閑話 海賊にとって最高で最悪の日
俗に、キレッチャの海賊という組織があった。
その発足は古く、キレッチャ国が港湾が一つだけある程度の、吹けば飛ぶような小国だった頃まで遡ることができる。
元は船を運行する際に邪魔をしてくる者たちへの対抗組織――海軍とも呼べない『海上護衛船』だった。
邪魔者を排除する術を磨く内、海上で敵を襲う手管に長けるようになった。
敵対者を倒すことで海上が安全になることから、積極的に敵を打ち倒すようになり、やがて打ち負かした船の船員を捕虜を取って身代金を奪うようになっていった。
こうして護衛船だった組織は、海賊と呼ばれるように変わった。
そういう背景があるため、海賊となった後もキレッチャ国のためになるよう働くことを主目的とした。
例えばだ。
キレッチャ国を相手に阿漕な商売をする国の船を襲い、船に詰め込まれていた貿易品を強奪。市場価値を下げない程度ながら、安値でそれらの品をキレッチャ国内に流した。
漁船が潮に流されて行方不明になった際は、方々へと船を走らせて救助した。
貿易船の護衛が必要となれば、表向きの商館を立ち上げて護衛船の運用も開始した。
そんな一般的な海賊とは少し違った働きをしてきたこともあり、キレッチャ国の国民は海賊に好意的だった。
しかしながら、どんな世界でも海賊になろうとする者など社会のあぶれ者が主だ。
悪貨が良貨を駆逐する――ではないが、時を経るにしたがってあぶれ者の参加が多くなってきて、海賊の品性は下降することになる。
どれだけ海賊の頭やまとめ役が新参者の性根を正そうとしても、三つ子の魂百までと言われるように、すぐに直るものではない。
そもそもの話、言われて直るような性根を持つものが、海賊になろうだなんて思ったりはしない。
品性が下がれば、信念に陰りが出るものだ。
例えばだ。
特定の商会のみを標的にしていた海賊行為は、特定の国へと標的が拡大した。
漁船が行方不明になった際は、拠点の付近を一回りして捜索を辞めてしまった。
護衛が必要なら金を払えと業突く張りになった。
そうした海賊の在り方の変化に、キレッチャ国の民は不信を募らせ始め、やがては後ろ暗い商売をする者しか海賊を相手にしなくなった。
味方が少なくなったことで、キレッチャ国のためにと行動していた者は意義を失い、海賊を辞めて漁師になったり海運会社に就職した。
部下を見捨てられないと人間性がマシな者も少しは残ったが、大多数の構成員があぶれ者となって海賊の品位はより下がった。
この頃になると国の海賊に対する扱いも変化し、海賊には襲ってはいけない相手と積極的に襲う相手を教えて、他は好きに暴れさせるようになった。
こうして海上の真っ当な貿易と海賊による略奪という両輪をもって、キレッチャ国は海洋貿易大国へとなり上がっていった。
上手いこと回っていた関係だったが、ある日に唐突に破綻した。
キレッチャ国がハティムティ国に襲い掛かられ――いやさ、ノネッテ国との戦争に敗けて、国体が崩壊してしまったのだ。
国が崩壊した瞬間、キレッチャ国の経済を牛耳っていた商会たちが、海賊相手の手の平を返した。
ノネッテ国の総大将は、正しさを価値観とする神聖騎士国の姫を妻とした人物。社会悪たる海賊を許さない。そんな海賊と繋がっていたと知られたら、商会の未来が危ない。
そう危惧してのことだった。
無論、商会だって本音では海賊を切り捨てたくはなかった。綺麗な手のままに商売などできないもの。後ろ暗い部分を担当してもらうために海賊は有用だった。
そして商会を動かす者とて人間だ。商売に私情は禁物と言えど、商会に尽くしてくれた者を無碍に扱うような真似は心が痛む。
しかしながら、そんな良心の呵責を感じなくていいほど、このときの海賊は品性下劣――それこそ商会とは金の繋がりだけの関係になっていた。
その手の関係だからこそ、金の切れ目が縁の切れ目。
海賊の味方をして新たな支配者に目を付けられる、という巨大の負債を抱える気は、商会にはさらさらなかったわけだった。
キレッチャ国の民には遠ざけられ、付き合いのあった商会からは切り捨てられて、海賊は孤立無援となった。
ここで目端の利く者は、海賊には未来がないと拠点から抜け出し、伝手を辿って船関係の職場へと逃れた。
そして真っ当な仕事で働く気がなかったり、相手を打ち倒して金品を巻き上げることが好きな者だけが海賊に残った。
自分勝手の我が侭な連中だ。各所との関係が切れたことを良い事と捉え、秩序も掟もなく、己たちの欲望のままに海賊行為を働くようになった。
そんな自分勝手に暴れ回ることが、どんな相手を引き寄せることに繋がるかなど、欠片も考えもせずに。
この日は、波の穏やかな快晴だった。
前日に食料を満載にした漂流船を拿捕したことで、昨夜は海賊たちは飲めや騒げの大宴会があり、彼らは騒ぎ疲れ果てて昼過ぎまで寝ていた。
キレッチャ国から離れた遠くの沖にある、海底火山が隆起してできた島。島内にボコボコと乱立する岬の一つ。その中身を掘って改造して作り上げた海賊の港を、海賊たちは拠点としていた。
