三百二十四話 戦場での違和感
ハティムティ国の魔物部隊によって、キレッチャ国の陣地は人員と物資に被害が出た。
それは間違いないはずなんだけど、被害を受けたにしては、キレッチャ国の陣地に起きた混乱は少なかった。
翌朝、お互いに戦列を向かい合わせたときも、キレッチャ国の兵士たちの士気が落ちてはいないと見受けられた。
敵の様子を見て、俺はドゥルバ将軍に相談することにした。
「夜襲で味方と物資を失ったにしては、敵は落ち着いているよね。被害が少なかったのかな?」
「魔物たちは腹いっぱいで寝ているのを見ると、それなりの被害は与えたと考えることが自然かと」
今、ハティムティ国の魔物部隊は、戦列の最後方で休憩中だ。
まあ、他国の王が擁する魔物に背後を取られている状況について、ノネッテ国の兵士たちは心配している様子があったから、魔導鎧部隊の中から百人ほどを『控え』という扱いで後方に配置して、兵士たちの不安を解消しておいてある。
「肉食と草食の魔物が満腹になっているからには、人は百人規模で、食料だって千人規模ぐらいは失っていると見ていいんだけどね」
「……どうやって、そう概算を出せたので?」
「敵兵一人の手足の一本ずつと胴体部で食い分けて、肉食の魔物五匹分が賄えると考えたんだよ。逆に草食の魔物は人間以上に食べるだろうって計算もね」
「魔物は全体で千匹以上。肉食草食で半数ずつと仮定すると――なるほど、そう言う概算になりましょうな」
これはあくまで、俺が適当に立てた概算だ。実際の数字とは明らかな解離があるだろう。
でも、戦場で扱う数字は、基本的にどんぶり勘定だ。何の問題もない。
それに、いま重要なのは数ではなく、少なくない数の被害を敵に与えているという事実と、被害を受けているのに平然としている敵のことだ。
「やっぱり、数の上では圧倒しているから悲観する必要はない、って考えているのかな?」
「数で優っていても――いえ、数が多いからこそ、物資には気を遣うはず。食料を奪われても平然としているということは、補給の当てがあるという証左かと」
「ああ、なるほど。すぐに兵も食料も補充できるから、多少の被害は大したことないって思っているわけか」
キレッチャ国は商人の国。
そして商人とは、物流を握っているもの。
戦争でも、人材や物資の流通はお手の物だろう。
「それにしたって……」
実際に被害が出ているのに平然としているのは、変な気がする。
違和感があることは明らか。
でも、敵の人員と物資の供給が十全だとすると、まごまごと時間を消費する分だけ、敵の戦力を増強させることになる。
その事実を分かっているからこそ、敵は数に勝っているにも拘らず、戦列を並べるだけで攻撃を仕掛けてこないんじゃないだろうか。
となると、こちらから戦端を開くことで、敵の増強を抑圧する効果が見込める。
そう考えはしたのだけど、敵の様子を見て得た違和感が拭えず、なにか見落としがある気がしてきた。
「うーん……。ドゥルバ将軍。このまま戦端を開いたとして、こちらが勝利する確立は、どれぐらいあると思う?」
「珍しい、ミリモス王子が弱気とは」
「弱気じゃなくて、なんかを見落としている気がするんだよ」
ドゥルバ将軍は「見落とし?」と不思議そうに首を傾げた後、右の義手を顎に当てて考え始めた。
「ふうむー。彼我の人員の差はあれど、兵の練度と装備を考慮に入れれば、戦力ではこちらが上だと思っておりますが?」
「俺も、その意見には同意する。だから気にする必要はないと考えているんだけど、なんかこう、嫌な予感が拭いきれないんだよ」
「だからこそ、敵が持つ要素を、なにか見落としているのではないかということですな。しかしながら、とんと思い当たる節はないもので」
歴戦のドゥルバ将軍でも、俺の違和感の正体には思い当たらない。
俺は自分の気のせいかとも思ったが、万が一の場合も考えて、各部隊の隊長たちにも意見を募った。
しかし違和感を感じているのは俺だけで、部隊長たちの意見は『この戦争に勝てる』というもので統一されていた。
「念のために偵察用の魔導具の『鳥』を出してもらって敵軍の様子を探らせたけど、何もなかった。俺の気にしすぎ、か?」
