三百十九話 対岸の戦争ではいられない
崩壊したエン国の土地を吸収してから、ようやく安定して統治できる段階に移行することができた。
俺は、問題が一つ片付いたと安堵した。
エン国に入り込んだ無法地帯からの難民が一番の問題点だったのだけど、ノネッテ国の全土に振り分けることで、どうにか決着することができた。
エン国の住民だった者たちは、国の政策が崩壊したことによる民衆の蜂起が直接の原因とはいえ、自国が崩壊した切っ掛けは難民たちが来たからという意識が強かった。
だからエン国の領土だった場所で難民を暮らさせると、迫害の対象に扱われてしまいかねなかった。
いや実際、いくつかの村では、難民を私刑にしようとしていたしね。
エン国の住民だった者たちと難民を引き離すことは、必須事項だった。
とはいえ、ノネッテ国全体にとっても、難民を全国に振り分けることは旨味があることだったりする。
いまのノネッテ国は、いくつもの小国を飲み込んで大きくなった。そして、それら小国が健在だった頃、小国と小国の間には緩衝地帯が儲けられていた。
その緩衝地帯も、ノネッテ国が小国を飲み込んだ際に、ノネッテ国の一部と化した。
緩衝地帯は人のいない――居ても犯罪者や棄民が精々だ――場所であり、開発の余地が多く残っている場所でもあった。
前回の戦争では、四か国と一国の半分の土地を手に入れ、一か国を属国化させた。
都合、それら六国とノネッテ国の間にあった緩衝地帯が、新たな耕作可能地帯と化しているわけだ。
それらの場所に民を入植させて村を作れば、初年度は無理だとしても、何年後からは税として食料を集めることが可能になる。
エン国に入ってきていた難民を、新たに発生した耕作可能地帯で働く人手として派遣させれば、ノネッテ国にも大きなメリットになるってわけだ。
さてここで、なら無法地帯から逃げてくる人たちを『全て』受け入れて、その耕作地に入れればいいんじゃないかと考える人もでるだろう。
しかし現実、ノネッテ国では難民は受け入れていない。
それはなぜか。
単純な話。逃げてきた難民を一塊で扱うのは、執政者の立場から見ると怖い存在だったりするからだ。
難民たちは、国が崩壊した後も、生まれ育った場所に固執して暮らしてきた背景を持つ。
彼ら彼女らは、その生まれた場所で培われた風習や習性を深く見に付けている、『愛村心』が高い存在だ。
現在はハティムティ国の軍隊による暴虐から逃れるため村や集落を離れたが、ハティムティ国の脅威がなくなれば元の場所に戻ろうとする可能性が高い。
そんな存在を新たな開拓村で一塊で運用したら、ハティムティ国の脅威がなくなった瞬間に、開拓村が村民が消えた廃村と化してしまうことは目に見えているだろう。
だからこそ俺は安全策をとって、難民たちを家族単位でバラバラにして、ノネッテ国の各地にある真新しい開拓村に振り分けた。
ハティムティ国の暴虐が治まるまでは、難民たちは開拓村で働き手として動いてくれることは間違いない。
そして仮に、難民たちが元の場所に逃げる時期が来たとしても、開拓村の一家族が消えただけで済むため被害は最小限になるからね。
ともあれ、エン国だった場所の統治は終わった。
これで、アナビエ国、ハティムティ国、キレッチャ国の三国の戦争を、対岸の火事の気分で見守ることができる。
そう楽観したことが悪かったのか、新たな問題がやってきた。
それはハティムティ国からの使者だった。
領主の席に座る俺に対し、使者は平伏することなく大声で要件を伝えてきた。
「我らが王、ガクモ王から要求を伝える。配下たる魔物の冬の間の食料は十分に集まったゆえ、春にキレッチャ国を攻め滅ぼすための手勢を用意されたし」
厚顔無恥な要求に、俺が不愉快から眉を寄せ、隣の第一夫人の席に座っている心優しいパルベラですら困った顔になっている。
「キレッチャ国を滅ぼす手伝いをしろと? ノネッテ国とハティムティ国は、そんな用件を易々と受け入れるほど、国交を結んではいなかったと記憶しているが?」
