三百二十八話 落ち兵狩り
潰走したキレッチャ国の兵士を、ガクモ王は魔物と共に追っていった。
それから遅れて一時間ほど。
夕暮れ間近になって、ようやくノネッテ国の軍隊が追いかける準備が整った。
準備に一時間と考えると遅いように感じるけど、脱いだ魔導鎧を荷馬車へ収容、戦争で壊れた武器や鎧の補充、怪我人や死体の後送する手配など、色々とやるべきことがあったため、軍隊行動としては早い方じゃないかなと思う。
実際、軍隊畑で将軍まで育ってきたドゥルバ将軍だって、兵たちに向かって「急げ」や「敵が逃げてしまうぞ」と行動を煽ってはいたけど、「遅い」とは言っていない。
「全軍、発進せよ!」
ドゥルバ将軍の号令と共に、逃げたキレッチャ国の兵士たちへの追撃を開始し、街道をキレッチャ国の王都へ向けて進む。
ただ追いかけるだけなら、足の速い部隊のみを送り出せばいいんだけど、追撃戦の場合はそうはいかない。
キレッチャ国の軍隊は潰走している。しかし指揮系統が残っていた場合、こちらを足止めするための決死隊――殿軍を置く可能性が高い。
死を覚悟した兵士はとても危険で、追撃の足が自慢なだけの少数部隊だと撃破される可能性が高い。
だからこそ俺とドゥルバ将軍は、行進がゆっくりであろうと、全軍でもって攻め上がる方を選んだ。
この選択に間違いはないはずだ。
俺が今世で読んできた兵法書や戦術書であっても、これが定石だしね。
キレッチャ国の街道は、行商人が国内を行き来しやすくするためか、広い幅で平らに舗装されていて、とても歩きやすい。
ノネッテ国の軍隊にとって、この道の状態は嬉しい。
でも反面で、逃げているキレッチャ国の兵士たちも、この歩きやすい街道なら遠くまで逃げてしまっているはずで、つまるところ追撃距離が長くなるに違いなかった。
そんな予想を立てて街道を歩いていると、チラホラと敵兵の死体を見かけるようになった。
死体は街道の畦に倒れているが、見た目で分かる違いから、二種類に分けることができる。
一つは、頭と胸元や腰回りの場所だけ無傷で、その他の部位が散々に食い散らかされた死体。
このタイプの死体は、明らかにガクモ王の配下の魔物に食料にされた慣れの果てに違いなかった。
もう一つは、人間の武器で攻撃された外傷が見て取れる、戦場では見慣れてしまうタイプの死体。
彼らが戦っていたノネッテ国の軍隊は俺と共に行動しているし、先遣部隊は出していない。
つまり、この死体ができた原因は、キレッチャ国の兵士たちの仲間割れの可能性が高い。
「キレッチャ国が動員した人員の多くは傭兵だった、って話だしなぁ……」
金の切れ目が縁の切れ目な傭兵なら、戦争に負けた瞬間から、昨日の戦場の友は赤の他人になるのが常識だ。
だから『仲間割れ』とは、正確に言えば違うんだろうけど……
それにしても、戦場で肩を並べた仲間に殺されたはずの死体には、無常を感じてしまう。
ともあれ、仲間割れで死体を出している状況を見るに、傭兵が身勝手に動いていることが伺える。
そして傭兵が統率しきれていないということは、キレッチャ国は殿軍を置けていないんじゃないか、という気がしてきた。
もしくは、殿軍はいても極少数に留まるんじゃないか。
殿軍がいなかったり少数だったりするのなら、もう少し進軍速度を上げても問題が出にくいんだけど、どうしようか。
進軍速度を維持するか変えるか、俺がそれで悩んでいると、軍の先頭の方から伝令が走ってきた。
「ミリモス王子へ報告! 街道の先で、火の手が上がっている模様! 黒煙が見えます!」
「煙だって? なんでそんな、自分の居場所を教えるような真似を?」
俺がついつい口から漏らしてしまった感想に、伝令の兵は背筋をピンと伸ばして元気に返答してくれる。
「わかりません! 偵察が必要でしょうか!」
