三十三話 予感
一度陣地に戻り、魔法使い数名を引き連れて、俺はロッチャ国の兵士たちに嫌がらせに戻る。
水と風の魔法を使用して、遠距離から連中をずぶ濡れにするのだ。
「帝国製の杖が二本あってよかった」
連れてきた魔法使いに杖を渡して、一人が散水の魔法を放ち、もう一人が風起こしの魔法を使う。
散水は畑の水まきに、風起こしは扇風機代わりに使うものなので、両方とも本来は生活用の弱い魔法だ。
しかし帝国製の杖に増幅してもらえば、散水は霧雨の魔法になり、風起こしは突風の魔法にまで強くなる。
これで普通のときと消費魔力は同じなのだから、帝国の軍隊が強い理由がわかるというものだ。
さて、こちらは魔法で嫌がらせをしているわけだけど、相手側はどうしているかというと、密集陣形となった後で盾を前面に押し出して突風と霧雨を防ごうとしている。
その姿はまるで、前世で教育番組の映像で見た、ブリザードに耐えるペンギンの群れのようだ。
しかし羽毛と脂肪で覆われたペンギンと違い、ロッチャ国の兵士たちは鉄製の装備を身に着けている。
この霧雨と突風、そして冬山の寒さにどれだけ耐えられるだろうか。
音を上げてさっさと引き返してくれればいいなと思っていると、帝国製の杖で魔法を使っている兵士たちが声を上げた。
「ミリモス王子。もうそろそろ限界です」
「弱い魔法でも行使し続けるのって、意外と消費が激しくて」
「うん、無理しなくていいから。これはあの人たちに風邪をひかせるための嫌がらせだからね。辛くなったら止めていいから」
俺が許しを出すと、魔法使い二人は魔法を止めて、頭をふらつかせる。
魔力が減ったところで体力を失うわけじゃないんだけど、精神的な疲れと意思の薄弱化が出るから、貧血のような症状に陥るんだよね。
俺も、魔法の勉強をしていたとき、よくなった。
「それじゃあ、少し山を登って待機しよう。ロッチャ国の兵士たちは、今から休憩に入るだろうから」
二人から杖を回収し、率先して山を上ろうとすると、呼び止められた。
「ミリモス王子。連中が休むというのなら、襲撃するチャンスでは?」
「そうですよ。こっちにはまだ、魔力が有り余っている人員が三人もいます。ここで倒してしまいましょう!」
意気込む二人の気持ちはわかるが、襲撃しない理由もちゃんとある。
「俺たちは、嫌がらせで心を挫くことで、あの兵士たちを退散させようとしているんだ。けどここで、あの人たちに被害を出してみなよ。仲間の仇って考えて、是が非でも上ってくるようになるよ。それじゃあ、嫌がらせをする意味がない」
作戦の目的を伝えてみたが、兵士たちは不満げだ。
「ミリモス王子は、連中が上ってくるのを、みすみす許す気なんですか?」
「敵の人数が減れば、その分だけ我々の被害が減るんですよ!」
「俺だって、そこはわかっているって。だから、あの人たちがもう少し上ってきたら、直接的な攻撃をするつもりだよ。山の頂上がはっきり見える位置にきたら、どんなに嫌がらせをしても、連中は山を下りようだなんて考えないだろうからね」
俺がちゃんと後のことも考えていると分かったからか、兵士たちは異議を取り下げてくれた。
「そういうことでしたら、嫌がらせ任務、続行します」
「けど、直接的に魔法で攻撃することになりますかね。冬の山に金属の鎧で上ってくるような無知な連中ですよ。水と風と寒さの連続で、嫌気が差して山を下りてしまうと思いますよ」
「しかしミリモス王子も、よくこんな悪い手段を思いつきますね。金属の鎧相手に、火じゃなくて水をかけて撃退するだなんて、前代未聞だと思いますよ」
兵士たちの軽口に、俺の顔に自然と笑顔が生まれる。
「ここで戦争を回避できるだけでも、ノネッテ国にとっては勝ちだよ。軍隊を動かすだけでも、煮炊きで食料と燃料がかる。向こうは速攻を決める必要があるから、全軍の一万人規模で動員してくるはずなので、消費する量も莫大だ。一度、完全に侵攻が失敗したら、すぐに再侵攻は出来ない。それこそ、準備にニ年は最低でもかかると思う」
これは俺の希望的観測ではない。
そもそも、ロッチャ国がノネッテ国に攻め入ろうとしている理由は、帝国との同格国証明書――ひいては、帝国との取引を優位な形に作り直すことだ。