あえて俺が不愉快を隠さずに言うと、使者は鼻で笑うような仕草を返してきた。
「以前に食料を寄こさなかった件は不問とすると、我が王は寛大にも許されたのだ。許してくださった礼として、兵の一軍団ぐらい用立てるぐらいは当然であろう」
これほどの無礼な言動を見聞きして、俺は不愉快を通りこして逆に面白く思えてきた。
今の状況を見世物と考えたら、目の前に居る使者は命を失いかねない危険地帯で踊り続ける道化にしか見えないしね。
「軍団を用立てろねぇ。軽く言ってくれるが、その部分は横に置くとしよう。では仮に、我らが軍団を派遣し、キレッチャ国を打倒し得たとしよう。その我らの働きに、ハティムティ国の王は何をもって報いてくださるのかな?」
俺が笑顔で問いかけると、使者は再び鼻で笑うような仕草をする。
「我らが王は寛大である。十分な働きを見せた者には、大きく報いを与える。故に、キレッチャ国を滅ぼした暁には、キレッチャ国をそっくりそのまま其方らに与えても良いと考えておいでだ」
意外な好条件に俺は目を丸くする。
キレッチャ国を攻め落とせば丸々くれるなんて、太っ腹も良いところだ。
しかし事前に手にしていたハティムティ国のガクモ王の性格からすると、そんな判断を下すことに疑問が残る。
……いや、存外あり得る話か。
ガクモ王は、人間不信者であり、魔物や動物だけを愛する人物だという。
キレッチャ国との戦いも、ハティムティ国の領土を侵犯した無法地帯の住民を追いかけて発生したものであり、キレッチャ国の手によって武装した難民を魔物の食料にするための手段だ。事実、先ほど目の前にいる使者も、『魔物の食料は十分』と言っていた。これは敵兵で魔物の腹を満たしたという意味に違いない。
話が逸れたが、そんな魔物や動物が第一のガクモ王にとって、キレッチャ国は魔物の餌以上に価値がない国だ。
魔物の力でキレッチャ国を攻め落としたところで、キレッチャ国の土地や建物を持て余してしまう――つまりは『ゴミ』になる。
それならいっそのこと、その『ゴミ』を餌にして、一緒にキレッチャ国を攻める味方を手に入れればいい。
そうなったら、ガクモ王の目からすれば、キレッチャ国を攻める戦力が多くなるし、目ざわりなキレッチャ国をなくせるし、戦争後に出る『ゴミ』すら味方が片付けてくれるわけだ。
実に無駄がない。
俺はそんな予想を立てつつ、使者に問いかけを投げる。
「ガクモ王は、キレッチャ国の討伐に乗り気でいらっしゃるか?」
「魔物の腹が満ち足りている現在は違うが、春になれば魔物の腹も減るというもの。そのときに食料を集めたがるであろうな」
「……キレッチャ国の兵を、魔物の餌に差し出せと?」
「敵兵を餌にすることに心が咎めるようであれば、其方が代わりの肉を用意しても良いのだ」
心情的には、人間の肉を魔物の餌にすることに抵抗がある。
しかし用兵的や経済的には、人の屍という物的価値の無いもので魔物の食料代が浮くのは嬉しい。
感情と実利で悩む俺と同様に、隣に座るパルベラと、彼女の護衛として近くに控えるファミリスとが会話をしている。
「敵兵とはいえ、人を魔物の食料とすることは間違ってはいないかしら」
「ですが姫様。ある場所では、死者を鳥に食わせる鳥葬という風習があります。死者の肉を獣や魔物が食べることは、自然の摂理としては正しいことかと」
「鳥に食べさせることは、弔いとしてでしょう。戦争での死者を配下の魔物に食べさせることは、自然の摂理として合っているのかしら?」
「そうですね。魔物に食べさせることが、ハティムティ国の葬儀の方法ということであれば、敵兵のみではなくハティムティ国の兵の肉体も魔物の食料にしなければ、道理が通らなくなるかと」
二人の小声での会話が聞こえたのか、ハティムティ国の使者が口を開いた。
「我が国の兵も、死ねば魔物の餌となります。遺髪や遺品は家族の元に届けさせますが」
