二十六話 冬の日
ノネッテ国に本格的な冬がやってきた。
山間部の国であるため、空が曇れば小雪がパラつき、晴れていれば積もった雪に太陽が反射して眩しい状況になる。
積もるといっても、雪の量は常に踝くらいまでなので、雪かきに追われるほどではないのが唯一の救いだな。
そして冬の間、ノネッテ国の畑という畑には、雪豆と呼ばれる種類の植物が栽培されている。
この雪豆、成る豆は真っ白で真珠の様であり、雪を割って生えている葉と茎は黒緑色という、前世にはなかった植物だ。色が黒っぽいのは、太陽の光を出来るだけ受け止めて温かく保つためだと思う。冬の終わりごろに豆が出来るので、貯蔵していた食料が絶えてしまっても、少し日数を我慢すればまた腹いっぱいに食べられるようになることから、昔は『救い豆』なんて言われていたりもしたらしい。渋みがあって不味いので、俺はあんまり好きじゃないけどね。
そんな冬に貴重な食糧源になる豆なので、冬眠をしない種類や冬眠のための貯蔵に失敗した動物たちが、冬の初め頃に食べに狙いに畑にくる。
「その野生動物を駆除して、肉に変えるのも兵士の務めってわけだけ――どッ!」
豆畑の横で、俺は雪を被せた筵の中に潜みながら、弓矢で畑に単独で近づいてきた野犬を射貫く。
「キャイィ~……」
小さく悲鳴を上げて倒れたことを確認して、俺は筵から出て、矢を刺した犬の元へ。
矢は犬の小さい頭を横から貫いている。痛みを感じる暇もないほどに、即死だっただろう。
体が痩せている姿から、群れを追い出されて食うに困った個体だったんだろうな。
「皮も肉も、全部有効活用してやるからな」
供養代わりの言葉を口走らせながら、俺は矢を引き抜いて回収する。そして犬の死体の足を両手で掴んで持ち上げ、畑の向こうにある家へと持っていく。
家の前に死体を置いてから扉を開けて中に入ると、センティスが湯気が立っている飲み物を口にしていた。
その姿を見た俺は、非難の意思を込めて目を眇める。
「部下に面倒な仕事を押し付けて、自分は温かい場所で優雅に飲み物を飲んでいるなんて、流石は新人小隊の隊長殿だ」
「変なことを言うなよ、ミモ坊。この畑を守る任務は、新人が主体となってやる仕事だぜ。そしてオレは、新人じゃない」
「それを言うなら、なんで俺が野生動物の退治に駆り出されているんでしょうねえ。確か、センティス『隊長殿』の所為だったと記憶してるんですがねえ」
「言いがかりだ。オレ自身は、ミモ坊を連れてくる気はなかったんだぜ」
「そうだろうね。俺が「センティスの新人の教育係としての資質には疑問がある」と提起してみたところ、軍の高官たちがあまりにも歯にモノが挟まった返答をしたものだから、彼らが言い淀む理由を調べてみたら、ほぼ全員がセンティスに賭けの借りがあると判明したんだっけね。そしてセンティスを評価できる立場で、借りを持っていない人物は、俺かアレクテムしかいなかったんだよな」
「アレクテムのジジイは、人員配置の采配で忙しいからな。ミモ坊に、お鉢が回ってきたってわけだよな」
事情を理解していながら平然と言ってのけるアレクテムに対し、俺は頭痛がしてきたように感じた。
「その評価役が新人たちに混じって任務をこなしている中で、問題の当人が暖炉の前でくつろいでいるって、どういうことだよ」
「いや、別に新人の教育係なんて下りても困らねえしなあ。その結果、ヒラの兵士に落とされたって構わねえし」
「本当に、どうしてこんな人が教育係をやっているのだろう」
「そりゃあ、新人が出来る仕事なんて簡単なものしかねえ。その教育役の仕事も、自然と簡単なものになる。その上で手当てもつく。なら、教育係になるしかねえだろ」
「手当手を目当てに、賭けの借りを引き合いに出して、方々から推薦させたってことか」
「誰も彼も、二つ三つの借りと引き換えにしたら、あっけなく許可を出してくれたぜ」
あっけらかんというアレクテムに、俺は悩んでしまう。
アレクテムに買収された高官たちが悪いのだけど、これで汚職と断じてしまうのは行き過ぎな判断らしい。
新人教育なんて誰がやってもさほど変わらない任務を宛がうだけで、借りが消えるのなら喜んで斡旋するのが普通なのだそうだ。俺の守役のアレクテムですら、長年の軍務経験から同じ意見を持っているほどには。
