三百三十八話 チョレックス王の決定/ノネッテ国は変化する
「……平和だ」
と俺が呟いてしまうほど、キレッチャ国との戦争が終わって以降、穏やかな日が続いている。
それもこれも、色々と残っている問題を他に丸投げできていることが理由だ。
ガクモ王がハティムティ国から人間だけを追い出した事と、無法地帯化していた地域がノネッテ国に従属したいと求めてきた問題は、チョレックス王へ。
崩壊したエン国の吸収合併や、他の地域から来る難民の取り扱いは、ルーナッド地域で育て上げた文官たちへ。
結果として、俺が行うべき業務は、今まで戦争後に経験してきた作業量と比べると、とても少ない。
それこそ、日常業務に毛が生えた程度の難度だ。
悠々と業務をこなせるものだから、空いた時間で家族サービスに精を出すこともできている。
三人の妻と仲を深めることもそうだけど、戦争続きでロクに関われていない育児に関しても、この機に子供に俺が父親だとちゃんと認識してくれるようになるまで世話してみようと頑張ってみている。
でもまあ、日頃から子供の世話に尽力してきたファミリスに、子供たちは懐いてしまっていて、あまり芳しくはないのだけどね。
この日も、俺は執務を終えて子供たちの相手をしようかなと予定を立てていた。
だが、本国からの伝令が執務室に駆けこんできたことで、立てかけていた予定は崩れ去ってしまった。
「ミリモス王子! 本国からお手紙をお持ちしました!」
急いで走ってきたのか、汗まみれの顔を上気させているのは、十代半ばの年若い青年だ。
俺に見覚えがないことから、俺がロッチャ地域の領主になった以降に、ノネッテ本国で兵士になったんだろう。
そう考えると、伝令としての様式に疎いのも理解できる。
「手紙はわかったけど、その送り主は?」
俺が優しい声色で問いかけると、伝令は何を問われたか分からないような表情をした後で、自身の顔をもっと真っ赤にした。
「失礼しました! チョレックス王からの書状です!」
自分の失態を恥ずかしがりながら、伝令は手紙をずいっと俺に差し出してきた。
俺は笑いを堪えつつ、手紙を受け取る。封蝋はちゃんとされていて、開けられた形跡はない。少なくとも、勝手に手紙の中身を見ないという、伝令の最低限必須な役割はこなせているようだ。
俺は封蝋を破り、手紙を広げた。
手紙に書かれていたのは、チョレックス王が何をどうするかの裁定だった。
内容を確りと読む必要がある。
俺は執務室の椅子に座り直すと、伝令に笑顔を向けた。
「伝令、お疲れ様。返事の手紙は明日以降になるだろうから、君は今日と明日は休憩していて。ノネッテ本国の兵舎よりはマシな滞在場所と食事を手配するからさ」
「はい! お心遣い、ありがとうございます!」
俺は文官を呼び寄せると、この伝令の滞在場所を世話するように命じて送り出した。
その後で、ゆっくりと手紙の内容に目を向けた。
最初に書かれていた事柄は、ハティムティ国の扱いをどうするかについて。
俺はガクモ王の要請に従って放置と報告書の中で進言していて、ハティムティ国から追い出された人たちは生まれた土地に返りたいと求めていた。
そしてチョレックス王は、俺の意見を取り入れ、ハティムティ国はノネッテ国の一部としつつも、人間が経ち入れない魔物が住む特区とした。
これでハティムティ国は『ハティムティ特区』となり、ガクモ王と魔物の楽園となることが決まった。
その決定に際して、チョレックス王から俺に新たな命令が下された。
『ハティムティ特区に人が入らないよう手配りをすること』
この命令は、ハティムティ国から追い出された人たちが、チョレックス王の決定に従わずに、郷元に帰ろうとすると見越したものだろう。
もっと言えば、その人たちが無理矢理にハティムティ特区へ入ろうとしたことで、ガクモ王の機嫌を損ねて魔物が特区外にまで進出してこないかを危惧してのものだ。
しかしながら、ハティムティ特区とは、熱帯雨林地帯にある広大な森を主とする土地だ。
その森には整備された道から以外にも、野道を分け入れば誰でも入ることができる。
そんな場所に人を立ち入らせないように対策するなら、ぐるりと壁や柵で囲って境界を設置する必要がある。
でも、そんな大事業を行うとしたら、かなりの資金が必要になる。
それこそ、軍を何年も動かすような、大量の金と物がいる。
「チョレックス王は、この問題は俺が起点なのだから、俺が何とかするべきだ、って言いたいんだろうなぁ……」
面倒な命令を、俺は真正直に従うかどうかで悩む。
戦で消費した物資と金を蓄積中なのが現状だ。
壁や柵で囲った方がいいことは百も承知だけど、その大事業に割り振れるだけの余力が少ない。
俺は溜息を吐きつつ、計画書を作るため、紙にペンを走らせる。
「仕方がない、何年かがかりで行う事業にしよう。それで今年の分は少なくして、人里が近い場所にだけ小規模の柵と看板を立てることにしよう」