どうしてそんなことがしたいかと言えば、ロッチャ国の武器が帝国に売れなくなって、経済が疲弊しているから。
つまりロッチャ国には、お金がない。
その寂しい懐事情をやりくりして軍費を捻出し、どうにか今回の侵攻を計画した。戦争という博打を打ちでもしないと、経済の立て直しができないからだ。
だから仮に今回の侵攻が失敗したら、経済的に国が滅びないようにしながら再侵攻を計画するためには、ロッチャ国はどんな工夫をしても二年は軍費を集めることはできないはずだ。逆説的になるけど、再侵攻がすぐできるだけの経済的な余裕があるなら、大軍を動かしてまでノネッテ国が持つ紙切れを狙う必要はないだろうしね。
そんなこんなを兵士たちに説明すると、よくわからないという顔を返されてしまった。
「ミリモス王子がちゃんと考えているって分かったから、大丈夫だな」
「流石は元帥様ですね。オレらじゃ、言っていることの半分も理解できませんよ」
「ちゃんと理解しておいてくれた方が助かるんだけどなあ……」
まあ、兵士の役割は戦うことだ。他と比べると学を持つ魔法使いの兵士と言えど同じこと。変な高望みをするのは止めた方がいいだろう。
「さて、山を少し上ってから休憩しよう。俺たちは魔法使いばかりだから、煮炊きが楽でいいよね」
「薪がなくてもお湯が沸かせて、水筒を持ち運ぶ必要がないから水が氷る心配もないですからね」
「獣が冬眠していて出てこないから、携帯食を食うしかない点だけが不満だよな」
俺たちは軽口を叩きつつ笑いながら、山の斜面を登っていった。
ロッチャ国の兵士たちへの嫌がらせは、連日行われた。
あちら側も何度となく魔法を浴びせかけられているため、対処に慣れてきた節がある。
それでも、重たい鎧を付けて山登りを行い、日中に霧雨と突風の魔法でずぶ濡れにされ続けたことで、疲労の色も濃くなっているように見えた。
足取り重く進軍してくる中には風邪をひいた人もいるようで、仲間に肩を借りて歩いている姿もある。
「これだけ嫌がらせして、病気の人も出ているっていうのに、山登りは止めないなんて……」
動員一万人と考えられる内の三千人の部隊という規模から、彼らは間違いなく先遣隊だ。
そして先遣隊で重要度の高い任務には、情報を本体に与えることもある。
どの道が本体を通す上で安全なのか。休める場所はどこが適切か。接敵した敵の規模と装備はどんなものだったか。
仮に先遣隊が全滅するようなことがあっても、本隊がその情報を掴めば、先遣隊が死滅した場所を迂回することができるし、もしくはより用意をして進軍する準備ができる。
「だから逃げ帰ってもいいのに、頑なに山を越えようとしてくるなんて」
兵士に魔法による嫌がらせを任せつつ、俺は不思議な点を小声で一つ一つ確認していく。
「ロッチャ国の兵士たちは、こちらの嫌がらせにうんざりした顔をしながらも、山を登ってくる」
嫌がらせに怒って、意固地になって山登りを強行しているようには見えない。
「士気が低下していて逃げられる状況なのに、それでも逃げないってことは、なにがなんでも山を越えろっていう命令を受けているわけだな」
でも、どうしてそんな命令を、彼らの上官はしたのだろうか。
「一番考えられるのは、ノネッテ国の兵数は少ないから、先遣隊だけで押し切れるって判断した」
しかし、俺は霧雨と突風の嫌がらせで、病気という被害を与えている。被害が拡大する前に、山を下りて本隊と合流し、先遣隊が持ち帰った情報を元に山登りを開始した方が、合理的だし突破もしやすいはずだ。
それなのに強行しているということは、その命令において、先遣隊の被害は度外視されているということ。
「この山を制圧したとして、ロッチャ国の利益と、ノネッテ国の不利益はなにか」
ロッチャ国の利益、自国とノネッテ国を行き来できる唯一の道を握ることが出来るし、侵攻拠点を作れる。
ノネッテ国の不利益は、逆にロッチャ国に行く道を塞がれること。しかしこれは、直通の道が失われるだけだ。メンダシウム国が滅びて帝国領になったおかげで、その領地をノネッテ国の外交官は通ることが可能になっている。そして帝国伝いに道をゆけば、ロッチャ国に行ける。実質的には、無被害に等しい。
