三十話 ロッチャ国の状況
俺はフッテーロの自室にやってきた。
すると、部屋の前の廊下に多くの人たちが詰めかけていた。
服装から医療関係者もいるが、多くは役人系の人たちのようだ。恐らく、次期王の筆頭候補が凍傷寸前で戻ってきたことを心配してというよりも、この機会を利用して自分の顔を覚えて貰おうという腹積もりなんだろう。
そんな人たちの間を縫って、俺は部屋の前まで進み出た。
「フッテーロ兄上、ミリモスです。入ってもいいですか?」
部屋の中に声をかけると、フッテーロのものではない声が返ってきた。
「フッテーロ様はお疲れです。面会は明日にしてもらいたい」
「残念ながら『軍を預かる立場』としては、いますぐにでもお話を聞かせていただかないといけないのです。入りますよ」
許しなく部屋に入るなんて無礼な真似だとは重々承知しているけど、明日まで待っていられる状況じゃない。
部屋の扉を力任せに開けて中に入る。俺に続いて入ろうとしてきた人を押し退かして、扉を閉める。
部屋の中を見渡すと、俺の強引な行動に、フッテーロはベッドの上で医者に薬を塗られながら苦笑いし、彼の側近たちは怒りを表情に滲ませている。
「フッテーロ兄上。ロッチャ国との外交が失敗に終わったというのは本当みたいですね」
俺がフッテーロの手足に巻かれた凍傷治療の包帯を見ながら言うと、フッテーロの側近たちが色めき立った。
「ミリモス王子。無礼な物言いですよ!」
「フッテーロ様は失敗したのではありません! ロッチャ国が聞く耳を持たなかっただけです!」
次々に言い訳めいた言葉を吐いてくる彼らに対し、俺はつい肩をすくめてしまう。
「一応は王子である俺を警戒して、弁明で色々言いたいのはわかるけどさ。見当違いにもほどがあるでしょ。俺は『元帥』として軍事に関することだけが聞きたいんだ。つまりロッチャ国が、どれほど本気でノネッテ国と戦う気なのかを知りたいだけなんだから」
いまの俺は軍を預かる立場として来てますよと告げたのだけど、部屋の中の面々の表情を見ると、理解してくれたのはフッテーロだけなようだ。
「分かっているよ、ミリモス。不甲斐ない兄の尻拭いをしてくれるんだよね」
「フッテーロ兄上。そう自分を卑下しないでくださいよ。もしサルカジモ兄上が外交をしていたら、ロッチャ国を激怒させた挙句に捕まって、うちとの取引材料に使われたでしょうからね」
「ふふふ。ミリモスは常に良い子だけど、サルカジモに対してだけは辛辣だよね」
「嫌味を言ってくる人に対して、あえて仲良くしようと思わないだけです」
軽い冗談を交換した後で、フッテーロは真剣な顔になる。
「ミリモス『元帥』。申し訳ないけど、ロッチャ国との話し合いは決裂したよ」
「詳しい状況を聞いても?」
「もちろんだとも」
フッテーロは、体の治療が終わったのか、医師たちに手振りで下がるように命じる。
「また後ほど、容体の確認に参ります」
医師たちは一礼して部屋を出ていく。
一方で、フッテーロの取り巻き連中は部屋の中に残っていた。どうやらフッテーロは俺と彼らに、事情を教えておく気のようだ。
「さて、なにから話そうか」
フッテーロはそう言いながら、木のコップに入った水を一飲みして唇と喉を潤してから、本格的な説明に入る。
「僕はロッチャ国の首脳陣と、まずは意見交換という形で会談を持ったんだ」
ロッチャ国がノネッテ国を狙っているのは本当なのか。その目的は何か。どうしてそんな判断をしようとしているのか。回避は不可能なのか。
そんな話を、最初に聞いたらしい。
「ロッチャ国の軍事関係の人たちは、意外だけど、あまり乗り気じゃなかったんだ。ノネッテ国を攻めても、手に入れる価値のあるのは書類一つ。戦火で燃えでもしたら、侵攻する意味自体が消失しちゃうからね。それでも、上層部の決定に従わないわけにはいかないという判断だった」
「経済関係の人はどう考えていたんです?」
「そっち方面の人たちは、乗り気だったんだよ。ノネッテ国は小さい国だ。全軍を上げて攻め入れば、短期間で落とせないはずがない。同格国証明の書類を手に入れれば、帝国との取引も健全化されて国が潤うに違いない、ってね」
