三百二十一話 魔物の王との対面
魔物の群れの中を歩いて進む。
字面だけ見れば、自殺願望者のような行動だな。
俺は自分の行いに自嘲しながら、ガクモ王の周囲に侍る魔物たちの最外縁部に足を踏み入れる。そこにいるのは、周囲への感知機能が高いが魔法の攻撃力が弱い、草食かつ小動物系の魔物たち。
それら魔物たちは、通常痔に出会ったら魔法を放ってくるか逃げ隠れするが、今はじっと俺の行動を見つめている。
ここで俺が変な行動をすれば、ガクモ王を守るために一斉に攻撃をしかけてくるに違いない。
そんな小動物系の集まりを抜ければ、次は体躯が少し大きめな魔物が目に入ってくる。
狼や猪に鹿など、普通の野生動物ならそれなりに見る外見の魔物たち。こちらを警戒してか、狼系の魔物は軽く牙を見せつけ、猪や鹿系は四肢に力を入れて突進の準備を済ませている。
しかし、警戒はしても襲う気はないなと、周囲の魔物たちの剣呑さが緩いことを見て、俺はさらに前に進む。
やがてガクモ王の近くへと辿り着くと、そこは滅多に見ることのできない珍しい魔物であり、数は少なくとも一線級の強力な魔物たちの集まりだった。
虎や熊、そしてサイや象の魔物。全体で二十匹もいないが、一匹一匹が途轍もない強さを持っていると、その魔物たちが発する存在感から察せられる。
普通の人なら出会った瞬間に、恐怖から腰砕けになりそうな魔物たち。その輪の中に、俺は恐れることなく入っていく。
俺の行動が以外なのか、魔物たちに動揺が走った感じがあった。
そうしてガクモ王の近くまで辿り着くと、なんとガクモ王は黒虎の腹に寝そべって寝息を立てていた。
一瞬、起こそうかとも考えた。
しかし、幸せそうに眠るガクモ王は、体躯が小さくて中性的かつ童顔の見た目もあって、起こすことに躊躇いを覚えてしまう。
キレッチャ国に攻め入る途中とはいえ、一時間二時間を急ぐ状況じゃないしな。
俺はガクモ王が起きるまで待つことにして、立ったままもなんなので、地面に腰を下ろす。
胡坐で頬杖をついて待つと、俺のことを珍しい動物だとでも思ったのか、虎の魔物の一匹が近寄ってきた。
その虎の魔物は好奇心が強いようで、俺に鼻を近づけて、ふんふんと嗅ぎ出す。
肉食獣に近寄られるなんて、前世でなら青ざめて逃げだすような事態だ。
けど今の俺は、この虎の魔物に敵意や攻撃性が感じられないため、慌てる必要がないということを理解していた。
それに直感的にだけど、この虎の魔物よりも、日頃訓練で相手しているファミリスの方が数倍以上に強いと感じているから、なんとなく怖がる必要がない気がしているしね。
この虎の魔物に嗅がれたことを皮切りに、ガクモ王の周囲に居る魔物たちの俺へ向ける雰囲気が、警戒相手から観察相手に変化したように感じた。
その態度の変化を、俺がガクモ王の近くに座ることを許されたのだと判断し、俺はガクモ王が起きるまでここで待たせてもらうことにした。
小一時間ほど経った頃、ガクモ王は身じろぎしてから薄っすらと目を開ける。
「んふぁ~~……」
欠伸をし、寝床代わりにしていた黒虎の魔物を労わるように撫でた後、眠気眼を俺に向けてきた。
「……誰?」
ガクモ王の俺を見る目は、どことなく俺のことを人間扱いしていないような感じがあった。
しかしその視線は、不快じゃない。
むしろ、人間じゃないからこそ好意的に扱う気がある、といった雰囲気が含まれていた。
「お初にお目にかかります、ガクモ王。俺はノネッテ国のミリモス・ノネッテ。共にハティムティ国を攻撃する軍隊の、総指揮官です」
優しい口調で語りかけると、ガクモ王は俺が喋ったことに驚いた様子の後で、失望感を滲ませる顔になる。
「なんだ、ニンゲンか。珍しい魔物かと思ったのに」