「うーん。三千人の部隊を使い潰しても良いって命令にしては、利益と損失のつり合いが取れていないんだけどなあ」
なにかしら、俺の知らない利益があるのだろうが、情報がないため考えるだけ無駄か。
「そもそも、先遣隊の進行を嫌がらせで遅れに遅れさせているのに、後続の本体の影すら山の下に見えないのも変だよな」
先遣隊が山を制圧するのを待っているにしても、山裾に展開していないと変だし、様子を知りに伝令を遣わせてきてもいいはずだ。
「俺がやっているように、上空に魔導機を飛ばしているわけじゃないし」
上空を見上げても、鳥の影は一つもない。そもそも、この山の寒さじゃ、鳥型の偵察用魔導機は飛ぶと各部が凍り付いて墜落してしまうため、使用不可能のはずだ。
「ここまで色々と考えてきたことを総合して、ロッチャ国の先遣隊の役目を考えると――」
利益不確かな地点に対し、被害を無視した行軍。そして現れないロッチャ国の本隊。
それらから導き出される考えの中で、一番あり得るのは。
「――ノネッテ国の兵士の多くをこの地点におびき寄せて、目を先遣隊に釘付けにすることとか?」
口に出していってみて、あり得ると確信する。
「ノネッテ国の兵士は少ないから、どうしてもある地点において総力で防衛しなきゃならない。それを逆手にとって、先遣隊を囮として使い、本隊は別の地点から山を越えてノネッテ国に進軍する。そうすれば、ノネッテ国内は兵士がほぼいない無防備地帯で、進軍し放題だ」
ロッチャ国に都合のいい想定だけど、的を得ていると直感が囁いてくる。
「問題はどの地点から、ロッチャ国の本隊がノネッテ国に入ってくるかだけど……」
俺の予感が当たっていたとしても、ノネッテ国の兵数は少ない。
ロッチャ国の本隊が七千人いるとして、それを相手にするのなら、一点に集結配置することが望ましい。
「そうなると王城決戦――いや、それじゃあ戦略的に負けか」
寡兵が大軍に勝つにはゲリラ戦法か籠城戦しかない。
けど、王城の周りには町がある。その町を見捨てて城で決戦などしたら、例え勝ったとしても、被害が甚大に過ぎる。
これは最後の手段じゃないと。
「兵士の一点集中は諦めて、ノネッテ国の東側、ロッチャ国側の山々に兵たちを分散配置するしかないけど……」
それはただでさえ少ない兵力を薄めることに繋がるため、ロッチャ国の大群相手だと、大量の蜂が要る巣に単身で乗り込むようなものに等しい。
「うーん。これはアレクテムに相談するしかないな」
考えが行きつけるところまで行きついたので、独り言を止める。
そして顔を上げると、兵士たちが微妙な顔でこちらを見ていた。
「どうかしたの?」
「いえ。長くブツブツ呟いているんで、大魔法の準備でもしているんじゃないかと」
「もしくは、寒さで頭がイカレたのかと」
「失礼な。ロッチャ国の兵士が、どうして山登りを諦めないか考えていただけだよ」
「ほほー。流石はミリモス王子。敵の考えを読もうとしていたなんて」
「それで、なにか分かりましたか?」
「いや、確証はない。けどノネッテ国が拙い予感はあるんだ。だから、いったん陣地に引き上げて、アレクテムと相談することにした」
俺が予定を話したところ、兵士たちの顔つきが生易しいものへ変わった。
「ミリモス王子は、まだ十二歳でしたね。オレ、つい忘れてましたよ」
「アレクテムさんは、兵士として経験豊富。相談するには打ってつけだな」
「……なんだかみんなの表情が引っ掛かるけど、まあいいや。引き上げるよ」
「連中に直接的な攻撃をしなくていいんで?」
「俺たちが山の上の陣地まで引き返してから、再び下りてきたぐらいで、ちょうど被害を与えるのに適した距離になっていると思うよ。もっとも、アレクテムと相談した結果次第じゃ、攻撃する必要もなくなるかもしれないけどね」
兵士たちは俺の言葉が理解できない様子だったが、『ミリモス王子が引き返すというのだから、従っておこう』ぐらいの気持ちで、俺と一緒に山の上の陣地まで引き返してくれたのだった。