三百四十二話 戦場に到着し
アナビエ国と決闘を行う場所は、ノネッテ合州国とアナビエ国との境にある、数年前まで無法地帯だった地域の、朽ちた道と荒れ野しかないところだ。
そんな場所に、決闘の日の数日前には、俺とノネッテ合州国の精鋭百人は、補給部隊と共に到着していた。
どうして決闘の日より前に来たかというと、戦場になる場所の地形を把握するためだ。
例えば――整備された場所とは違って、荒れ野は一見すると平らでもデコボコな場所が多くある。一メートルもない起伏でも、逆に足首までぐらいしかない底の浅い穴でも、その場所で兵士が戦うと体勢が崩れる原因になるので、極力回避したい。
それに逆を返せば、そういった不利な地形はアナビエ国の戦士でも同じこと。地形を使った罠を仕掛けることもできる。
つまり地形を把握するということは、それだけで相手より一歩は戦闘を先んじることができるわけだ。
戦闘領域の地形の把握に一日。張った陣内での休憩で一日。
その後は、兵士たちが身体を鈍らせないために運動を続けて、アナビエ国の戦士たちの到着を待った。
そして決闘の日、当日の朝。アナビエ国の戦士たちは現れた。
前日には現れるだろうと思っていた俺は、アナビエ国の戦士たちの遅い到着を訝しんだ。
なにか不測の事態で到着が遅れたのだろうかと、俺が考えていたところに、アナビエ国の側から使者が来た。
四十歳に届こうという大男。スキンヘッド。太い眉に鷹のような鋭い目。筋肉隆々とした体躯。ノースリーブ型の金属製の上鎧。大判の硬革を組みつけて編まれた腰ミノ。敵意がないことを見せるためか、武器の類は持っていない。
その風貌から、俺が思い起こしたのは、前世の映画で見た『決闘者』だった。
「我が名は、アトリデーモス・アナビエ。此度の決闘において、戦士たちを統括する者である。決闘前の挨拶に参った!」
その名乗りを聞いて、俺はまた驚かされた。俺だけじゃなく、周囲のノネッテ合州国の兵士たちも驚いていた。
俺はアトリデーモスがアナビエ国の王の名前だと知っていたから驚き、兵士たちは――多分だけど――名前に『アナビエ』と付いていることから王族なのだと察知して驚いていた。
まさかアナビエ国の王が直々に参戦するなんてと、俺は内心では焦りつつ、表面だけは取り繕って前に出る。
「ミリモス・ノネッテ。今回の決闘で、ノネッテ合州国軍の統括を任じられた者です」
王子言葉で自己紹介すると、アトリデーモスは鋭い目つきを細めた。
「ほほう。噂に名高い、魔法と神聖術を共に使う王子――いまは代替わりしたので、王弟となったのだったか」
「俺のことをご存知なのですね」
「もちろんだとも。騎士国に訪れぬして神聖術を見に付け、神聖術を修めたら失うはずの魔法を使えている。まさに我が国の大望を形にしたような人物だ。知らぬはずがあるまいよ」
大褒めとも言える言葉の列挙に、俺は逆に薄ら寒い気持ちを抱いた。
その気持ちが顔に出ないよう気を付けながら、質問を投げかける。
「神聖術と魔法を同時に使えることが、大望なのですか?」
「詳しく言うのであれば、我らの大望とは、騎士国よりも長じることよ。あの善人面した、いけ好かない連中よりもな」
「善人面とは、随分な言い方じゃないでしょうか?」
「ははっ、むしろ過小であろうよ。自分たちが信じる『正しさ』を、他者に押し付けようとする迷惑者どもへの評価としてはな」
何かしらの恨みを伺わせる言葉だけど、不用意に踏み込むことは拙いと直感した。
俺は、騎士国が嫌いな人だって居るよな、と勝手に納得することで、心に湧いた疑問を押しつぶす。
「それで、アナビエ国の王たる御身が、どうして使者の真似事を?」
「はははっ、真似とは随分だ。いやなに、決闘での取り決めをしておこうと思ってな」
「フッテーロ王の直筆の書状はお送りし、そちらは同意したのではありませんでしたか?」
今更、新たに付け加える条件などあったかと、俺は首を傾げた。
アトリデーモスはニヤリと口元を歪ませてから、疑問に返答する。
「我らは相憎しむ間柄ではないのだから、無為に戦士たちの命を散らす必要もないであろう。ならば戦士の命を保つ条件を追加しても良いはずだ」
「確かに、お互いに連れてきた百人は精鋭でしょうから、失えば大きな損失になることは間違いないですね」
「であろうよ。理解が得られたところで、どうだ。武器を失った者、手足を一つでも失った者は、戦場から離脱するという条件を追加せぬか?」
「不満はありませんけど、気絶した人は入れなくていいのですか?」
「はっはっは。気絶しているのに、自分で歩いて戦場を離れることなど出来るわけがあるまい。気絶した者は死者であるとして、その場で放置で良かろう」
気絶した人を戦場に寝かせたままにするなんて、敵味方に踏まれて本当に絶命するぞ。
不運な人が出るのは仕方がないと思っているのか、それともアナビエ国の兵士なら気絶するはずがないと信じているのか。
どちらにせよ、助けられそうな命をわざわざ捨てさせる必要はないだろう。
「お互いに数が限られた戦場ですから、戦える者が気絶した人を運ぶのは、戦力低下するので好ましくありません。でも、武器を失ったり、片腕を失った人なら、気絶した人を連れて戦場を離脱することは可能でしょう」
「一理あるが、絶対に連れ出せとは条件付けはできぬぞ。気絶した者を運ぶためと戦場に居座って、戦闘に混乱を起こすかもしれん」
「可能ならば、という形にしましょう。そして連れ出す際には、極力急いで戦場を離れることしましょう」
「そういうことなら、否はない」
新たな条件が追加できたことで満足したのか、アトリデーモスはそのまま立ち去ろうとする。
俺は慌てて呼び止めた。
「待ってください。そろそろ決闘の刻限になりますが、アナビエ国の兵士たちは、今しがた到着したばかり。休憩に時間が必要では?」
俺の問いかけに、アトリデーモスは振り返りながら漢臭い笑みを浮かべた。
「心配してくれるとは有り難い。しかし無用に願おう。我が戦士たちは、この程度の行軍で疲れるような鍛え方はしていないのでな。集団決闘は事前の取り決めの時間通りに行えるとも」
アトリデーモス笑い声を上げながら、アナビエ国の戦士が並ぶ方へと歩いていってしまった。