三百十七話 状勢動く
ハティムティ国が周辺の無法地帯を荒らし始めて、二十日ほどが経過した。
その行動の影響は、各地に現れているようだ。
各地から収集した報告を、文官が取りまとめて報告する。
「我がノネッテ国の近場からいきますと、エン国が崩壊しました。そしてエン国の民は、ノネッテ国に吸収合併されることを望んでいます」
いきなりの爆弾報告に、俺は目を瞬かせてしまう。
「エン国が? どうして?」
「ハティムティ国の軍隊から逃げた人たちのうち、ノネッテ国に近い者たちが挙ってエン国を目指したようです」
「ノネッテ国では、無法地帯からきた盗賊をこっぴどく追い返してきた。だから、ノネッテ国には受け入れてもらえないと考えて、エン国に助けを求めに行ったってこと?」
「その通りです。しかし、エン国はそれほど国土が大きくない国です。一気に無法地帯から人が押し寄せたことで、経済と物資と治安が一気に崩壊してしまったようです。エン国の王城では、避難民と王城警備とで諍いとなり、人数差で避難民が王城の中へと雪崩れ込んで暴徒化し、略奪を行ったようです」
「エン国の王城にまで!? エン国の王の安否は?」
「それが……暴徒の中に滅ぼされたピシ国の間者が紛れていたらしく、エン国王を道連れにしたのだとか。この件が決め手となり、エン国は崩壊してしまったようです」
多数の難民の流入による治安の悪化、そして国王の暗殺。王城が襲われたというからには、政治機能のマヒもあっただろう。
そんな状態じゃ、国体を保つことは困難だったんだろうな。
「それで、エン国の民はノネッテ国に吸収して欲しいと願っているわけだね?」
「国が崩壊してしまったことに加えて、ハティムティ国の軍隊に追われて逃げてきた者が多いですから。ハティムティ国の軍隊の脅威から逃れるためにも、一刻も早く強い国の庇護を受けたいと願うことは、仕方がないかと」
「受け入れても、百害あって一利もないんだけど――人道的には受け入れるしかないか」
「立地からは、フォンステ地域に吸収という形が望ましいのでしょうが、彼の地の領主は……」
フォンステ地域の領主は、元フォンステ国の王――過日『聖約の翼』連合の脅威に対して、ノネッテ国に助けを求めてきた王だ。
火種を抱えている土地を任せると、状況を爆発させてしまう恐れがある。
「火消しのためにも、ルーナッド地域に編入とするしかないか。あまり良い形にはならないんだけどなぁ」
「仕方がありません。それにフォンステ地域の領主だって、文句は言わないでしょう」
エン国の領土をルーナッド地域が吸収すれば、フォンステ地域は東に砂漠がある以外、周囲をノネッテ国の領土で囲われる形になる。つまり、他国から土地を攻められる心配が皆無になる。
軍事的脅威がなくなるんだ。フォンステ地域の領主は喜びこそすれ、恨みを言ったりはしないだろう。
「エン国を吸収したら、ハティムティ国の軍隊と対峙するのは、地理的にルーナッド地域の役目になっちゃうんだよな」
「グラバ地域も候補に入りますが、彼の地が狙われたら、ルーナッド地域に援助を求めてくるでしょうから、大した違いはありません」
くそう。また俺が、戦争の当事者にならないといけないのか。
たまには、第三者の立場で戦争の趨勢を眺めていたい。
「エン国のことは分かった。ルーナッド地域に吸収合併の方向で調整しよう。他に報告は?」
俺の問いに、文官は報告書の紙をめくった。
「アナビエ国とキレッチャ国が、ほぼ同時にハティムティ国に大して宣戦布告を行いました」
「あの二国が同時に? 協力関係にあるってこと?」
「いえ、時期的に同じというだけで、示し合わせた兆候はなかったそうです」
俺は自分の勘違いだったかと安堵しながら、文官に続きを喋らせる。