「自国の兵も、魔物の餌にするだって?」
俺が不快感からオウム返しで問い返すと、使者は笑顔を浮かべる。
「我が国は温暖な場所にありますからな。死体を長々と放置していると、疫病が蔓延することとなる。戦場では、多くの死体を埋めることも火葬することも一大事。それならいっそ、魔物の餌にしてしまった方が、魔物の腹も膨れたうえ疫病も出ない。無駄がないといえるでしょう」
この使者の言葉は、ガクモ王の考えとは同じだろうが、ハティムティ国の住民の多くの価値観とは違っているのではないか。
俺は、そう直感した。
しかし、自国の兵まで魔物の餌とすると知ったことで、パルベラは否定的な気分を顔に浮かべながらも納得した様子であり、ファミリスは文句がなくなったという表情になっていた。
俺は、この世界で『正しさ』を担保してくれる騎士国の生まれである二人の反応を見て、ハティムティ国が敵兵の死体を魔物の餌にすることは問題ないと結論付けた。
もちろん、気分的にはあまり歓迎はしないけどね。
それなら後は、俺がノネッテ国の一領主として、キレッチャ国を攻め落とす戦に兵を出すかどうかだ。
「……出す利点は多くて、欠点は少ないよな」
俺があえて出した呟きに、使者は満面の笑みに変わる。
「おお! では、軍勢を出していただけるのですね」
「あくまでノネッテ国の軍は援軍。主たるはハティムティ国の軍勢であると、あえて言い含めておきますからね」
「もちろんですとも。我が王もお喜びになります!」
使者は嬉しそうにすると、詳しい話は後日にして今は早く報告に戻りたいと告げ、俺の前から去っていく。
使者の姿が消えたあたりで、パルベラがそっと顔を近づけてきた。
「本当にハティムティ国の手伝いをする気なんですか?」
非難が含まれた言葉に、俺は肩をすくめる。
「攻め落とせば、まるまるキレッチャ国をくれるというんだ。こんな千載一遇の好機、手伝わないわけには行かないよ」
「口ではそう言っていましたけど、ハティムティ国は信用に値すると思っているんですか?」
いつになくパルベラの口調が強い。
俺は彼女の目をじっと見つめ、その瞳の奥に嫌悪感を見出した。
なるほど。パルベラも俺と同じように、ハティムティ国の魔物が敵兵を食料とすることに、論理としては納得しつつも、感情としては納得していないらしい。
それなら俺も、心の内を明らかにしよう。
「正直、ハティムティ国を信用していない。ハティムティ国のガクモ王は人間嫌いで有名だ。そして俺は人間。嫌ってくる相手と仲良くしたいとは思っていないさ」
「それならどうして、ハティムティ国の手伝いを?」
「言ったでしょ。キレッチャ国の土地を手に入れるためだよ。あの場所が手に入りさえすれば、この大陸の真ん中から南は、ノネッテ国が押さえたも同然になるからね」
キレッチャ国は商人の国であると同時に、海洋の国でもある。
ノネッテ国がキレッチャ国を手に入れれば、商会から大量の資金を調達して陸路と海路を用いることで、無法地帯を平定することが出来るようになる。
そうなった後でなら、残るアナビエ国もハティムティ国も、時間さえかければ倒せない相手ではなくなる。
つまり、帝国から求められていた、ノネッテ国が第三の帝国になるという目標の近道こそが、キレッチャ国を手に入れることだ。
だから気持ち的に気に入らなくても、ハティムティ国を手伝う理由は、十二分にあるわけだ。
そんな感じで説明をしたわけだけど、パルベラは不満げな顔を保ったままだった。
「ミリモスくんの理屈は頭では理解できますけれど、でもやっぱり心のモヤモヤは晴れません」
「まあ、人肉を魔物に食べさせると聞いて、生理的嫌悪を抱くこと自体は可笑しい事じゃないよ」
感情を無理に押さなくていいと抱きしめると、パルベラは甘えるように頬を摺り寄せてきた。
そのまま仲良くイチャついていると、ファミリスから冷たい視線がやってきた。
彼女の目は、時と場所を弁えろと、雄弁に語っていたのだった。