三十一話 迎撃準備
ロッチャ国がノネッテ国に侵攻を開始した。
その知らせを受けて、俺はアレクテムや後続の兵士たちに先駆けて、国境である山の上にやってきた。
「ファミリスの行動を参考に、神聖術を使用しながら駆け足で移動してみたけど、到着は速いし体は楽だしでいいとこづくめだな」
惜しむらくは、この便利な神聖術を他者に伝える方法がないことかな。
さてさて、山の上にはノネッテ国の野戦陣地が作られている。
フッテーロからロッチャ国に戦いの機運があると知らされてから短時間で作ったものなので、柵や土嚢ばかりの粗末なものだ。
陣地の中に俺が入ると、兵士たちが出迎えてくれた。その多くは、渓谷の砦に勤めていた人たち。つまりは、メンダシウム国との戦争での戦友たちだ。
「ミリモス王子。早い到着ですね。他の兵は置いてきたので?」
「万に迫る敵兵が山を登りつつあると聞いてはね。一刻も早く帝国製の杖が必要になると思って、先に来たんだよ。まあ、薪と食料の節約のため、大半の兵はこちら側の山の下に布陣するよう命令を出している。山の上よりかは温かいからね」
俺は冗談口調で言いながら、背中に括り付けてきた杖を取り出す。メンダシウム国から頂いた一本と、研究用に拾ってきた一本の、計二本だ。
頼もしい武器に、兵士たちの顔色が良くなる。
「その二本を使って、この場で迎撃戦を展開することになるわけか」
「これは防衛の仕方も考えないといけないな」
メンダシウム国と長年に渡って防衛線に明け暮れてきたことで、防衛線が得意だという自信があるからか、絶望的な戦力差だというのに兵士たちの雰囲気は明るい。
彼らのことを頼もしく思いながら、俺は作戦を立てるにあたって、聞かなければならないことがあった。
「豆油の貯蔵状況はどんな感じ?」
「火炎瓶に使う気でしたら、無駄だな」
「どうして?」
「火炎瓶が使えるのは秋までだからだ。雪がちらつくほどの寒さだと、油がみぞれ状態になって、火口程度の火じゃ着火しないんだな」
むむっ。鋼鉄の重装相手には、熱したり燃えている油が鎧の内側に入り込むから有効だって、戦術書に書いてあったのに。
しかし使えないのなら仕方がない――とあきらめかけたところで、俺がメンダシウム国の陣地内でやった放火の場面を思い出した。
「じゃあ油をかけて、強力な火を浴びせることで、火だるまにすることは可能?」
「そりゃあ可能だが、そんな強い火をどこから――ああ、魔法の杖でできますな」
「この杖を使えば、点火の魔法ですら火炎瓶にかけたら、油が瞬く間に燃えて瓶を内側から吹き飛ばすほどに激しく燃えたんだよ」
「……危ない真似をしないで欲しいんですがねえ。まあ、終わったことなので、とやかく言いませんけど」
兵士は苦笑してから、思案顔になる。
「しかしなあ。あんまり油の量がないんだよなあ。ここに持ってきているのは、メンダシウム国との戦いの後、砦に残っていた分だけなんでね」
「後続の物資にも、豆油は少ないよ。この冬にロッチャ国と戦うことになるなんて、夢にも思ってなかったんだから」
メンダシウム国との戦いで消費した分を賄うには、日にちが足りな過ぎた。
豆は、ノネッテ国の主食だ。その主食を、過度に油の製造に回してしまうわけにはいかなかったんだよね。
「となると、油を使っての夜襲は無理か」
「嫌がらせをするにしても、一万もの数を焼き尽くす量はない。千でも怪しぐらいだな」
「それぐらいの量しかないなら、防衛に残して置いた方がいいね。陣地前に油を流して放火すれば、後方へ逃げる時間は稼げるだろうし」
しかしこのままでは、一万もの大軍がこの陣地に流れ込んでくることになる。
少数しかいないこっちの戦力では、鎧袖一触だろう。
何か手はないかと考えていくが、吹き付けてきた山風が俺の頬を叩き、一瞬にして頬の皮膚感覚を奪っていった。
「うー、寒い!」
「はっはっは。そりゃあ山の上で、風が強いからなあ」
「しっかりと防寒着を頭まで着てないと、耳が凍傷で取れてしまいますよ」
俺があまりの寒さに手で頬を擦りながら不平を言ったら、兵士たちに大笑いされてしまった。
俺は忠告された通りに防寒着――鎧の上から着るために大きめに作られている毛皮の外套だ――のフードで頭を覆う。
「これだけ寒いと、体を水で拭くのも難しいね」
「それは諦めたほうが良い。冬山の上で水は貴重だ。雪があっても薪を使わなきゃ採れないからな」
「その薪は大天幕の中の暖炉で温かい飲み物を作るのに必須ですよ。温かいものを飲まないと、寒さで死にます。歩哨を立てる際にも、短時間で交代しないといけませんし」
兵士たちの意見を聞きつつ、俺は冬山の仕組みに疎いため、彼らのやるがままに任せることに決めた。
「必要なものがあるなら、早めに言っておいてよ。輸送にも時間がかかるからね」
「ミリモス王子が使う、あの木の鳥。持ってきているので?」
「あれは冬には使えないんだよ。上空を飛ばしたら、各部が凍って割れちゃうんだよね」
「あれで偵察できれば、楽が出来たんだが――それ以外は必要なものはないなあ。この陣地での戦いは、そう長くはないでしょうしね。一度戦ったら後方に逃げなければ、数の暴力で押しつぶされてしまうので」
「山の下にある森の中で、全軍を少数部隊に分けて、不意打ち戦法で敵の数を減らしていくのが妥当な戦術ですよ。ミリモス王子」
地形を利用してのゲリラ戦か。少数の兵で大軍を相手にするには、これしか有効な方法がないんだよなあ。
さて、どんな戦法で敵に被害を強いるかと考え始めたところで、ふといい考えが浮かんだ。
「この寒さの中、水浴びなんてしたら、死にかねないよな?」
「そりゃそうだ。水じゃなく湯をかけられたって、濡れた状態で寒空の下にいたら死ぬしかない」
「濡れた体を温めるためには、薪が必要になるよね。濡れた人の人数に比例して、薪の数も必要だよね」
「そうですね。だからこそ我々は、外套は濡らしても、その下の鎧や服まで濡らさないように気をつけているわけですしね」
兵士たちの返答を聞いて、俺は悪だくみを思いついた。
このときの俺は、よほど悪どい顔をしていたようで、兵士たちの表情が呆れ一色になっている。
「ミリモス王子。また突拍子もない作戦を考え付いたのか?」
「まあね。それじゃあ今から嫌がらせに行ってくるから。とりあえず一人で行ってみて、感触を確かめてくるから」
「ミリモス様。護衛をつけてくださらないと、後で我々がアレクテム様に怒られちゃうんですけど」
「俺の走る速さに護衛が追い付けなかったってことにしておいてよ。実際、追いつけないだろうしね」
俺は帝国製の杖を一本兵士に手渡した後で、神聖術を全開にし、陣地から外へと出ていった。
向かう先は、もちろん、ロッチャ国の軍勢がいる方だ。