聞きようによっては失礼な物言いだけど、ガクモ王が魔物を愛好していることを考えると、魔物に間違われることは彼なりの賛辞なんだろうな。
俺はそう受け取り、褒めてくれたお返しに微笑みを向ける。
するとガクモ王は、訝しげな表情を浮かべて、俺の顔をまじまじと見てくる。
「……本当は、魔物か?」
「いやいいや、人間ですよ」
「本当にか?」
「本当にです」
「ん~? 魔物に囲まれているのに、ニンゲンっぽくない」
いまの言葉の意味を、何となく理解した。
普通の人間なら、魔物に囲まれたなら青い顔をするもの。そして一刻も早く逃げようとするものだ。
しかし俺は、平然とした顔で地面に座って、逃げる素振りもない。
この差を指して、ガクモ王は俺のことを人間とは思えないと言いたいんだろう。
その言い分は、理解できる。
なにせ俺は、魔物を怖がる必要のない手段を持っているだけで、別に精神が強いわけじゃないしね。
「俺には神聖術がありますからね。魔物を恐れる必要はないんですよ」
「ふーん……。生意気だ」
ガクモ王が呟いた瞬間、俺を嗅いでいた虎の魔物がいきなり攻撃してきた。
予兆のない完璧な不意打ちに驚いたけど、俺は反射的に神聖術を発動して、虎の魔物の振るってきた前足を右手で受け止めた。
神聖術で強化した腕で受け止めても、ずっしりと感じる虎の一撃。そして、前足の先から伸びる黒曜石のような色と艶を持つ爪。
なるほど、これは怖い。ああでも、前足の肉球は、猫のものを大型化した感じで可愛らしいな。
俺が観察していると、今度は噛みつこうとして来た。
仕方なく左手で喉輪を食らわせてから、勢いを横へと流して、虎の魔物を地面に転がす。
虎の魔物は、自分が仰向けに転がったことが不思議そうな顔をして、事態が飲み込めていないようだ。
そこで俺が無防備な虎の魔物の腹の毛並みをざっと撫で上げると、それでようやく生殺与奪を俺に握られていると理解したようで、虎の魔物は飛び退った。
「グルルルル」
虎の魔物は喉を鳴らすが、これは俺に腹を撫でられて気持ちよかったのではなく、俺のことを強敵と理解して警戒しての喉鳴りだろう。
そんな一秒ほどの俺と虎の攻防を見て、ガクモ王は満足した様子だった。
「生意気だけど、生意気だけはあるか」
そんな呟きを漏らした後、ガクモ王は立ち上がる。
その瞬間、周囲にいる魔物たちが一斉に姿勢を正す。
良く訓練された兵士のような動きに、今度は俺が興味深くガクモ王を観察することになった。
「なるほど。貴方はハティムティ国の王ではあるけれど、人間の王ではなく、魔物たちの王なわけですね」
「そうだ。ニンゲンはついでだ」
ガクモ王にとって自国の民衆は、魔物のオマケか。
ここまで魔物第一の考え方だと、いっそ清々しいほどの一本気だと思ってしまうな。
俺はガクモ王に対して好印象を抱きつつ、地面から腰を上げる。
「それじゃあ、キレッチャ国に向かうとしましょう」
「わかった。けど離れて移動しろ。お前は違うが、あいつらはニンゲンだ」
ノネッテ国から連れてきた兵士たちを指して、ガクモ王は吐き捨てる。
俺が自軍の兵士に目を向けると、なるほど、魔物たちを警戒している雰囲気がありありと見て取れた。
いや、もしかしたら、俺が魔物に囲まれている状況に戦々恐々としているだけかもしれない。
どちらにせよ、ガクモ王は自分の眼鏡に適う存在ではないと見越してしまった。
そして信用できない相手を、愛しい魔物に近づけたくないと思うことは、なるほど理解できる。
「仕方ないでしょう。どっちが先に進みます?」
「我らだ。ニンゲンは、魔物が後ろにいると、恐ろしいんだ」
ガクモ王はそう告げると、魔物を引き連れてキレッチャ国への道を進み始める。
俺は自軍に戻ると、ガクモ王の気持ちを汲んで、前を進む魔物たちから少し距離をあけて追いかけることにしたのだった。