっても、帝国がノネッテ合州国に肩入れする口実がありませんからね」
「ノネッテ合州国を助ける口実はない。けれど、帝国は騎士国と長年に渡って戦争をしてきて決着がついていない。だから『戦争の決着をつける』ために戦争を起こすことはできるというわけですね」
「そう。もし騎士国が不用意に帝国以外の国と戦争をするなんてことがあったら、その無防備な横腹を帝国に突き刺されても文句は言えないでしょう?」
なるほど。帝国はノネッテ合州国をダシに使って、騎士国との関係に終止符を打とうとしているわけだ。
そのダシを使う前段階――前払いとして、ノネッテ合州国に魔導技術を無償提供しようというわけだ。
「……話は分かりました。正直、このままだとノネッテ合州国が騎士国に勝つ目が小さいと思っていたところです。帝国からの技術供与があるのなら、諸手を上げて歓迎させていただきます」
「喜んでいただけるようで助かります」
フンセロイアはもう一度ニッコリと笑った後で、内緒話をするように身を乗り出してきた。
「ところで、本当に騎士国とノネッテ合州国は仲違いしているので?」
俺はどう答えたものかと考えて、ここは素直に状況を説明するべきだろうと判断した。
「仲違いというよりかは、認識の相違が起きたという形ですね。騎士国は『魔導具の使用を止めることが民のため』と主張し、こちらは『民の暮らしを豊かにするために魔導具が必須』と反論したんです」
「その反論に一理あるからこそ、騎士国は即時開戦という選択肢を消し、様子見に努めているというわけですね」
フンセロイアは、少しの間、考え込む。
その後で、良い話が聞けたといった笑顔になる。
「今日伺った用件は、これで達成しました。技術供与は、ミリモス殿にお渡しすればよろしいでしょうか?」
「渡してくれる技術は、いま持っているものなのですか?」
「はい。すぐにお渡しできるよう、馬車に乗せたままの荷物の中に入っております。研究資料という形で」
魔導技術の本拠地はロッチャ州なので、そっちに持って行ってくれたら手間がなくていいんだけどな。
しかし俺がフンセロイアに対して、そんな要望を言える立場じゃないしな。
「それでは、私が供与される技術を受け取ります。その後、ロッチャ州へと自ら運搬することにします。誰かに取られでもしたら大変ですから」
「そうしてくれると、こちらとしても助かります。なにせ騎士国の黒騎士という存在は、どこにいるかわかったもんじゃないと言われていますからね」
確かに、気配を消す神聖術を使える黒騎士なら、知らず知らずのうちに盗まれてしまいかねない。
実際に俺なら、気配を消す神聖術を使用して誰にも気づかれないまま人の財布をスリ取ることは造作もない。
俺が出来るようなことなら、より技術を先鋭化させている黒騎士が出来ないはずがない。
でもまあ、情報収集が役目の黒騎士とはいえ、彼らはまぎれもなく『騎士国の騎士』だ。人のものを盗むなんて『正しくない』行いをするとは思えない。
だから黒騎士が窃盗を行う心配をすることは、する意味のないことだと言えるけどね。
「では、帝国からの技術供与をお預かりします。頂いた技術を用いて、よりよい魔導具を作ってみせます」
「はい、楽しみにしております。それこそ、騎士国が目こぼしできなくなるほどの成果を期待しておりますね」
俺とフンセロイアは、お互いに笑顔で握手する。
お互いがお互いに、自分が属する国のことしか考えていないと、そう理解しながら。