閑話 ノネッテ合州国の王弟閣下
ノネッテ合州国とアナビエ国の集団決闘。
戦闘不能になったら即退場という、本当の戦争と比したら、とても優しい闘争だ。
この集団決闘を行うと決める前、アナビエ国の戦士の中には、条件付きの闘争など軟弱だという意見もあった。
しかし、相手は数々の小国を打ち負かして飲み込んで強国となった、ノネッテ合州国。
普通の戦争を行えば、ノネッテ合州国が誇る装備の良質さと兵数の暴力によって、打ち負かされることは想像するまでもなかった。
それが、テスタルドを食客として国に留め置いて神聖術を伝えて貰い、戦士の大部分が一瞬だけ神聖術を使用できるようになっていたとしてもだ。
現実、その予想は当たっていたことを、アトリデーモス王は集団決闘の中で確信していた。
一瞬だけとはいえ常人の何倍もの戦闘力を発揮する戦士たちを相手に、ノネッテ合州国の鋼鉄で着ぶくれた兵が互角に戦っている。
いや、一瞬だけしか使用できないとバレたあたりから、神聖術の効果の切れ目を狙って攻撃してくるようになり、アナビエ国の戦士の側が劣勢になってきている。
そんな敵の様子を見るに、神聖術を使う相手との戦いに慣れているのだと、アトリデーモス王悟らざるを得なかった。
どうしてノネッテ合州国の兵たちが、神聖術を使う相手に慣れているのか。
その理由が、いまアトリデーモス王の目の前にいる。
ノネッテ合州国の王の弟――ミリモス・ノネッテ。
ノネッテ合州国の兵とは違い、身体の線に合った金属鎧を来た青年。
その身から発せられる威圧感こそ、ミリモスが神聖術を発揮している証左だった。
(この圧力。テスタルド殿を越えているように感じる)
アトリデーモス王は、隣で共闘しているテスタルドよりも、ミリモスの方が強者であると判断する。
事実、二人がかりで戦っているというのに、ミリモスの方は落ち着いた調子で剣を合わせてくる。
ミリモスの綺麗な戦いに終始する余裕っぷりたるや、戦士として鳴らしてきたアトリデーモス王が自信を喪失したくなるほどだ。
アトリデーモス王は気付いている。
ミリモスが多少の怪我を押して我武者羅な戦い方をすれば、瞬く間にアトリデーモス王とテスタルドを倒しきる実力があるのだと。
(遊ばれているのか? いや、そうではあるまい)
ミリモスの戦い方は、型のない自由な剣風であるにもかかわらず、身動きや剣筋は無駄を削いだ綺麗なもの。
相手を弄るような下種の剣にあるはずの、あえて急所を外して傷を負わせるような攻撃は一つもない。
では、どうしてミリモスは手ぬるい戦い方をしているのか。
アトリデーモス王は、こういった戦い方をしてくる相手に覚えがあった。
(幼少のみぎりに、教官の指導を受けたきと似ている)
戦闘教官は意気込んで攻めてくる生徒を相手にするとき、問答無用なまでに打ち負かしたりはしない。
教官は生徒の勢いを受け止め、そして戦闘意欲を失わない程度に強めにはじき返す。
真面目に相手はしつつも手加減も忘れない、乗り越えるべき壁のような戦い方。
それに似た雰囲気を、いま戦っているミリモスから、アトリデーモス王は感じていた。
もちろん、これはアトリデーモス王の勘違いだ。
ミリモスは自身が安全に勝つために、アトリデーモス王とテスタルドを負けの境地にまで追い込んでいるだけだ。
ただ、ミリモスの相手を敗北へと導く戦い方が、生徒の実力を伸ばそうと導く教官の戦い方に似通っていることは、確かに当たっていた。
どちらの戦い方も、実力の高い方が実力の低い方を徐々に負かしていくものなのだから。
アトリデーモス王は勘違いをしているとはいえ、相手が幼少の頃の教官と同じぐらいの難敵だと認識できた点は良かった。
集団決闘でアナビエ国の勝利を目指すには王である自分は負けてはならない、という思考の枷を外すことができたのだから。
「テスタルド殿!」
「合わせる!」
傍から聞いたら、意味の通らない呼びかけと応答。
しかしアトリデーモス王とテスタルドには、それだけで十分に意思が通った。
その証拠に、二人は同時にミリモスへと斬りかかる。
それも、二人して自身の防御をかなぐり捨てた、決死の特攻という形で。
「うわっ」
ミリモスの口から、驚きの声が漏れた。
それはアトリデーモス王とテスタルドから予想外の反撃がきたことか、それとも防御を捨てた戦い方に対する非難か。
どちらにせよ、ミリモスの予想を覆したことは確かだった。
「はおおおおおおおお!」
「うおおおおおおおお!」
アトリデーモス王とテスタルドは雄叫びを上げながら、攻めに攻め続けた。
片方が全力で攻撃し、全力攻撃後に出てしまう隙を、もう片方が全力攻撃でもって埋める。
そんな、ミリモスを打ち取れるのなら、その後で指一本も動けなくなってもいいとばかりに、体力を勢いよく消費してく戦い方。
力任せに状況を打開しようとする、二人の攻撃。
