閑話 第三の大国の候補国
アナビエ国。
武芸を重視し、戦士とそれ以外で住民を区別する変わった政策を持つ国。
戦士とそれ以外で、支配者と被支配者という間柄になっているため、他所の国からは『戦士が威張り、奴隷が働く国』と目されている。
しかし実態は、それらの国が訳知り顔で語るようなものではなかった。
アナビエ国の王、アトリデーモス・アナビエは王宮から直に見える、戦士の運動場を眺める。
「「「ふんっ、は! ふんっ、は!」」」
運動場のある一画では、大勢並んだ裸の戦士たちが武器を持ち、掛け声に合わせて決まった型を振るっている。
どれだけ長い時間行っているのか、戦士たちの誰もかれもが、体全体から滝のような汗を流している。
中には、精魂尽き果てて地面に倒れ込んでいる者もいるほどだ。
その場所からほど近い一画では、戦士たちが隊列を組み、陣形の習熟に勤めていた。
太鼓や銅鑼の音に合わせて、戦士全員がまるで一つの生き物であるかのように、自由自在に形を変えていく。
全ての陣形変化を終えた後、今度は戦士たちの立ち位置を入れ替えて、また同じことを繰り返す。
どの戦士が陣形の何処に配置されても、十全の働きを行えるように、体に動きを染み込ませているのだ。
さらに別の一画では、模擬武器を使った、戦闘訓練を行っていた。
他の国では一対一での訓練が主流だが、アナビエ国では実戦を考え、常に一対多での模擬戦となっている。
「おおおお! おおおおお!」
「「はっ! はっ!」」
一人だけの方の戦士が雄叫びを上げて威嚇し、多数の方の戦士たちが油断なく武器を構えて対応する。
このままでは時間が過ぎるばかりと、単独の方の戦士が動く。
「おおおおおあああああ!」
雄叫びを上げながら、相手方の一人を狙って飛びかかった。
狙われた方は受け手に回って攻撃を防ぎ、他の仲間が単独の戦士を包囲しようと移動を始める。
しかし単独の戦士は素早い移動で包囲を突破するや、動き回りつつその時その時に近くにいる戦士を狙う滅茶苦茶な攻撃を行いだした。
翻弄しようとする単独の戦士。冷静に対処しようと努める複数側の戦士。
決着は、味方二人を犠牲にして、単独の戦士を撃破した。
厳しい訓練の連続だが、休憩時間がないわけではない。
体を動かした分だけ物を食べ、十分に体を休めることも、戦士として重要な事柄であるからだ。
陽が中天に差し掛かったとき、運動場に大鍋を抱えた者たちが現れる。
彼ら彼女らは戦士ではない。『その他』に属する、生産労働を課された一般の民である。
「さあさ戦士の皆さん! 休憩時間ですよ!」
「腕によりをかけた料理ばかり。腹いっぱい食べて、午後の訓練に精を出してくださいな」
戦士たちは使っていた武器を丁寧に所定の場所に戻すと、一目散に料理へと集まった。
出される料理は、栄養豊富かつ腹持ちの良さを考慮され、煮込まれた肉と野菜、そして中身が詰まったパンが配膳される。
戦士たちは料理にありつくと、大口をあけて食事を始める。確りと咀嚼してから嚥下し、さらに次の一口を頬張っていく。
一心不乱に食事をする光景に、料理を作った民たちが『自分たちの食事に夢中になってくれている』と笑顔になる。
アナビエ国が要する戦士たちと、それを支える民たちの働きっぷりを見て、アトリデーモスは満足だと頷く。
しかし次の瞬間には、眉を大きく歪めて、不愉快そうな表情になる。
王の表情変化の理由は、戦士や民たちではない。
アナビエ国に不足しているものについて、思い悩んだからだ。
「我が戦士たちは精強であり、民たちは良く支えてくれている。だからこそ、戦士たちが『神聖術』を使えればと、口惜しい」
アトリデーモスは確信している。
神聖騎士国の騎士や兵士よりも、我が国の戦士の方が訓練に励み地力を上げていると。
故に彼の国に負けている理由は、神聖術のあるなし、ただ一つだと。
「あの国から逃げた兵士や騎士を招き、神聖術とはどういうものかを調べた。しかし彼らは、どうやって自らが神聖術を使えるようになったか、まるで分っていなかった」
神聖騎士国の騎士や兵士は、特殊な儀式を経て、神聖術が使えるようになる。
しかし、彼らが体験した事とを同じことをアナビエ国の戦士にやらせてみても、まったく神聖術が発現しなかった。
恐らくは、神聖術を発現するための儀式に必須ななにかが欠落しているためだ。
「神聖術さえ、神聖術さえ手に入れば、我が国が大陸の覇者となることは間違いない」
どうやれば神聖術が使えるようになるかと考え、アトリデーモスの目がある方向に向く。