「キレッチャ国は、逃げてきた人たちを受け入れつつも、貴方の土地は貴方が取り返すのだと、逃げてきた人たちを組織して軍隊を作りました」
「なるほど。避難民をそのまま受け入れると社会混乱の元になるから、ひとまず軍隊という形で受け皿を作ったわけだ。上手い手だ」
「それが単なる受け皿ではなく、本当にハティムティ国へぶつけるための兵力として扱うようです」
「素人でも、多くの人数に槍を持たせれば、それだけである程度の戦力にはなる。でも、素人が戦争に参加したところで、死人が大勢出るだけなんだけど」
『戦争は数』なんて言葉は、よく聞く。
確かに、一人の武将が一騎当千の実力を持っていても、相手側は千一人の素人を揃えれば勝てるというのが、数字上での道理だ。
しかし逆を返せば、一人の敵を殺すために千人もの味方を犠牲にしなければならない、ということでもある。
そして実際の戦争で、一人の敵に千人も殺される状況が起こったら、味方が恐慌に陥って潰走しかねない。
つまり、数は偉大ではあるが、絶対的に正しいとも言い切れないわけだ。
だから、キレッチャ国の避難民を対ハティムティ国用の兵士に仕立てる政策は、あまり上手くいくとは思えない。
「いや。避難民を『戦争で消費させること』が目的か」
「……キレッチャ国は逃げてきた民を、ハティムティ国の軍隊に殺させる気でいると?」
「エン国が良い例だよ。多すぎる難民は、国の社会の不安材料でしかない。それなら、難民の数を減らすことは、国の安定化に繋がるでしょ」
「人命を軽んじる考えでは?」
「言っておくけど、俺の考えじゃなくて、キレッチャ国が考えてそうなことだからね。でも、キレッチャ国が商人的な考えでもって国家を運営しているのなら、不必要な労働者を解雇することは、普通だと思わない?」
「人を数字とみなすことを評して、労働者を解雇する事と同じとは、言い得て妙な表現かと」
文官は、理屈はわかるが感情では納得がいかない、という表情をしている。
正直、人を物品と同じような感覚で扱うことは、俺もあまり好きじゃない。戦争のときは、人の死をいちいち悼んではいられないから、ある程度は必要な感覚ではあるんだけどね。
「キレッチャ国のことはわかった。それでアナビエ国の対応はどうしている?」
「アナビエ国は、ハティムティ国が無法地帯の住民を虐げることを見過ごしては正義にもとると、避難民の要請という形でハティムティ国の軍隊と戦う気のようです」
「国全体が騎士国を意識しているってだけあって、大義名分も似せてきているね。いや、正義を建前にするあたりは、明確に違っているか」
俺の評価に、文官の表情が曇る。
「ミリモス王子は、騎士国はハティムティ国の蛮行を見逃すと、お考えなのですか?」
「俺は騎士国は動かないんじゃないかなと思っている。少なくても、ハティムティ国にも理はありそうだなとは考えているね」
「それはどうしてでしょう?」
「俺が理由を語っても良いけど――ちょうどパルベラとファミリスが顔を出したから、彼女たちに聞いてみたら?」
俺が文官の背後――執務室の出入口を示すと、文官の誰もが入って来やすいように開けっ放しの扉から、パルベラとファミリスが入ってこようとしていた。
「あら、私たちのお話ですか?」
「パルベラというよりかは、騎士国の話だね」
俺はパルベラを手招きして呼び寄せると、予備の椅子を出して、そこに座らせた。
「産後の肥立ちは順調のようだね」
「はい。体調も戻ったので、ファミリスが足腰の筋肉を戻すべきだと、散歩に誘ってくれたのですよ」
「姫様が万一に体調を崩された際には、このファミリスが万全に対応いたします。そして子供たちは信用できる乳母に預けてありますので、ミリモス王子には心配ないように」
ファミリスの注釈に、ハイハイと半笑いで頷きながら、ハティムティ国の様子を伝えて騎士国がどう動くかを質問した。
