三百五十三話 時は流れ、世代が変わる
俺の守役――祖父のようなものと説明したこともあり、アレクテムは子供たちに懐かれた。
アレクテムの来訪以降、特に目新しい騒動はなく、日常がとても穏やかに過ぎていく。
一年、二年とあっという間に過ぎて、三年目が来た。
アレクテムの老化による衰えは、さらに顕著になった。もう何時天寿を真っ当しても不思議じゃない感じがあるほどに。
子供たちの相手をすることもなくなり、揺り椅子に座って子供たちが遊ぶ様子を眺めているほど。
寿命は仕方がないこととはいえ、死への道筋を止めることができない無力感が、なんとなく歯がゆく感じる。
それでも俺は、アレクテムが天寿を全うしそうな事に対して、あまり悲観していない。
こう人に言えば、若い時に守役になってくれた相手に薄情だと非難されるかもしれないけど、俺なりの理由がある。
それは、俺が異世界からの転生者だってこと。
前世の俺は、取るに足りない小市民でしかなかった。
大した功績がある存在じゃないにも関わらず、今世に生まれ変わることができている。
一方でアレクテムは、若い時から兵士として働いて国を支え、老いてからも俺の守役に元帥の補助や代理と、八面六臂の活躍と功績を持っている。
これぐらい国と人のために働いた人なら、死んだとしても来世が約束されていても変じゃないはずだ。
……いや、分かっている。
これは俺がそう思いたいだけの話。
アレクテムには来世があると信じることで、アレクテムの間近に迫った寿命に対して、心の整理をつけただけってことはね。
俺のことよりもだ。
アレクテムが死んだ際、懐いていた子供たちに、どう説明するかの方が問題だ。
死を、ハッキリと伝えるのか、ぼやかして伝えるのか、例え話に落とし込むのか。
どうすれば子供たちのためになるのか、悩んでしまう。
……俺は前世で死を体験したはずなのに、死をどう伝えたらいいか分からないなんて、情けないな。
そんな日常の悩みを抱いていたところに、特大の重大事の知らせがやってきた。
騎士国の王が新しくなったと、騎士国から来た使者から布告を受けたのだ。
俺は使者から布告書を受け取ると、配下に使者のための部屋を用意させて、歓待も命じた。
その後、布告書を持ったまま執務室に入り、パルベラとファミリスを呼び出した。
「騎士国の王が変わった。この書状は、その布告のためのものだって」
俺が呼び出した理由を語りながら、布告書をパルベラに渡した。
パルベラは布告書の中を読み、意外そうな顔を浮かべる。
俺が表情の理由を尋ねると、パルベラは伏せ目がちに理由を語った。
「御父様の次の王が、御兄様ではなく、御姉様の伴侶なことに少し驚いたのです」
パルベラの姉――俺も会ったことがあり、模擬戦で剣を交えたこともある、コンスタティナ長女姫のことだ。
「俺の価値観からすると、王位の継承は王の長子が順当だって思うんだけど、騎士国では違ったりする?」
「そうですね――」
パルベラが目線を向けた先、ファミリスが説明を引き継いだ。
「我が神聖騎士国の王とは、数多いる騎士たちの主ということ。血筋も重要ではあるものの、騎士としての力量と、その者の『正しさ』が受け入れられるものかどうかです」
ファミリスの説明を補足する形で、再びパルベラが口を開く。
「騎士としての力量も、『正しさ』の明確さもない私は、騎士王の娘ではありますけど、次の王に相応しくないとされていました。だからこそ、こうしてミリモスくんの元へ簡単に嫁ぐことができたという背景があります」
「パルベラ姫様を娶ろうと、次期騎士王への足がかりにはなりません。だからこそ、自分は次の騎士王になれるだけの実力を持つと考える者は、天上のごとき麗しさのあるパルベラ姫様に見向きもしなかったのです。逆に次期騎士王の座を狙わない者にしてみれば、今代の騎士王の娘は高嶺の華過ぎて、接点を持つことが困難。恋愛感情を育む余地がなかったわけです」
生々しい裏事情を教わり、俺はげんなりとしてしまった。
「騎士国も、神の教えとやらを守って暮らしていると聞くわりには、世知辛いもんだね」
「神の教えは単純ながら、難解なものなのですよ。一番根底にある考えは――神が伝える『正しさ』は、人間の身には把握しきれないもの。それ故に、人それぞれが『正しさ』を持ちつつも、その『正しさ』が本当に正しいのかを疑う気持ちを持ち続けるべき――というものですし」