アナビエ国より東にある、ノネッテ国。
彼の国の王子は、神聖騎士国の儀式と関係なしに、神聖術を使えるようになったという。
彼から言葉を聞けば、神聖術を見につけることが出来るかもしれない。
「友好の使節を送るべきか、それとも共同訓練を打診してみるべきか……」
どちらがより有効か。
アトリデーモスは悩み、とりあえずはノネッテ国の王子についての情報を集めさせる命令を発した。
その後、頭を使った疲れを癒すため、武芸の訓練に勤しむことにした。
アトリデーモスの筋骨隆々とした大柄な体を見てわかるように、彼はこの国の戦士の中でも類まれな戦闘力を誇る、戦士の一人である。
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キレッチャ国の王城には、キレッチャ国内だけでなく、近隣諸国や海運で取引する遠方の国から使者が毎日のようにやってくる。
貿易で巨万の富を持つキレッチャ国にすり寄り、多少なりともいい目を見ようと思ってのことだ。
「――つきましては、ウォレア王に手助けをして頂きたく」
どこぞの国のなんとかという大臣が、深々と頭を下げてくる。
キレッチャ国の王、ウォレア・キレッチャは眼鏡の奥にある目を細めて笑顔を作り、宝石がついた指輪をはめた手で、自分の横にいる人物を指す。
「話は分かりました。詳しいことは、こちらの財務大臣と話し合ってください」
なんとか大臣が退室した後、側に控えていた宰相がウォレアに近寄った。
「本日の面会者は、以上となります」
「そうか。いやぁ今日も、面白そうな話を持ってくる人は居なかったか」
王とは思えないざっくばらんな物言いに、宰相が苦笑いを浮かべる。
「今日の面会者の中に、商機を感じる者はおりませんでしたか」
「ああ。名前を覚えようという気すら起きなかったね」
ウォレアの本気の言葉に、宰相は溜息を吐く。
「商売の国の王ならば、取るに足りない相手であろうと、その者の名前は覚えておいて欲しいのですけれどね」
「個人の名前を覚えてなくても、その者の顔と国と役職さえ覚えておけば、なんとかなるものだよ?」
ウォレアの持論に、宰相はかぶりを振る。
なぜ顔と出身国は覚えているのに、名前だけは覚えようとしないのか。
ウォレアの感性がズレていることに宰相は嘆く。
しかし、そのズレと引き換えに、ウォレアに膨大な商才があることも、宰相は認識していた。
だからこそ、宰相はウォレアに問わなければならない問題があった。
「魔導帝国から、我が国に対して出された『あの要望』について、どうするお積りですか」
「神聖騎士国、魔導帝国に次ぐ、大陸で三番目の大国に、我が国がなって欲しいって話のこと?」
「そうです。お話をお受けするようなことを、帝国の使者殿に言っておられたように思いますが?」
宰相の問いかけに、ウォレアは笑いながら手を振る。
「あはははっ。書面もない口約束だよ。真っ正直に履行するはずがないじゃないか」
「……相手は、あの帝国ですよ?」
「怒られたら、お金を積んで謝るさ」
宰相が非難する眼を向けると、ウォレアの表情が少しだけ真面目になった。
「あのね。うちが第三の大国になっちゃったら、どうやって稼ぐのさ。商人は相手あってこそ、金を稼ぎ、金を使うことができるんだよ?」
「魔導帝国と神聖騎士国と、取引すればよいのでは?」
「二人しか客がいないんじゃ、大した儲けられないよ。多種多様な顧客がいてこそ、多くの需要が生まれ、物と金の動きが活発になり、ひいては我が国が儲かるんだから」
商売のことになると生き生きとする、ウォレア。
宰相はどうしたものかと頭を悩ませる。
「では、第三の大国を目指さないということで、よろしいのですね?」
「積極的に目指しはしないけど、結果的になっちゃうってことはあり得るかもしれないかな?」
はぐらかすようなウォレアの言葉に、宰相の目つきが鋭くなる。
しかしウォレアは気にした様子もなく、笑顔を向ける。
「うちは商売をするだけさ。その結果、他の国が滅ぼうと、その滅んだ国を吸収してうちが第三の大国に成ってしまおうと、それはそのときのことだよね」
「……第三の大国になったら、商売で儲けられないと、ご自身で語ったばかりでは?」
「儲からない商売に、興味はないからね。第三の大国に成っちゃったら、国王の座は次に譲って、一商人として野に降るよ」
あっけらかんと王を辞めると言い切ったウォレアに、宰相の溜息が深くなったのだった。
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ハティムティ国とは、実はちゃんとした国ではない。
