三百二十話 冬から春に
吸収したエン国の領土の安定化と、次の戦争の準備を整えている内に、冬が過ぎて春になっていた。
いよいよ、ハティムティ国から要請された、キレッチャ国と戦争する時期になった。
俺は戦争のために用意した物資の一覧、それが書かれた紙を見て、満足だと思った。
「動員する兵力は全体で二万。うち五千が、魔導鎧装備の重装歩兵。その他、槍歩兵用の長槍、弓兵と軽騎兵用の弓と矢、そして食料も、全軍を半年は賄えるだけ用意してある。人員と物資については、十全に準備できたな」
正直、魔導鎧を五千も揃えたのは、やり過ぎの感じがある。
でも、下手に慢心すると戦争で大被害を負いそうだから、過剰戦力なぐらいがちょうどいいだろうしね。
これで後は、ハティムティ国がキレッチャ国との戦争を宣言してくれれば、ノネッテ国の軍隊が動くことができる。
準備万端整えて待っていたら、伝令がやってきた。
しかしその伝令は、ハティムティ国からの使者ではなく、ノネッテ国の南端に位置するグラバ地域から来た人だった。
「ミリモス王子! 至急、軍隊を連れて、我が領地へ来ていただきたいのです!」
「突然どうしたんだ。落ち着いて、理由を言ってくれ」
その使者が語るには、ハティムティ国からきた軍勢がグラバ地域の国境に駐留し、俺とノネッテ国の軍隊が来るのを待っているとのこと。
「理由は分かった。それにしても、ハティムティ国の軍隊の使者を連れてこなかったのはどうしてだ?」
俺が当然の疑問を口にすると、 グラバ地域からの伝令は言い難そうに顔を曇らせる。
「それが。彼の軍隊は――いえ、軍隊と呼べるのでしょうか。あれは、ハティムティ国のガクモ王が引き連れた、魔物の群れなのです。人間は、ガクモ王一人しかいなかったので……」
「他国の王を使者扱いはできないし、仮にできたとしても、ガクモ王が一時的にも魔物の群れと離れたら、魔物たちがどう動くか予想できないってことか」
「そもそも、ガクモ王の命令を魔物たちは聞きますが、流石に魔物の大群を国の中に入れるのは……」
「大群? 魔物をどれぐらい引き連れてきたんだ?」
「草食肉食、そして大小合わせて、千匹はいるかと。もしかしたら、千五百に届くかもと」
千五百匹の魔物か。
軍略的に考えるなら、特定の魔法しか使えない魔法使い――いや、魔物は動物の肉体を持つので、通常の人間よりも膂力は上だから、運用的には魔導鎧を着た重装歩兵に似ているか。
魔物のことを魔法使いと捉えるか魔導鎧の歩兵と捉えるかは横に置くとしても、無視できない戦力であることは変わりない。
「それにしても、魔物だけを連れてきたのか……」
ということは、ハティムティ国の『人間の軍勢』は、どこにいるのだろうか。
冬の間、アナビエ国の軍隊と追いかけっこをしていたと聞いているから、ハティムティ国の中で休憩しているのかもしれない。
「気にはなるけど――いまは、軍隊を連れてグラバ地域に向かうことが先決だな」
俺は立ち上がると、キレッチャ国との戦争に連れていく軍隊へ出動を命じた。
俺はノネッテ国の軍隊二万人を連れ、グラバ地域の国境へと到着した。
少し遠くに見える巨山を背景にして、ハティムティ国から来た魔物の軍隊が屯している。
その様子を見て、俺は異様だと感じた。
「肉食の魔物が、草食の魔物を食わずに、横に寄り添っているなんてなぁ」
ノネッテ本国の森で、魔物の生態について体験している俺からすると、不自然極まりない光景だ。
そしてなにより、千を越える魔物の群れの中心で、大虎の魔物に抱き着いている人間の姿が、俺には一番奇妙に映った。
普通の人間には、あんな真似はできない。肉食の魔物に抱き着くなんて、頭を齧り殺してくださいと言っているようなものだ。
そんな普通じゃない行動ができているあたり、あの人物がガクモ王なのだろう。
魔物たちの様子を見ながら全軍で近づこうとすると、魔物のうち草食だと思われる何匹かが、こちらを警戒する素振りを見せた。その動きを皮切りに、他の魔物たちも注意を向けてくる。
俺は手振りで全軍停止を命じつつ、魔物の様子の観察を続ける。
こちらが動きを止めたことで、魔物たちの動きも止まる。しかし魔物たちの警戒は続いたままだ。あたかも、俺たちが動き出したら、向こうも動くと言わんばかりに。
うん。これじゃあ近づけないな。
俺はどうするべきか考えて、自分一人で行くことに決めた。
「ミリモス王子、お止めください! 一人で魔物の群れに入るなど!」
そんな常識的な忠告を言ってきたのは、軽騎馬部隊の部隊長。カルペルタル国との戦いのとき、俺が指揮した軍の中にいた人物だ。
一方で、魔導鎧の重装歩兵部隊を指揮するドゥルバ将軍は、俺の行動を支持した。
「ミリモス王子ならば、単独で魔物の群れから脱出することが可能。魔物の群れの中を進んでガクモ王と面会するには、一番適した人物であろう」
「だが、ミリモス王子は、この軍の総大将! 万が一のことがあれば!」
「万が一の場合は、全軍でもってお助けすればよい。相手は魔物が千匹。こちらは人員が二万。助け出すことぐらい、容易であるはずだ」
睨み合いの末、言い合いはドゥルバ将軍に軍配が上がった。
いやまあ、危なくなったら神聖術を使ってでも逃げる予定だから、心配してくれなっくてもいいんだけどね。
「それじゃあ、いってくるよ」
俺はノネッテ国の軍隊から離れ、一人だけで魔物の群れへと向かって歩き出した。