パルベラの説明は、なんか禅問答じみていて、理解が難しい。
「ともあれ、新しく騎士王になった人物――ジャスケオス・シルムシュ・ムドウって人が、どんな人か知っている?」
パルベラは名前に聞き覚えがないのか、首を横に振る。
ファミリスは少し考えた後で、思い出したといった身振りをした。
「シルムシュ家の『厳格堅牢のジャス』ですか。あの者でしたら、長女姫様と仲を育んでいても変ではなかったか」
勝手に一人で納得しているファミリスに、俺とパルベラは視線でもって、人物像を放すようにと問い詰める。
「私の知る『ジャス』は、長女姫様の配下にいた騎士です。『厳格堅牢』の二つ名の通り、暴走しがちな長女姫様を諫めつつ、危険から長女姫の身を守る役を持つ守護騎士。彼の者が側にいる限り、長女姫様は傷一つ負うことはないとされる、防御上手な騎士でした」
「それじゃあ御姉様は、その守護騎士に守られている内に思いを寄せていき、騎士王の座に就かせるほどに思慕の念を募らせたってことかしら?」
「そこまでは、分かりません。ですが、彼の騎士であれば、他の騎士の主としての力量は十分にあると言えます。もっとも、前騎士王テレトゥトス様のように一撃で相手を屠る強さではなく、鉄壁の防御で相手を攻め疲れさせて白旗を上げさせる地味な戦い方ですけれども」
ファミリスの話を聞くに、新騎士王のジャスケオスは堅守に長けた人物のようだ。
その戦い方と同じように国策も守りを重視する方向へ進むのなら、帝国のフンセロイアが忠告してきたような、ノネッテ合州国に攻め入ってくるような真似はしないはずだ。
俺は懸念だった材料がやや軽くなったと感じていると、ファミリスが唐突にパルベラの前で跪いた。
「パルベラ様。しばらく御前を離れること、許していただきたく」
「分かっています。許します。でも、早めに帰ってくださいね。子供たちは、貴女が居ないと寂しがりますから」
主従の間で、ぽんぽんと進んでいく話に、俺は待ったをかける。
「ファミリスがパルベラから離れるなんて、初めてじゃないか。どういうことだ?」
「そうですね。ちゃんと説明しなければいけませんか」
ファミリスは立ち上がると、俺に視線を向けてきた。
「私は、パルベラ様の守護騎士ですが、神聖騎士国の騎士でもあります。新王が立った場合、挨拶に向かわなければいけないのです。そして前王に命じられた任務を、再び新王に命じていただかなければいけません。それが神聖騎士国における『正しい』作法ですので」
「事情は分かったけど、それじゃあパルベラは行かなくてもいいのか?」
「パルベラ様は、貴方に嫁いで他国の人間となっている。ノネッテ合州国の使者として赴くのならまだしも、新騎士王に挨拶をする必要はないのです」
妹が姉の夫に会うのは、必要不必要の話じゃないと思うのだけど、それは俺が前世の記憶を持っているからだろうか。
判断はつかないけど、それが騎士国の流儀だというのなら、パルベラが行かなくて良いんだと納得することにしよう。
でも、疑問はまだある。
「前王の命令を、新王が再び命じてくれるのか? 別の命令を与えられることはないのか?」
「慣例に則れば、再命令が普通ですね。しかし新王が役割に合っていないと判断すれば、命令を変えることもあり得ます。もっとも、私が違う命令を出されたとしても、ここに戻ってくるのは確定ですが」
「確定って、どうして?」
「私はパルベラ様に終生仕えると決めているのです。それが私の『正しさ』です。それを新たな騎士王であっても曲げさせない。つまりは、そういうことです」
「新騎士王が命令に変えようものなら、騎士を辞めてでも戻ってくるっていうのか?」
「方々手を尽くしてパルベラ様の守護騎士の任の継続を願い出ますが、それでも私にパルベラ様の元へ戻ってはならないと命令して来たのなら、神聖騎士国の騎士など辞めてやります」
ファミリスの当たり前を語る口調に、俺だけでなくパルベラも苦笑いしている。
「ファミリス。心から尽くそうとしてくれる貴方の気持ちは有り難いのだけど、あまり無茶はしたら駄目よ。無事に帰って来てくれる方が、私は嬉しいのです」
「もちろん、パルベラ様を悲しませる真似は致しませんとも! どんな困難があろうと、五体無事に戻ってくることを誓わせていただきます!」
パルベラに心配されたことが余程嬉しかったのか、ファミリスは高揚した顔色になっていたのだった。