看板に書く文言は決めている。
『ここから先 ハティムティ特区 魔物が暮らすための特別な場所であるため 立ち入った者の生命の保証は出来ない』
そして看板を立て終えたところで、ガクモ王に知らせる。チョレックス王が特区を認めてくれたことと、以後に森に立ち入る人間の命の保証はしなくていいことをだ。
「って、誰がガクモ王に知らせに行くのか――って、俺しかいないよなぁ……」
ガクモ王と配下の魔物と渡り合える人物は、俺や魔導鎧をきた兵士ぐらい。
そして魔導鎧には稼働時間があるため、特区の何処に住んでいるかわからない相手を探すには向いていない装備である。
必然的に、ガクモ王に会いに行くのは、俺の役目となってしまう。
「これは仕方がない。はぁ、ここで何日も家をあけると、また子供たちが俺が父親だって忘れてしまいそうなんだけどなぁ」
背に腹は代えられないので、諦めるしかなかった。
チョレックス王が決めたことは、ハティムティ国の特区かだけではなかった。
ノネッテ国に従属したいと求めてきた、無法地帯化した地域にある集落や村の扱いをどうするかもあった。
それに伴い、ノネッテ国のこれからについても決めていた。
「へぇ。思い切った政策を打ち出したもんだ」
チョレックス王が送ってきた手紙には、こう書かれていた。
無法地帯化した地域にある村落は、手近なノネッテ国の地域に編入させることとする。
ただし、近くに地域がない土地――例えば大陸の南東部――においては、新たな一まとまりの地域とする。その地域の名前を『アグレガショ』と、チョレックス王が命名して認知する。
アグレガショ地域では、村落の代表者が集まって合議を行うことで、領地運営の舵取りを行う。
安定するまでは、他の地域から人手や物資を援助する。ただし、援助は十年を限度とする。
この新たな地域が成立するに伴い、一つの国の中に王政と合議制が含まれる、複雑な統治形態となることとなった。
この違いを放置しては、国が乱れる原因ともなり得る。
しかしながら、その土地には土地に合った統治法を行使することが、最も望ましく土地を発展させる要因とも考えられる。
それ故にチョレックス王の名において、現状『地域』と呼称されている括りを『州』と呼称を変える。
『州』とは、独自の州法によって土地の統治を行いつつも、 物事の最終修正権をノネッテ本国に預けた『自治国』の事である。
そしてノネッテ国は、州という自治国の集まった国という意味を込め、『ノネッテ合州国』へと改める。
加えてノネッテ本国に座する王の称号も、『合州王』へと変える。
古い王が新時代の王――合州王に成るのは相応しくないため、王太子であるフッテーロを初代合州王とする。
それらの国と王の呼称の変更と、新たな王の即位の準備を、以後五年をかけて行う。
以上の事柄に対して異議のある者は、その五年の間に、チョレックス王へと申し出るように。
そう書かれていた手紙を読み終わり、俺は苦笑いを浮かべた。
「異議のある、うんぬんかんぬんは、俺に宛てた内容なんだろうな、きっと」
ノネッテ国が大きくなった理由は、俺が戦争で小国を打ち倒してきたからだ。
その功績をもってすれば、俺がノネッテ国の王に立候補することは、十分に可能と言える。
そして手紙に書かれた文字のニュアンスから察するに、チョレックス王は俺の立候補を歓迎している節がある。
それこそ、俺が立候補した瞬間に、フッテーロを王太子から降ろして、俺を次期王に任じるぐらいのことをしそうなほどだ。
しかしながら、俺は今世に生まれてこの方、王になるための勉強なんてしたことがない。末弟王子だから王子教育は必要ないと、チョレックス王が判断したことが理由でだ。
「それに俺は、王に成りたいと思ったことないし。というか、いまの領主の立場ですら過大だと思っているほどだよ」
いまでも俺は、領主の仕事を投げ捨てて、魔法と魔導具の研究にのめり込みたいという欲を持っている。
でも、前世が小市民で肝っ玉が小さい俺は、俺が責任を放棄したことで領地の民や軍の兵士が不幸な目に合うような事態になったらと考えるだけで、罪悪感で眠れなくなってしまう。
夜に安心して眠るために、俺は俺なりに頑張っているんだという免罪符が必要になる。
「だから、せっせと領地運営はするし、兵士が戦争で死なないよう気配りもする。こんな気持ちで領主している人間なんて、俺ぐらいだろうなぁ……」
自分の小物っぷりを自虐しつつ、俺はチョレックス王に返信の手紙を書くことにした。
フッテーロが初代合州王になる事について大賛成の立場であると、俺の率直な気持ちを明記することを忘れずにね。
本分中にある合州国は『州が集まった国→合州国』というわざとの表記なので、現実にある国のような『合衆国』という表記の誤字ではありません。