俺は目を瞑って、キレッチャ国の軍隊の要素を見当したが、どれもノネッテ国の軍隊を脅かすものじゃないと判断がついた。
検討した結果、問題はない。
しかしそう分かっても、違和感は拭えず、無視することもできない。
「……仕方がない。戦争は、こちらから仕掛ける。そして最大戦力を初っ端から投入しよう」
魔導鎧を着た兵士は、一度の出撃で魔力を消費し尽くしてしまい、数日は動けなくなってしまう。
実質的に戦える人が減ってしまう選択なので、戦いの初日から使いたい手じゃない。
しかし一方で、敵がどんな手を使って来ようと、魔導鎧部隊なら切り抜けられるという自負がある。
つまるところ、俺が抱き続けている違和感を、魔導鎧という圧倒的な武力で押しつぶすことにしたわけだった。
キレッチャ国の軍隊との戦端が開かれた。
俺が立てた戦術の通り、こちらの最先端は魔導鎧部隊。
魔導鎧部隊を一塊にして打撃し、敵の戦列に穴を開ける。後続はその穴から攻め入って、敵を蹂躙する。
こうしたシンプルな作戦を立てたのは、何か不測の事態起きた場合、即撤退という判断を下すことを可能とするためだ。
「嫌な予感は拭えてませぬか?」
ドゥルバ将軍の問いかけに、俺は渋面を作る。
「問題はない、はずなんだ」
俺は自分に言い聞かせるように返答した後で、魔導鎧部隊の突撃の合図をした。
「「「「ノネッテ国に勝利を!」」」」
魔導鎧部隊の面々は声を上げると、敵に向かって突進を開始した。
魔導鎧が装着者の魔力を得て発揮するアシストによって、部隊の進行速度は馬の駆け足ほどへと高まっている。
敵の目からすると、人を一回り大きくしたような人型の金属の化け物が四千以上もの数、物凄い速さで近寄ってきているように見えるはずだ。
その威容は恐怖心を煽るに違いなく、事実敵陣の先端にいる傭兵らしき人物たちは浮足立って逃げようとしている。
魔導鎧部隊に対する、敵の怯えっぷりは偽りじゃないように見える。
俺が感じていた違和感は、やっぱり気のせいなのだろうか。
そう俺が結論を出そうとする直前、敵陣の後方から攻撃用の魔法が多数飛び、最前線に飛来した。
最初俺は、敵の攻撃が弓矢じゃなくて魔法であることが気になったが、魔導鎧という金属の塊に矢が効きにくいと見たからだろうと結論を出した。
次に気になったのは、敵の魔法――よくある火の玉を飛ばす魔法だ――の大きさが、普通より大きいように見えたこと。
しかし即座に、あり得ないと否定する。
だって、魔法の威力を上げる方法なんて『帝国製の杖を使わないと無理』なのだから。
俺と同じ結論を、魔導鎧の部隊長も下したのだろう。大声での命令が聞こえてきた。
「止まるな! 最前列のみ対魔法防御! 後続は最前列を盾にし、敵へと突っ込め!」
「「「「了解!」」」」
魔導鎧部隊の最前列は、魔導鎧の装備の一つである魔法の盾を起動し、自身の前方に半透明の盾を出現させた。
この盾を使うと、装着者の魔力がごっそりとなくなってしまうため、継戦時間が大幅に低下してしまう。その代わり、大抵の攻撃を防ぎきることが可能になる。
その『盾』を使った魔導鎧の兵士へ、敵の魔法が到達する。
火の玉の魔法を魔導鎧の盾の魔法で受ける実験は何度もしてあって、問題なく受け止められる――そのはずだった。
魔法の盾に着弾した火の玉は、通常ではあり得ないほどの大爆発を引き起こした。
その威力を見て、俺は唖然とした後、すぐに声を張り上げた。
「敵に帝国製の魔導の杖がある疑いがある! 魔導鎧部隊へ撤退の合図!」
俺の指示を受け、大慌てで撤退太鼓が鳴らされる。
魔導鎧部隊に太鼓の音が伝わったのだろう、すぐに引き返してきた。
すぐに被害調査が行われたが、魔法の盾を発動していたことが助けになり、魔導鎧が十着程度が破損し、それを来ていた兵士たちが魔力切れで気絶しただけで済んだ。
これがもし魔導鎧部隊ではなく、普通の鎧兜の兵士だったらと考えると、危うく大被害を出すところだった。
「俺が感じていた違和感は、これだったのか」
そう、俺は見落としていたんだ。
キレッチャ国は商人の国であり、海洋貿易の国。
そうした海洋商人であるのならば、大陸を二分する大国である魔導帝国と、海を伝っての取り引きがあって然るべきだということを。