ハティムティとは、熱帯雨林地域に済む部族特有の言葉で、『武力持つ主』という意味。
その名前が示すように、強い主を頭に据えて、その主を多数の部族が支える構造を持っている。
いわば国ではなく、部族連合といった手合いの集団である。
その集団の規模が国といえるほど大きくなったことで、周囲の国々が「野蛮なるハティムティが跋扈する国」と言い表すようになり、そのままハティムティ国と名前が付いてしまったという背景がある。
そんなハティムティ国における今代の主は、魔物を配下にする術を見つけて『最も偉大なるハティムティ』と認められた、ガクモという青年だ。
そのガクモは成人しているにも拘らず、少年のように背が小さく、体躯も細い。顔立ちは女子供のような可愛らしさが先に立ち、勇ましさが欠片もない。
周囲の国から『蛮族』と侮蔑されるハティムティ国にあって、ガクモの容姿は『男らしくない』と蔑まれる対象だった。
しかしガクモは、周囲に認められない容姿と引き換えに、生まれ持っての特異な才能があった。
それは、野生動物に異様に好かれるという体質。
通常は、野生動物が身近に来て癒してくれるというだけの体質だ。
しかしガクモが年少期のとき、彼をイジメようとした男児が空から飛来した猛禽の爪で目を抉られた件を皮切りに、この体質の異常さが目立つようになった。
ガクモを害しようとする者が現れたら、そのときに一番身近にいる動物が阻止しようと動く。本来なら人を見ると物陰に逃げ隠れするネズミすら、ガクモを助けようと身命をなげうったほど。
そんな異様な特異体質を持つガクモを、悪霊憑きであると祈祷師が断じたことで、熱帯雨林の奥へと追放が決まる。
魔物が跋扈する森林地帯の奥で、生白い体躯のガクモが生き残れるはずがない。
誰もがそう思う中、ガクモは二年もの年月を生き延び、そして魔物を配下にする術を見につけて戻ってきた。
ガクモは女子供のような顔立ちと体躯はそのままに、魔物を従える術と野生の厳しい環境で生き残る心構えを身につけていた。
ガクモは集落に戻ってくるや、自分を手前勝手な理由で追放した者たちに復讐を行い、魔物の餌にした。
集落の者は、ガクモの魔物を従える武威に恐れおののき、「貴方こそがハティムティである」と崇めて臣従を誓った。
ガクモは、自分を追放した者たちのことなど知ったことでは無かった。
ただ単に、配下にした魔物を食べさせるため、周囲の集落を襲撃して食料を奪うことを繰り返すことを選んだ。
魔物を従えるガクモに、他の部族は瞬く間に降伏。ガクモを主として認めた。
ガクモは支配する土地が増えたところで、増えた土地に住んでいた魔物を新たな配下に組み入れる。
増えた魔物の餌を得るため、他の集落を襲い、その集落の者たちが臣従を誓う。
そんな行いを繰り返した結果、ハティムティ国は大陸で第三の大国になり得る国として認識されるに至った。
大きくなった国の中で、ガクモは王として人々に傅かれる存在となった。
しかしガクモは、臣従した『ニンゲン』のことを信じようとはしない。
ニンゲンは、幼かった自分を迫害するだけ迫害しておいて、魔物という力を得た後で擦り寄ってくる、恥知らずな生き物。
ニンゲンは、自分がやった過ちをすぐに忘れて、その過ちの対価を払おうとしない、信念のない生き物。
ニンゲンは、強い者の力を借りて威張るしか能のない、誇りなき生き物。
ガクモが、そう人間のことを認識しているからだ。
そして特に許せないのが、ガクモとその家族である魔物に対して、恐れると同時に内心で侮蔑を行っているからだ。
『魔物さえいなければ、ガクモは弱者だ』
『人間の生活圏に魔物がいるなんて怖いから、どっかに行って欲しい』
そんな心の動きを、ガクモは野生で生き延びるために磨いた観察眼によって、彼ら彼女らの視線の揺れや体の強張りで見抜いていた。
そういったもろもろの事情や認識から、ガクモは人間を信じない。
そして人間を信じない分だけ、より一層、魔物や野生動物へ気持ちを傾けていく。
ガクモが愛する魔物が暮らしやすいように掟を改め、それを人間に守らせる。守らない者がいたら、魔物の餌だ。
戦争のときも、まずは人間の兵士に当たらせ、主力である魔物が怪我をしないような作戦を立てる。
寝所の伴をするのも、見目が美しい人間ではなく、見事な毛並みの黒い虎。
そうして魔物に心を砕くガクモだからこそ、国の方針をこう決めた。
魔物を虐げる人間を殺し、魔物が悠々自適に暮らせる場所を作るのだと。