知っていなければ、外から見たら単なる岬にしか見えないため、近くを船が通りかかろうと見つかる可能性はない。
そういう油断から、海賊たちは歩哨も立てずに、全員参加で酒宴を開き、そして昼まで呑気に寝ていた理由だった。
ここで、もしも知恵の回る者が海賊稼業を見限らずに残っていたら、こんな醜態は晒さなかっただろう。そして同時に、そういった者が残っていたら、この後の惨劇は起こらなかっただろう。
なにせ、船員が誰もいない舵が壊れた漂流船が拠点の近くに流れてきて、しかも倉庫の中身が食料でいっぱいだったなんて、海賊にとって都合の良い出来事が起こったことに強烈な違和感を抱いたはずなのだから。
海賊が拿捕した漂流船。その内部にある倉庫は、二重底になっていた。
その上床を押し上げて、人型をした鉄の塊が一つ出てきた。
倉庫の中を見回し、誰もいないことを確認すると、出てきた場所から中へと合図を送る。
すると同じような鉄の人型が、ぞろぞろと出てきた。
その数、合計で五十。手には大型の武器を、それぞれが握っている。
五十の鉄の人型――五十人の魔導鎧を着た兵士たちは、なるべく船の床板を鳴らさないように慎重に移動し、船室の階段を上って上部甲板へと進み出た。
体勢を低くし、船の欄干へと向かうと、そろそろと周りの様子を見る。
海賊が百人ほど、酔いつぶれた状態で幸せそうな寝顔を晒し、イビキをかいていた。
その光景を観察してから、兵士たちは身を寄せ合って、小声で会話を開始する。
「ミリモス王子が語った、この島にいる海賊が一番手強いって話、あれは何だったんだ?」
「おいおい、話をちゃんと聞いていたのか。海賊が手強いんじゃなくて、この港に入るのが難しいから、結果的に海賊討伐が難しいってことだったろ」
「そうそう。この港に入るまでの道は暗礁だらけで、慣れた者じゃないと必ず座礁する。座礁してまごついている間に、海賊たちは別の道から逃げてしまう。だからこそ俺たちは、船の倉庫に息を潜めて隠れ、海賊たちが拠点の中まで船を引っ張ってくれるのを待っていたんじゃないか」
「そうは聞いていたが、相手が、なあ?」
明確な言葉を出さずに同意を求めると、兵士たちの間に笑いの空気が流れた。
「船酔いに慣れるためと何日もゲロを吐いてまで波に慣れたのに、俺たちの相手は油断して寝こけているなんて、やるせないとは思う」
「簡単に仕事が終わると考えよう。海賊を全員倒したら、後は回収班が来るまで船の物資を自由に使って休暇していいって話なんだから」
「そうだな。南の島で休暇だなんて、文字面だけみれば、厚遇も良いところだしな」
愚痴を吐き出して覚悟を固め、魔導鎧を着た兵士たちは船の甲板から港の地面へと飛び降りた。
ドシンと大音が鳴ったが、起きた海賊は数人程度だった。その起きた者だって、酔いで眠気目が回っている状態だ。現実をロクに認識できていない。
これ以降は、単なる虐殺でしかなかった。酔って寝ている海賊に刃を振るい、眠ったまま殺してしまうのだ。
悲鳴すらもさほど出ないままに、海賊たちは一人一人と殺されていく。
「なんらぁ、てめえらはぁ~!」
音に起きた海賊の中から、剣を振り回して抵抗する者もいたが、酔ってふらつく足と手では戦闘になるはずもない。
まして相手は魔導鎧を着た兵士だ。素面かつ健全な状態であっても、一人が剣一本で戦って勝てる相手ではない。
あっさりと、勇気ある海賊は殺された。
さして時間も置かず、海賊は全滅した。死体は海賊船の救命艇をいくつか拝借し、分乗させて沖へと流した。
このまま放置すれば病の元になるが、かといって火葬をする木材もない。だから水葬だ。
海賊の死体は、船が暗礁に乗り上げたり、波にのまれたりで転覆し、やがて魚の餌になるだろう。
「さて、我々の仕事はこれで終わりだな」
「一応、島の中をくまなく探して、海賊の残りが居ないか確認する仕事が残ってますが?」
「それじゃあ人員を二つに分けよう。一つが、この港の防衛と警戒。もう一つが、島を巡る」
「港の防衛だからって、勝手に酒盛りをすんなよ?」
「馬鹿め。いままさに、間抜けにも酒盛りをして死んだ者がいたばかりだ。いますぐに酒盛りを気にはなれんよ」
虐殺を終えたた直後らしい物騒な冗談に、兵士たちから笑い声が上がった。
「はははっ。なんにせよ、こうも楽勝に終わったのは、俺たちだけじゃないかね」
「他の島の担当だと、小型船を使い捨てにする――『強襲揚陸』だったかをするところもあるらしいからな。我らの側にも被害はそれなりにでるだろ」
「元の配置に戻った後で知られたら、きっと嫉妬されるな」
「船の中で寝て待ち、寝ている海賊を殺し、あとは悠々自適かつ飲み食い自由の休暇だからな。裏稀な良い方が可笑しい」
ひとしきり笑い声が上がった後で、兵士たちは二班に分かれて活動を開始する。
片方が島の中を巡って安全を確かめにいき、もう片方が仕事終わりの宴会のための設営に入ったのだ。