これで大丈夫なのかと疑問に思うが、新人は任地に配属された後で、その土地に見合った訓練を厳しく受けさせることで、兵士として完成させるような仕組みになっているらしい。
では新人教育とは何の意味があるのかというと、兵士としての最低限の体力作りと、ある程度の汎用性を持たせるための訓練期間なのだそうだ。
「とにかく、教育係らしい格好ぐらいはしておいてよ。じゃなきゃ、本当に役目を下ろさないといけなくなるんだから」
「へいへい。家の窓から見ておくとするよ。それよりも、ミモ坊はその野犬の処置をしろよ。肉の味が悪くなるぜ」
「分かってるよ。今日の飯が不味くなるのは嫌だし」
センティスに文句は言い終わったので、野犬の解体に入る。
前世だと犬を食べると言うと奇異な目をされるだろうが、ノネッテ国では普通に食べる食材だ。というか、折角倒した害獣を捨てるよりも、食料として活用したいという事情なのだけど。
さて俺は十歳から兵士として訓練してきて、その中で野生動物の解体もさんざんやらされてきたので、獣一匹の解体も楽々だ。冬で雪が積もっているのもいい。雪で肉を素早く冷やすことが出来るし、雪をこすりつけることで余分な血の塊を洗い落とせるしな。
内臓を抜いて、毛皮を剥いで、頭を落として、各部を切り分けて枝肉にしていく。
あとは軒先に吊るしておけば、自然に冷凍肉の完成だ。
作業がひと段落つき、解体に使ったナイフを布で拭って綺麗にしていると、ホネスが戻ってきた。その腕には、大きな白兎が抱えられている。
ホネスは俺を見ると、得意げに笑ってくる。
「センパイ、見てください。やりましたよ!」
「いい大きさの兎だね。解体を失敗したら、もったいないぐらいにね」
俺は素直に感心したつもりだったが、後半部分は失言だったようで、ホネスが頬を膨らませる。
「むっ。見ててください。ちゃんと解体してみせます!」
ホネスは支給された青銅製のナイフを取り出し、兎の解体に入る。
ちゃんと講習は受けているのだろう、手つきに迷いはあるが、手順通りに進めていく。腹を裂いて内臓を取り出す際に、内臓を傷つけて内容物を出さないように、ちょっとずつ刃先を入れているところが微笑ましい。
少し時間をかけながら、兎は毛皮を剥がれて丸裸になり、頭を落とされる。処置が終わった姿は、前腕が細く、もも肉は発達していて、胴体部は大きく丸い。どことなく、クリスマスシーズンに見かける丸鳥に似ている。
江戸時代に獣肉の食が禁止されていた頃は兎の肉を鳥の肉と言い張って食べたって、前世で誰かとの雑談で聞いてはいたけど、肉の姿を見るとなるほどと思える姿だ。
そんな兎をこちらに差し出して、ホネスは自慢げに胸を張る。
「どうですか、センパイ。ちゃんと出来てるでしょ」
「丁寧でいい解体だね。少し早さが足りないけど、数をこなせば素早くできるようになるだろうね。これからも丁寧さを心掛けて、決して焦って雑に手早くやらないようにね」
昔に俺が年配の兵士に言われたことをそのまま伝えると、ホネスは目を大きく広げて驚いている。
「ちゃんと言葉で指導されたこと、初めてです」
「……センティスはどんな指導をしているんだよ」
「えーっと、見て覚えろって。分からなくても、真似しろって言ってますね」
習うより慣れろって感じに指導する兵士も、いないことはないけど。
うーん。センティスの場合は、言葉で説明することが面倒くさいから、そう言っている気がしてならないんだよなぁ。
俺がセンティスの教育係としての資質に新たな疑いを持っていると、畑の方が騒がしくなった。
「はぁ!? なんでイノシシが出てくんだよ! 冬眠してろよ!」
「こっちに逃げて来るないで、一人で対処してよ!」
「馬鹿! 一人でイノシシに勝てるかよ! 見ろよ、矢を受けてもピンピンしてんだぞ!」
どうやら冬眠に失敗したイノシシに、半端に矢を射かけたせいで、追いかけ回されているらしい。
新人仲間が襲われていると知って、ホネスが弓矢を手に駆け出した。
「ガット、カネィ! すぐに行くから、ちゃんと逃げてて!」
「早くしてくれ、死ぬ、死ぬ!」
「矢を食らっているなら、倒れろよ!」
ぎゃーぎゃーと騒がしく戦う新兵三人の姿を眺めて、このままだと畑に被害が出そうだと判断。
俺は帝国製の剣を抜くと、イノシシ目掛けて突進することにした。男性新兵の二人の名前が、ガットとカネィっていうんだな、って場違いなことを考えながら。