「夢見すぎのように聞こえますね」
「実際、甘い見通しだよ。帝国はメンダシウム地域で大鉱床を発見し、自国での武器の量産に入ったと噂になっているんだ。いまさらロッチャ国の武器を欲しがって、甘い顔で取引する気はないだろうね」
フッテーロは外交の面から情報収集して、帝国とロッチャ国との関係について判断を下したようだ。
俺は意見には同意するけど、内情はちょっとだけ違っていると思っていた。
自国で武器を作るようになろうと、ロッチャ国の鋼鉄の武器が有用かつ自作のものより安いのなら、輸入を止めたりしないだろう。
しかし、帝国の場合はそうはならない。
理由は、魔導の剣だ。
いままで帝国で作られていた魔導の武器は、恐らくロッチャ国が作った物に、魔導経路を刻むことで作っていたはずだ。
しかし、俺がいま持っている帝国の最新式の魔導剣は、鋼の模様を魔導の経路として組み込む関係で、製造段階から特殊な技法が必要。その鋼の模様は魔導の核たる部分であるため、いままで取引があったロッチャ国にすら任せるわけにはいかない。
結果として、帝国は自国で武器を量産するしかなく、鉄鉱石が大量に必要となった。
その所為で、メンダシウム国は帝国にいい顔をしようとしてノネッテ国の鉱床を狙い、策略で滅ぼされて地域と名前が変わって大鉱床を残した。
そういった流れを考えると、帝国はロッチャ国へも打診しているはずなのだ。
今まで取引をしてきた鋼鉄の武器ではなく、鉄鉱石だけを輸入すると。
いまのロッチャ国の経済は、帝国との高額な武器取引で潤っていたのに、鉄鉱石という単価の安い取引に取って代わられて、急速に乾きつつあるんだろうな。
帝国以外の取引先だったメンダシウム国がなくなって、その輸出額が丸々消えたことも大きいだろうし。
とにかく。
帝国がロッチャ国の鋼鉄の武器を買わない理由が確りあるから、仮にノネッテ国が持つ同格国証明書を入手したとしても、帝国に鋼鉄の武器が売れるはずもない。
「確かに甘い見通しですね」
「その夢みたいな考えを、ロッチャ国の上層部は信じ込んでしまっているんだ。僕がどれだけ筋道を立てて意味がなことを証明しても、信じて貰えないほどにね」
「ロッチャ国の現状は、経済的に滅びる道を辿ってますからね。博打でも、状況を打破する方法が取りたかったんでしょうね。ノネッテ国としては大迷惑ですけど」
「建前を用意してでもこっちを狙うんじゃなくて、素直に帝国に領地を明け渡せば、国民たちの生活に影響は出ないはずなんだけどね。帝国だって、優秀な鍛冶師は欲しいわけだからね。それを戦争なしで手に入るとあったら、よろこんで優遇措置の一つや二つは融通するはずなんだけど」
「ロッチャ国の首脳陣はロッチャという国名がなくなるのが許せないんでしょうね。民草にとって、税率さえ変わらなきゃ、国の名前なんてどうでもいいはずなんですけどね」
「国の名前がなくなってもいいだなんて、ふふふ。ミリモスは王子らしくない考え方をするよね」
「フッテーロ兄上だって、似たような考えでしょ」
「そんなことはないよ。最悪でも自治領として、ノネッテの名前は残したいとは考えているし」
「それって、国でなくなってもいいって言っているようなものですよね」
「穏やかな暮らしさえ保てれば、それが一番だよ。自治領となった後で腹に据えかねる事態になったら、祖先のように独立すればいいしね」
柔軟ながら、ちょこっと過激な考え方だ。
フッテーロの意外な一面に驚きつつ、話をロッチャ国に戻す。
「それで、フッテーロ兄上はロッチャ国に捕らえられそうになったと聞きましたが?」
「万言を費やしてでも戦争を回避しようとしたんだけど、その行為が向こうの目には詐欺師のように映ったらしくてね。国家内乱罪とかいうもので、捕らえられそうになったんだよ」
「軽く言ってますけど、捕まったら斬首相当の大罪ですよ、それ」
「僕も頭と胴体が離れるのは嫌だからね。大慌てで逃げてきたよ。ビアンが山道に強い種類の馬で良かったと、本当に思ったね」
大変だったと笑うフッテーロを見て、次期王の資質とは、このへこたれない点なのではないかなと考えてしまう。
まあいい。
