三百八話 状況は動く、チビチビと 前編
魔導帝国のフンセロイアから、いずれノネッテ国はアナビエ国、キレッチャ国、ハティムティ国と戦うことになるだろうと言われた。
とはいえ、それなりに国が離れていることもあって、いますぐに激突するということにはならなかった。
そのため俺は、新たに入手した領地の安定化と次の戦争に備えるため、日夜書類仕事に勤しむことにした。
「各地税収の徹底、旧国貴族の処遇判断、悪徳完了の成敗に、旧国の兵士たちの中から希望者のみを再雇用、街道整備の手配……」
やらなければならないことは山積みで、物事の解決のためには手間と資金が必要となる。
国を攻め、土地を獲ることは決定していたから、ある程度は資金に余力を残していたはずなのだけど、今年度は結構ギリギリになっちゃいそうだ。
いやまあ、今回の戦争で、予定していた以上の国を攻め落とせちゃったから、予算が足りなくなっちゃっているんだよなぁ。
うだうだと考えながら作業をしていると、書類仕事を手伝ってくれている、ホネスとジヴェルデに笑顔を向けられてしまった。
「センパイが、またへこんでます」
「まったくこの人は。突拍子もないことをしでかす割に、後で反省が長いんですものね」
「二人とも、酷いな」
俺は苦笑いを返しつつ、書類に目を落とす。
「いままで何か国も同じ作業をしてきたけどさ、中々うまくこなせないなってね」
「まったく、変なことを考えますわね。国といえど、場所が変われば事情もかわるもの。前と同じ方法が、今再び使えるはずがないでしょうに」
「そうですよ、センパイ。それにセンパイが占領地に気を配った政策をしてくれるから、以前の国より住みやすくなったって、評判良いんですよ」
二人の言葉に、そういうものかなと納得し、書類作業に勤しむことにした。
俺が統治作業を続けている中、日を追うごとに、色々な事態が少しずつ進んでいく。
まずは、ホネスの出産だ。
戦争が終わった頃には、もうかなりお腹が大きかったのだけど、戦争後二ヶ月ほどで出産となった。
出産時、産気づいたと知らせがきて、俺が慌てて駆けつけたところ、もう既に赤ん坊は生まれた後だった。
出産が終わっていることに俺が呆気に取られていると、出産が終わったことを教えてくれた産婆が笑顔で報告する。
「類まれなほどに安産でございましたよ。産気づき、破水した後、二十もいきまないほどで、すぽんと生まれたのです」
「そうなのか。それで、母子の健康状態は?」
「母も子も、共に健全ですよ。へその緒は切り、後産ももう少ししたら始まるはずです」
説明の後半が、やや非難っぽく聞こえて、俺は首を傾げかける。
そして『後産』が何なのかを思い出して、ああっと産婆の態度に納得した。
「胎盤がまだ出てきてないのか」
「後産で出てくるものは、殿方の見にキツイものです。あまり目に触れさせたくないと考える妊婦は、多くございますよ」
伴侶にはいつでも綺麗な姿を見せたいというのが、女心というわけだ。
「それじゃあ、俺は部屋の外で待っていた方がよいかな?」
「いえいえ。いま初乳の最中でございますから、父親たるミリモス王子も同席し、頑張った母親に声をかけた方がよろしいかと」
産婆の有り難い助言に従い、俺は部屋の間仕切りの向こうへと足を運び、ベッドに横たわるパルベラに近寄った。
パルベラは、出産着の胸元をはだけさせて乳房を露出させ、その乳首を生まれたばかりで赤黒い肌をしている赤ん坊に吸いつかせていた。
俺が顔を出したことを見て、パルベラは微笑んだ。
「ミリモスくん。見てください、生まれましたよ」
パルベラは体を捻ることで、乳房を吸っている赤ん坊の位置をずらしを、その横顔を俺に見せやすいようにしてくれた。
薄い髪の毛に、腫れぼったい目。手足胴体はフクフクと膨らみ、歯のない唇で乳房に吸い付いている。
生まれたばかりの赤ん坊は、なんというか人間というよりは動物っぽいなと、俺は失礼な感想を抱いてしまった。
俺は赤ん坊をしげしげと見るのを止めると、出産という大事業を終えたパルベラの頬に手を当てる。
「安産だとは聞いたけど、それでも出産は大事だ。疲れただろう?」
「いえいえ。ミリモスくんとの子供を産むなんて、嬉しいことです。だから大変だなんて、思ってませんから」
「パルベラは強くなったな。出会った頃は、木の洞の中でびーびー泣いていたのに」
「も、もう、ミリモスくん! あのときのことは、蒸し返さないでください」
俺が茶化すと、パルベラがぷりぷりと怒った。
その様子に笑顔を向けていると、誰かに肩を叩かれた。
後ろを振りむくと、ファミリスが立っていた。そして彼女の手の先には、手を繋がれた状態で立っている、マルクの姿があった。
「後ろがつかえていますから、パルベラ姫さまへの労いが終わったのなら、下がっていただけませんか?」
「おお。悪い」
俺が横に移動すると、入れ替わる形で、ファミリスとマルクがパルベラの近くへ進み出た。
そしてファミリスはマルクを抱え上げると、生まれたばかりの赤ん坊を見せる。
「マルクさま。これが貴方の弟君ですよ」
「おとうと?」
マルクはオウム返しに呟くと、珍しいものへ向ける目つきで、赤ん坊をじっと見る。
その姿をファミリスは笑顔で見ると、さらに言葉を告げる。
「触ってみてください。ただし、赤子は壊れやすいもの。そっとですよ。そっと」
「そっと、そっと」
マルクは怖々と手を伸ばし、指先で赤ん坊の二の腕に触れる。
触られたことに驚いたのか、赤ん坊の腕がぐいっと動いた。
突然動いたことに、マルクの方も驚いたようで、伸ばしていた腕を思いっきり引っ込めていた。
「うごいたよ?」
「それは動きますとも。貴方の弟君なのですから」
ファミリスの言葉に、マルクは首を傾げる。
どうやらマルクの中では、赤ん坊が自分と同じ人間であるとは思えなかったようだ。
先ほど俺が赤んぼうのことを『動物っぽい』と感想を抱いたことを思い返し、似た考えをしたマルクには俺の血が確りと継がれているんだなと、変な納得をしてしまうのだった。