三百十一話 平穏からの不穏・前編
戦争が終わって以降、ノネッテ国は平和だ。
俺の生活も実に穏やか。
屋敷で家族と使用人と共に暮らし、日中は書類仕事の合間に神聖術を使った自主訓練をする。
倒した国を吸収したことで国土が広くなったため、武官や文官の補充と教育は必須だったりはする。でも、既に育っている部下たちが役目を担ってくれているので、俺の出る幕はない。
そのこともあって、書類仕事が早く済むようになって、自主訓練の時間が多く取れるほどだ。
仕事が終わって夜になれば、家族で食事を取り、短い歓談の後に就寝する。
幼子ばかりで世話が大変だけど、専用の使用人を雇っているし、ファミリスとアテンツァが望んで役目を買って出てくれる。
そのため、俺や妻たちが寝るに寝れないほどに子供の世話が大変、という事実はない。
そんな押し並べて平和な日常が、ずっと続いている。
代わり映えのない日常になりつつあるけど、俺は十日に一回ぐらいのペースで、代官に統治を任せているロッチャ地域に顔を出しに行ったりする。
でもこちらも、問題らしい問題は持ち上がっていない。
むしろ、嬉しい報告ばかりだ。
国土が増えて雇う兵士も増えたこともあり、武具を作る鉄製品を作る工房は売り上げが好調だ。
魔導研究部だって、魔導鎧の重要性が増したこともあって、魔導技術の進歩へ研究熱心だ。
そうした戦争特需があるため、経済活動も活発になって、世間の金回りが良くなっている。
唯一の懸念は、戦争で多く消費した食料だった。
だけど、事前に予定していた量より少し足が出てしまったものの、税で取る分以上の食料に関しては相場通りのお金で買い取ったたこともあって、農家の皆に悪感情を抱かれている様子はない。
むしろ、この世界の常識では、戦争に必要だからと無償で農村の備蓄食料を出させることが普通だからな。金を払って食料を買ったことで、良い感情を抱かれたような節すらある。
新たに支配した土地の住民も、ノネッテ国の法下の税制に組み込まれたことで、以前より税が軽くなったと好評だ。
戦場になって荒れた村には食料援助も行っているので、ノネッテ国は祖国を滅ぼした敵だ、といった感状すら薄れつつあるという。
アコフォーニャ地域の領主からも『新たに手に入れた民が従順で、統治がやりやすくて仕方がない』と、笑い声が聞こえてきそうな手紙を送ってきたほどだ。
まあ、こうも民に甘いと思われる政策を取っていると、勘違いする馬鹿もある程度現れる。
俺が民の声を聞く領主だと思って侮り、納める税を誤魔化す者、手っ取り早く稼ごうと詐欺に手を染める者、働けるのに働かずに援助物資で食っていこうとする者。
そういった手合いには、法規通りの罰を公衆に見える形で与えることを、俺は厳命している。
例え地主の息子であろうと、権力者の親類縁者であろうと、容赦なしだ。
公衆の目の触れる形では面子が潰れるからと、見られない形を求めてきた者もいたけど、むしろ人を呼び寄せて罰を与えるよう命じておいた。
こうして法の下では誰もが公平だと示したことで、悪事は鳴りを潜め、真面目な者が大手を振って生活できるようになった。
とまあ少し問題はあったかもしれないけど、直近で戦争をしたにも関わらず、ノネッテ国内は平穏である。
しかし平穏とは、長く続かないことの代表でもあるわけで。
平穏が破られる切っ掛けは、三つの国からやってきた、それぞれ別々の内容が書かれた手紙だった。
「もうそろそろ帝国から来るだろうなとは思っていたけど、ハティムティ国とキレッチャ国からもか」
まず俺は、帝国からの手紙を開いた。
差出人は、フンセロイアだった。
仕事が立て込み、面会できないことを詫びる一文の後に、用件が書いてある。
「砂漠の通商帯の向こうにある国を、もうそろそろ帝国が攻め落として手に入れることになる。ついては、砂漠を通した貿易に関する取り決めを行いたい、ねぇ」
これは少し、まずい。
砂漠の通商帯からやってくる輸入品は、ノネッテ国が大陸中央部で流通させる商品の目玉だ。
その目玉を、帝国に抑えられてしまう形になる。
多少の値上がりは覚悟しなきゃいけないし、むしろ全く入ってこなくなる心配もしないといけない。
「俺に手紙を送ってきたってことは、俺を交渉相手に指名したいってことだろうけど……」
フンセロイアには申し訳ないけど、俺には商業関係の交渉事をまとめる力はない。
そも、俺はロッチャ地域及びルーナッド地域の領主だ。
砂漠の通商路に直接的に接していないため、なにかを決める権利を持つ身じゃない。
「この件は――通商路の出口であるフォンステ地域、砂漠の民と関連のあるスポザート地域とアンビトース地域。それらの領主と、帝国との交渉に定評のあるアコフォーニャ地域の領主フッテーロ兄上が適任だよな」
俺は腕組みして考え、フンセロイア充てに、貿易の交渉はフッテーロを始めとする他地域の領主に任せる旨を書いた手紙を送ることにした。
それに伴い、フッテーロと当事地域の領主に充てて、帝国から砂漠貿易に関する交渉の打診があったことを伝える手紙を送った。
帝国からの手紙にケリが付いたところで、ハティムティ国の手紙を開封する。
その文面を読んで、俺は眉を寄せる。
そんな俺の様子を横で見ていたホネスが、興味深そうな目を向けてきた。
「センパイ。面倒事ですか?」
「ん? なんだ、興味あるのか?」
「そりゃ、初めて手紙を送ってきた国ですからね。どんなことを書いてあるか、興味あります!」
元気に宣言するホネス。その隣で仕事をしていたジヴェルデも、手紙の内容が気になる目をしていた。
俺は苦笑いすると、彼女たちへと手紙を差し出した。
「えーっと、なになに――ええぇ……」
「この文面は、本気で書いていると思われますの?」
二人が絶句している様子に、俺は苦笑いを深める。
「いやぁまさか、たいして国交のない国から『魔物にやる餌を寄こせ』と、手紙を書いて送ってくるなんてね」
どうしたもんかなと思いつつ、ホネスたちから返却された手紙に、俺は視線を落とし直したのだった。