閑話 キレッチャ国の王は決断す
キレッチャ国の王――ウォレアは予想していた戦争が近づきつつあることと、その戦争に予想外の相手が参戦していることに、頭を悩ませていた。
「この春、ハティムティ国が魔物だけの軍勢を連れてやってくることは予見できていたけどさ。まさかノネッテ国を巻き込んでくるとは思ってもみなかったんだよなぁ……」
その口から漏れ出ているのは、事態の困難さからくる愚痴だ。
事実、ウォレアにしてみれば、ノネッテ国を相手にする時期は、まだまだ先のつもりだった。
それこそ、ハティムティ国を打倒し、アナビエ国を支配下に置いた後、第三の大国の決定戦でのことだと予定していた。
「ハティムティ国の王は、魔物以外に心を配らない暗愚だという情報だった。無法地帯から逃げてきた難民を対価に払えば、時間稼ぎができると見ていたのに……」
魔物のことだけしか考えない頭の持ち主なら、他の国へ手助けを求める可能性は少ない。そう見越していた。
しかしそうなっていないということは、ウォレアの予想を超える程度には、ハティムティ国のガクモ王が王として優秀である証拠でもあった。
「侵攻の手助けをするノネッテ国もノネッテ国だよ。人間を食べる魔物たちを手伝うとか、正気じゃない」
普通なら、人間を食べる存在の近くに居たくないと思うことが、人間の心理だ。
親に捨てられて魔物と共に暮らしたという、特殊な事情のあるガクモ王ならいざしらず。
ノネッテ国の人間は普通に魔物を恐れたり狩っているのだから、魔物と行動を共にするなど、忌避感が強く出て当然のはずだ。
しかしノネッテ国の軍隊は、ハティムティ国の魔物たちと共に行動している。
この同行が想像力の欠如によるものだったら、生贄に差し出した難民たちが食われる姿を見せれば、嫌悪感を抱かせて手助けできないと判断させることが出来た。
事実、ウォレアはその策を使い、何回か難民を偵察役と偽って派遣し、魔物の餌にした。
だがノネッテ国の軍隊は、いっこうに国元に帰る様子はなく、ハティムティ国の魔物たちと行動を共にしている。
これもまた、ウォレアにとっては予想外の事態だった。
「商売は人間を相手にするものだよ。人間以外を相手に据えて考えることは、本分じゃないんだよ」
ウォレアは自分のことを、商売人だと自覚している。
そして商人とは、人間の欲と向き合ってこそ大成するという持論をもっている。
食べ物が欲しい人に食料を売り、水が少ない場所に水樽を運び、住居の安全を確保するために柵を作る。
見栄を張りたい者には芸術品や宝石を売り、見た目に業かな邸宅を建築する。
街道や街中の安全を脅かす荒くれ者を取り締まるため兵を雇い、氾濫した水で土地や財産が壊されないように治水も行う。
そういう風に、人から求められる物を求められるように売るだけで、自分も国も富み栄えていく。
それがウォレアがキレッチャ国の王として行っていることだ。
こうした背景を持つからこそ、ウォレアは人間の気持ちを掴む術に長けていた。
そして長けているからこそ、その術が通じない相手には滅法弱い。
どう行動していいのか、分からなくなるのだ。
「ハティムティ国の魔物だけなら、腹いっぱいになれば帰っていっただろうけど、ノネッテ国を連れてきている。ノネッテ国の軍隊は首都直撃が基本戦術。奥に入り込まれないよう防衛を厚くするべきだな。でも、どこに防御線を引けばいいんだ……」
ウォレアは王であり、人の機微が分かる商人である。
王として判断するなら、多少の国土を明け渡してでも、確実に王都を守り、そのうえで敵に打撃を与えることが上策だ。
幸いにして、キレッチャ国の王都は、ノネッテ国とハティムティ国から見たら最奥の場所に位置している。
ハティムティ国の魔物たちとノネッテ国の軍隊を国土の内に引き寄せてから、必殺の位置で決戦を挑むことは十二分に可能だ。
商人として判断するのなら、断固として国境の死守一択だ。
信用というものは一瞬にして瓦解してしまうもの。
国境の防衛を捨てて戦力を温存した場合、見捨てられたと感じた国民のウォレアへの信用度は暴落する。
そして国境の国民の不満は、人が噂として運ぶことで、キレッチャ国の全土へと流れ、国民の不安を巻き起こす。
『ひょっとしたら、自分たちも見捨てられるんじゃないか』と思わせてしまったら、国民はウォレアを王として支持しなくなってしまうだろう。なにせ国民にとって良い王都は、自分たちの暮らしを守ってくれる者を指すのだから。
どちらの考えを採用するかウォレアは数秒迷い、決断した。
「はぁ~。だから王には向いてないって言っているのにさ……」
やれやれと肩をすくめて、ウォレアは全軍に出撃を命じた。
国境での防衛を選択したのだ。