「そうだな……。先行偵察を出してくれ。情報を持ち帰ることを優先して、危険そうなら深入りしないようにと伝えて」
「わかりました! では、失礼します!」
伝令兵が軍隊の先頭へと走っていき、そして遠目に少数の兵が先頭から外れて、更に道の先へと走っていった。
それから十分ほど経った頃、先ほどの伝令兵が再び俺の元にやってきた。
「偵察が終わりました! あの煙は、道の先にある村からのものでした!」
「村があるのか。じゃあ、黒煙は煮炊きの煙だったのか?」
もうそろそろ日暮れだ。夕食の時刻といえなくもない。
しかし俺の予想を、伝令兵は反してきた。
「いえ。敵兵が村を焼いているのです」
伝令兵の言葉に、俺は呆気に取られていた。
「自分の国にある村を焼いている?」
なんの意味があるんだろうと俺が首を傾げていると、ドゥルバ将軍が横から言葉を入れてきた。
「焦土作戦ではありませんかな。村にある物資を焼いてしまうことで、我が軍に使わせないための戦法です」
「なるほど。でも、俺たちは自軍の物資は運搬しているんだ。村の食料に手を付けたりはしないんだけどな」
「食料に問題はなくとも、水は得られる場所があるのならば、幾つあっても良いものです」
つい前世と今世で水に困った記憶がないから忘れがちだけど、大陸の平野部で川に近くない場所だと生活用水が死活問題だったりする。
人間は水がなければ、三日も生きられないと言われているしね。
そして川から水が取れない場所――平野部にある村々の多くは、雨水を貯める甕を用いたり、井戸を掘って地下水を得たりしている。
むしろ、地下水が汲める井戸が掘れたからこそ村が生まれた、という事情すらあるんじゃないだろうか。
つまり平野部での暮らしにおいて、水の獲得は難しい事だ。
ドゥルバ将軍はそんな土地の背景を加味して、敵は村を焼き捨てて水を汲ませないようにすることで、こちらの物資に負担をかけてこうようとしているんじゃないか、という予想を語ったわけだ。
俺がなるほどと思った一方で、伝令兵は言い難そうにしながら訂正を告げてきた。
「それが! 村を焼いているのは軍事的な動きとは言い難いようです!」
「それはまた、どうして?」
「村を焼くことが主体ではなく、村人に乱暴を行うことが主目的だと見えると、偵察が語っていました!」
「村を襲うことが目的って、それって野盗ってこと?」
「鎧と武器を持っていたということなので、傭兵が野盗化したのだろうという予想です!」
戦争に負けて得られなくなった報酬の代わりに、村を襲って金品を略奪しているということか。
俺が顔を顰める間に、ドゥルバ将軍が伝令に言葉を発していた。
「打ち倒す義理はないが、潜在的脅威を残したままにはしておけん。その傭兵崩れを討伐する」
ドゥルバ将軍から了承を求める視線での問いかけに、俺は首肯でもって返答とした。
すぐさま火の手が上がっている村へ、ノネッテ国の軍隊の進軍方向が転換される。
それから間もなく、あっという間に傭兵崩れは本人たちの血だまりに沈む結末を迎えた。
襲われていた村では、男性と老人の殆どは殺されていて、女性たちと子供たちが別々の建物の中に集められていた。
用兵崩れが、女性と子供に対して何をしようとしていたのかは、考えるまでもないことだ。
「生きていた者がいたのは幸いだけど、この村はもう再建不能だろうな」
十歳にも満たない少年は残っているけど、成人男性は居ない。
今世の世界で、女性のみで村を運営していくことは、村の主産業が人力での畑仕事であるため、体力面から難しい。
多少無茶をすれば、女性たちが食べられるぐらいの作物は偉るかもしれないけど、まともに畑仕事ができない子供を養っていく分までは賄えないに違いない。
では生き残った女性たちをどうするべきかと、俺は暗くなり始めた空に目を向けながら考えを巡らせるのだった。