ミリモスは目を丸くしながら、剣での防御と身体運びによる回避で対応していく。
その中で、ミリモスの口から呟きが漏れた。
「仕方ない――でも、これはこれで」
意味の見えない独り言。
しかし直ぐに、アトリデーモス王はその意図を理解することになる。
アトリデーモス王の上段から振り下ろす全力攻撃。
ミリモスは剣を力強く横に振り、アトリデーモス王の剣の腹に打ち付けて弾く。
アトリデーモス王は、手から伝わってきた剣が折れるのではないかという衝撃に、体勢がやや崩れて隙を晒してしまう。
その隙を塞ぐべく、テスタルドが全力攻撃を行う。
アトリデーモス王の致命的な隙を一刻も早く塞ごうと急いたのか、テスタルドが選択した攻撃は剣での突きだった。
「うおおおおおおおおお!」
空中を舞う木の葉すら貫けるほどの、鋭い一撃。
並みの戦士なら防ぐことは叶わず、熟練の戦士でも避けるのが精一杯な攻撃だ。
しかしミリモスは、その攻撃が来ることを知っていたかのように、あっさりと避けてみせた。それも自身の鎧に、テスタルドの一撃を掠らせるほど、紙一重な避け方で。
「なっ!?」
避けられたことではなく、攻撃を見切られていた事に対して、テスタルドから驚きの声が漏れる。
いや、それは声が漏れたというより、ミリモスが仕掛けた罠にハマったと自覚してしまった事に対する嘆きだったのかもしれない。
なににせよ、テスタルドはいま、死に体の状態に置かれている。
テスタルド自身は攻撃を終えた直後で隙を晒し、ミリモスは手を伸ばせばテスタルドを触れられる位置に立っている。アトリデーモス王の体勢も戻りきっていないため、救援に向かうことはできない。
そんな『詰んだ』状態の中、ミリモスが攻撃する。剣ではなく、自分の拳でもって、テスタルドの顎を下から上へと跳ね上げたのだ。
「ごがっ――」
ミリモスの一撃によってテスタルドの頭は、首が折れたのではないかと思うほど、勢いよく後ろへと仰け反った。
そして直後、テスタルドは意識を失って、膝から地面へと倒れ込んだ。
アトリデーモス王は、頼りになっていた味方を失ったことを理解し、自身一人だけでミリモスという強敵と戦わなければならないことを自覚する。
「やはり強い」
ミリモスは、ノネッテ合州国の軍の先頭に立って戦い抜いてきた強者である。
その事実をまざまざと見せつけられ、思わず漏らした感嘆の声。
それを聞いて、ミリモスが嬉しさ半分申し訳なさ半分といった表情をする。
「こっちは十年近くファミリス――神聖騎士国の騎士に訓練を付けて貰っているんです。言い方は悪いですけど、騎士国の騎士崩れと神聖術を学んだばかりの相手なら、二人がかりだろうと負けられませんよ」
負けたりしたら、後の訓練が怖い。
そんな冗談を付け加えて、ミリモスは微笑みを見せる。
アトリデーモス王は、相手から笑みを浮かべられるよど、自分は弱いのだと悔いた。その中で、心に湧いた疑問があった。
「聞かせて欲しい」
「ん? なにをです?」
「貴殿が言う騎士国の騎士――ファミリス殿と言ったか。かの者は、ミリモス殿より強いのか?」
アナビエ国が仮想敵とした神聖騎士国。その騎士の実力のほどを、アトリデーモス王は知りたくなったのだ。
その疑問に対して、ミリモスは痛ましい者を見る目になる。
「いまですら、俺が恥も外聞もない手段を使って、ようやく剣を一撃当てられるかどうかです。これで、通じますか?」
「……想像はつかないが、想像もできない強敵であることは理解した」
疑問は晴れたと、アトリデーモス王は剣を構え直す。
戦いを続けようとするアトリデーモス王に対し、ミリモスは無造作に剣を片手に下げながら歩き寄る。
二人の間合いが、一足で剣が打ち込めるまで狭まった瞬間、二人同時に動く。
アトリデーモス王は、顔面狙いの一撃。ミリモスは、相手の剣を打ち据える横の斬撃。
戦場に金属が衝突する音が鳴り響く。
その直後、アトリデーモス王は自分の剣を取り落とした。
ミリモスの迎撃した衝撃によって、剣を持っていた手が痺れてしまったのだ。もしかしたら、痺れているいまは痛みに気付かないだけで、衝撃によって手の骨が折れている可能性すらあった。
剣を落としたアトリデーモス王の首に、ミリモスの剣の切っ先が突きつけられた。
「これで戦線離脱ということで、いいですね?」
「ああ、負けだ。以後は、我が戦士たちの奮戦に期待して、観戦するとしよう」
アトリデーモス王は痺れる手で剣を拾い、鞘に納めた。
その後で、地面に伸びているテスタルドを抱え起こし、引きずるようにしてアナビエ国の陣地へと引き上げた。
アトリデーモス王とテスタルドという抑えがいなくなったことで、ミリモスが戦場を我が物顔で闊歩し始める。
ノネッテ合州国とアナビエ国との拮抗していた戦場は、ミリモスの参入によってノネッテ合州国に形勢が傾き、それ以降は傾きを止めることは出来なくなった。