今の話で、ロッチャ国がノネッテ国に進軍する大義名分が理解できた。
「つまりロッチャ国は、フッテーロ兄上を国家の大罪人と位置付けて、その身柄を拘束することを目的として軍を派遣する気なんでしょうね」
「……僕の身一つで事態が収まるのなら、明け渡してくれてもいいよ」
「冗談。連中の目的は帝国との同格国証明書ですよ。仮にフッテーロ兄上を渡したとしても、匿った咎とか言って払えないほど多大な賠償を命じ、払えないのなら国ごと売れとでも言ってくる気に違いありませんし」
「さっき、ミリモス自身、民さえ安全なら国の名前が残らなくても良いと言ったばかりだよね?」
「そうですね。ノネッテ国民が平穏に暮らせるのなら、その判断は正しいでしょうね。では聞きますが、ロッチャ国に売り渡して、その平穏は守れると思いますか? 書類一つで帝国との関係と経済状況が元通りになると夢見るような首脳陣の国、その属領となるんですよ?」
「……酷い評価だけど、確かにロッチャ国は粘土細工の城だね。その下につくなんて真似をしたら、国民を不幸に落とすことになりそうだよ」
フッテーロは、ロッチャ国と戦うしかないと理解したようで、俺に深々と頭を下げてくる。
「ミリモス。不甲斐ない僕に代わって、この国を守ってください」
なんだか王位継承権を譲るような文言が気になるので、王になる気はないと表明しながら応えることにしよう。
「承りました、フッテーロ王子。元帥として、ノネッテ国を守ることにいたします」
俺が臣下の礼で返答すると、フッテーロは困った表情半分、安堵の表情半分の顔になる。
「本当に抜け目がないというか……。ともあれ、ミリモスの意気込みはわかったよ。けど、僕の体に凍傷ができるほどにロッチャ国からノネッテ国への山道は寒い。ロッチャ国の軍がやってくるのは雪解けを経た後だよ。それだけの猶予日数があるなら、他の国から支援を受けられるかもしれない。なんせロッチャ国の鍛冶技術を手に入れたい国は、周囲にごまんとあるからね」
確かに、フッテーロが考えた通りに、雪山の中へ兵士たちを行軍させるなんて、自殺行為も良いところだろう。
「甘いですよフッテーロ兄上。経済とは日ではなく秒で悪化するものです。他国の王子であるフッテーロ兄上を国家内乱罪で捕まえようとするほどに、ロッチャ国の首脳陣が焦っているのであれば――」
俺が言葉を言い切る前に、部屋の前が騒がしくなった。
「ミリモス元帥に伝令です! 通して、通してください!」
俺がフッテーロに視線を向けると、部屋の中に入れて良いと許しが出た。
扉を開け、伝令だけを中に入れる。
「報告を頼む」
「ハッ! ロッチャ国との境にある山の小屋からの通達です。ロッチャ国の大軍勢が、山登りを開始したと」
「敵兵の人数は?」
「正確な数は書かれてませんが、万に届くのではないかと」
「山小屋の監視員は、報告後はどうした?」
「第一迎撃地点まで退避したと。山小屋の中の薪や食料には毒をまぶし、山の者なら使ってはダメだと分かる印を書き入れたそうです」
「よしっ、万全の対応だ。時間もないようだし、こちらも本格的に動くとしよう」
先に伝令を帰させてから、俺はフッテーロに向き直る。
「それでは、元帥の仕事に行ってきます。フッテーロ兄上は、外交の縁を伝って帝国や騎士国に、我が国の状況を伝えてくださればと思います」
「その件は任せておいて。頑張ってね、ミリモス。けど、死んではダメだよ?」
「ご安心を。頑張る気はありますが、死ぬつもりは一切ありませんから」
俺は軽口を叩いてから、部屋を出る。
そして元帥の執務室へ戻る道すがら、動員する兵をどうするかに頭を悩ませる。
敵は大人数。村の駐在兵や予備役も総動員したい。
しかし、いまは冬。大人数を動員すると、消費する薪や食料の量が跳ね上がってしまう。
「彼らまで動員するのは、王城が決戦地になるまでお預けかな。いや、その段階になってしまったら、帝国に国を身売りする方がマシか」
色々とプランを考えながら執務室に入り、アレクテムに出動が決まったと告げたのだった。
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