「――それで俺は、騎士国は動かないという判断をしているんだ」
「そうですね。きっと私の父――騎士王は騎士も兵士も動かさないでしょうね」
あっさりと、パルベラは騎士国の参入を否定した。
俺はもとより、作業をしながら横で聞いていたホネスとジヴェルデも、パルベラと親交のあるからか納得顔だ。
しかし文官だけは、意外そうな顔になっている。
「ハティムティ国は人々を殺して回っているのですよ。虐げられている人たちを助けることこそ、騎士国の『正しさ』ではないのですか?」
その質問に、パルベラは困り笑いを浮かべ、ファミリスは不機嫌な顔になる。
「確かに、軍隊に追いかけ回される人たちがいることは、心が痛みます。しかし、その人たちを助けるべきかは、少し考えなくてはいけません」
「姫様はお優しいから言葉を濁していらっしゃるが、私は違う。そも、ハティムティ国には無法地帯の人々を殺める理由があるのだ。神聖騎士国が介入するはずがあるまい」
ファミリスの刺々しい言葉に、文官は面食らった顔をしている。
「人を殺してもいい理由ですか?」
「そうだ。そも国を守るということは、国土と民を守るということ。国土や民が脅かされたとき、対抗措置を講じることは国の権利とも言える。今回のハティムティ国の行いは、まさに国土を侵されたが故の対抗措置。全く『正しい』行いといえる」
「ちょっと待ってください。無法地帯の人々がハティムティ国へ野盗へ入ったのは事実でしょう。しかし、その野盗とは関係のない人たちまで襲われているんですよ!?」
不条理だと言う文官に、ファミリスは冷ややかな目を向ける。
「自国の民が他国に迷惑をかけたとき、それが切っ掛けで国同士の戦争に発展しても、おかしくはない。ならば、野盗の集落を攻め立てることは道理の内である。そして野盗が住む土地が『国ではなく無法地帯』であるのなら、無法地帯にある全ての村や集落が侵攻の対象になることも、あり得なくはない」
「暴論ですよ、それは! 野盗に関りのない村や集落だってあるはずです!」
「どうやって証明する? 中立的な立場で調査を公金で行ってくれる国に、その村や集落は属していない。どれほど『自分たちはやっていない』と叫んだところで、信用にたる言葉とはならない」
ファミリスの論調に、とうとう文官は口を噤んでしまう。
彼の不満そうな顔を見ればわかるが、言い返さないのはファミリスの論理を受け入れたからではなく、文官の論理と騎士国の論理が違っていると理解したからだろう。
そして二人の認識の溝から仲違いしないようにと、パルベラがファミリスを窘め始めた。
「ファミリス、言い過ぎですよ。その方は、人の命は守るべきであると、人として真っ当な主張をなさっているだけなのですから」
「博愛は立派なことですが、情けにもかけ方というものがあります。それを間違えれば、情けをかけた方が悪となることだってあり得るのです。それだけは見過ごせません」
「もう、ファミリスは。ごめんなさいね。ファミリスに悪気はないの」
パルベラが困り顔で謝罪すると、文官の方も我に返ったのか大慌てで謝罪を返す。
「申し訳ございません! 騎士国が動かないことに不満を抱く権利など、自分にはないということを忘れておりました!」
「いえいえ。神聖騎士国を引き合いにだすのは、神聖騎士国を頼りにしてくださっている証であると、そう認識しておりますから」
パルベラの取り成しで、ファミリスと文官の間に流れていた険悪な空気は流れ去っていった。
それにしてもだ、アナビエ国とキレッチャ国が、別々にとはいえ、ハティムティ国に戦争を仕掛けるとは。
その戦争の火の粉がノネッテ国に掛かることは間違いないから、軍備の調整に入らないといけないな。
俺は、温かい場所ではあっても冬の戦争であることに、今後の状勢に危惧を抱いたのだった。